吉崎御坊跡 いろいろツッコミ所があって何気に面白いです
2024年07月27日
中世の時代、蓮如が福井の吉崎を拠点として築いた真宗王国。
その頃にあった房舎の跡地が、今回紹介する吉崎御坊跡です。
現場は更地。
え?ここに建物あったの?ってくらい見事に更地。
一度江戸時代に堂宇再興の動きもあったみたいなんだけど、残念ながら立ち消えとなったそうです。
なんでも浄土真宗の西と東が取り合いを始めて、ケンカすんならどっちもダメ!と幕府による両成敗の判が下ったんだとか。
おかげで今も更地のままとなっています。
敷地内はこんな感じ。
小山の上が台地状になってて、その周囲をグルリと回遊するような形。
ホンッとナンもないです。
そんな中、記念碑的なモニュメントがポツポツ。
散歩ですわ、散歩。
散歩がてらに回ってみて下さい。
では実際に現場を見ていきましょう。
1発目は「見玉尼(けんぎょくに)のお墓」。
見玉尼?誰?って感じだと思いますが、蓮如の娘です。
母を失い、姉を失い、父である蓮如を頼ってここ吉崎にやって来ました。
しかしながら到着して間もなく体調を崩し、26歳の若さで亡くなったそうです。
ちょっと悲しいストーリーですな。
2発目は「本光坊了顕(ほんこうぼうりょうけん)の墓」。
またお墓です。
この人も誰だかさっぱり分からんと思いますが、名前から分かる通りお坊さんです。
なんでも寺が火事になった際、親鸞(しんらん・浄土真宗の開祖)直筆の教行信証(きょうぎょうしんしょう・仏の教えを書いた本)を守るため、切腹してその腹の中に経巻を入れて火から守ったんだとか。
えらい壮絶な逸話ですが、「本当にあった話」として言い伝えられています。
どー考えてもありえんけどね。
3発目は「御手植御花松」。
蓮如さんが自ら植えたと伝えられている松です。
ただ残念ながら現在は枯れてしまい、切株だけがうやうやしく残されています。
これも少々うさん臭いですわな。
でも本当かもしれんし。
誰にも真偽を証明できない、松だけが真実を知る松です。
4発目、「蓮如上人銅像」。
見ての通り、蓮如さんの立像です。
こちらなんと、あの高村光雲の作品なんだそうで。
亀山上皇・楠木正成・西郷隆盛の像と合わせて、光雲四大作のひとつとされています。
確かに堂々たるたたずまい。
何か後光までビッカーと光って見えるようなエネルギー感です。
ついでに台座にもちょっと注目。
台座及びそこを囲む掘が八角形になっています。
コレ、以前にも同じ形を見た事がありますが覚えてますでしょうか?
そう、東別院東山蓮如堂にあった蓮如像の基壇ですね。
あれも八角形でした。
「八」には「全方位」の意味があり、蓮如の教えがあまねく広がって行く様子を表しているのです。
さらに太鼓橋(手前の石の反り橋)。
これには此岸(しがん・この世)と彼岸(ひがん・あの世=極楽浄土)との架け橋が暗示されています。
つまりこの橋を渡れば蓮如さんがいる極楽の世界へ行けますよ、というメッセージが込められているのです。
堀の中に謎の石像が1体。
足(かな?)に尻尾の付いた女の人。
これ、多分法華経に登場する龍女(りゅうじょ)でしょう。
昔の仏教には「女性は穢れた存在だから成仏できない」という、今言い出したらボコボコにバッシングを受けるような男女差別の思想があり、それを真向から否定したのがこの龍女でした。
彼女は女性でありながら仏道に励み、見事に悟りを開いた(=成仏した)そうです。(もっとも変成男子(へんじょうなんし=女身から男身に変わる・性転換?)してって事になってますが)
これと同じ思想が浄土真宗にもあり、女性も成仏できると説いています。
そんな女人成仏の象徴として、ここに龍女像を飾ってあるのでしょう。
5発目、「御本堂跡」。
その名の通り、本堂があった跡地です。
ルーツは蓮如が開いた房舎で、記録によると本堂・庫裡(くり・僧侶の寝所)・書院があったとの事。
しかしその後数度(5回?)の火災に見舞われ、最終的には荒廃したまま打ち捨てられ、現在に至ります。
掘り起こせば今でも礎石(そせき・柱の土台に据える石)が残っているそうです。
6発目、「御腰掛石」。
蓮如が腰かけたと伝えられる石です。
これは微妙~ですな。
高さ的にお尻を置くのにちょうどいいし、ここにチョコンと座って休んだ可能性は否定できない。
座ったかもしれない。
座ってないかもしれない。
どっちとも言えない。
いや~微妙だ。
最後に高台からの景色を。
先に書いた通り、小山の上にあるのでね、メッチャ眺めがいいんですよ。
天気さえ良ければごらんの眺望。
湾の中に以前に紹介した鹿島の森が見えます。
しかも海から吹き付ける風が涼しくて、爽快感満点。
この景色は蓮如さんも間違いなく見たでしょうね!
