矢田高木森古墳 小遣い稼ぎに古墳を掘っちゃイケマセン!
2022年09月27日
普通の、普通ぅーーの住宅街の中を歩いていると唐突に草ぼーぼーの丘。
上へ登る通路の入口には丘の由来を示した案内板。
『矢田高木森古墳』。
いやホントね、唐突なんですわ。
生活臭むんむんの現代住宅と古代ロマンむんむんの古墳との共存という不思議な光景。
矢田高木森古墳があるのはそんな場所です。
現場のイメージはこんな感じ。
周りは民家、民家、民家、そんな中にポツンと古墳。
サイズは全長59メートル、全高7メートルで、七尾市内では最大の前方後円墳となります。
造成は6世紀初頭。
当時はこの近くまで海岸線が迫っており、恐らく船からの視線を意識して築かれたものと考えられています。
後円部上はざっくり削平。
元々こんな形なのか、後世に削られたのかは不明。
結構広くて、バレーボールのコートくらいの広さがあります。
眺めがいいんですわ、周囲が一面平地の中ここだけがボコっと突き出てて。
恐らく古墳建造当時もここは周りより一段高い場所だったはず。
目立つ場所に目立つように造るってのが、古墳建造のセオリーですからね。
片隅には謎の神社。
正式な名前は「下大森神社」っていうんだそうです。
祀られている神は、大物主命(おおものぬしのみこと)事代主命(ことしろぬしのみこと)五十猛命(いそたけるのみこと)の3柱。
大物主命は出雲系の神さまで、別名七福神の大黒さん。
事代主命はその息子で、別名七福神の恵比寿さん。
五十猛命だけはヤマト系の神さまで、造船・航海の神さまです。
いずれも豊漁・豊穣や航海安全に関わる神さまで、かつてこの地に住む人が海と深い関わりを持っていたことを匂わせます。
その斜め前には1基の石碑。
「高木森古墳」「明大教授 後藤守一」と刻まれています。
後藤守一(ごとう しゅいち)ってのは、昭和33年にこの古墳を調査した学者さん。
当時の考古学会ではかなりの大物だったようです。
石は砂岩ですね。
粒子のサイズがきれいに揃ってるので、どこかの池沼地の底の砂が固まったものではないかと。
石の話はどうでもいい??(汗)
この後円部の下には竪穴式の石室が「あった」そうです。
「あった」って事はもう「ない」って事なんですが、過去に大規模な盗掘を受けてて、今はその残骸が埋まっているだけとの事。
調査によると長さ3メートル、幅1.5~2メートル、高さ1メートルの石室があったと推定されています。
なんかいいモン出たんかね?
こんだけのサイズの古墳なんだから、副葬品もそれなりに豪華なものが埋まっていたはず。
きっと売ったらいいお小遣いになっただろうな~。(←すぐカネの話)
民家の敷地内に喰い込むように伸びる前方部。
こちらは結構ガタガタです。
元々はもっときれいな墳丘だったんでしょうね。
それが1000年以上の時間をかけて、土が流れ、形が崩れ、草木が生え、こんな状況に。
まあこれも味っちゃ味なんだけど。
その前方部から後円部を見上げるとこんな感じ。
結構な高低差があります。
これは比較的初期型の前方後円墳の特徴なんだそうです。
後円部をゴボッと高く盛り上げ、前方部は低くなだらかに。
後円部は埋葬施設を伴う場所なので、恐らく「上位の場所」という意識があったのでしょう。
古墳感のない場所に唐突にある矢田高木森古墳。
シンプルです。
現場はごくごーくシンプルです。
登って、眺めて、終わり、みたいな。
まあ軽い気持ちで見学してみてください。
以上で『七尾南湾の古墳を巡る』ツアーのレポートは終了。
改めておさらいすると、1回目は三室まどがけ古墳群、2回目は佐味今田谷内古墳群(さみいまだやちこふんぐん)、3回目は矢田遺跡、そして最後が今回の矢田高木森古墳。
どれも楽しかった~♪
やっぱ遺跡、いいですわ!
