清澄山 西養寺 その1◆ユルさが楽しいワンダフルゾーン
2020年08月15日
卯辰山寺院群の一角に、前田利家に愛されたと言われるお寺があります。
西養寺(さいようじ)です。
このお寺、元々はお隣の福井県にあったのですが、利家も一時期福井に在住していた時期があり、そんな縁でここの住職と親しくなりました。
その後利長(としなが・利家の息子)に従って射水、富山、高岡と寺地を移し、最終的に落ち着いた先がここ金沢でした。
以上のような経緯から加賀藩からの信頼が厚く、藩より15ヶ条の制書を附与され、加・越・能の天台宗寺院觸頭(ふれがしら)を任じられています。
觸頭とは特定の宗派の加賀藩内における大元締めみたいな役職です。
要は天台宗の加賀代表ですな。
そんな西養寺を訪問するにあたって、いきなり立ちはだかるのがご覧の階段。
長いーーーー!!!
ひたすら長いーーーー!!!
これ登るだけで日が暮れるーー!!!(※そこまでは長くない)
ここをえっちらおっちら登る訳です。
まあ。
頑張ってください。(←?)
その先に現れるのが山門。
これがええ~山門でしてね♪
門のタイプは格の高い高麗門(こうらいもん)。
この近辺のお寺はどこも棟門(むなもん)や薬医門(やくいもん)ばかりですからね、そんな中に突然ポンと高麗門が建ってるのがものすごく異質なのですよ。
それはつまりこの辺りにお寺が立ち並んだ江戸時代、ここは既に一格上の存在だったという事を物語っています。
その門をくぐって左手にあるのが「地蔵堂」「観音堂」「龍神堂」の3つのお堂。
建物としてはひとつですが、内側が3つに仕切られています。
中を覗くとお地蔵様・観音様・龍神(と関係ないのもある)の像がずらり。
見ると分かるんですが、どのお堂もごちゃごちゃしててどーも全体にまとまりがない。
明らかな寄せ集め。
でもこのアバウトさ、悪くないですよ(笑)。
くるっと振り返って本堂側を見ると、こんなのが建っています。
宝塔。
高さは3メートルほどでしょうか。
五輪塔っぽいけど、火袋があるから燈篭にも見える、なんか独特の形の塔。
その火袋なんですがね、中に何かいるのが分かります?
ちょっと拡大して見てみましょう。
ほら、誰か座ってます。
仏さまじゃないですね。
袴を履いて頭には烏帽子、どうも昔の人物っぽい。
これ多分ですが、菅原道真ですね。
つまり天神様。
なぜかここに神様が祀ってあるんですね。
お寺なのに神様?ちょっと違和感ですが、そのすぐ向こうにもこんなのがあります。
お稲荷様の社(やしろ)。
正面上の扁額には「薬王稲荷大権現」と大書されています。
バリバリの神社ですな。
で、お気づきですか?
いるんですよ、いるんですよ、アレが!
わたしの大ぁ~い好きなアレが!
逆立ち狛犬!!
小っちゃいんですわ、コレが。
ザ・スモール逆立ち狛犬。
しかも左右両方とも逆立ちスタイル。
もうね、これに出会えただけで、ああ~~ココ来て良かったな~って幸せ気分になれます。
やっぱいいですね、逆立ち狛犬。
日本中探してもほとんど例のない、金沢特有のこの逆立ち狛犬文化。
こんなのにゴロゴロ巡り合える金沢って、ホント素晴らしい~土地だ♪
逆立ち狛犬万歳!!(←どこまで好きやねん?)
ユルさと緊張感が入り乱れる不思議な空間、西養寺。
現場はほとんど人の来ない静か~な場所です。
境内散策自由ですので、どうぞ落ち着いてご参拝を。
そうそう、見所をもうひとつ。
このお寺、ニンジャが隠れています。
2人。
どこにいるのか?
鬱陶しい小姑になって、隅から隅までしつこーく探しまくってください。
ほらほら、いますよ~ソコに!
次回は本堂と鐘楼を見て行きます。
こちらはおふざけナシ、バリバリにカッコイイですよ!
