店主たみこの観光案内日記

石川近代文学館

2019年01月15日

石川近代文学館

 

金沢の街中にずしりとそびえる、存在感抜群な洋風レトロのレンガ建築。
四高記念文化交流館です。
館内は右と左が別々の施設になっていて、右が「石川近代文学館」左が「石川四高記念館」。

 

この建物は元々旧制第四高等学校の校舎で、建てられたのは今から127年前の明治24年。
結構おじいちゃんです。
その後金沢大学の校舎になったり石川県立郷土資料館として利用されたりしながら、昭和61年に石川近代文学館となりました。
さらに平成20年のリニューアルの際に石川四高記念館が併設され、現在の右「石川近代文学館」左「石川四高記念館」の形になったのです。

 

中は二階建て。
一階は泉鏡花(いずみきょうか)、徳田秋聲(とくだしゅうせい)、室生犀星(むろうさいせい)の「金沢三文豪」の解説をメインに構成。
二階はその三人を軸に、石川県にゆかりのあるその他の作家さん達を紹介しています。
正直知らない名前の人ばっかりで全然ピンと来んのですが。
逆に「ふ~んこんな人もいたんだ」みたいな発見があります。

 

わたし的に面白かったのは鏡花・秋聲・犀星の人間模様。
この三人は同時期に活躍した作家で、故に繋がりがあり。
とは言え、べたべたに仲良しだったかと言うとそんなでもなく。
かなり微妙な緊張関係の中にあったようです。
そんな3人の生涯と触れ合いだけでひと部屋割かれてて、ここでこう絡んで、離れて、また繋がって、みたいな時間軸に沿った小歴史が年表風に見られます。

 

作品を読んでいるだけでは見えてこないその人の人物像。
やっぱ現実世界は人間関係が難しいっス!

 

他にも色々な展示物があり。
作家さんの原稿や遺品など色々並んでるのですが。
一番インパクトがあるのが書斎のレプリカ。
部屋の中に突然建物がででーんとあるのです。

 

これは犀星の書斎を復元したもので、広さにして8畳ほど。
中にしつらえられた調度品は全て実際に犀星が使っていた本物だそうで。
シックな木机や花瓶などが並んでいます。
建材はどうなんですかね?
「移築」ではなく「復元」と説明されてるので、多分建物自体は本物じゃないと思うんですが。



石川近代文学館。
あんまり文学に興味がない人には少々退屈かもしれませんが、でも石川の近代文学史を知るには必須の情報がいっぱい。
すぐそばには兼六園や金沢城なんかもありますので、金沢観光の定番コースの途中にぜひ加えてみて下さい。
崇高な文学の世界に触れることで。
あなたもちょっとした教養人になれますよ!



気分だけ(笑)。

 

 

石川近代文学館

住所:石川県金沢市広坂 2-2-5

TEL:076-262-5464

 



しいのき迎賓館

2019年01月12日

しいのき迎賓館

 

金沢市役所のほぼ向かい、広坂通り沿いにひときわレトロな建物があります。
しいのき迎賓館です。

 

建てられたのは大正13年なので、今から実に95年前。
ほぼ1世紀前ですな。
元々は石川県庁舎として建てられたもので、県内最初の鉄筋コンクリート建築だったそうです。
その頃は現在のものより奥行きがあり、上空から見ると「日」の形をしていました。
それが県庁移転に伴い平成14年で閉鎖、解体か?保全か?で議論された結果、正面部分だけを残し後ろ部分は解体となりました。
ざっくり8割くらいは潰した格好ですかね。
なので現在は上空から見ると「一」の字形になっています。

 

そしてその残された保全部分。
なんか妙な事になってまして。
前から見ると大正期そのままのレトロ調。
ところが裏に回ると一面ガラス貼りのモダン調。
ん?なんじゃこりゃ?みたいな格好になってます。
これについて説明を求められると困るのですが。
まあ「レトロ」と「モダン」の融合という事ですね。

 

でも意外にこれが上手くできてまして。
前半分はかつての趣を残したスタイル。
壁面に渋いスクラッチタイルを配し、ずっしり沈んだ重厚感のあるマスク。
入口には洋風アーチを配したエントランスを構え。
中に入るといきなり真正面に大理石貼りの階段がずんと伸び、踊り場には漆塗りの上に沈金を施した石川県のレリーフを配置。

 

いやいやいやカッコいいっスわ!

