金沢市足軽資料館 高西家 ◆庭の配置に見る日本人の美意識
2020年08月26日
長町武家屋敷跡に残されている2軒の足軽屋敷。
前回は清水家を見てきました。
今回はもう一方の高西家を見ていきます。
エントランスは庇のついた引き違い戸。
壁は上部を白漆喰で塗り固め、腰回りは下見板張りを巡らした、典型的な江戸期住宅の外観。
いかにもザ・日本な住宅仕様です。
中に入る前に、屋敷全体の間取りから説明します。
玄関→玄関の間→座敷までの左半分は、接客空間となっています。
来賓は通常、この左半分のスペースでもてなされます。
右半分は家人用のプライベートスペース。
寝たり起きたり食事をしたりといった日常生活は、主にこの右半分で営まれます。
それでは玄関から見ていきましょう。
入ったらまず見て欲しいのが上。
ぽかっと空間が空いて、屋根裏へと繋がっています。
ここは天間(あま)と呼ばれるスペースで、主に薪を収納する物置でした。
夏の間にここにせっせと薪を溜め込んで、冬になると少しずつ出しては燃やして暖を取ったんですね。
ここでちょっと考えて欲しいのですが、この屋根裏に収納した薪、出す時どうすると思いますか?
え?上からどさっと落とすんでないの?と思われるでしょう。
そう、上から落とすのです。
ただそれを繰り返すと、下は土間なので、その場所だけどんどんえぐれていきます。
なのでこの「落とす場所」には通常保護のための石が敷いてあります。
でもご覧の通りここにはそれらしき石は見当たりません。
恐らく昔はあったけど、現代までのどこかの時点で失われたのでしょう。
江戸時代から残る遺構とは言え、100%当時そのまんまの姿で残ってきたって訳じゃないんですね。
こちらは座敷。
この屋敷の中で一番格の高い部屋です。
小さいながらも床の間がしつらえられ、武家屋敷としての体裁を整えています。
一方で違い棚や付け書院といった付属的な設備はなく、必要最低限のシンプルな構造となっています。
「足軽」という身分に応じた、ごくごく簡素な造り。
床の間の隣にある空っぽのスペースは仏間です。
本来ここには仏壇が置かれていたはずです。
とは言え足軽なので、過度に豪華なものではなかったでしょうけどね。
つつましいものがちょこんと置かれていた事でしょう。
座敷の側面は縁側になっていて、庭へと通じています。
この庭、ちょっと方角を調べて欲しいのですが(スマホならコンパスがあるはず)、北を向いています。
この北向きには意味があります。
ここがもし南向きだった場合、庭が太陽を背にする形になります。
そうすると室内から庭を見た時、逆光になるんですね。
当然庭は暗く映る。
でも北に向ければ庭に真正面から太陽が当たり、ものすごく明るくなります。
こうすることで江戸時代の人は庭の眺めを楽しんだのです。
反面、庭を北に向けるという事は必然的に部屋も北に向きます。
南向きの部屋を好む現代人にはちょっとあり得ない間取り。
そこら辺は昔と今の人との価値観の違いですね。
こんな違いを見付けていくのも、古建築探訪の面白さのひとつです。
座敷の横は納戸になっています。
納戸とは収納スペース兼寝室。
今で言えばベッドルームに当たります、江戸時代にベッドなんてないけど。
広さはまあまあ、採光のための窓もちゃんとあってかなり快適な空間。
昼間は恐らくここでほとんどの時間を過ごしたのでしょう。
内職をしたり、勉強をしたり。
そして茶の間。
ガラーンとしてますが、本来ここには色々な家具が置かれていた事でしょう。
食器類を始め、炊事の用具とか家事の用具とか。
食事を取ったのもこの部屋でした。
家族みんなで顔を合わせ、かーちゃんこのおかずちょーだい♪とか、コラッごはんこぼすな!とか、ごく平凡な日常が繰り返されていたのでしょう。
その辺の光景は、今も昔もきっと同じだったでしょうね。
その茶の間の隣が流しになっています。
台所ですね。
ちょっと台所的な遺物が少ないのが残念ですが、当時はもっとゴチャゴチャしてたはず。
釜とか水場とかその他いろいろな台所道具とかがあったのでしょう。
その辺の不足分はどうか脳内イマジネーションで補ってください。
藩政期の足軽の生活の様子を今に生々しく残す金沢市足軽資料館。