清澄山 西養寺
住所:石川県金沢市東山2-11-35
TEL:076-252-0532
龍苑 海老とろみそば 甘旨とろとろ鬼熱スープに火傷注意報!!
2020年08月12日
中華料理の老舗、龍苑へやって来ました。
場所は金沢東警察署のすぐそば、ほぼ通り沿いです。
この日は夜の部開店直後に行ったのですが、なかなかの人の入り。
いきなり10人程どよどよっと入って、30分くらいでほぼ満席。
結構客来んのね。
わたしはお独りさまなので、カウンターに着席。
10分程遅れて入って来た老夫婦もカウンターへ。
この老夫婦、どうも店のご主人と馴染みらしく、奥からご主人が出てきて延々と世間話を始める。(厨房は息子?が仕切ってるっぽい)
・・・は、いいんだけど、ご主人ずっとノーマスク。
おいおいおい、家でしゃべってんじゃないんだから、客はまあいいとして、ご主人は店の人間としてマスクせんといかんだろ。
と、わたしの心の中でツッコミが100回くらい入るも、ご主人には届かず、ずっとノーマスク。
そして何気によく見ると、厨房の調理師さん、2人とも頭巾してない。
えーー?普通すんじゃねーの、調理する人、髪の毛落ちんように頭にナンか。
んーーーーー・・・・(黙)。
とかイロイロ考えてたら、海老とろみそば登場。
とりあえず注文したモン来たし。
食べたおしましょか!
スープは餡かけなので熱々、超熱、鬼熱、マグマ熱。
ほとんど炎を食っているような熱度。
味わい中華スープ。
香ばしい鶏ガラの味がバリッとキて、酸味と甘みがスキっと伸びて、ほのかなコショーがビリっと走って。
まろやか~なうま味が後にゆったりと残る。
麺はゆるい縮れの入った細麺。
水気が多くびしゃっとしてて、ゆるゆるやわやわ。
ラーメン専門店の麺のようにコシがビッと張ってて小麦感濃厚でって感じではなく、あくまで中華料理屋レベルの麺。
なのですが。
この餡かけ熱々中華スープ味ギンギンのスープにはむしろこの手の麺が合うのですわ。
べちゃべちゃ麺が中華スープ味のスープを吸いまくって、へろへろ質感がとろとろスープにめちゃフィットして。
ずばずば吸い上げるのが楽しい!楽しい!
具材は海老はもちろん、玉ネギ、もやし、シイタケ、しめじ、ニンジン、チンゲン菜、さやえんどう、挽肉。
とにかくいっぱい。
特に玉ネギのバリバリ感が出色で、歯応え痛快!
ツンとした辛みが甘いとろとろスープの中でキラリと光り、生野菜の生き生きとした風味が鮮やかに抜ける。
海老は剥き身のものがゴロゴロ。
しっかりと身が厚く、磯の香りも濃厚で。
ぷりぷりした食感で、甘い海老のうま味をしっとりしみ出す。
ちゅるちゅるちゅるっとすすりまくって。
熱いのふーはふーはしながら、ちゅぱぱーっとすすって。
最後の方、汗ダラダラ垂らしながらすすりまくって。
完食。
龍苑の”海老とろみそば”。
ボリューム満点、うまみ満点。
充実感いっぱいの美味しさでした!
でも。
ちょーーっと値段高いかなーーー?
