大宮坊跡 前半部◆恐るべきトイレの解析方法にドン引き
2021年07月07日
古代~近世にかけて、信仰の聖地として栄えた石動山(せきどうざん)。
全盛期には数多くの坊舎が立ち並び、山ひとつが巨大な宗教都市の様相を呈していました。
今で言えば比叡山とか高野山のイメージですね。
その中心となった施設が今回紹介する大宮坊跡です。
名前から分かる通り「跡」なので、現在はほとんど何も残っていません。
しかしながら2002年に行われた復元整備のおかげで、当時の様子がかなり具体的につかめるようになっています。
そんな大宮坊跡のレポートを、今回から3回に分けてお届けします。
まずは全体の見取り図から。
正面にふたつの門を備え、中には書院台所棟という大きな建物がどーん!
ひと目見ただけで相当気合入れて作られているのが分かります。
お、中能登町、マジだな!?みたいな。
実際結構なおカネが突っ込まれてて、その額ナント6億5000万円。
でもね、その割には見学者はポツポツ。
個人の立場から言えばこういうの作ってもらえるってのはものすごく嬉しいのですが、単なる損得勘定で考えた場合、この税金の使い方はどうなんかな~(悩)。
では現場の様子を見て行きましょう。
こちらは御成門(おなりもん)と勅使橋(ちょくしばし)。
いきなりガスッ!と目を引きますわね。
橋+石段+門の三段構成。
ここは朝廷からの使者や藩主など、ごく限られた一部の人間だけが通過を許されたそうです。
要はVIP専用の入場口だった訳ですね。
門の形式は四脚門。
本柱2本+添え柱4本、合計6本の太い柱がどっしーんと腰を下ろす力強い造りになっています。
屋根は切妻の反り屋根。
銅板の深い色調がずしりと沈む重厚な外観が実に見事。
い~い門だわ♪
お城の門とはまた違う、独特の風格。
石動山という信仰の大聖地のエントランスにふさわしい、堂々たるゲートです。
その左側にあるもうひとつの門、台所門。
こちらは先に見た御成門より簡素な造りになっています。
一般の人はここから出入りしていました。
形式は高麗門。
全体に線が細く、金具などの装飾はありません。
屋根は素っ気ない板葺き。
極めてシンプルな門です。
とは言え、それは隣の御成門と比べるとというレベルでの話。
本来高麗門ってのはものすごく格の高い門です。
そんな門が庶民の通用門として設けられてるってのはかなり違和感。
本当はもっと簡素な棟門程度のものだったのかもしれません。
そんなふたつの門の間にある建物が番所。
その名の通り、見張りのための部屋です。
と言われてはいますが、本当の用途は不明。
番所として使われたというのはあくまで想像上の話であって、単なる倉庫だったのかもしれないし、何らかの宗教上の施設だったのかもしれないし。
分かっているのは、ここにこのサイズの建物があったという事実だけです。
中はさっぱりとした板敷きのひと間。
特に面白い見所はありません。
居住性については結構良さげ。
板でびっちり囲まれてて断熱性高そうだし、普通に生活して全然問題なさそうな雰囲気。
意外と僧房や宿舎として使われていたのかもしれません。
そのちょっと向こうには厠(かわや)。
トイレですね。
この厠、結構大きめの建物なのに中は個室二つだけです。
えらい余裕を持った造り。
さらに外には待合、つまり順番待ちのベンチまであります。
意味不明ですわな。
待合作るスペースあんなら、そこもトイレにすりゃそもそも待たんでええんでないの?と思うんですけどね。
これも修行なんですかね?(←何の?)
ここに面白い考察をした案内板がありまして、この厠跡の土を分析した結果が解説されています。
つまりアレね、当時のウ〇チの残骸を科学分析したのね。
その結果、昔どんなものが食べられていたのかが分かるんだそうです。
うーん、歴史学には色んなアプローチの仕方があるとは思うのですが。
まさかの「ウ〇チ分析」。
引くわー(笑)。
ドデカいカネをぶっ込んで復元された大宮坊跡。
税金の使い道問題は置いといて、まー見事です。
よー出来てます。
門からトイレからウ・・・あ、まあ色々。
じっくりとご覧ください。
次回は残りの後半部分を見て行きます。
こちらは再現ではなく遺構中心。
ちょーっと想像力必要ですが、それもそれで面白いですよ。
関連タグ >> お寺 石動山 大宮坊跡
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