入場無料ですので、長町武家屋敷跡に来た際にはぜひご訪問を。
地味~に質素に生きた足軽たちの暮らし振りがむんむん感じられますよ。
金沢市足軽資料館 清水家 ◆足軽の家に代々伝わる恐ろしい作法(怖)を公開
2020年08月24日
長町武家屋敷跡の外れにある金沢市足軽資料館。
以前このブログで取り上げた時は、足軽の実態と屋敷の大まかな概要について解説しました。
今回は館内の様子について詳しくレポートします。
まずは構成から。
こちらの資料館は2棟の建物から成っていて、手前右側が清水家、奥左側が高西家。
どちらも復元ではなく、バリバリ本物の足軽屋敷です。
清水家は平成2年、高西家は平成6年と、比較的最近まで人が住んでいて、平成9年に現在地に移築して資料館として整備されました。
なので何て言うかね、まだなんとなーく生活感みたいなのが残ってんですわ。
これ住もうと思えば住めるんでね?みたいな。
では清水家から見て行きましょう。
入口はこんな感じ。
格子の入った引き違い戸に土間。
今じゃ料亭にでも行かないと見かけないような、純和風なエントランス。
建物は切妻屋根という簡素な造りで、屋根材は板葺きになっています。
画像じゃ分かり辛いですが、その板の上には重しに石を置いてあって、風で飛ばされないようにしてあります。
この屋根はどうでしょうね?
平成まで板葺きのまま使われてたって事は考えにくいので、ひょっとしたら移築の際に瓦葺きから板葺きにリフォームされてるかもしれません。
元の姿を知らないので、その辺りの詳細は不明ですが。
邸内の間取りはこうなっています。
入口入ってすぐが玄関の間。
お客さんはここを通って奥の座敷へと通されます。
この玄関→座敷までが接客空間。
その右側、流し・茶の間・納戸・鍵の間が生活空間です。
基本、ここにお客さんが立ち入ることはありません。
家の者がメシ食ったり、寝たり、内職したり、とそんな目的で使われていました。
こちらは座敷。
迎賓スペースですね。
部屋右側にはちゃんと床の間がしつらえられ、掛け軸が飾られています。
掛け軸の画は天神さま、つまり菅原道真。
加賀藩藩主の前田家はこの道真に連なる家系なんだそうで、ここに天神さまの掛け軸を飾るって事は、イコール藩主へのオマージュを意味します。
とは言っても、この掛け軸はあくまで展示用の小道具。
江戸時代にここにどんな掛け軸が掛けられていたかは、もう誰にも分かりません。
意外と物置になってたかもしれんしね(笑)。
その横にあるのが納戸。
なんか物置っぽいですが、実際物置としての用途もあったそうです。
主な役割は居住空間。
居間であり、夜は寝室でした。
スペース的にはそんなに広くなく、どうでしょうね、大人4人横になればいっぱいいっぱいって感じ。
家族みんなで寝起きするにはちょっと狭いですね。
そこで拡張されたのがこちらの鍵の間です。
ここは増築と考えられています。
納戸だけでは不足する生活空間を補うスペースとして付け足されたのです。
ここに面白い展示がありまして、清水家に残る古文書が公開されています。
養子縁組の書類とか、家の由緒書きとか、剣術指南書とか色々あるのですが、その中のひとつに「介錯巻之外口伝覚書(かいしゃくまきのげくでんおぼえがき)」ってのがあるのですよ。
これ何かと言うと、切腹の際に首を切り落とす『介錯』、あれの作法が書かれているんですね。
マジっすか!?って感じだけど、これも足軽の大事な仕事だったそうで。
本番を迎えた時に間違いのないように、こうして手順書としてまとめられていたのです。
なんちゅー家伝書じゃ。
足軽、怖ぇぇ~~~~~!!!!!(震・震・震)
こちらは茶の間。
今で言うダイニングですね。
並べられているのは箱膳。
箱膳ってのは食器類を収めた箱で、ひとりにひとつ割り当てられます。
食事の時にはここから茶碗と箸を出し、箱は蓋をしてそのまま台にして使います。
質素ですね。
現代ではテーブルを囲んで大皿を並べて各自好きなおかずを取るってのが一般的だと思いますが、江戸時代の食事風景はそんな感じじゃなかったようです。
きっと兄弟間で繰り広げられる壮絶なおかずの取り合い戦争もなかった事でしょう。
ある意味平和~な時代でした。(←?)