味は美味いと思うんだけど、コスパで考えたら少々取り過ぎかなと。
町中華は「安い・美味い・腹いっぱい」ってのが使命と、わたくし勝手に思っておりまして。
そういう意味では、もう少しお財布に優しい価格設定にして欲しいなーと。
そんな事を強く感じました。
ごちそうさま。
[参考]
・海老とろみそば:850円
・大盛り:300円
・消費税:115円
龍苑浅野本町店
住所:石川県金沢市浅野本町ロ 114-1
TEL:076-252-8005
末松廃寺跡 失われた建物の痕跡をジロジロ探れ
2020年08月08日
古い古~いお寺の跡。
それが末松廃寺跡。
どれぐらい古いかと言うと、今からおよそ1,300年前。
まだ恐竜がのしのし歩いていた時代です。(←そんなに古くはない)
この末松廃寺跡の概要については、既に過去の記事で紹介しました。
今回は現地に残されている建物跡の様子について見て行きます。
まず全体の構成を頭に入れましょう。
発掘調査を元に確認された建物は全部で5棟。
仏塔、金堂、建物A・B・Cです。
この元お寺は、あっと廃寺ってのはその名の通り「廃されたお寺」なので、言い換えれば「元お寺」となります、は670年頃と750年頃の2度作られました。
どちらもいつの間にやら消滅してしまうのですが、第1期に仏塔と金堂、第2期に金堂と建物A・B・Cが作られています。
ただお寺の施設は仏塔や金堂だけではなく、他にも回廊や講堂、門、鐘楼、さらにお坊さんが寝起きした僧房などが付属します。
最低でも生活のための僧房はあったと思われるのですが、発掘調査の結果を見る限り、それらは確認されませんでした。
本当になかったのか?あったけど痕跡が消えてしまって見付けられないだけなのか?
それはもうタイムスリップして調べるしかない、永遠のミステリーです。
なお末松廃寺跡について色々調べると、必ず「法起式伽藍構成(ほっきしきがらんこうせい)」というキーワードが出てきます。
これなんじゃ?という事ですが、ざっくり言うと「塔と金堂を東西に並立する配置」という事です。
「法起式」の語源は法起寺というお寺が奈良にありまして、そこの配置がモデルになっているからそう呼ばれています。
その法起寺の伽藍配置(※創建時)が上図です。
こうして見ると、まあまあ末松廃寺と似てますよね。
末松廃寺がズバリ法起寺をお手本としたのか、あるいは中央からこんな風に作れと指示されたのか、今となっては知る由もありませんが、いずれにせよこの配置は当時の仏閣建築のスタンダードだったのでしょう。
では実際の痕跡を見て行きます。
まずは建物Aです。
なんやら四角形が2つ重なってますが、これは1度建て直しが行われたからです。
当時の建物は掘っ立て柱建物なので耐用期間が短く、せいぜい20~30年程度しかもたなかったそうです。
この建物も恐らくそのくらいで寿命が来て建て替えが行われたのでしょう。
こちらは建物Bです。
案内板によると梁間2間(3.6メートル)・桁行4間(7.2メートル)。
四角形の枠は柱の跡です。
サイズ的にはAよりひと回り大きめ。
用途は不明。
お寺の建物なので僧房だったかもしれないし、単に物置だったかもしれないし。
あるいは何かの仏さまが祀られていたかもしれないし。
なんか色々想像膨らみますね。
建物C。
案内板によると梁間2間(4.8メートル)・桁行4間(9.6メートル)。
ここで、あれ?Bも同じ梁間2間・桁行4間なのに、なんでCの方が大きいの?と思われるかもしれません。
この辺、もうちょっと掘り下げて見てみます。
このCだけ柱の並びが内・外二重構造になっています。
建物はこの内側部分だけでした。
じゃあ外側は何?と言うと、ひさしです。
要するに建物の周りを雨除けの屋根がぐるりと取り囲んでいたのです。
その屋根を支えたのが、外側に巡らされた柱なんですね。
CもBも同じ梁間2間・桁行4間なのにCの方がサイズが大きいのは、このひさしのサイズを建物寸法としているからでしょう。
そしていよいよお寺の本体。
こちらは金堂跡です。
先に見た建物ABCと違い、基壇の形で復元されています。
基壇とは建物の基礎となる土台です。
柱の目印はなく、案内板にも柱の話は一切出てきません。
ここはどうなってたんでしょうかね?
やっぱり掘っ立て柱の建物が建っていたのか?それとも礎石を用いた建物だったのか?
その辺が曖昧です。
ちなみに金堂とはお寺の本尊を安置する場所。
本堂と呼んだ方がピンと来やすいですかね?
