蓮如上人記念館 現場は結構カオスです
2022年10月15日
中世の時代、真宗王国と呼ばれるほどに浄土真宗を北陸全域に根付かせた巨人、蓮如(れんにょ)。
その活動の拠点となった場所が、ここ福井の吉崎でした。
現地での蓮如愛は今でも熱く、アッチもコッチも蓮如!蓮如!の蓮如だらけ。
そんな蓮如愛の結晶とも言える施設が、今回紹介する蓮如上人記念館です。
目印はデケーお堂。
100人中100人がお寺と間違えるお堂風のバカデカい建物を見付けたら迷わず入ってください。
正面に広~い駐車場があるので、車での来場も安心です。
現場の俯瞰図はこんな感じ。
駐車場の真正面に鳳凰閣と呼ばれる例のお堂みたいな建物(実際は売店&喫茶店)。
その脇に蓮如に関する様々な展示をしている蓮如館。
その裏に大きな池泉回遊式の庭園、そして最奥に古建築を移築した七不思議堂。
建築大好きなわたし的には七不思議堂が一番ザックリ刺さったので、こちらについては次回詳しく。
今回はそれ以外の所を見ていきます。
まずは鳳凰閣。
立派ですわな、この建物。
ガッチガチの木造寺院建築。
でも観光用の施設なんですな。
これ建てるのにどんだけカネ突っ込んだんですかね?
億行ってんじゃない?
その割には利用者ポツポツで、ぶっちゃけオーバースペック。
財政大丈夫なのか福井県??
内部に入ると、中央に謎の仏教的置物。
これ何かというと、「蓮如上人お腰掛けの御影」のモニュメントです。
逆光で全然見えんけど、中央上部に蓮如さんが座っている像が置かれています。
蓮如さん、在地の頃はこうして石に腰掛けて説法をしたそうです。
そしてこの石、なんと今も残っています。
場所はここから歩いて5分程の所にある吉崎御坊跡地。
実際に見るとなんの変哲もない石なんですけど、これに蓮如さんが座ってたのか~なんて思いながら見ると結構感慨深いものがあります。
続いて蓮如館・・と言いたいんだけどね。
なんと言うかね。
まーアレなんですわ。
残念なことに。
恐怖の撮影禁止。
なので館内の紹介はできません。
わたし前から思ってんですけど、なんで撮影したらアカンのですかね?
著作権の関係とは言え、なんか支障あんの?
文化財や美術品なんて人に見せてナンボじゃん。
それがなんで写真撮って公開したらアウトなの?
理由が全然分からん・・・。
とグチったところで次、庭。
この庭、一応名前が付いていて「信の庭」と呼ぶそうです。
なんでも蓮如の教えの要である『五重の義』が表現されているんだとか。
五重の義について説明すると長くなるので、気になる人はググって調べてください。
簡単に言えば「極楽往生するための道筋」みたいな言葉です。
そのひとつがこちら、「善知識の岩」。
石は結晶片岩ですかね?
ちょっと緑がかっているので、緑色岩寄り。
いい岩ですね。
うちの庭にも欲しい!
え?それよりこれがなんで「善知識」なんだって?
そんなん知らんわ。(←!)
こちらは「弥陀三尊の岩」。
これも結晶片岩かな。
プロポーションが美し~♪
植栽が邪魔だけど。
なお「三尊」なのに、なんで石の数がひとつなのかについては不明。
普通三尊石って呼ぶ時は、必ず石が3つ並んでるんだけどね。
うーむ、難解・・・禅問答かよ・・。
枯れ滝の池なんかもあります。
奥の方に置かれている縦長の石、あれが滝の表現です。
って事はそのさらに奥の一段高い部分は山か?って事なんですが、はい、山です。
つまりこの一角は「山」「滝」「滝つぼ」「そこから流れ出るダイナミックな水の流れ」というエレメントがぎゅっと凝縮された景観となっているのです。
さらにニクイのはそれだけじゃありません。
んじゃ~海も見たいの~、って人には海も用意されています。
しかもコッチは作り物じゃなくて生の海。
これによってひとつの庭の中に(海は外だけど)山・川・海の大自然3点セットが完成するのです。
いや~見事ですわ。
すぐ目の前が海という立地を抜かりなく生かしたこの構成。
素晴らしい!