流しにはかまどとかの調理設備や道具類。
やけにさっぱりしてますが、本当はもっとごちゃごちゃした空間だったでしょう。
家の中にかまどがある生活ってどんなだったんですかね?
かまどがあるって事は当然火をたく訳ですから、室内にも多少は煙が流れ込んだはず。
もちろん排煙の設備はあったでしょうが、今みたいに換気扇なんかないし、それなりに臭いがこもったでしょう。
きっと家の中はすすで汚れまくったんでしょうね。
藩政期の足軽の生活の様子を今に伝える足軽屋敷清水家。
リアルな江戸期の建物だけに、臨場感満点です。
ここでこんな風に過ごしてたのかなー?とか、ここでこんな生活が営まれていたのかなー?とか、色々想像しながら隅から隅までじぃーーーと観察していってください。
次回はお隣の高西家を見ていきます。
基本構造は清水家と同じですが、あちらはあちらでまた色々な面白さが詰まってて見所一杯。
その辺り、細かーく見ていきます。
清澄山 西養寺 その3◆行方不明の普賢菩薩を探せ!
2020年08月22日
アバウトとカッコ良さが入り乱れるお寺、西養寺(さいようじ)の様子を前回・前々回と2回に渡って見てきました。
最終回である3回目は、お寺の裏側に回ります。
ここでまず目にするのがこちらの観音像。
台座には「無量劫慈愛観音(むりょうごうじあいかんのん)」と書かれています。
手に猫を抱え、足元には犬と猿、肩には鳥。
赤子を抱えた慈母観音ってのはあるけど、慈愛観音ってあんまりないパターン。
周りに動物を従えてるので、人間に限らず命ある全てのものを分け隔てなく深い愛情で包む観音さま、とそんなイメージでしょうか。
365日誰にも愛される事のないわたしにとって、ぜひ加護に預かりたい観音さまですな!(←?)
次に訪問者をズラッと出迎えるのがこの石仏。
傾斜の中腹に一列に並べられています。
脇に立てられている石碑には「清澄山霊場十三仏鎮座」の文字。
なんか仏さま大博覧会の様相です。
これらの仏像、一見同じものが並んでいるようですが、よく見ると一体一体違います。
どれがどれなのかは、台座の部分に彫られた名前で確認できます。
左から順番に
・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
・大日如来(だいにちにょらい)
・阿閃如来(あしゅくにょらい)
・阿弥陀如来(あみだにょらい)
・勢至菩薩(せいしぼさつ)
・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
・薬師如来(やくしにょらい)
・弥勒菩薩(みろくぼさつ)
・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
・普賢菩薩(ふげんぼさつ)※欠員
・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
・釈迦如来(しゃかにょらい)
・不動明王(ふどうみょうおう)
の合計13体。
如来5体、菩薩7体、お不動さんのみ明王。
なぜ普賢菩薩だけが欠けているのかは謎。
出開帳(でがいちょう・お寺の外へ持ち出すこと)でもしているのか、何かのアクシデントで破損したのか。
それとも複雑な人間関係(仏像関係?)に耐えられず家出しちゃったのか?