 

奥に進むと、一転して近代モダン。
ガラスを通して得られる自然光はみずみずしいまでにまぶしく。
白を基調にした内装がその光をきらびやかに照り返し。
1階にはスタイリッシュなカフェ、2階にはおしゃれなフレンチレストラン。
そして広大なガラス壁の向こうには、芝生の広場が青々とに広がり。
さらにその向こうには金沢城の石垣が大パノラマでばーん!

 

ふたつの離れた時が突然繋がる不思議空間。
なんて言うか。
時間と時間の間の特異点に立ったような、奇妙なトリップ感覚がそこにあります。

 

建築と同時にもうひとつ見て欲しいのが、正面玄関前にそびえる2本の巨大な木。
「堂形のしいのき」と呼ばれるもので、全高は左が13メートル、右が12メートル。
樹齢300年にものぼる古木です。
300年前と言えばまだ江戸時代、徳川吉宗の頃。
暴れん坊将軍が町の悪いヤツらをバッサバサ切りまくってた頃です。(←?)

 

ちなみに「堂形のしいのき」の意味ですが。
「しいのき」は木の名前そのまんまなので説明不要として、「堂形」って意味分かんないですよね。
「堂形」とは弓の練習場です。
かつてこの場所に弓の練習場、すなわち堂形があって、そこに生えていたしいのきなので「堂形のしいのき」と呼ばれるようになったらしいです。
なので当然当時は馬がそこら辺をうろちょろしてて。
ついでにうん〇をぽとぽと落としていくので、それをたい肥にむくむく育ったんだと言われています。

 

そう言われて見てみるとでっぷり太ってて。
うん。
立派だ(笑)。

 

昔はもっとたくさん生えてたそうですが、時代とともに全部伐採されてしまい。
残ったのは残念ながらこの2本のみ。
今は江戸時代の貴重な遺産として大事に手入れされ、国の天然記念物にも指定されています。



江戸、大正、現代、さまざまな歴史の痕跡を残すしいのき迎賓館。
御訪問の際にはどうぞその深い味わいをじっくりとご堪能下さい。
週末には裏の芝生広場で頻繁にイベントなども行われています。
事前に公式サイトでチェックして、ご家族で遊びに行くのもいいですよ!

 

 

しいのき迎賓館

住所:石川県金沢市広坂 2-1-1

TEL:076-261-1111

 



らーめん亭竹の子 辛口らーめん

2019年01月08日

らーめん亭竹の子 辛口らーめん

 

休みの日、小松方面をぶ~らぶら。
お昼どこで食べるか決めてなくて、ウロウロしてたらラーメン屋さん発見。
らーめん亭竹の子。
前から知ってたけど、来たことないお店。
いい機会なので、迷わず飛び込む。

 

店内はテーブル+カウンターのオーソドックスな作り。
メニューは麺類+ごはんもの+その他惣菜系と多数。
アイテムを絞って掘り下げるようなストイック系じゃなく、広範なメニューを幅広く取り揃えたカジュアルスタイルみたいね。

 

ラーメン自体にも色々種類がありまして。
野菜らーめんやら、もやしらーめんやら、五目中華らーめんやら、天津らーめんやら、他にもあれやらこれやら。
こんだけあるとすごく迷うのですが。
どうやら”辛口らーめん”ってのがイチオシらしいので、それに決定。

 

では初訪問らーめん亭竹の子にて”辛口らーめん”。
張り切って食べたおします。

 

辛口らーめんの麺

 

スープは完濁の茶色。
醤油ベースで甘く旨く。
じっとりブ厚いアタック。

 

その直後からビッと切れ込んでくるラー油のスパイス。
「辛口」を自称するだけあって、確かに刺激感ピリピリ。
シャープな辛さで鋭く舌を攻撃する。

 

麺は自家製の細麺。
茹で加減ややカタめで、歯応えしっかり。
でも舌触りはぷるんと滑り良く、躍動感満点。
優しい小麦の味が甘辛いスープにきれいに馴染み、しっとりとした美味しさを落とす。