遺跡・LOVE♪
矢田高木森古墳
住所:石川県七尾市矢田町
矢田遺跡 手間暇かけて遺跡発掘しても最後はシュールに終わるのです
2022年09月24日
現在進行中の七尾外環状線の整備事業。
矢田遺跡はそんな工事予定区域の一角にある遺跡です。
時代は弥生~中世頃。
注目なのは「工事予定区域の一角にある」という点。
つまりここの発掘は期間限定であり、調査が終わり次第埋め戻して道路になるという事です。
要は遺跡が見られるのは今だけって事ね。
現場の概観図はこんな感じ。
エリアをA・B・Cの3区画に分け、A・Bは令和3年度中に調査終了し、既に埋め戻されています。
現在掘り返しているのはC区のみ。
調査期間は決して長くないですが、それでも土師器(はじき・野焼きで焼いた陶器)や須恵器(すえき・登り窯で焼いた陶器)、石製品・木製品など、数々の遺物が見つかっています。
他にも川の痕跡や建物遺構なども出ており、意外に「濃い」調査結果が出ています。
ズラリと並ぶ木製品。
水に浸けられているのは空気を遮断するためです。
こうしておかないとあっという間に劣化するのです。
時代は中世くらいですかね?
船のオール(祭祀具?)とか、建物の断片と思われるもの、何かさっぱり分からんものなど様々なサンプルが見付かっています。
これが博物館の展示ならお触り厳禁だけど、今回は気楽な遺跡説明会、自由にいぢくらせてもらえました。
ちょっと優越感♪
土器もいっぱい。
しかも掘りたてほやほやの土付き。
まるで農家の朝採れ野菜のようなフレッシュさ。
生々しいですわな、土が付いてると。
あーホントに地面の下から出てきたんだーってのが、リアルに実感できます。
なんか今まさに発掘の現場にいるような気分。
こんな状態のいいのも出ています。
欠け・割れナシの完全体。
時代はいつですかね?
弥生っぽい感じだけど、シロウトなのでさっぱり分からん。
でも見る人が見ればズバッと分かっちゃうんでしょうね。
まだまだ勉強が足りんのー。
これもサッパリ分からん。
なんやろ?
何かの断片なのか?部品なのか?これでひとつの完成形なのか?
さーーーーっぱり分からん。
なのに不思議と湧き上がるわくわく感。
遺跡からの出土品ってやっぱり楽しいわ~♪
こちらは発掘現場。
先の図面で言えばB区のエリアです。
既に書いた通り、この区画の発掘調査は終了して埋め戻されています。
なんか残念だわな。
せっかく手間暇かけて(予算もかけて)掘ったのに、最後は埋め戻して全部チャラ。
悲しーーー!!!
とは言え、遺跡があるからっていちいち保存してたら道も市街地も全然開発できないし。
残すか?潰すか?
なんとも悩ましい問題です。
唯一まだ発掘が進行中のC区。
丁寧に表土を剥ぎ取りながら、慎重に検証を進めています。
「掘る」ってのは1発やったら終わりですからね。
掘ってしまってから、あ、やっぱり前の状態が確認したい、と思っても後の祭り。
もーどーーーーーにもなりません。
なのでどこを掘るか?どう掘るか?どこまで掘るか?を何度も検討しながら、やり直しの効かない1発勝負を神経をすり減らしながら進めていくのです。
こちらはそんな試行錯誤のひとつ。
石灰でラインを引き、今から掘る箇所をマーキングしてあります。
このラインに沿って発掘を進め、かつての生活痕を浮かび上がらせるんですね。
こうして見ると、なんかナスカの地上絵みたいだな。
航空写真撮っときたいわ(笑)。
こちらは川の跡。
手前と奥とで土の色が変わっているのが分かると思いますが、奥が川跡、手前が岸跡です。
川跡は泥が堆積しているので粒子が細かく色も黒、岸跡は主に砂なので粒子が荒く色も白っぽくなります。
1000年くらいは経ってると思うんだけど、それでもこんなにクッキリ残るんですね。
なんか不思議。
現在の地形も1000年後には全然違うものになってるのかな?
まだまだ面白そうな発見が期待される矢田遺跡。
くどいけど道路建設に伴う期間限定調査です。
遺跡の様子が見られるのは今だけ。
後になってから見とけば良かったー!って後悔しないよう、今の内にしっかり見ておいてください。
次回はここから歩いて10分の場所にある矢田高木森古墳。
住宅地の中に唐突にポコッとある妙ぉ~~~な古墳です。
なんか時代感チグハグな感じが楽しいですよ~!