どこのお寺にも必ずある施設です。
最後に仏塔跡。
中央にぽこっと置いてある石は心礎と言って、ここに心柱(しんばしら)が立ちます。
心柱とは塔の中心となる柱ですね。
この柱のみ、1層目から最上階の屋根の上まで一直線に繋がっています。
その周りを囲む4つの目印は、塔の内側を支える四天柱(してんばしら)。
そして外周をぐるりと取り囲む12の目印が塔の1層目を外から支える側柱(がわばしら)です。
この1層目のサイズから逆算すると、この塔は七重塔だったのではないかと言われています。
でもそれはあくまで可能性と理論値の話。
1,300年も昔のこんな地方のド田舎にそんな技術力があったとはとても考えられないので、せいぜい三重塔くらいだったんじゃないかなと、わたし的には思っております。
具体的な文献が残っておらず、発掘の痕跡から当時の様子を推し量るしかない末松廃寺跡。
一体ここにどんな建物が建っていたのか?
残された痕跡を一つ一つを吟味しながら、思いっ切りイメージで遊んでみてください。
頑張ってイメージすれば。
ふう~~~~っと当時のお坊さんが現れて。
昔むか~しのお話をしてくれるかもしれませんよ~。
お化けかい!!(笑)
御馬神社 見た目はピカピカだけど平安時代から続く古社
2020年08月05日
金沢工業大学のほど近く、久安の住宅街の一角にぽこんと神社があります。
御馬神社(みうまじんじゃ)です。
社殿が新しく全体にぴかぴかしてるせいで見た目的にあんまり古い感じがせんのですが、何気に鬼古で、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)の一社として名前が出てきます。
延喜式内社ってのは927年(平安時代)にまとめられた”主な”全国の神社の一覧で、全部で2,861の神社がリストアップされています。
その内石川郡からノミネートされたのはたったの10社で、その中に食い込んだ訳ですから、当時はかなり名の高い神社であったことが伺えます。
今は地味~な神社なんですけどね。
さ、では早速入場、となる訳ですが、ちょっと待ってください。
その前に足元に注意。
何気に赤橋を渡らされることにお気付きでしょうか?
これは現世と神界との境界線。
ここを越えることは神の世界へと進むことを意味するのです。
その事をよくよく心に想い、覚悟を持って前進してください。
ま、一歩で終わるんだけどね(笑)。
境内に入ると右手に神馬の銅像。
かつて馬は神の乗り物と信じられ、それゆえ神社に馬を奉納する風習がありました。
しかし時代と共に簡略化されていき、現在ではこういった神馬像を奉納するのが一般的になっています。
ただ伊勢神宮のように、今でも生きた馬が境内にいるってケースもごくごーく稀に見られます。
ちなみに願い事を書いて捧げるあのお馴染みの「絵馬」は、そんな神馬風習の名残りです。
さらに進むと左手にお稲荷様が現れます。
トレードマークの赤い鳥居がズラズラズラー。
建立は平成4年とのことなので、まだピッカピカ、鮮やかな赤で参拝者を招き入れます。
その鳥居の奥にはお社(やしろ)。
こちらも平成4年製なんでしょうね、やっぱりピカピカ。
造りは前面に向かって屋根がばさっと張り出す流造(ながれづくり)で、屋根材はシックな緑が映える銅板屋根。
カッチリとスキのない、スタンダードな造りになっています。
ここから勧請(かんじょう・神さまを分霊して違う場所へ持って行くこと)されてできた神社が、ひがし茶屋街の近くにある浅野川稲荷神社です。
あちらはまた一段とこじんまりした神社ですが、興味があったらそちらもぜひお参りしてみてください。
そして最後に拝殿。
いいですな~このマスク♪
屋根は反りの入った入母屋造りで、黒瓦ががっしりと力強く重厚感満点!!
