一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
2025年02月08日
谷ひとつが丸々史跡指定されている一乗谷朝倉氏遺跡。
前回はその前後の入口を見ていきました。
今回は谷の西側、雲正寺地区と平面復原地区を見ていきます。
この辺りは庶民&武士の生活エリア。
注目なのはインフラで、戦国期としては異例のハイスペック設備が整えられていました。
全体の様子。
現場は更地に近い状態で、当時の道路や水路跡・住居跡がほんのりと分かる格好になっています。
建物は何もなく、地面上の案内や目印を追いかけながら当時の状況をイメージする感じ。
ただ逆に言えばその分「遺跡感」が強く、目の前一杯に展開するロストワールドがたまらなく神秘的です。
いきなり続く住居跡・住居跡、住居跡。
その間を縫うように道路と水路。
明らかに図面を引いた上で区画割を行い、計画的に構築されていった事が伺えます。
素晴らしいですね、この都市設計能力。
優秀な戦国大名ってのは戦いが強いだけじゃなく、デベロッパーとしての資質も必要だったんですよ。
要はヒトとカネが集まる場所を作れる能力って事ね。
ここはまさにそんな当時の最先端を行く場所だったのです。
その最先端を象徴するもののひとつがこの井戸。
ほぼ全ての家に備えられています。
いわゆるプライベート井戸。
これ、当時としては画期的でした。
通常は共同で使用する井戸が村のどこかにあり、そこまで毎日水を汲みに行くのが普通でした。
それがここでは各家庭に完備。
そりゃ住みたくなりますわね。
さらに水路。
町中至る所に張り巡らされ、常時フレッシュな水が供給されます。
これも夢の設備。
水なんていくらでも使いますからね。
炊事・洗濯・掃除などなど。
その度にいちいち水場まで行ってたら、邪魔臭くてしょうがない。
でもここならすぐ目の前が水路。
さぞかし快適だった事でしょう。
この妙なのは全部大甕。
なんやら謎に地中に埋められています。
これ、実際に出てきた甕のレプリカ再現です。
こんな感じでごっそり埋まってたんだそうで。
恐らくこの場所は元々染物屋で、この甕に染料を入れて布を浸していたと考えられています。
そしてこの甕、すぐ近くの一乗谷朝倉氏遺跡博物館って所に展示されています。
それがこちら。
2階の基本展示室にどっかーん!と並べられています。
デカいですよ、本当に。
大人一人楽に入れるサイズ。
製造はここ一乗谷ではなく、30km程も離れた丹生(にう)山地で焼かれたものなんだそうで。
多分水路を使って運んだんだろうけど、それでも大作業だったろうな。
墓地跡。
骨や棺桶、笠塔婆(かさとうば)などが出土したそうです。
現場はただの更地なんだけどね。
ここが元は墓地だったのか~と思うとちょっと不気味。
ヘタすりゃ足の下にお墓あったんじゃないの?なんて思うとなんとも歩きづらい。
あんまり真上は歩かん方がいいかもしんない。
隣接する形で寺院跡なんてのもあります。
その名もサイゴー寺。(「サイゴー」にどんな字が当てられていたのかは不明)
2棟の建物と門・庭で構成された小規模なお寺。
宗派はなんだったんだろうね?
朝倉氏は一向一揆勢とバチバチにやり合ってたから、浄土真宗はまずないだろうし。
法華経が書かれたコケラ経(こけらきょう)なんかも出てるそうなので、天台宗か日蓮宗かな?
福井と言えば永平寺だし、曹洞宗?
う~ん興味深い。
医師の屋敷跡。
ここから『湯液本草(中国の医薬書)』の炭化紙片や薬の調合器具なんかが出た事から、「医師の屋敷」と呼ばれているそうです。
人口1万の町ですからね。
そりゃ医者もいますわね。
医者と言えば、明智光秀が朝倉氏の元に身を寄せていた時に医療技術を学んだなんて言われていますが、ひょっとしたらここがまさにその場所だったのかな?
そう考えると、なんかちょっとミステリアス。
最後に忘れずに寄ってって欲しいのがこの階段。
高台に向かって、結構無茶な角度で架けられています。
まあまあキツイですよ、この階段。
登りはしんどいし、降りは危ないし。
足腰あんま自信ないわ~って人は無理に登らんでいいです。
で、頂上にあるのがこの展望台。
その名も「月見やぐら展望所」。
一乗谷の全景がズバッと俯瞰できます。
結構木立が邪魔っちゃ邪魔なんだけどね。
でもね、やっぱ高い位置から見下ろすのは気分いいですわ。
どうぞ殿さま気分で雄大な眺めをお楽しみください。
主に庶民・武士の屋敷が密集していた、一乗谷朝倉氏遺跡の雲正寺地区&平面復原地区。
ガチガチに遺跡です。
建物はなにもありません。
あるのは痕跡と案内板だけ。
ここを歩く時はイマジネーションをフル稼働させて、当時の情景を頭いっぱい思い浮かべながら遊んでください。
次回は朝倉館跡をレポートします。
ここは一乗谷遺跡の心臓部とも呼べるコアな場所。
たくさんのコイがあなたの来訪を待っています!
エサを求めて(謎)。
関連タグ >> 遺跡 一乗谷朝倉氏遺跡
コメントをする
城戸ノ内町の最新記事一覧