 

具材はたっぷりの炒め野菜。
白菜はざくざく、シイタケはぬる~り、タケノコはじゃっくり。
どれも生き生きとした食感が楽しく、そしてみずみずしく。
とろりと絡む餡かけのタレが、さらに味のボリュームを押し上げる。

 

最後はその野菜を麺に絡めてずるずるすする。

 

ぷるぷる踊る麺。
しゃっきしゃきの野菜。
旨辛いスープ。
それぞれがしっかりと個性を出しつつも、互いに邪魔をせず。
味+味を融合させ、刺激とうま味が口いっぱいにあふれ返る。

 

いやいいですわ♪
強烈なインパクトはないかもしれないけど、でも全体のバランスがすごく取れてて。
つるつるつるっと自然~に吸い込まれる。
無駄に飾らない、昭和系の素朴な味。



すぱっと完食。



竹の子の”辛口らーめん”。
肩肘張らずするする食べられる。
優しい、でもスパイスの刺激もしっかり楽しめる、寒い季節にぴったりなホット系ラーメンでした。



ごちそうさま。





 

[参考]
・辛口らーめん:820円
・大盛り:100円

 


 

 

らーめん亭竹の子

住所:石川県小松市軽海町ツ 72-1

TEL:0761-47-1119

 



雨の宮古墳群

2019年01月05日

雨の宮古墳群

 

古墳巡りをしていると分かるのですが、本や教科書の写真で見るようなきれいな状態に整備された古墳って意外と少ないのですよ。
ほとんどの古墳はただの丘。
草ぼーぼー、木立びっしり。
蚊がうようよ。
古墳?言われてみれば古墳、かなー???みたいなのものばっかりで。
結構雑に放置されてます。

 

でも雨の宮古墳群、ここは違います。
ちゃんと見学用に整備されてて、見通し良好。
古墳の「形」がはっきりと確認できます。
と言うのも、平成6年から文化庁の史跡等活用特別事業に指定され、復元整備が進められてきたからです。

 

道は悪いけどね(笑)。

 

雨の宮古墳群の建造は4世紀後半頃。
古墳時代は3~7世紀なので、時期的には大体中期。
数は大小合わせてで36基あり、中でもズバ抜けてデカいのが1号墳と2号墳。

 

まずは手前にあるのが2号墳。
全長65.5メートル、全高7メートルの前方後円墳。
かなりの迫力です。
余計な木も草も全部伐採されているから形がはっきりと視認でき、きれいな鍵形。
形も規模もまさにイメージ通りの古墳。
階段を伝って上に上ることもできます。

 

すぐそばには5・6・7号墳。
こちらは2号墳よりも後に造られたそうで、サイズはぐっと小さくなります。
ぽこぽこぽこっと丸い盛り上がりが3つ並んでるな、程度の大きさ。

 

その2号墳のちょっと先にあるのが1号墳。
全長64メートル、全高8.5メートルの前方後方墳で、2号墳とほぼ同じ規模。
崩壊防止のため周囲を噴石で多い、段が施されています。
こちらも上まで登ることができ、頂上からの眺めは爽快、周囲一帯をざっと見渡せます。
印象としては1号墳の方が2号墳よりやや男性的。
ちょっといかつい形のせいですかね?

 

1号墳のふもとにはちっちゃな祠がぽつん。
これは天日陰比咩神社(あまひかげひめじんじゃ)の祠で、見た目からはイメージできませんが、元々は能登一円の総雨乞社だったそうです。
「雨の宮」の名前の由来もここから来たそうで。
かつてここでは雨乞いの神事が盛んに行われ、櫓を立てて7日間太鼓を打ち続けたと言われています。
当時の姿はもっと立派なものだったのかもしれませんね。



古代ロマンあふれる古墳群。
そこにどんな人が埋葬されたのか?
どんな人々の営みがあったのか?
今となっては永遠の謎ですが、持てるイマジネーションをフル稼働させて当時の情景を思い浮かべるのも一興です。

 