向拝(こうはい・正面に張り出したひさし屋根)上に千鳥破風(ちどりはふ・三角形の飾り屋根)を設け、その上には大きな獅子口の鬼瓦がどすんと構える。
も~惚れ惚れするほど堂々たる威容。
軒下もいいですよ~。
規則正しく連続する垂木の列。
寸分の乱れもない、鮮やかな縞模様。
その下の組み物も美しく、精彩と力感が融合した素晴らしい造形。
向拝下も見事ですな。
虹梁が描くゆるやかなカーブが、何とも言えず柔らかく優雅。
その一方で木鼻に施された獅子の彫刻は一転して躍動感にあふれ、全てを射すくめるような黄金の眼が強烈な霊威をギンギンと放つ。
カッコええ~~♪♪
正面を楽しんだら、ちょっと側面にも回って見ましょう。
横から見るとご覧の通り、拝殿→幣殿(へいでん)→本殿が連続する権現造(ごんげんづくり)となっているのが確認できます。
ここでよーく注意して見て欲しいのが床の高さ。
拝殿→幣殿→本殿と進むにつれて段々と高くなっていってるのが分かりますでしょうか?(※拝殿は画像右側、本殿は左側)
拝殿は参拝や神事を行う「人」のための場所。
それに対して本殿は「神さま」自身が住まう場所。
その両者の格の違いを、床の高さで表現してあるんですね。
画像では木が邪魔してて良く分かりませんが、建物の装飾にも違いが付けられています。
拝殿の飾りは銅板、本殿は金(多分銅板にメッキをかけたもの)。
これも神さまに対する敬意の念の現れなんですね。
平成4年に大きく社殿を建て替えたため、どこもピカピカでやや重々しさに欠ける御馬神社。
しかしその実態は平安期から続く、由緒正しい古社中の古社です。
どうぞ近くを通った際には心静かにお参りし、途絶えることなく受け継がれてきた神秘の神霊パワーを思いっ切り吸い込んでってください。
なおこの神社の管理は、以前このブログでも紹介した波自加彌神社(はじかみじんじゃ)の宮司さんが行っているそうです。
なので下記に掲載している電話番号はそちらの番号になってますので、お間違いなく。
関連タグ >> 神社
うみっこらんど七塚 海と渚の博物館 失われた能登の漁村風景が今に蘇るノスタルジック空間
2020年08月01日
石川県能登半島は、かつて漁業が盛んな地域でした。
最盛期には沿岸にだーっと漁村が展開されていたそうで。
そんな漁業と人とのつながりを紹介しているのが「海と渚の博物館」です。
場所は、のと里山海道の白尾インターチェンジを下りてすぐ。
ちょびっと脇道に入ったところにあります。
キャンプ場なんかが併設されていて、多分そっち目的で訪れる人の方が多いでしょう。
エントランスからいきなりスタイリッシュ!
「田舎の博物館」的なドロ臭さがなく、シャープなラインがぴっと伸びる洗練されたフォーム。
壁の茶色は多分珪藻土(けいそうど)でしょうね。
珪藻土とは堆積岩の一種で、海の底に沈んだプランクトンの死骸が積もり、圧縮され、数千万年かけて石化したものです。
能登半島は実に3/4がこの珪藻土で形成されているそうで、埋蔵量なんと日本一。
ゆえに今も昔も珪藻土の一大産地として知られています。
まずは内部構造をざっと俯瞰。
どうです?
この形、なんかピンと来ません?
そう、舟ですね。
この建物の形は、舟をイメージしています。
設計を手掛けたのは内井昭蔵(うちい しょうぞう)。
以前このブログで紹介した大野からくり記念館もこの人の設計です。
この人の建築、イロイロ仕掛けがあって面白いんですよね~♪
まずは舟の周りをぐるっと回ってください。
ここはいわば「波止場」の部分に当たります。
波止場だけに舟の「外」に関するものが中心に展示されており、漁業地図とか航海日誌とか船の構成部品なんかが見られます。
こうした展示品を通じてかつての能登の世界へと入っていくわけですね。
つまりタイムスリップへの入口です。
そしていよいよ乗船です!
