大宮坊跡 後半部◆証誠殿って一体ナンじゃ??
2021年07月10日
山ひとつが巨大な宗教都市だったと言われる石動山(せきどうざん)。
そのほとんどは明治期の廃仏毀釈によって失われてしまいましたが、2002年になって中心施設の大宮坊が復元整備されました。
そんな大宮坊のレポート。
前回に引き続き、今回は後ろ半分を見て行きます。
まず敷地の中央にどーんとあるのが本堂跡。
こちらは残念ながら再現されておらず、ご覧の通り礎石がずらっと並んでいるだけです。
礎石とは柱の下に据える土台の石で、これによって建物の規模と形を辿ることができます。
デカいね。
ここにどんな建物があったのか今は知る由もありませんが、石動山のド真ん中ですからね。
息を飲むようなスッゲーお堂だった事はまず間違いないでしょう。
礎石なんでね、よく見るとちゃんと柱の痕跡も確認できます。
ほら、分かるでしょ?
四角くくぼんでいる所が柱の立っていた位置です。
建物は撤去すれば無くなりますが、礎石はこうしてずっと残るんですね。
でもその建物はドコ行っちゃったんでしょうね?
すぐお隣の伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)の講堂なんかは、バラして炭にされちゃったそうだけど。
ここも同じような運命をたどったのかな?
その本堂の脇に地味~に面白い場所があります。
庭園です。
庭園?これで?って感じなんですけど、庭園です。
一応発掘調査を元に修復されています。
タイプとしては枯山水。
水のない池を中心に、石組みがぽつぽつと点在しているというスタイルです。
こちらは滝。
やっぱり水のない枯滝です。
ゴロゴロと置かれている大振りな石が滝の表現らしいんですけど、この感じだと段落ちの滝なんですかね?
多分一番奥に落差の大きな滝がどんとあって、その先に小さな滝がいくつか続く、とそんな構造になっているのでしょう。
いまいちイメージしづらいのは、単に造りが悪く手入れもされていないため。
きちんと整備すれば、ここが池、ここが滝、とひと目で分かるはず。
この辺は土木業者じゃなくて、ちゃんとした庭師に整えてもらわんとダメですな。
こちらは排水路。
え?なんで水のない枯山水の庭に排水路必要なの?と思われるでしょう。
確かに本来こんなものはありませんでした。
少なくとも発掘調査をした限りでは、排水路の存在は確認されていません。
じゃあなんであるのか?
これは単なる管理上の都合です。
枯山水とは言え雨が降れば水が流れ込むので、その水を逃がすためにこうして通されたのです。
ちなみに溝の壁に差立てられている瓦(画像じゃよく分からんけど)は、昔ここにあった越路小学校石動山分校(不明~1973年)を解体した時に出てきた屋根瓦です。
当時を偲んで、このような形でリユースしてあるのだそうです。
本堂跡裏手の高台には証誠殿跡(しょうじょうでんあと)。
こちらもご覧の通り礎石のみで、なんとなーく建物の形と規模が分かる程度。
サイズは4.5×5.4メートル、入口側に庇の付いたごく小さな建物だった事が分かっています。
もっともこの建物が本当に証誠殿であったかどうかは不明。
史料を元に、あくまで「推定」という事なんだそうです。
全く関係ないお堂であった可能性もあります。
ただそれ以前に気になるのが、証誠殿って何?って疑問。
「殿」が建物ってのは分かりますが、「証誠」、この耳慣れない言葉の意味が激しく不明。
現場の案内板も、その事には一切触れていません。
色々調べてみるとこの建物、和歌山の熊野本宮と関係があるそうで、あちらにも同じ名前の建物があります。
なのでどうもそこに祀られているご神体を分霊して建てたお堂ってのが、この証誠殿の正体みたいです。
ちなみに「証誠」=「証誠大権現」で、阿弥陀如来の仮の姿とされています。
なので「証誠殿」=「阿弥陀堂」と言い換えれば、なんとなーく耳慣れた感じに聞こえると思います。
そして最後に書院台所棟。
サイズ・クオリティ共に、この施設で一番のメインとなる建物です。
ンまぁ~立派だわな。
桁行13間(24メートル)、梁間7.5間(14メートル)の堂々たる体躯。
ばっさりとかぶさる入母屋の大屋根が印象的な、巨大木造建築です。
角度を変えて見てもやっぱカッコイイ!
屋根のデケー建物ってのは、それだけで風格がありますわ。
屋根の右側上にチョロっと不自然な破風(はふ・飾り屋根)が突き出てるのにお気付きでしょうか?
これは煙出し。
煙を出すんだから、この下には当然火を焚く何かがあります。
これについては次回見ます。
裏には庭もあります。
あるんだけど、えっれー殺風景。
ただ「あるだけ」の庭。
これね、元の姿は多分もっとちゃんとしたものだったはず。
このさっぱり感はあまりに不自然。
本来は美しい玉砂利が敷かれていて、大きな自然石が配置されていて、四季を楽しめる植栽があって・・・みたいな。
鑑賞するためにしつらえられた芸術的な庭。
それを匂わせるがこの縁側。
雨戸が閉じてるのでちょっとイメージが伝わりづらいですけど、この縁側は明らかに庭を鑑賞する事を意識されています。
という事は、鑑賞に値する立派な庭があったという事です。
そしてこの庭と建物の関係について、ひとつの疑惑が生まれます。
その話については次回詳しく。
そしていよいよ書院台所棟内部、なのですが、この続きは次回。
いいですゼ~ここ。
だてに6億5000万円もの税金をブッ込んでません。
ガッチガチにこだわってます。
そんな室内の様子を詳しくお届けします。
関連タグ >> お寺 石動山 大宮坊跡
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