そこら辺はちょっと分かりません。
その十三仏の横にあるのがこちら。
ズラっと並ぶ観音さま・観音さま・観音さま・観音さま。
合計33体。
これらは西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)の観音さまですね。
観音さまってのは聖観音(しょうかんのん)を基本形に千手観音や十一面観音など、33の姿に変身して衆生を救うと言われています。
その33にあやかって、京都を中心とした近畿地方に点在する33のお寺をピックアップしたのが西国三十三所。
これらを全部回って観音さまに手を合わせることで大いなる功徳が得られ、死んだ後はつつがなく極楽浄土へ旅立てるという事らしいのです。
ただ実際そんなの全部回ってたら大変!
なんせエリアが広いですからね。
でもここに来ればそれが一発で終わりますよ、ってのがこのザ・観音ワールドなのです。
どれがどれかも大丈夫。
さっきの十三仏と同じく、ちゃんと名前が記されています。
ちなみに西国三十三所ってどこにあんの?って人はこちらのURLを参照してください。
一覧が見られます。
その西国三十三所観音の前に小さなお堂がひとつ。
中には不動明王の石仏が安置されています。
ここでなぜ唐突にお不動さまが単独で扱われるのかが謎なんですよね。
まるで道端で見かけるお地蔵さまのように、じ・・っと立っています。
他のは仏さまはみんなお友達と一緒にいるのに。
このコだけは独りぼっち。
可哀そう・・・・・(涙)。
お寺の中だけでなく、裏まで面白い西養寺。
本堂だけ見て安心せず、忘れずに裏までしっかりと見て行って下さい。
それと行方不明の普賢菩薩さまは一体どこに行ってしまったのでしょう?
どなたか心当たりのある方がいらっしゃいましたら、ご連絡お願いします。
あなたのご一報が。
仏の世界を救いますよーーー!
清澄山 西養寺
住所:石川県金沢市東山2-11-35
TEL:076-252-0532
清澄山 西養寺 その2◆鐘楼に隠された神秘の仕掛けに気付けるか?
2020年08月19日
卯辰山寺院群を構成するお寺のひとつ、西養寺(さいようじ)。
前回は色んなツッコミ所(←?)を見てきました。
今回は一番の見所である本堂と鐘楼を見て行きます。
ここはイケてますゼ!
まずはいきなりメインの本堂から。
この建築が素敵なのです。
特に軒下部分のデコレーションがもう異次元。
下地は白漆喰。
その上に貼り付けられている部材、縦の部材を束(つか)、横の部材を虹梁(こうりょう)と呼ぶのですが。
このバランスと配置そして装飾がスーパー見事!
虹梁は上下2本の二重虹梁。
その虹梁を繋ぐように、中央に1本、左右に2本ずつ合計5本の束。
中央の束のみ上から下まで一直線に走らせ、脇の束は屋根の形に合わせて階段状に配置する。
その束のさらに脇には曲線の美しい海老虹梁(ぐにゃっと曲がった短い虹梁)を架け。
そしてポイントポイントに蟇股(かえるまた)や雲形文様の彫刻を配し、全体に動きを付ける。
アートですな、これはもう完全なアート♪
その本堂の左隣にもお堂があります。
「観音堂」「聖天堂」「護摩堂」を一続きにした建物です。
中には入れないので室内の構成や詳しい様子は不明。
とりあえず覗ける範囲で覗くとこんな感じです。
中央の部屋に「歓喜天真言」と書かれた貼り紙があるので、多分この部屋が「聖天堂」。
左の部屋に「不動明王真言」と書かれた貼り紙があるので、そちらが「護摩堂」。
右の部屋に「観音霊場」と書かれた貼り紙があるので、そちらが「観音堂」、と思われます。