その海辺には面白い石がゴロゴロ。
砂岩、泥岩、安山岩、玄武岩などなど。
楽しいな~庭石。
わたしも庭石に囲まれた庭が欲しい~。
誰か石くれーーーーー!!!(と思うようになったら病気です)
蓮如さんの往時を偲ぶ蓮如上人記念館。
何と言っても一番見応えがあるのは蓮如館。
でも撮影禁止なのでナンも紹介できんのがなんとも悩ましい。
そこに何があるのかは、ぜひ自分の目で見に来てください。
次回は七不思議堂。
わたしの大~好きな古建築。
ハートびりびりに楽しいですよ♪
柴田の付城跡 狭いけどなかなかに恐怖密度の高いお城
2022年10月11日
山中温泉の西側、歩いて行ける低山上にあるお城が柴田の付城跡です。
柴田ってのは柴田勝家(しばた かついえ)の事で、この城を拠点に越前朝倉氏の残党+加賀一揆勢の連合軍と戦ったんだとか。
東側の山にはその連合軍側の拠点となった黒谷城や山中城といった城なんかもあって、その間に挟まれた山中の街はまさに力と力がバチバチぶつかり合う緩衝地帯でした。
今じゃ平和~な温泉街なんですけどね。
かつてここで血生臭い殺し合いが繰り広げられていたなんて、ちょっと信じられんですな。
全体マップ。
入口は何か所かあります。
多分一番見付けやすいのは医王寺の脇にある山道。
ただここから入ると傾斜がハンパなく、足場も激悪で、ほぼハード山登りのレベル。
なので今回は白山神社の近くにある山道から入城します。
多分ここから入るのが一番スマート。
目印は白山神社のすぐ側にあるこの「京子漢方診療所」。
この建物の横道を入って行きます。
ちなみにこの病院はもう閉院しているようです。
お腹が痛くなっても飛び込まないように。(←?)
そのまま真っすぐ行くと山に入って砂利道になり、途中で左手に山を登って行く小道が現れます。
この小道がお城への入口で、そのまま5分ほど登ると広場に出ます。
お城の心臓部となる主郭です。
普通主郭ってのは一番攻めにくい最深部にあるんですけどね。
でもここはいきなり最初に行けちゃいます。
本来はありえない形。
これじゃお城としてダメダメなので、恐らく今と戦国期とではかなり周囲の環境が違ったのでしょう。
もちろんこんな簡単に主郭に行けてしまう道なんてなかったはず。
広場の中央には謎の盛り上がり。
何の盛り上がりなのかは不明です。
一見、櫓台かな~と思ったけど、こんなトコに櫓作ってもナンも見えんしね。
お城とは全然関係ない、後世になって盛られた山かもしれません。
誰か情報持ってたら教えてください。
謎のタイヤ列。
何かこの山、アスレチックフィールドとして使われていた頃があったらしく、このタイヤはその残骸。
山内には他にもなんやら怪しい看板がアチコチに残っています。
見掛けても暖かーい心でスルーしてやって下さい。
こちらは主郭への入口。
見ての通り一直線ではなく、ぐる~と広場を巻き込むように通されています。
いわゆる「食い違い虎口」というヤツです。
これはトラップのひとつで、道沿いに進むと敵は主郭に対して横腹を見せながら進む形になります。
そこをザクザクーっと攻撃するんですね。
山城にはお決まりの仕掛けです。
その先がまたエグイですよ~。
この細道、熊笹で隠れてて見えませんが、尾根上にあるので両側は切り立った斜面になってます。
つまり歩ける場所はこの細い線上しかないんですね。
でもこんな所歩いたら城側から袋叩き。
はい~先頭から順番に殺してあげるから1列に並んでねー、状態になるのです。
山城怖わっ!