矢田遺跡
住所:石川県七尾市矢田町カ
関連タグ >> 遺跡
佐味今田谷内古墳群 このボロボロな姿こそ現代まで生きた証
2022年09月20日
哀愁漂う古墳が見られる佐味今田谷内古墳群(さみいまだやちこふんぐん)。
昔は「藤平谷内古墳群(とうべいやちこふんぐん)」と呼ばれていたようですが、なんか場所的に「藤平谷内」じゃなくて「佐味今田谷内」にあるとの事で、現在の名称に変更されたそうです。
場所は民家の裏山の私有地。
民家と言っても人は住んでおらず、磯貝記念佐味古墳保存会という財団法人が事務所として使っているようです。
基本的に山への出入りは自由で見学も自由。
常識的なマナーさえ守ってもらえば(ゴミを捨てないとか現場を荒らさないとか)、誰でも入ってオーケーです。
古墳の配置はこんな感じ。
入口に例の磯貝記念佐味古墳保存会の建物があって、その奥に裏山。
その山の上に古墳が3基(4基?)。
山と言っても丘程度で、2分も歩けば頂上に着きます。
ただ足場はそんなに良くないので、汚れてもいい靴で。
間違ってもヒールのある靴なんかで来ないで下さい。
メインの1号墳!
ボロッボロ!
形状としては前方後円墳になります。
でもドッチが前方でドッチが後円よ!?と突っ込みたくなるくらい崩壊しまくり。
古墳としての威厳もクソもあったもんじゃありません。
そりゃまあ1400年くらい前のものなんでね。
そんだけ時間が経ちゃこうなりますわな。
後円部の墳頂はほんのりフラットになってて、中央がちょびっと窪んでいます。
これは盗掘の跡。
いつの時代か分かりませんが何者かによって掘り返され、石室も破壊されて残っていないそうです。
ただ周りに石室の残骸と思われる海石が転がっていることから、恐らく三室まどがけ古墳群で見られたような石室があったのではないかと考えられています。
今も昔も悪ぃーヤツってのはいるんですね。
わたしなんかまだまだヒヨッコですわ!(←ソッチ側か?)
前方部と後円部が接続するくびれ付近では、多くの須恵器(すえき・朝鮮式登り窯で焼いた陶器)の破片が発見されています。
恐らく何らかの祭祀が行われた痕跡ではないかと考えられています。
何やってたんですかね、古代人?
お葬式?お墓参り?
それとも神や先祖に祈りを捧げるみたいな宗教儀礼?
謎じゃ~・・。
その前方後円墳の後円の先にある藪。
この奥に3号墳があるそうです。
「出土遺物はない」と報告されていることから、過去に発掘調査されている模様。
分からんの~。
どこや?古墳?
直径11メートル、高さ1メートルの円墳だそうなので、そこそこ膨らんでいるとは思うんだけど。
こんだけ草木ぼーぼーやとさっぱり分からんわ。
1号墳のすぐ横にある2号墳。
サイズは直径30メートル、高さ6.4メートル。
間近で見ると結構な大きさです。
これを手作業で盛ったんですからね、重機ナシで、しかも山の上に。
ちょっと考えられんですわね。
汗だく土だくになってこんなの造り上げた、そのモチベーションは一体何だったんですかね?
ここも墳頂はフラット。
しかも結構きれいにならされています。
埋葬室は縦穴式になっていて、現在も未盗掘のまま足元に眠っていると考えられています。
ありますよ~、この下に『ナニ』か。
何があるのか興味ソソルわ~~。
いつか発掘ってなったら、掘るの手伝うし立ち合わせて欲しいーー!!
西側の足元にはなだらかな窪み。
これは恐らく周溝であると考えられています。
調査した限りでは溝が掘られているのはこの部分だけとの事。
なんで一部だけなんだろ?
普通周溝って言ったら、墳丘の周りをぐるりと囲むもんなんだけど。
わざわざこんな形にしてあるからには、そこに必ず何か意味があるはず。
一体なぜ?
分からん・・・(悩)。
墳頂から見下ろした東側。
がっさりと深い藪になっています。
話によるとこの奥に4号墳があるそうで。
ただ現段階ではまだ調査が行われておらず、実在するのかどうかも未確認なんだとか。
勇気がある人、突っ込んでみて下さい。
眠ってますよ、この先に知られざる第4の古墳が。
やべーくらいいいモンあるかもしれませんよ~!(※私有地なので勝手に変な所ウロチョロしたらダメです)
保存状況が決していいとは言えない佐味今田谷内古墳群。
でもね、それが逆にいいんですよ。
おおーー待っててくれたんだー、こんな姿になってもオレ様が来るのを今までずっと~!(喜)みたいな、そんな感動を味わえます。
どうか敬意を持って、ジロジロぐりぐり鑑賞してって下さい。
次回は矢田遺跡。
古墳からはいったん離れて、古代の生活の痕跡を辿ります。
生々しい出土遺物の数々にハートどきどきですゼ!