蓮如さんの往時を偲べる吉崎御坊跡。
そんな強烈な感動はないです。
ああ、昔ここに蓮如さんがいて、仏の教えを広めてたんだな~と思いながら軽い気持ちでご散策ください。
すぐふもとには蓮如に所縁のある本願寺吉崎別院と真宗大谷派吉崎別院、ふたつのお寺があります。
徒歩1分なので、ぜひ合わせてどうぞ。
さらに5分程歩けば蓮如上人記念館もあります。
蓮如さんについてもっと詳しく知りたい!って人はこちらも寄ってみてください。
関連タグ >> 公園
伏木北前船資料館 土蔵編 アブネー望楼の先にあるのは極上空間♪
2024年07月20日
江戸~明治期、北前船で大儲けした秋元家。
その屋敷が現在まで残る伏木北前船資料館です。
前回は正面にある母屋の様子を見てきました。
今回は裏手の土蔵を見ていきます。
ここもい~いんですわ。
なんたって江戸時代から残る建物ですからね。
シブさ全開!!
蔵の手前にはゴロゴロっと鉄釜。
ニシン釜ですね。
ここ高岡は鋳物業が盛んで、現在は銅製品が特に有名ですが、かつては鉄製のニシン釜も大量に生産していました。
江戸時代から作られ始め、昭和頃にはほぼ全国シェアを独占していたと言われています。
そのニシン釜をジャンジャン運んだのが北前船だったんですね。
ちなみに煮詰めたニシンは食用ではなく、肥料に使われます。
これがまた高値で売れたんだそうです。
入り口前には巨大なイカリがででーん!
北前船関連の資料館ではオキマリのモニュメントです。
これらは昭和25年に海上保安部が海底から引き上げたもので、もちろん本物。
なんでそんなモンが海の底に落ちてたのかは不明ですが、多分時化に飲まれないよう切り捨てたものなのでしょう。
蔵の扉がまたイカスわ~♪
防火・防犯に徹底特化した、重厚感満点の極厚扉。
ついでに扉上のデコレーションもちょっと見て欲しいのですが、分かりますかね、鳥居の形になってるのが?
まるで神社のよう。
神さまパワーを取り込んで、この中にた~くさんお宝を詰め込むぞーというオマジナイですね。
カネ持ちってのは神さままで味方にしちゃうようです。
内部は広々としたワンルーム。
蔵だけあって柱も梁もまー太い事!
展示物は当然北前船関連。
航海グッズやらなんやら色々。
どれも骨董感全開で、その筋の人が見たら喉から手が出るほど欲しくなるような逸品ばかり。
わたしも1個欲しい~!
こちらは反対にある衣装蔵の様子。
壁面一面に飾られているのは「引札(ひきふだ)」と呼ばれる、今で言えばチラシのようなものです。
ごひいきさんと継続的な関係が結べるよう、年末年始の挨拶品として配ってたんだとか。
これがまたレトロ感むんむんでね、野暮ったさが返って斬新。
1枚1枚見ていくと面白いんだ~。
その中の1枚、えべっさん引札。
『恭賀新年』って書いてあるから、年始の挨拶に配ったものみたいです。
「萬金網千石トウシ」(意味不明)
「土蔵亀甲網節」(意味不明)
「洋銀銅真鍮線」(積み荷)
「和鐵洋鐵トタン引」(積み荷)
「針金ランプ荒物類」(積み荷)
文字から想像するに、金属関係の運搬をメインにしてた業者なんですかね?
ちょっとよー分からん。
そしてここからがクライマックス。
この屋敷、船の出入りを監視するための望楼があるのですが、そこに上る事ができます。
普通、こんな危ない所には上らせないんだけどね。
でもまあここはユルイと言うか大雑把と言うか、嬉しい意味でテキトー。
自由に上って自由に眺めを楽しめます。
ただ階段がハンパじゃないんだ。
角度的に限りなくハシゴ。
手すりにつかまって両手両足で踏ん張って上がらないと、危なくてしょうがない。
ここを上る時は足元によーく気を付けて。
どっちかと言えば上りより降りの方がヤバイんだけど。
頂上は二畳ほどの狭い部屋。
周囲に何もないので風がびゅーびゅー吹き込んで、結構寒々としてます。
昔はここからずーっと海を眺めて船の入りを待ってたんですよ。
で、船を見付けると大声で合図。
その掛け声に合わせて、人が一斉に動き出す。
船の来航ってのは、町を挙げての大イベントだったと言われています。
望楼上からの眺め。
住宅地の向こうに日本海がズバッ!