そんな地獄ロードをそのまま進むと、三日月状の平地に出ます。
帯曲輪(おびぐるわ)です。
帯曲輪とは斜面上、あるいは大きな曲輪(くるわ・広場)の周囲に巡らせた細長い曲輪です。
ここを足場にして敵を迎え撃つのです。
その帯曲輪の背面、この上にももう1発曲輪があるのですが、その境界が切り立った斜面になっています。
切岸(きりぎし)です。
切岸とは人工的に削って角度を付けた斜面で、目的はもちろん敵の侵入阻止。
身長以上の高低差を設けて、オタオタする敵に上から攻撃の雨を降らせるのです。
こんなのまず突破無理ですな。
スーパーマリオレベルのハイパージャンプでもせんととても乗り越えられない。
どうしても乗り越えたい人は森の中からスーパーきのこを探してきてください。
ファイアーフラワーがあったらさらに突破が楽になります。(←何の話?)
その上にある曲輪。
広さはバレーボールコート1.5面分くらい。
なかなかの広さ。
片隅に立っている石は石碑です。
お城とは関係ありません。
って言うか。
こんなデカい石、どうやってここまで運んだんだろ??(謎)
さらにその上にもひと回り狭い曲輪。
つまりこの曲輪、2段構成になっています。
先に見た帯曲輪もカウントに入れると3段構成。
えらい厳重ですわな。
防御力基準で考えると、ひょっとしたらこっちが主郭だったのかもしんない。
どちらをメインに使っていたのかは、400年前にタイムスリップして柴田のオッチャンに聞くしかありません。
その(ひょっとしたら主郭の)曲輪を出ると、どーんと落ち込み。
堀切(ほりきり)です。
堀切とは敵の侵入経路を断ち切る溝。
前に進みたい敵は、危ないと分かってても一旦ここを降りるしかありません。
でも降りてしまったらもう逃げ場ナシ。
恐怖の一斉攻撃を食らい、バッサバッサと撃ち殺されるのです。
その堀切を越えるとまたもや堀切。
しつこい2段構えになっています。
この構造はこの城に限った事ではなく、他の城でも比較的よく見かけます。
場合によっては3段・4段構えになっている例もあり、その数によって当時の緊張感を読み取ることができます。
ここの場合は2段、それも中規模程度のものなので、恐らくそれほど大規模な戦闘は想定してなかったと思われます。
そのままスタスタ進むと『薬師山スポーツ広場』・『民話と伝説のトリム』と書かれた訳の分からん看板。
なんやねんそれ一体?
スルーです。
ここは黙ってスルーです。
・・・。
『民話と伝説のトリム』って何やねん??(←黙ってられない人)
さらに進むと鉄塔が現れ、その足元に最後のお城の痕跡が。
土橋(どばし)です。
これも定番のお城トラップ。
先に見た尾根上の細道同様、この狭いラインに敵の足場を限定して狙い撃ちにするのです。
さらに土橋の両脇には竪堀(たてぼり)と呼ばれる縦方向の溝も掘られています。
これも敵の足を絡み取るための仕掛けです。
コンパクトながらもなかなかに面白さの詰まった柴田の付城跡。
現場は低山とは言えそれなりに山登りです。
歩きやすい服装、歩きやすい靴でお越しください。
なお、運が良ければこんなサプライズも待っています。
野性の鹿~~♪♪
山城なんていくつも登ってるけど、野性の鹿なんて初めて見たわ。
しかもここは低山、すぐ足元は温泉街、決して山奥ってレベルじゃない。
それでも出くわす時は出くわすんですね、こんな大物に。
いや~~~~。
熊じゃなくて良かった・・・(汗)。
柴田の付城跡
住所:石川県加賀市山中温泉白山町
観法寺墳墓群発掘調査現地説明会 お宝は早いモン勝ちです
2022年10月08日
過日行われた石川県埋蔵文化財センターによる観法寺墳墓群の発掘調査現地説明会に行ってきました。
現場は山側環状道路の観法寺PAのすぐそば。
