大宮坊跡 書院台所棟 ん?ココおかしいんでね?
2021年07月12日
石動山(せきどうざん)の山中にひっそりとある大宮坊跡。
明治初頭頃に廃寺となったものを、2002年に復元したものです。
前々回はその敷地の前半分を、前回は後ろ半分を見てきました。
今回はメインである書院台所棟という建物内部だけにフォーカスして見て行きます。
まずは全体の間取り。
左に入口を配し、8つの部屋が規則正しく並んでいます。 。
基本的に好きなように見て回れますが、茶湯の間のみ事務室的な使われ方をしていて、見学用ではありません。
うっかり入って中に係の人がいるとメッチャ気まずいです。(←入ったのか?)
ではまず台所。
台所と言っても調理設備はありません。
実質的には玄関ホールとなっています。
この場所は基本的に僧侶を含む一般人が出入りした場所になります。
なので上を見るとご覧の通り。
屋根裏丸見えの吹き抜けになっています。
装飾感ゼロの粗い造り。
ただね、建築好きにとってはこの眺め、タマランのですよ。
おお~見えるわ~梁が♪柄が♪垂木が~~♪
全部見えるわ~~~♪♪♪
みたいな。
人間、こうなったらオワリです。(←?)
あと目を引くものがもうひとつ。
仏像です。
制作は平成26年、彫刻家の長谷川琢士(はせがわ たくお)って人の作品。
モチーフはお隣にある神社の祭神、伊須流岐比古神(いするぎひこのかみ)です。
カッコええわ~、なによコレ??(喜)
ノミ1本で掘り上げた荒々しい一木造りの傑作。
今はまだちょっと新品感強くて軽いけど、200年くらいしたらすっかり飴色に変色して、い~い貫禄出てんだろうな~。
頑張って200年生きんと!!(※無理)
その隣は「次の間」→「次の間」→「次の間」と、同じような部屋が3連発。
ご覧の通り、室内の様子が先に見た台所とはガラリと変わります。
プライベートな空間である台所と違い、ここは来賓向けのパブリックスペースなんですね。
なので内部の仕立ても、それなりに整然と仕立てられているのです。
例えば天井は棹縁天井。
見た目に美しく居心地のいい、和風住宅の体裁を整えています。
壁は清廉な白漆喰。
素朴な土壁で囲まれた台所とは真逆の仕立てです。
さらに周囲にはぴしっと鴨居を巡らせ、所々に金色の釘隠しも見られます。
ぴっちりとスキのない、フォーマルな仕立て。
こちらはその次の間に接続された、式台と呼ばれるもうひとつの玄関。
先の台所にあった玄関が一般人向けの出入口であったのに対し、こちらは殿様などの上級階級専用に作られたものです。
入る所からして違うんですね、エライ人は。
ワシら上の人間がお前らなんかと同じ場所から出入りできるか!って事です。
それが江戸時代。
「身分」という絶対不可侵のヒエラルキーが世の中の全てを支配していた、そんな時代だったのです。
こちらは部屋の外にある縁側。
広いんですわ、コレが!
「長い」ってんならまだ分かるけど、「広い」んです、縁側が。
なんで縁側にこれほどの広さが取られているのかは謎。
わたしなら絶対部屋の方を広く取るけどね。
推察するに、この縁側は本堂側に面しているので、なんらかの宗教儀式的な使用目的があったのかもしれません。
ここにお坊さんがズラーリと並んで読経とか。
そして最奥にある書院座敷。
このしつらえも立派!。
メインに床の間をがっしりと据えて、右側には付け書院。
床脇には違い棚と天袋を備えて、ガッチガチフォーマルな接客空間を形作っています。
ただね、違和感がひとつあるのですよ。
庭の眺めが悪いのね。
普通この手の部屋ってのはメッチャクチャ凝った庭を見せるように作られるのですよ。
どうじゃオラー!!!くらいの感じで。
でもここから見える庭は狭くて地味で、しかも視界にトイレまで入る。(※改めて先に見た間取り図を確認してみて下さい)
明らかに変。
これ、部屋の方向間違ってんじゃないですかね?
本来はこんな間取りだったんじゃないかと。
こうすると北側の大きな庭がダイナミックに見られます。
覚えてますかね、前回記事で見た殺風景な庭。
あの庭がこの北側の庭に当たります。
そしてこの庭がきちんと整えられていれば、この部屋の印象は大きく変わります。
そしてまず間違いなくきちんと整えられた庭だったでしょう。
この辺りは意見分かれるでしょうけどね。
どう考えるかはその人次第です。
場所はガラッと変わって、居間。
中央に囲炉裏をしつらえた、生活感むんむんの部屋です。
囲炉裏があるんで、この上は当然天井がありません。
屋根裏剥き出しになっています。
じゃないと煙の逃げ場がなくなりますからね。
そしてその煙は上で横に伝い、煙出しから逃げる構造になっています。
その隣の土間。
実質的な台所です。
画像真ん中くらいにあるふたつの四角い枠はカマドがあった位置です。
そしてこの真上が前回記事で見た煙出しになっています。
カマドから出た煙はこの煙出しからモクモク出て行くんですね。
以上、大宮坊跡のレポートでした。
いっや、素晴らしいですな。
だてに6億5000万円もツッコんでませんわ。
やっぱカネかけるとできるんですね、スゴイものが。
6億5000万円!恐るべし!です。
ゼニにこだわりすぎ??(笑)
でもね、ホントいいですよココ。
ちょーっと山奥でアクセス悪いですけど、間違いなく一見の価値がありますので、機会があればぜひ遊びに来てください!
関連タグ >> お寺 石動山 大宮坊跡
コメントをする
石動山の最新記事一覧