入口には雨の宮能登王墓の館という施設もあります。
付近のマップやパンフレットなんかが入手できますので、訪問前にはぜひ立ち寄って下さい。
古墳から出土した刀剣や粘土槨の実物大模型なんかも展示されてて、なかなか面白いですよ。

 

 

雨の宮古墳群

住所:石川県鹿島郡中能登町西馬場

 



気多大社

2019年01月01日

気多大社

 

能登国一宮の気多大社(けたたいしゃ)です。

 

まず「一宮(いちのみや)」ってなに?って事ですが、一宮とはその地域で一番の神社の事を指します。
じゃあ何を基準に一番なの?と言われるとちょっと困るんですが。
まあ格式とか歴史とか規模とかそういった事なんでしょうね。

 

で、この気多大社の場合は何がすごいのかと言うと。
歴史がすごいんですわ。
文献上初めて登場するのがなんと万葉集。
万葉集ですよ!
万葉集と言えば奈良時代。
まだ都が京都じゃなく奈良に置かれていた時代。
公家や貴族が政治の実権を握って、庭で「にょほほほ」とか笑いながら蹴鞠をぽーんぽーんと蹴って遊んでたくらい大昔。(※注:にょほほほと笑ってたかは謎)

 

当時すでに気多大社は遠く離れた奈良の地でも広く知られており。
かの大伴家持(おおとものやかもち)が越中国司として赴任した際、わざわざ参拝に訪れたほど。
ガチガチのビッグネームだったようです。

 

その後も時の支配者から厚い庇護を受け続け。
戦国時代には畠山氏から。
江戸時代には前田家から。
様々な恩恵を授かってきました。
その痕跡は建物を見ることで確認できます。

 

まず鳥居をくぐった先にある神門。
この神門が建てられたのは安土桃山時代。
ざっと400年くらい前ですかね。
確かに建材はどれも退色が激しく、柱や梁の1本1本が渋~い感じにグレー化しています。
装飾は極めてシンプルで、さっぱりとした実用重視型。

 

その門をくぐると見えるのが拝殿。
でも先に見て欲しいのが、その左の脇にある一回り小さな摂社の方。
これは戦国時代に畠山氏によって建てられたもので、若宮神社の本殿です。
え?神社の中に神社があるの?と思われるかもしれませんが、結構こういう神社あります。
この時代になると梁や軒などに装飾が施されるようにあり、見た目の印象も少し変わってきます。

 

そして改めて中央の拝殿。
こちらは江戸時代、前田家の時代の建築。
建てたのはこのブログでもたびたび登場している加賀藩が誇るスーパー大工、山上善右衛門嘉広。
ちなみにその奥にある本殿も同じく江戸時代のもので、こちらはさらに180年後のもの。
大工は清水次左衛門峯充。
いずれも江戸期に相応しい技巧的な装飾が施され、見た目にも華やか。

 

こうして建物を見るだけでも、この神社の歴史の長さを俯瞰でき。
時代と共に移り変わってきた建築技術の発展の様子なども楽しめます。

 

で、肝心のご利益の方ですが。

まあ普通はそっちの話が先なんですけど(汗)。
この神社のご利益はズバリ『縁結び』。

 

「気」が「多い」と書いて「気多大社」。
その名の通り「想い」にまつわる力が強いとされており、古来より縁結びの神として崇められてきました。
現在でもその信仰は篤く、全国から恋を夢見る女子がたくさん訪れるそうです。
神社側でもそんな恋する乙女達をがっつりターゲットに据えており。
ハート模様の絵馬や恋願い用のお守りなど、女子ハートにグサッと突き刺さるバラ色のアイテムをたくさん取り揃えています。
まさに恋の悲願成就のための駆け込み寺!

 

おっと、神社でしたね。(←?)



古来より能登の信仰の中心として栄えてきた気多大社。
少々アクセスは分かり辛いかもしれませんが、訪れる価値はアリます。
歴史あふれる建築の変遷を楽しむもヨシ。
恋の祈りをささげるもヨシ。
年に数回行われるイベントを楽しむもヨシ。
信仰と伝統に裏打ちされた大いなるパワー、思う存分体感しちゃって下さい!

 

 

気多大社

住所:石川県羽咋市寺家町ク 1-1

TEL:0767-22-0602