現在2車線のこの道路を4車線化するに先だっての発掘調査だそうです。
遺跡は山の尾根上に点在しており、弥生時代後期から中世頃(鎌倉・室町)までの墓坑や建物跡、土器や陶器などが出ています。
発掘調査はほぼ終了しており、後は埋め戻して道路にするだけのようです。
遺跡の分布状況はこんな感じ。
尾根上に細長ーく展開しており、一番東に7号墓。
そこから西に向かって順に、竪穴建物、1、2、3、4、5、6号墓。
単位が「墳」ではなく「墓」なのは古墳時代以前のお墓だからで、この頃はまだ大きな墳丘で形作られた墓、いわゆる古墳という文化はありませんでした。
なので名前も観法寺「古墳群」ではなく「墳墓群」となります。
ズラリと並ぶのは出土品。
この遺跡から出てきた古代の遺物です。
主に土器・陶器が中心のようですね。
しかも弥生~室町と時代範囲が広く、それだけ長い世代に渡ってこの地で人が活動してきたことが分かります。
高台ゆえに見通しが良く、しかもかつてはこの直ぐ近くまで河北潟が迫っていた事が理由のようです。
遺跡をざっと俯瞰。
掘ってます、掘ってます、ぐりぐりに掘りまくってます。
白くマーキングされているのはこれから掘るライン、あるいは何らかの痕跡の目印。
こうして地面に印を付けながら調査を進めるのです。
不規則にうねるラインの交錯が、なんかすげーミステリアス♪
現場を走る幾筋もの深い縦溝。
これはトレンチ調査というヤツです。
遺跡発掘と言うと地面を「面」で掘り下げるというイメージが強いと思いますが、それだと掘り終えた部分の情報が完全に消失してしまいます。
そこで所々このように「線」で掘る事によって、断面の状態を保存しておくのです。
これによりこの深さまでは何時代、ここから下が何時代みたいな感じで、掘った後でも時代検証ができるのです。
こちらは建物跡。
7×5.8メートルの建物がここに建っていたそうです。
輪郭が二重になっている事から、恐らくこの場所に2度建てられたと考えられています。
中央には炉跡。
煮炊きの痕跡ですね。
ただこの建物に人が住んでいたかどうかは不明で、単なる宿舎的なものだったかもしれません。
事実この遺跡から出た建物跡はこれひとつだけで、ムラや集落の存在を匂わせるものは見付かっていません。
人々の生活の場は他にあった、と考えるのが妥当です。
そのすぐ隣にある1号墓。
手前の四角い窪みが棺の埋まっていた場所で、画像左に向かって頭が向けられていました。
面白いのはその棺の形で、長方形ではなく台形だったそうです。
それがこの時代のスタンダードだったんだとか。
さらに副葬品も見つかっています。
これがその副葬品。
ボロッボロサビッサビの鉄刀。
お菓子のトッピングみたいに小石が癒着しまくってるし。
画像だと左が束側、右が切っ先になるのですが、注目なのは束側。
なぜか折られています。
これは恐らく故意的なものと考えられており、理由は不明。
何らかの宗教的意味があったのか、あるいは慣習上のものなのか。
それはこれからの研究となります。(と言っても永遠に分かる訳ないけど)
すぐ側にはでっかい土坑。
深さ・径ともに2メートルくらいあります。
土坑と言えば作業場や食料保存のイメージがありますが、これは何のための穴だったんですかね?
食料保存にしてはデカすぎる。
とすれば作業場?
これだけのサイズの穴を必要とする作業とは?
分からん・・・・(悩)。
その先に続く2号墓、3号墓。
まだかなりラフな状態です。
恐らく本格的な調査はこれから。
でももうタイムアップが近いので、ほぼ手付かずで終わるのかも?
なんならわたしが引き継いでやりましょうか?
掘りますよ、独りでコツコツと。
そして出てきたお宝は換金して・・ふっふっふっ・・・。(←目的ソレか?)