部屋の様子は聖天堂の部分しか分かりませんが、中央に思いっ切り鳥居が見えますね。
お寺なのに神社の設備である鳥居。
仏教と神道の境界が曖昧だった、神仏習合時代の名残りです。
この鳥居の奥に恐らく歓喜天の像なり絵なりが祀られているのでしょうが、ちょっとその辺は暗くて確認できません。
ちなみに歓喜天への供え物は歓喜団(かんぎだん)・歓喜丸(かんぎがん)・酒、そしてなぜか大根を使うのが通例となっているそうです。
なのでお堂の入口上にはこんな彫刻が。
大根です。
なんでこんなトコに大根?と何も知らずに見ると全く意味不明ですが、これは歓喜天への供物を意味しているんですね。
歓喜天についてもっと詳しく知りたい人はググって調べてみてください。
ちょっとエロいニュアンスのある神様です。
大根の形が何気に二股大根になっているのも、そんなエロさを暗示しています。
その本堂の向かいにあるのが鐘楼(しょうろう)。
建立は1851年、大工は山上全之輔吉敏。
大工で山上と言えば、加賀藩の誇るスーパー大工 山上善右衛門がいます。
このブログでも気多大社や小松天満宮、瑞龍寺の記事で登場しています。
恐らくその流れをくむ人物でしょう。
これがまた素晴らしくて。
基壇は亀甲積みの石垣。
素材には戸室石を用い、色もラインも寸分違わずぴしっと揃えられた精巧な造り。
その上の建物は、内転びにした4本柱に大振りな入母屋屋根を備えた吹き放し構造。
もーイケイケのカッコ良さ!
ちょっと下からも覗いてみましょう。
どうですかコレ?
放射状にずばーっと広がる垂木(たるき)のダイナミックさ。
屋根と柱を接続する組み物のガッシリとした力強さ。
軒下に施された雲形彫刻の雄大さ。
木鼻(柱上部から突き出た梁の突端)の獅子の猛々しさ。
隅から隅まで高い技術とセンスがビンビン伝わって来る豪壮な造りです。
素晴らしいぞ!山上一族!
しかし!この鐘楼の面白さはこれで終わりではありません。
ぼーっと見てると気付かない、秘かなギニックがまだ隠されているのです。
それがこれ、軒下直下に施された彫刻。
よーく見ると、四方それぞれに違う動物が配置されています。
四霊獣ですね。
四霊獣とは中国神話において4種類の獣を支配するとされた霊獣で、応竜・麒麟・鳳凰・霊亀とされています。
これとよく似たのに四神獣というのがあります。
四神獣とは青龍・白虎・朱雀・玄武。
朱雀は鳳凰、玄武は亀なので、メンツ的には四霊獣の麒麟と白虎が入れ替わったような形です。
そしてこの四神獣にはそれぞれ守護する方角が割り当てられており、青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)となっています。
これをそのまま四霊獣に当てはめると応竜(東)・麒麟(西)・鳳凰(南)・霊亀(北)となります。
となると当然これら各彫刻と方角との位置関係が気になってくるのですが、調べてみるとまさにこの方角でピタッと一致。
つまりこれらの霊獣は東西南北から鐘楼を守護している訳ですね。
建物のカッコ良さだけでなく、精霊の力までをも取り込もうというこの感性。
素敵すぎるゼ!山上建築!
面白さいっぱいの西養寺。
特に本堂は本当にカッコイイですので、ぜひじっくりとご覧になってください。
さらに中には「願いが白山にまで届く井戸」やら「目や唇が動くと言われるお釈迦様の画」やら「幽霊ばーちゃんが持ってきたと言われる鉄釜」やらがあるそうです。
いつか機会があればこれらも見せてもらって詳細なレポートを書きたいなーなんて思ってますが。
どなたかここの住職さんとお友達って人、いませんか?