舟へはスロープを降りて乗り込みます。
このスロープ、実はこれもひとつの仕掛けなんです。
これってタラップのイメージなんですね。
タラップって、舟に乗る時に渡る橋みたいなアレです。
だから細くて長いんですね。
ここを通る時はぜひそんな「舟に乗り込む感」を感じながら降りて行ってください。
スロープを降りると、いよいよ舟の中。
ここでは当時の漁業の様子とか舟に関する様々な展示が見られます。
まずは最強の目玉からご紹介します。
それがこちらの『櫓こぎ体験』。
なんとコンピューターシミュレーションで舟を漕ぐ体験ができます。
舟を漕ぐ手順については詳しい案内があるので、初めての人でも安心。
さらに「櫓漕ぎ名人じんべい」との競争ゲームなんかも用意されてて、エンターテイメント性抜群!!
故障してて動いてないけどね。(←!)
さらにタライ漁体験ってのもあります。
これはかつて能登で行われていたタライ漁の再現で、ゲーム感覚で漁が体験できるという遊びです。
やり方は簡単、穴からのぞき込んで映像の中のサザエやタコを捕まえるだけ。
シンプルで体力もいらないから、お子様でも思いっ切り堪能できます。
故障してて動いてないけどね。(←!)
あとスタンプラリーなんかもあります。
入口でもらったカードを機械にガチャンと差し込むだけ。
動いてないけどね。(←!)
展示されている漁具の解説なんかも、モニターで自動案内してもらえます。
動いてないけどね。(←!)
そんなデジタル部分全滅な展示空間ですが、アナログ部分は無事です。
そのひとつがこちら、浜納屋。
昔はこんな納屋が海岸沿いにいくつも並んでいたそうで。
これが結構雰囲気出てましてね。
めちゃめちゃレトロチックで昭和感全開!
特に中に置いてある漁師おやじの人形が妙にリアルにできてまして、「うおっ、なんでこんなトコに突然人おんねん!?」って一瞬ビビるほどのヤバさ(笑)。
こんなのもあります。
「舟小屋」。
こちらは見ての通り舟を格納しておくための小屋。
冬場はこんな感じで舟を海から上げて、小屋の中に収納しておいたんだとか。
って言っても、舟なんてどうやって浜の上まで引っ張り上げるの?と思われるかもしれませんが、大丈夫、そのための道具も展示されています。
それがこちら、「ロクロ」。
これと舟をロープで繋ぎ、竿を差し込んで、その竿をぐるぐる回して引っ張り上げたんだとか。
竿がテコの原理を発生させ、より小さな力で舟を引けたんですね。
さらにより動きやすいよう、舟の下にはコロを噛ませたそうです。
とは言っても所詮は人力なんでね。
実際はかなりキツイ作業だったでしょう。
で、展示品を一通り見たらちょっと上も見て欲しいのですわ。
鉄骨むき出しの船底天井。
舟がテーマの建物だけに船底天井。
右と左でやや高さをズラしてあるのは採光のためです。
このズレの部分が天窓になっていて、自然光が優しく降り注ぐ構造になっています。
舟を出ると、「かほくふるさと展示室」ってのがあります。
ここから先は現代の能登。
つまり舟の中のタイムスリップ体験を終えて、再び「今」の時間へ戻ってきたと、そんなストーリーになってるんですね。
ここではかほく市に関する情報が3つのテーマに分けて紹介されています。
左壁面が「かほく市出身の有名人」、右壁面が「かほく市の紹介や案内」、手前壁面が「かほく市の史跡・文化」。
個人的に喰いついたのは史跡の部分ですかね。
お、次ココ行くべー、みたいな。
こういうニッチな情報が、意外に行ってみると面白かったりするのです。
能登半島が漁村だった頃の姿が見られる海と渚の博物館。
へ~昔の能登ってこんな所だったんだ~、なんて思いながら眺めてみてください。
今は失われたかつての風景の再生に、不思議なノスタルジックムードが味わえますよ!
そして!
故障機器、早よ直してよ~(笑)。
あっと、それともうひとつ。
建物の外にこんなのがあります。
潜水艦。
これ、ただポーンと置かれてるだけでなんも案内がないのですわ。
船体に書かれてる『TADROLE=おたまじゃくし』という船名以外は一切不明。
ググって色々調べても、詳細情報全くなし。
パンフレットを見てもこの件については完全にスルー。
なんなんスかね、コレ?
一体この潜水艦、なんなのーー???
ちゃんと案内してくれーーー!!!
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