一乗谷朝倉氏遺跡 中の御殿跡・諏訪館跡庭園 こんなカッコエエ庭に憧れるわ~
2025年03月01日
450年前に織田信長によって滅ぼされた、越前朝倉氏。全てを焼き払われた町は、以来ずっと土の下に眠っていました。その本格的・・・
カテゴリー:観光名所

一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園・湯殿跡庭園 ちょっともったいないなココは
2025年02月22日
一乗谷朝倉氏遺跡に残る4つの庭園。朝倉館跡庭園、南陽寺跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園。そのいずれもが国の特別名勝に指定・・・
カテゴリー:観光名所

一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています
2025年02月15日
谷底一面に展開する一乗谷朝倉氏遺跡。前回はその西側、雲正寺地区と平面復原地区を見てきました。今回は逆の東側にある朝倉館跡・・・
カテゴリー:観光名所

一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
2025年02月08日
谷ひとつが丸々史跡指定されている一乗谷朝倉氏遺跡。前回はその前後の入口を見ていきました。今回は谷の西側、雲正寺地区と平面・・・
カテゴリー:観光名所

一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
2025年02月01日
戦国期、越前一帯を支配していた巨大勢力朝倉氏。その本拠地だった場所がここ一乗谷です。「谷」と名が付く通り谷間に展開された・・・
カテゴリー:観光名所

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並
2019年07月06日
一乗谷。かつて戦国武将朝倉氏が治めた土地です。朝倉氏は元々は兵庫県養父(やぶ)市の出身で、南北朝の頃、斯波高経(しばたか・・・
カテゴリー:観光名所
- 富山城跡 水堀~西の丸 石垣の詳細がよー分からん、謎多きお城
- 羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 今しか見られない貴重なお宝がいっぱい
- 香満居 豚トロ黒胡椒炒め定食+担々麺 ボリュームも美味さも文句ナシの街中華
- 一乗谷朝倉氏遺跡 中の御殿跡・諏訪館跡庭園 こんなカッコエエ庭に憧れるわ~
- 一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園・湯殿跡庭園 ちょっともったいないなココは
- 一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています
- 一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
- 一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
- とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪
- 加賀大観音 怖いです、マジで
- 高岡市万葉歴史館 大伴家持への愛がどっぷり詰まった万葉の空間
- 武家屋敷旧内山家 古き日本のノスタルジーを今に残すシブ~いお家
- 兼六園 鶺鴒島 見ただけじゃ絶対に気付けない隠されたストーリーを読む
- 南新保C遺跡現地説明会 詳しい事後検討の報告を求ム
- さぶろうべい 親とり白菜鍋 素材の味が素朴に生きるそのまんまの味
- 城が平横穴古墳 古代の墓地跡にちょっと戦慄
- 西山 光照寺 空海が彫った伝説の仏像はどこ??
- 穴水城址 アッケラカンとした拍子抜けな城跡
- 魯山人寓居跡 いろは草庵 魯山人も愛したシブ~い屋敷
- エジプト、サッカラ遺跡発掘調査最新報告展 エジプトに眠る古代ロマン、胸躍るわ~!