次回はお寺の裏側にあるザ・観音ワールドを見て行きます。
清澄山 西養寺
住所:石川県金沢市東山2-11-35
TEL:076-252-0532
清澄山 西養寺 その1◆ユルさが楽しいワンダフルゾーン
2020年08月15日
卯辰山寺院群の一角に、前田利家に愛されたと言われるお寺があります。
西養寺(さいようじ)です。
このお寺、元々はお隣の福井県にあったのですが、利家も一時期福井に在住していた時期があり、そんな縁でここの住職と親しくなりました。
その後利長(としなが・利家の息子)に従って射水、富山、高岡と寺地を移し、最終的に落ち着いた先がここ金沢でした。
以上のような経緯から加賀藩からの信頼が厚く、藩より15ヶ条の制書を附与され、加・越・能の天台宗寺院觸頭(ふれがしら)を任じられています。
觸頭とは特定の宗派の加賀藩内における大元締めみたいな役職です。
要は天台宗の加賀代表ですな。
そんな西養寺を訪問するにあたって、いきなり立ちはだかるのがご覧の階段。
長いーーーー!!!
ひたすら長いーーーー!!!
これ登るだけで日が暮れるーー!!!(※そこまでは長くない)
ここをえっちらおっちら登る訳です。
まあ。
頑張ってください。(←?)
その先に現れるのが山門。
これがええ~山門でしてね♪
門のタイプは格の高い高麗門(こうらいもん)。
この近辺のお寺はどこも棟門(むなもん)や薬医門(やくいもん)ばかりですからね、そんな中に突然ポンと高麗門が建ってるのがものすごく異質なのですよ。
それはつまりこの辺りにお寺が立ち並んだ江戸時代、ここは既に一格上の存在だったという事を物語っています。
その門をくぐって左手にあるのが「地蔵堂」「観音堂」「龍神堂」の3つのお堂。
建物としてはひとつですが、内側が3つに仕切られています。
中を覗くとお地蔵様・観音様・龍神(と関係ないのもある)の像がずらり。
見ると分かるんですが、どのお堂もごちゃごちゃしててどーも全体にまとまりがない。
明らかな寄せ集め。
でもこのアバウトさ、悪くないですよ(笑)。
くるっと振り返って本堂側を見ると、こんなのが建っています。
宝塔。
高さは3メートルほどでしょうか。
五輪塔っぽいけど、火袋があるから燈篭にも見える、なんか独特の形の塔。
その火袋なんですがね、中に何かいるのが分かります?
ちょっと拡大して見てみましょう。
ほら、誰か座ってます。
仏さまじゃないですね。
袴を履いて頭には烏帽子、どうも昔の人物っぽい。
これ多分ですが、菅原道真ですね。
つまり天神様。
なぜかここに神様が祀ってあるんですね。
お寺なのに神様?ちょっと違和感ですが、そのすぐ向こうにもこんなのがあります。
お稲荷様の社(やしろ)。
正面上の扁額には「薬王稲荷大権現」と大書されています。
バリバリの神社ですな。
で、お気づきですか?
いるんですよ、いるんですよ、アレが!
わたしの大ぁ~い好きなアレが!
逆立ち狛犬!!
小っちゃいんですわ、コレが。
ザ・スモール逆立ち狛犬。
しかも左右両方とも逆立ちスタイル。
もうね、これに出会えただけで、ああ~~ココ来て良かったな~って幸せ気分になれます。
やっぱいいですね、逆立ち狛犬。
日本中探してもほとんど例のない、金沢特有のこの逆立ち狛犬文化。
こんなのにゴロゴロ巡り合える金沢って、ホント素晴らしい~土地だ♪
逆立ち狛犬万歳!!(←どこまで好きやねん?)
ユルさと緊張感が入り乱れる不思議な空間、西養寺。
現場はほとんど人の来ない静か~な場所です。
境内散策自由ですので、どうぞ落ち着いてご参拝を。
そうそう、見所をもうひとつ。
このお寺、ニンジャが隠れています。
2人。
どこにいるのか?
鬱陶しい小姑になって、隅から隅までしつこーく探しまくってください。
ほらほら、いますよ~ソコに!
次回は本堂と鐘楼を見て行きます。
こちらはおふざけナシ、バリバリにカッコイイですよ!
清澄山 西養寺
住所:石川県金沢市東山2-11-35
TEL:076-252-0532
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