かつては今より海岸線が近くて建物も低かったはずなので、もっとダイナミックに海を見渡せた事でしょう。
わたし高い所大好きなんでね、こんなん楽しいですわ~♪
毎日でも遊びに来たい。
温かい日にここで昼寝したら気持ちよさそう~!
北前船が現役だった頃の匂いを今も残す伏木北前船資料館。
ノスタルジック感スゴイですよ。
うわ、昔の空気だ、みたいな。
ここを訪れる時はそんな往時の雰囲気を思いっ切り吸い込みながらお楽しみください。
なおくどいですが望楼の見学には十分気を付けて。
落ちたら大けが必至、ガチのヤバさです。
細心の注意を払い、安全第一で上り降りしてください。
伏木北前船資料館 母屋編 回転する仏壇に金持ち趣味を見る
2024年07月13日
かつて北前船の寄港地として栄えた伏木。
その廻船問屋の屋敷として現在まで残されているのが伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)です。
エントランスがいきなり立派だわな。
古木の深茶色がシブく沈んで、重厚感満点!
豪商としてブイブイ言わせてた当時の勢いを今も無言で語りかけて来るようです。
屋敷の構成はこんな感じ。
手前に母屋、奥に土蔵。
母屋は明治20年に火事で焼け、その後元通り建て直したものだそうです。
なので恐らく明治中~後期頃のもの。
土蔵は火事を免れているので、江戸時代後期頃のものがそのまま残っています。
入口の様子。
屋敷図面によると左側の部屋が「ミセ」となっているので、かつては売り場となっていたようです。
何を売っていたのかは分かりませんが、やはり北前船絡みでしょう。
東北や北海道から仕入れた昆布やニシン、材木、あるいは工芸品や工業製品。
そういった物品がこの部屋で売買されていたのでしょう。
そのまま奥へと進むと表座敷。
水色の壁に覆われた、やたら明るい部屋です。
なんとなーく雰囲気で分かるかもしれませんが、この部屋がこの屋敷の最上級ルームです。
なので部屋の位置、しつらえ、全てに渡って格式高い造りになっています。
床の間なんかもフォーマルな仕立てになっていて、背筋の伸びるような緊張感を漂わせています。
上に目をやると鶴と松の透かし欄間。
鶴は長寿、松は永続的な繁栄を表し、いかにも金持ち好みのモチーフです。
実際おカネあったんでしょうね。
こんな立派な屋敷にプラス土蔵3棟ですからね。
今で言えば年収ウン億円クラスの人だったのでしょう。
その奥に茶室。
中央に炉を据えた、わずか三畳の狭ーい部屋です。
ここは一転質素。
ワビ・サビ重視の地味地味ルーム。
柱なんかも細~い黒木を使った、素朴なしつらえとなっています。
で、茶室に来たら必ずチェックして欲しいのが天井。
見ての通り2パターンを並存させてあります。
これ、意味があります。
左の網代編み天井の下が客の座る位置、右の棹縁天井の下が主の座る位置。
客に格の高い天井下に座らせることで、相手に対する敬意を表すのです。
床の間が客側にあるのも同様の意味(画像には写ってないけど)。
わずか三畳の狭~い空間ですが、注意して見ると色んなおもてなしエッセンスが発見できます。
そこに隣接する座敷。
先ほどの表座敷よりやや肩の力の抜けた、カジュアルなしつらえとなっています。
ここは構造的に茶室と繋がっているので、恐らくセットで使われていた部屋でしょう。
茶室という狭い部屋で密な時間を過ごした後、こちらに移ってゆっくりくつろぐ。
今で言えばサウナと水風呂みたいな関係ですな。(ちょっと違う?)
そのままぐるりと回り込むと骨董の展示室。
秋元家に代々伝わる品が並べられています。
こんなのがゴロゴロある所がすごいわな。
漆器に焼き物、豪華な着物。
いかにもマネーパワーギンギンの名品ばかり。
やっぱカネのある家は持ってるモノが違いますわ。
最後に仏壇。
漆と金箔で彩られた重厚なヤツがどずーん!