佐味今田谷内古墳群
住所:〒926-0011 石川県七尾市佐味町
三室まどがけ古墳群 古墳内石室への侵入成功!
2022年09月17日
過日実施された石川考古学研究会の8月例会。
その際に『七尾南湾の古墳を巡る』と題した古墳巡りが企画されたのですが、なんか会員じゃなくても参加できるみたいなので、しれ~っと合流してきました。
だって古墳大好きなのでーー!!!!
この日巡ったのは三室まどがけ古墳群、佐味今田谷内古墳群(さみいまだやちこふんぐん)、矢田高木森古墳、プラス矢田遺跡の4ヵ所。
これら4ヵ所の古墳+遺跡を今回より4回に渡ってレポートします(あと万行遺跡も行ったけどサラッと見ただけなのでレポートはパス)。
第1回目は三室まどがけ古墳群から。
現場の見取り図はこんな感じ。
下に2・3号墳があって、丘の上に1号墳。
ぶっちゃけ廃墟感強めです。
忘れられた遺跡的雰囲気。
ただそれがマニア心をくすぐるんですけどね。
もうグリグリ♪です。
まずは2号墳から。
この古墳、移設復元です。
元々は丘の上、1号墳の脇にありました。
それが道路の開削に当たって取り壊され、もったいないので下に移設、となったそうです。
墳丘のラインが妙にきれいなのはそのため。
注目なのが石室の石材。
見ての通り小さな穴でボコボコ。
いわゆる「虫食い岩」ってヤツです。
これらは全て海辺に生息する貝がコツコツと掘り開けたもので、それを海からここまでエンヤコラと運び込んで来たのです。
すぐそこが海っちゃ海なんですけどね。
それでもこのサイズの岩をここまで運び上げるのは相当な重労働だったはず。
そもそもどうやって運んだのかな?
石室内部の様子。
ふっふっふ・・・扉を開けてもらったのだよ、特別に。
しかも中にも入れたし!(喜)
見た感じで何となく分かると思いますが、壁面と床面とで石質が違います。
壁面は石灰質砂岩、床面は安山岩。
石灰質砂岩はこの辺の石ですが、安山岩は対岸の能登島からわざわざ運んで来たものだそうです。
なんで2種類の石を使ったのかは謎。
安山岩の方が平らに加工しやすかったんですかね?
続いて3号墳。
こちらも移設復元古墳。
この古墳、実は2号墳の移設中に偶然発見されたものなんだとか。
って事は、ぱっと見、古墳らしくなかったって事で、その雰囲気が墳丘の形になんとな~く残されています。
上面は平ら、高さも低め。
ここに木や雑草がバサバサ生えてたら、確かに古墳だと認識し辛いでしょうな。
石室は長さ6メートル。
見ての通り屋根がありませんが、発見時点で既になかったのかどうかは不明。
内部からは須恵器(すえき・登り窯で焼いた陶器)、土師器(はじき・野焼きで焼いた陶器)、金環、人骨が発見されたそうです。
真ん中辺りに石材が横に渡されていますが、これは玄室(埋葬部屋)と羨道(せんどう・通路)との境界を表す石。
今は石がチョロっと置かれているだけですが、この感じだとひょっとしたら玄室に侵入できないようガッチリ封印されていたのかもしれません。
墳丘の裏側に回るとなんやら意味ありげな加工が施されています。
これは移設前、この古墳の後ろに実際にあった空堀の再現。
こんな感じで部分的に堀が掘ってあったそうです。
なんで裏側だけやったんかね?
普通は周囲にぐるりと掘るもんなんだけど。
なんか特別な意味や事情でもあったのかな?
移設復元された2・3号墳と違い、1号墳だけはオリジナルのままの場所・姿で残されています。
その入口となるのがこちら。
この急坂をトコトコと登った先にあります。
見ての通り足元は結構悪め。
この日は晴れてたから良かったけど、雨上がりなんかだと多分かなりぬかるみます。
足元には十分注意して登ってください。
じゃじゃーんと登場、1号墳。
思いっ切り廃墟感全開です。
崩落しまくりのボロッボロ。
この崩落は現在も続いており、市としては移設?保全?の選択を待ったナシで迫られているそう。
現在はそのための調査・検討を進めている段階で、まだ結論は出ていないものの、埋め戻しも視野に入れているそうです。
つまり成り行き次第では、この古墳の姿を直で見られるのは今だけ。
見るなら『今』です!
