店主たみこの観光案内ブログ

伊須流岐比古神社 今はガッタガタだけど昔はスゲー神社でした

2021年05月22日

伊須流岐比古神社の入口

 

伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)。
このえっらい名前の読みにくい神社の創建は717年(奈良時代)。
平城京が築かれ、古事記とか日本書紀なんかが編纂されたくらいの頃です。

 

当時はかなり高名な神社だったそうで、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にその名を見ることができます。
延喜式神名帳ってのは、分かりやすく言えば中央政府が認めた全国のメジャーな神社の一覧です。
とは言え今から1300年も昔の話なので、今じゃ閑散~~としちゃってますけどね。

 

急勾配の石段

 

入口にはいきなりガツーン!と急勾配の石段。
おおー!登るんかいコレ!?みたいな。

 

結構しんどいのですわ、この石段。
天然の石をごとごと並べてあるだけなんでね。
もー登りにくいったらありゃしない!
わたしみたいなぢぢーには超試練ですわ。

 

昔講堂があった広場

 

その石段の先には、のっぺりとした平地が広がっています。
ちょっと木が多いのでイマイチ実感しにくいけど、全体としてはそこそこの広さ。

 

ここには昔、講堂が建っていたそうです。
サイズは40メートル×30メートルって事なので、結構な大きさ。
現在は礎石(柱の下に据える土台石)のみがアチコチに残っています。
時間があったら探してみて下さい。

 

伊須流岐比古神社の鐘楼跡

 

その脇には鐘楼の跡もあります。
基壇のサイズは6.5メートル四方。
これもなかなかのサイズです。

 

どんな鐘楼が建っていたのかは不明ですが、古絵図によると袴腰(はかまごし)の上に入母屋屋根・廻縁(まわりえん)付きの鐘楼が描かれています。
具体的にはこんな感じ。

 

妙成寺の鐘楼

 

こちらは羽咋市にある妙成寺(みょうじょうじ)の鐘楼。

 

下部のスカートみたいな部分が袴腰、二階周囲にぐるりと巡らされたベランダみたいなヤツが廻縁です。

そして屋根は入母屋。
恐らく伊須流岐比古神社に建っていた鐘楼も、ほぼこんな姿をしていたものと思われます。

 

この鐘楼の鐘、記録によればものすご~く遠くまで音が響き渡ったらしいですよ。

どんな音だったんだろうな~!

 

イワシガ池

 

そして拝殿直前、右側にもうひとつ面白いものが見られます。
それがこちら、イワシガ池。

 

イワシと言っても魚のイワシではなく、「石清水」が変化してこの名前になったと言われています。
「飢饉の際にこの池にイワシが湧いて人々を飢えから救った」なんて伝説もあるそうですが、これは多分後からこじ付けられた民話でしょうね。

 

池の水は湧水。
この辺り一帯はブナ林が広がっていて、山そのものが巨大なスポンジのようになっています。
なのでこの池に限らず、あちこちに水が湧いています。

 

拝殿前の石段

 

そしていよいよ拝殿。
でもその前に再び石段!

 

いやーもったいぶるわ。
まだ登らせんのかよ!みたいな(笑)。

 

そもそもが山の神社なのでね。
ここは諦めて登ってください、しんどいけど。

 

伊須流岐比古神社の拝殿

 

その試練(?)の先に、やーっと拝殿。
ゴォォォーール!!!

 

この建物、なかなかに立派でしてね。
入母屋造りの平入り、梁間四間・桁行七間。
ずしっと重量感のある、貫禄あふれる造り。

 

記録によれば1701年建造との事なので、今から300年以上前。
元々は神輿堂だったものが、後に拝殿へと転用されました。

 

壊れた高欄

 

ただ築300年以上のシロモノですからね、かなり痛みが目立っています。
廻縁の脚なんかはご覧の有様。
思いっ切り傾いてて、おいおい大丈夫かよ?みたいな状態。

 

ぶっちゃけヤバイっすね。
今すぐにでも修繕しないと、このままだと崩壊確実。
とは言え参拝者もまばらな山奥の神社だけに、そんな資金、多分どこにもないのでしょう。

 

誰か直してーー!!

 

 

 

ボランティアで。(←?)

 

伊須流岐比古神社の本殿

 

その奥には本殿。
これまた石段の上のさらに高い場所に建てられています。

 

屋根は入母屋、正面に千鳥破風+唐破風を備えた立派な外観。
サイズこそ小規模ながら、なかなかの風格です。

 

・・・なんだけど、正面をふさいでるトタン、すげー邪魔だな。
これのせいで建物の半分が見えんっちゅーねん。
頼むし撤去してくんねーかな?

 

動字石

 

最後にもうひとつ。
神社のすその方にこんなのがあります。
『動字石(どうじいし)』。

 

石柵に囲まれててえらいうやうやしい感じですが、実際ありがた~い石で、この神社のある石動山(せきどうざん)の名前の由来となっています。
伝説によれば、万物の生命を司る星が3つに砕けて落ち、そのひとつがこの石なんだそうです。
つまり霊力の宿った隕石って訳ね。

 

そう考えると、うーーん・・・ありがたい・・・(気がする)。

 

ちなみにこの石は隕石じゃなくて普通の火山岩だそうです。

 

伊須流岐比古神社拝殿の扁額

 

参拝者はまばらだけど、それが逆にスピリチュアルな空間となっている伊須流岐比古神社。

 

い~いですよ。
ものすご~くいい雰囲気ですよ。
すっげー山の中まで来ないといけませんが、でもそれゆえの霊的ムードがむんむん。
喧騒まみれの都市生活から離れて、しばし大自然のエネルギーの中に浸ってみたいって人にはぴったりな場所。
疲れた心と体を癒しに、ぜひ一度訪れてみてください。
心の芯からスキッとできますよ!



それと大工さん。
いらっしゃいましたら、拝殿の修理、お願いします。

 

 

ボランティアで。(←まだ言う)

 

 

伊須流岐比古神社

住所:石川県鹿島郡中能登町石動山 1-2

TEL:0767-72-2176

ホームページ:石川県観光連盟公式サイト

 




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関連タグ >> 神社 石動山 

 


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