虎ロープで遮断されてて行けませんが、さらにこの先に4・5・6号墓。
結構エグイ角度の斜面上に並んでいます。
そしてやっぱり発掘はこれからみたいな感じ。
まだまだいいもの出るんですかね?
誰も知らないお宝がこの下にどっさり眠っているんですかね?
ん~ロマン!
アチコチほじくり返してあるだけで、専門家の説明がないと何が何だかさっぱり分からん観法寺墳墓群。
基本現地には立ち入りできません。
今回は発掘調査説明会という事で特別に見学できました。
恐らく一生に一度の貴重~な機会。
調査が完了した段階でまたやって欲しいな~と思うけど、多分もうやんないだろうな。
石川県埋蔵文化財センターさん、調査の最終報告、楽しみにお待ちしております。
次回は年度報告で詳しい成果発表をお願いしまーす!
観法寺墳墓群
住所:石川県金沢市観法寺町
おやたま食堂 ホワイトラーメンたまごかけごはんセット 極上旨甘のTKGにメロメロ
2022年10月04日
TKG(たまご・かけ・ごはん)。
そんなシンプルかつハートフルなごちそうを食べさせてくれるお店が、小矢部市にあるおやたま食堂です。
場所は僻地。
特に人が多い訳でも大通り沿いでもない、なーんでもない僻地。
そんな訳の分からん所にポツンとあります。
でも知る人ぞ知るお店で、わざわざこの店のTKGを食べるために日々多くのお客さんが足を運びます。
わたしもTKGを食べるために金沢からはるばるふら~り。
この日選んだのは”ホワイトラーメンたまごかけごはんセット”。
ホワイトってのは要するに豚骨ね。
こちらをガツガツもりもり食べたおします。
ホワイトラーメン、まずはスープから。
色は完濁の白、液温アツアツ。
味わいミルキー。
甘みとうま味が溶け合ったマイルドな味がゆるりと舌を撫でる。
コテコテ感はなく、肩の力を抜いてするするすすり込める柔らかな味。
後味にコショーのビリビリ感がほんのり。
麺は縮れの入った中細麺、茹で加減柔らかめ。
多加水の麺はしなしなびちゃびちゃ。
コシの弱い食感でしんなりとスープの中を泳ぐ。
味わいライトで、さっぱり、しっとり。
軽い食味がマイルドなホワイトスープに違和感なく馴染む。
挽肉はぎっちぎち。
ちょっとコリコリした食感もあって、結構ハード系。
しみ出す味もガッチリ濃く、肉の味とタレの味が融合したザ・男系のパワフル味。
ただね、麺と一緒に絡めて食うと味の印象が変わるんだわ。
ライトテイストの麺と重くコシの強い肉味とのコントラストが実に面白く、マイルドなスープがその両者を見事に繋いで。
絶妙な味バランス!
メインディッシュのTKG。
ごはんにとろ~と絡み付く生卵。
このクリーミーな舌触りがもうそれだけで贅沢。
そして甘いのさ、とにかく甘いのさ。
ごはんのみずみずしい甘みと卵の濃密な甘みが溶け合って、もう悶絶の甘さ。
その甘みをチョロっと垂らしておいたTKG専用醤油のコク味がキュッと引き締めて。
この弛緩と収縮の繰り返しがタマラナク楽しい♪
完食。
おやたま食堂の”ホワイトラーメンたまごかけごはんセット”。
TKGですわ、なんたってTKG。
やっぱ最高ですわ、TKG。
あれこれ小細工しなくても、美味ぇーモンってのはもうそれだけで美味ぇーんだなーってのをストレートに感じさせてくれる美味さでした。
ごちそうさま。
[参考]
・ホワイトラーメンたまごかけごはんセット:1,200円
おやたま食堂
住所:富山県小矢部市平桜 6082
TEL:0766-69-7123
霊応山 顕海寺 地味地味なお寺の魅力を地味~に探る
2022年10月01日
ザ・苔ワールドで有名な平泉寺の参道途中に地味~なお寺があります。
顕海寺(けんかいじ)。
創建は1583年、豊臣秀吉が全盛期だった頃。