使われている石は先に見た2・3号墳と同じく、壁面に石灰質砂岩、床面に安山岩。
まるでテトリスのようにきれーに組み上げられています。
大変だったろうな、これ作るの。
だって丘の上ですよ、ここ。
そんな所までわざわざこんな大きな石を何百個も運んで積んでその上に土を盛って。
当然機械一切ナシのオール肉体労働。
考えただけで地獄ですわ!
壁面には謎の落書き。
意味は不明。
何らかのメッセージなんですかね?
あるいは建造プロセス上の目印?
特に意味なんかなくて、単なる傷?
ミステリーじゃ~~~~(悩)(悩)(悩)。
門柱なんてのもあります。
玄室の入口を飾る権威のデコレーション。
カッコイイね。
これ1発あるだけで、なんかワンランク上の凄みみたいなのを感じますわ。
ここに葬られたのはきっとそれなりの富と権力を持つ人物だったのでしょう。
当時はまだ文字がないから、その人物像や経歴を追えるような記録が残ってないのが残念!
3基の古墳(2基は復元だけど)が見られる三室まどがけ古墳群。
神秘的ですゼ。
心アガりますゼ。
古代ロマンむんむんですゼ。
かつてここにどんな光景が広がっていたのか、そんな想像に夢を膨らませながら鑑賞してみてください。
次回は佐味今田谷内古墳群。
ボロッボロの前方後円墳にマニア心メロメロです♪
三室まどがけ古墳群
住所:石川県七尾市三室町
手作り餃子 長樂 焼きめし+焼きぎょうざ 値段高めだけどクオリティも高っ!
2022年09月13日
この日は山登り。
登る!登る!えっさほいさと登りまくる!
疲れた~~~。
下山したらちょうどお昼。
メシ食うべ~と付近のお店をググり、見付けたのが長樂(ちょうらく)。
餃子がご自慢の中華料理屋です。
開店直後に入店し、カウンターに着席。
メニュー表をじーっと見て、アレも食いてーコレも食いてー・・と散々迷った末、”焼きめし”+”焼きぎょうざ”のド鉄板コンビをオーダー。
焼きめしはもちろん大盛りにして食べたおします。
焼きめし。
米の色はめっちゃホワイト。
具は超細かく、焼き目しっかり。
香ばしいのですわ~。
スプーンを口に寄せた瞬間からスモーキーな焼き香がバリーッッッ!
そのまま口に放り込むとお米もパリパリ。
米粒1つ1つが薄皮1枚に包まれたような炒め加減になってて、なのに中はみずみずしくて粘りたっぷりで。
さらに程よく飛んだ水分が味をぎゅっと凝縮させてて、ま~濃いのサ、味が。
濃いとは言っても無駄濃くはなく、旨味だけがしっかり詰まってて、よくある「コテコテメシ」的な塩分ドッカン!な面倒臭さがなく、むしろ塩控えめだからさらさら食べられて。
何て言うか、濃いのに軽くて食べやすくて、とにかく文字通り『美味い』んだわ~♪
焼きぎょうざ。
皮はちょっと油で揚げてあるような焼き上がり。
焼きめし同様、表面が薄皮1枚分パリっとなってて、内側はもっちり。
小麦の風味が詰まってて甘あ~い♪
中には熱いおつゆでじゃぶじゃぶの餡。
肉のうま味と野菜の辛みが見事に溶け合ってて、これまた強烈なインパクト。
味のジュースがだばだばと舌を舐めまくる。
ここにタレにどっさりブチ込んどいたラー油がビリビリ効いて、旨さ・甘さ・辛さ・刺激が極上超絶に調和。
も~「美味さ」の地獄♪
焼きめしに付属の中華スープ。
味わい淡麗。
野菜出汁のさっぱりした味がスキッと流れる。
具はワカメとネギ。
ワカメのコリコリ食感とネギのザクザク感がなんとも軽快。
薄味スープの中で生き生きと踊る。
完食。
長樂の”焼きめし”&”焼きぎょうざ”。
美味いわ。
その辺の街中華や中華チェーン店では味わえないクオリティ。
やや価格設定が強気かな?って嫌いがなくもないですが、でもこのレベルのものを出されたら黙って食うしかないなーと認めざるを得ない、ワンランク上の美味しさでした。
最高でした!
ごちそうさま!
[参考]
・焼きめし:858円
・大盛り:220円
・焼きぎょうざ:517円
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