石動山 仁王門ルート編 ついに到着!大御前!
2022年01月24日
ふもと・伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)横ルートと2回に渡ってお届けしてきた石動山(せきどうざん)レポート。最終・・・
カテゴリー:観光名所

石動山 伊須流岐比古神社ルート編 ナニひとつ建物残ってないけど頑張って想像してねー!
2022年01月22日
山全体が信仰と修験の場だった石動山(せきどうざん)。栄えたのは江戸時代までで、明治期に入って早々、廃仏毀釈によってあえな・・・
カテゴリー:観光名所

石動山 ふもと編 廃仏毀釈なんてやった明治政府のバカ!
2022年01月19日
古代から近世にかけて、人々の信仰の拠点だったお山、それが石動山(せきどうざん)です。ここね、スゴイとこだったんですわ、昔・・・
カテゴリー:観光名所

石動山城跡 道のりはシンプルだけどその工程には恐怖の仕掛けがいっぱい
2021年09月11日
中世の信仰の聖地であった石動山。その奥地に今もひっそりと眠っている山城があります。石動山城です。こちら典型的な山城でして・・・
カテゴリー:観光名所

大宮坊跡 書院台所棟 ん?ココおかしいんでね?
2021年07月12日
石動山(せきどうざん)の山中にひっそりとある大宮坊跡。明治初頭頃に廃寺となったものを、2002年に復元したものです。前々・・・
カテゴリー:観光名所

大宮坊跡 後半部◆証誠殿って一体ナンじゃ??
2021年07月10日
山ひとつが巨大な宗教都市だったと言われる石動山(せきどうざん)。そのほとんどは明治期の廃仏毀釈によって失われてしまいまし・・・
カテゴリー:観光名所

大宮坊跡 前半部◆恐るべきトイレの解析方法にドン引き
2021年07月07日
古代~近世にかけて、信仰の聖地として栄えた石動山(せきどうざん)。全盛期には数多くの坊舎が立ち並び、山ひとつが巨大な宗教・・・
カテゴリー:観光名所

伊須流岐比古神社 今はガッタガタだけど昔はスゲー神社でした
2021年05月22日
伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)。このえっらい名前の読みにくい神社の創建は717年(奈良時代)。平城京が築かれ、・・・
カテゴリー:観光名所

石動山資料館 珠玉の仏像コレクションに惚れ惚れ♪
2021年03月24日
中能登町の山間にある石動山(せきどうざん)。かつてこの地は信仰の聖地でした。記録によると平安時代には既にその名が知れ渡っ・・・
カテゴリー:観光名所
- 一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
- 一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
- とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪
- 加賀大観音 怖いです、マジで
- 高岡市万葉歴史館 大伴家持への愛がどっぷり詰まった万葉の空間
- 武家屋敷旧内山家 古き日本のノスタルジーを今に残すシブ~いお家
- 兼六園 鶺鴒島 見ただけじゃ絶対に気付けない隠されたストーリーを読む
- 南新保C遺跡現地説明会 詳しい事後検討の報告を求ム
- さぶろうべい 親とり白菜鍋 素材の味が素朴に生きるそのまんまの味
- 城が平横穴古墳 古代の墓地跡にちょっと戦慄
- 西山 光照寺 空海が彫った伝説の仏像はどこ??
- 穴水城址 アッケラカンとした拍子抜けな城跡
- 魯山人寓居跡 いろは草庵 魯山人も愛したシブ~い屋敷
- エジプト、サッカラ遺跡発掘調査最新報告展 エジプトに眠る古代ロマン、胸躍るわ~!
- 金沢カレー研究工房 金の金沢カレー ヘビーなカレーが食いたい人はどうぞ
- 琴ヶ浜海水浴場 砂が泣く不思議な砂浜、のはずなんだけど・・泣かなくね?
- 北の庄城址資料館 柴田公園をより深く楽しめる情報がいっぱい
- 北の庄城址 柴田公園 モテたいヤツはココに来い!
- 旧角海家住宅 相当儲けとったようやの~北前船・・
- 高岡御車山会館 やっぱお祭り楽しいぜ~