が、見て欲しいのは仏壇本体じゃないんです。
その背後に隠された仕掛け。
この仏壇が置かれているスペース、なんと回転するんです。
するとあら不思議、先に見た表座敷の部屋にクルッと現れるのです。
親戚一同が集まる法事の時には、そうやって使ってたんだそうで。
さすが金持ち。
変なモン作りたがるわ・・。
北前船船主の豪奢な暮らし振りが見られる伏木北前船資料館。
い~い所です。
スタイリッシュな現代住宅にはない重み、深み、威厳。
それらすべてが醸し出す格調高さ。
伝統的な日本住宅ってのはやっぱいいな~と再認識させてくれる、素敵なお屋敷でした。
次回は奥の土蔵を見ていきます。
こちらは主に展示品が目玉。
そして怖い(?)アトラクションも待っています。
能登中居鋳物館 シビれるゼ、中世の鋳物製品
2024年07月06日
穴水の集落の中にポツンとある能登中居鋳物館。
かつてこの地で栄えた鋳物業の文化と業績を伝える施設です。
話の前に、まず鋳物(イモノ)って何?って事ですが。
簡単に言えば型の中にドロドロに溶かした金属を流し込んで固めたものです。
粘りがないのでほぼ曲がらず、負荷を掛けるとバキッと折れたり砕けたりします。
主に鍋釜、あと身近な所ではマンホールの蓋なんかにも使われています。
入口にいきなりデカい平釜がでーん!
直径1メートル強。
塩を精製するための釜だそうです。
こんだけデカくても、採れる塩なんて多分ほんのちょびっとなんだろうな。
多分何度も塩水を継ぎ足し継ぎ足して塩を採るのでしょう。
夏場なんか地獄だろうな~。
中に入ると今度は2基の鉄燈篭がでーん!
嘉永2年(1849年)に鋳造された骨董品です。
145年もの間、明泉寺(みょうせんじ)というお寺の境内に立っていたそうです。
現在は鋳物文化の啓蒙と現物保護の目的で、ここ能登中居鋳物館に寄贈・保管されています。
シブイわ~、174年前の鉄製品。
錆び錆び具合がタマラン♪
うちの玄関前に飾りてー!!
その前には「生活の中に溶け込む鋳物製品」的な空間。
囲炉裏を中央に据えた座敷が再現されています。
その囲炉裏の上に鋳物の鉄釜がぶらり。
憧れますな、こんなノスタルジックな生活。
囲炉裏のある家に住んでみたい!
囲炉裏パチパチ炊きながらチビチビ酒飲んで、串に魚でも刺して焼いて食ったら美味ぇ~だろうな~。
反対側にはタタラ場の作業風景のジオラマ。
タタラ場ってのは製鉄所ですね。
ふいごで風を送って薪を高温で燃やし、砂鉄から鉄を溶かし出すのです。
ジブリの大ヒット映画『もののけ姫』でお馴染みのアレです。
きっと凄まじいほどの灼熱地獄なんでしょうね。
なんたって鉄を溶かすんですから、想像を絶する熱量のはず。
そんな作業場に何時間もこもってふいごを踏み続けるんですから、地獄も地獄。
わたしなら3分で逃げ出すな。
その先に展示室が2つあり、こちらは「真継家と中居鋳物師」と題された部屋。
真継家って何じゃ?って事ですが。
中世における鋳物業界の大元締めみたいな存在です。
なんでも全国規模の組織を作り上げ、ここ能登の中居鋳物もその傘下のひとつだったんだとか。
こちらは当時の遺品。
黄金の菊マークがばーん!
皇室の紋章ですね。
真継家は皇室との間に太い繋がりがあり、ゆえにこうして菊の御紋の使用が許されたのです。
カッコイイね、菊の御紋。
うちの床の間にも飾りて~わ~♪
古文書ズラリ。
何書いてあるのかはさっぱり分かりません。
わたし前々から不思議に思ってんですけど、江戸時代の人って本当にこれ読めたんですかね?
だって字のクセ強すぎじゃね?
仮に字の判別ができても意味分からなくね?