平泉寺の塔頭(たっちゅう・住職の隠居所)として建てられた草庵が始まりだったとされています。
ここがなかなかシブイお寺でね。
派手な見所はないんだけど、じわ~っとイイ味出してんですわ♪
入口には六地蔵。
どれも朽ちまくっててボロボロ。
仏教の教えによると、人は六道という世界を延々と輪廻転生するそうです。
この六道の輪廻から抜け出す事を「解脱」って言うんですが、それがまー簡単じゃない。
凄まじいハードな修行と自己鍛錬が必要。
結果、ほぼ永遠に六道世界をグルグル回り続けるのです、常人は。
それを救ってくれるのが六地蔵さま。
六道の世界それぞれに担当がいて、煩悩や業に苦しむ衆生をサポートしてくれるのです。
しーっかり拝んでくださいね。
おまんじゅうでもお供えしておけば、六道解脱のハードルもちょっとは下がるかもしれませんよ。(※下がりません)
入口はもうひとつあって、そちらには棟門。
本来はこっち側が正門ですね。
装飾性はもうひとつって感じですが、でもいいね、この門。
ボロさがたまらなくエクスタシー。
古いってのはそれだけで素敵ですわ♪
その横には鐘楼。
これもイカしてますな!
基壇は自然石積みの粗っぽい石垣。
その上に内転び(上に向かってすぼまる形)にした四本柱を立てて、上面には黒瓦。
雑。
ハッキリ言って雑。
でもその大雑把さがスッゲーいい感じ。
こんなん好きですわ♪
その正面にはもう本堂。
敷地が狭いのでね、各パーツがぎゅっと凝縮されてんですわ。
屋根は入母屋、サイズは小振り。
山地であんまり屋根をデカくしちゃうと雪がずっしり積もって重くなっちゃうから、わざとコンパクトにしてあるのでしょう。
その下には謎の柱バリケードがぐるり。
これも雪対策ですね。
冬場はここに雪囲いを巡らせて建物を守るのでしょう。
本堂入口上には『霊応山』と揮毫された扁額。
えらい古いね、この扁額。
明らかに本堂との間に時代のギャップを感じる。
情報がないので未確定ですが、多分本堂の方が新しいんじゃないかな?
扁額は江戸時代、建物は昭和初期のものと予想しますが。
どーしても気になる人は、住職さん捕まえて直接聞いてみてください。
ついでに建物の横にもちょっと回ってみてください。
見て欲しいのは上、屋根の端にある鬼瓦。
モロに鬼の顔ですわ。
お寺の鬼瓦って、獅子口と呼ばれる抽象的なデザインのものが多いんですけどね。
アレも悪くはないんだけど、迫力という点ではどうしてもイマイチ。
でもここは鬼、モロに鬼。
これぞ鬼瓦!と言わんばかりの迫力満点の鬼。
いやーカッコエー!
その本堂の前には方形(ほうぎょう・正方形)のお堂。
屋根は銅板葺き、頂点には宝珠がちょこん。
壁は上部白漆喰で下部は板張り。
ごくごくオーソドックスな仕様。
これ、なんのお堂なんですかね?
何のアナウンスもなく、内部も見えず、100%不明。
一応正面に鈴と綱が垂らされているので、何らかの拝む対象が収められてはいると思うのですが。
謎じゃ・・・(悩)。
とにかく情報がないので、詳細についてはよー分からん顕海寺。
まーね、地味です。
とにかく地味です。
我こそは地味大好きという地味フリークの方のみ、お越しください。
なお寺内には5.2メートルの阿弥陀如来坐像と6.4メートルの地蔵菩薩立像があるそうです。
ただ残念ながら基本非公開。
どなたかお寺とコネがあって頼めば仏像見せてもらえるよーって方、いらっしゃいましたら手配お願いします。
お礼にメシくらいおごります。
むさいヲッサンと一緒で良ければ。(←?)
霊応山 顕海寺
住所:福井県勝山市平泉寺町 56-66
TEL:0779-88-2387
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