これで果たしてどれだけ正確な意思疎通ができたのか、激しく疑問。
もうひとつの部屋、「中居鋳物師の在銘品・加賀藩と中居鋳物」。
当時作られた鋳物製品のサンプルと、加賀藩における役割が解説されています。
これがまた1点1点味があるんですわ。
鋳物独特の重苦しくてゴツゴツした質感、野暮ったさ。
金属製品なのになんとな~く感じる温かさ。
まるで作った人の熱が今でも残っているかのようです。
鬼面。
口を横一文字に結び、寄り眼気味の眼差しで正面をぎゅっと睨んでいます。
愛らしいね、鬼なのに。
全然怖くない。
むしろ守ってくれそうな感じ。
当時の人にとって鬼というのは敵対する相手ではなく、共存する存在だったのかもしれないですね。
梵鐘と燈篭。
こんなのもジャンジャン作ってたそうです。
こんなん庭に飾ったらイカスだろうな~。
チョンと置いとくだけで、ワンランク上の庭にレベルアップしそう。
憧れるわ~。
かつてこの地で栄えた鋳物業の様子を紹介する能登中居鋳物館。
見所は何と言っても当時の素晴らしい作品の数々。
ほんとシブイですからね、ぜひじ~っくり鑑賞してって下さい。
そして志ある人は!
廃絶してしまった鋳物産業、復興してみてはいかがですか?
もし軌道に乗れば、100年後に『能登中居鋳物再興の祖』として讃えられますよ!
※このレポートは震災前に訪問した時のものです
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レストハウス・ツーロン ハンバーグ定食 肉の味がスマートに楽しめる逸品
2024年06月29日
なんか今住んでる家、やたら生き物が出るんですわ。
クモなんか日常茶飯事、この前は廊下にゲジゲジが歩いてたし、昨日の夜なんかムカデが出たし。
あとヤモリなんかもチョロついてる。
庭や外壁じゃないですよ、家ン中ですよ、家ン中。
どっから入ってくんねん・・・・凹。
カオスな日常に苦悶しながらツーロンへ。
氷見牛推しの洋食屋さんです。
選んだメニューはベタベタにベタな“ハンバーグ定食”。
ご飯大盛りにして食べたおします。
ハンバーグはソフト&ジューシー。
口の中でふわっと崩れて、豊潤な肉汁をじゅわりとしみ出す。
大量の肉汁はただひたすら旨く、旨く、涙出るほど旨く、脳ミソしびれる程旨く。
幸せ♪
ソースも絶品。
酸味+辛味+甘味がバランス良く溶け合い、肉のうま味の中にしっとり溶け込む。
ふわっと揺り戻すスパイシーな香りも素晴らしい。
そんなハンバーグをごはんと一緒に。
ごはんは真っ白ふかふか。
鼻を抜ける香気がたまらなく優しく、そしてスイート。
ここに肉汁どばどばの柔らかハンバーグ。
トロける食感同士の融合が見事なほどに自然で、味の溶け合いも申し分なく。
頬張れば頬張るほど味のボリュームが膨らみまくる。
もう美味さの爆弾!
みそ汁。
味噌の濃度は中庸。
ふっくらした風味が肺にまで染み渡る。
具は大きな油揚げと極小のネギとえのき。
油揚げから湧き出す油の甘味と味噌のうま味が極旨。
完食。
ツーロンの“ハンバーグ定食”。
美味いな。
文句ナシに美味いな。
無駄にコッテリしてない寸止めな味加減が、モロにわたし好み。
こんなん毎日もりもり食いたいわ♪
ただひとつだけ言わせてもらうと、ごはん大盛りはもっとごっそり盛って欲しかったな~。
ごちそうさま。
[参考]
・ハンバーグ定食:1,320円
・ご飯大盛り:55円
- 羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 part2 等伯の神画が見られるゼ~♪
- グリル&ハンバーグNINO ハンバーグ&ソーセージ&から揚げ コスパ高すぎ!腹いっぱい食えます
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- 富山市ガラス美術館 建築編 富山という土地を表現した建築アート
- 白山町遺跡現地説明会 永遠に答えが分からないのが考古学
- 薬王院 温泉寺 「あいうえお」はここから始まりました
- 餃子のあひる 餃子定食 この餃子、エンドレスに食えるわ~♪
- 栄谷丸山横穴群 コウモリに注意してご鑑賞ください
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- 富山城跡 千歳御門~日本庭園周辺 庭園の読み解き、楽しいわ~♪
- 富山城跡 水堀~西の丸 石垣の詳細がよー分からん、謎多きお城
- 羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 今しか見られない貴重なお宝がいっぱい
- 香満居 豚トロ黒胡椒炒め定食+担々麺 ボリュームも美味さも文句ナシの街中華
- 一乗谷朝倉氏遺跡 中の御殿跡・諏訪館跡庭園 こんなカッコエエ庭に憧れるわ~
- 一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園・湯殿跡庭園 ちょっともったいないなココは
- 一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています
- 一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
- 一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
- とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