店主たみこの観光案内ブログ

石動山 ふもと編 廃仏毀釈なんてやった明治政府のバカ!

2022年01月19日

石動山の案内板

 

古代から近世にかけて、人々の信仰の拠点だったお山、それが石動山(せきどうざん)です。

 

ここね、スゴイとこだったんですわ、昔は。
何がスゴイって、山のそこら中がお寺だったんですよ。
アッチもお寺!コッチもお寺!
言ってみればこの山全体がひとつのお寺だったんです。
今で言えば高野山とか比叡山のイメージ。
あそこに匹敵するような宗教都市がかつてここにあったのです。

 

石動山の全体図

 

では全体図から。

 

基本的な入山口は仁王門跡、伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)横、大宮坊跡横の3ヵ所。
そこからハードな山道をえっちらおっちら登って、山頂の大御前(おおごぜん)がゴールとなります。
時間的には1時間もかからないレベル。
頑張れば、半日で3往復はできます、しんどいけど。(←したのか?)

 

これ全部一気に紹介すると長くなるので、「ふもと」「伊須流岐比古神社ルート」「仁王門跡ルート」の3パートに分けて見て行きます。
今回はまずふもとの様子から。

 

日澄寺の山門

 

スタートは日澄寺(にっちょうじ)。
石動山の中で唯一現役のお寺です。

 

いきなり素敵なのですわ、山門。
石垣の上にガスッとそびえる四脚門。

 

ぶっちゃけ派手な見所なんて何もない、地味な門なんですけどね。
でもそれが逆に味になってると言うか、しみじみ~と心に染みてくるようで。
ボロさが醸し出す哀愁がなんともムーディー。

 

日澄寺の本堂

 

その先には本堂。
これまた色気のない、こざっぱりした建物。

 

なんか廃墟感全開ですな。
人の気配を全く感じない、いかにも山奥の忘れられたお寺的な雰囲気。

 

実際ここは無人のお寺です。
法要なんかが行われる時だけ、スポット的に人が来ます。
管理は妙成寺が行っているそうです。

 

本堂の内部

 

こちらは本堂内部の様子。
なん~とも厳粛な雰囲気。

 

外観のわりに中は意外ときれいですね。
柱なんかまだツヤツヤしてます。
なんでも明治22年建立との事ですが、それ以上の若々しさ。

 

須弥壇の上には何が祀られているんですかね?
日蓮宗のお寺なので恐らくは曼荼羅が掛けられていると思うのですが、この角度からじゃ何も見えない。

見たいな~~!

 

宝池院跡

 

その先に現れるのが宝池院跡。
名前から分かる通り、「元」お寺です。


かつてこの場所には3棟(と思う)のお堂が建てられていました。
その痕跡がゴロゴロ転がっている石の列。
この石は「礎石」と呼ばれるもので、柱の根元に土台として置かれたものです。

 

宝池院跡にある基壇

 

ちょっと謎なのがこの基壇。
現場には何の案内もなく、この上に何が乗っていたのかは全く不明。

 

なんじゃろね、コレ?
サイズから考えて仏像でも置いてあったのか、あるいは祠でも建てられていたのか。
今となっちゃ永遠の謎です。

 

石動山の旧観坊

 

そのままスタスタ進むと、今回のメイン、旧観坊に出ます。

 

先に書いた通り、石動山ってのは古来より信仰の聖地として栄えた山で、最盛期には360の坊舎が並んでいたと言われています。
それが明治初期の廃仏毀釈で次々と失われ、現在残っている建物はこの1棟だけ。
いわば失われた石動山信仰の忘れ形見みたいなモンです。

 

(※先に見た日澄寺は廃仏毀釈後に創建されたお寺なので、昔から残る遺構ではありません)

 

旧観坊の軒下

 

全体としては木造+ゴツイ茅葺の、農家的な造り。
ただこの軒下の垂木(たるき・連続して並んでいる角材)や雲形文様を施した舟肘木(ふなひじき・横材を支える補強部材)にちょっこりと寺院建築の様式が見られます。

 

用途は何だったんですかね?
外観的に本堂的な雰囲気はないし、恐らくはお坊さんが生活した僧房ではないかと予想しますが、真相は不明。

中に入れないので、間取りも一切不明。


見たいなー室内。

入れてくれーーー!!

 

床下の薪と屋根の煙出し

 

縁の下には薪がびっしり、屋根の上には煙出し。
これは中に囲炉裏があることを物語っています。

 

今も炊かれてるんですかね、この囲炉裏?
茅葺屋根ってのは時々、というか基本毎日、囲炉裏の煙でいぶしてやらないと痛んじゃいますからね。
薪の状態も長期間ほったらかしにされてる感じがしないし、ひょっとしたら誰かが定期的に来て、この薪を燃やして囲炉裏を炊いているのかもしれません。

 

旧観坊横の石垣

 

建物とは関係ないけど、横の道路に出るとちょっと面白いものが見られます。
分かりますかね、石垣の模様に違いがあるのが?
手前側は粗く、奥は石のサイズがそろってて並び方も均一。

 

手前の粗い方は間違いなく昔の物ですね。
野面積みなので少なくとも江戸以前、石動山がバリバリ信仰の聖地として稼働していた頃に積まれたものでしょう。
それに対して奥は、多分だけど、昭和くらいのものじゃないですかね。
恐らく道路を真っすぐ通すために出っ張ってる部分を削り取り、その削った所を石垣で補強したのでしょう。
一応「石垣」→「石垣」と連続させて景観を壊さないように配慮している努力は分かりますが、でも全然フィットしてねーな(笑)。

 

石動山の性空坊跡

 

その奥に行くと重蔵院跡、千手院跡、性空坊跡など、いくつかの寺跡が見られます。
ただそのどれもが今では空き地。
全ては廃仏毀釈の仕業です。

 

見たかったな~当時の眺め。
きっとこの辺全部、メチャメチャ深淵な宗教空間を作ってたんだろうな~。
ああーー廃仏毀釈!!ハラ立つーーー!!!(怒)

 

旧観坊の背面

 

石動山が賑やかだった頃の建物が唯一残るふもとエリア。

 

今はシンとしてるんですけどね。
そこを色々想像し、往時の様子に思いを馳せながら歩き回るのが石動山散策の楽しさです。
どうぞお散歩の際には、想像力をフルに回転させて遊んで下さい。

 

次回は伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)横からのルートを紹介します。
いよいよ五重塔が登場です!



ナンもないけどな。(←?)

 

 

石動山

住所:石川県鹿島郡中能登町石動山

TEL:0767-76-0408(石動山資料館

ホームページ:石川県観光連盟公式サイト

 




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関連タグ >> 遺跡 石動山 お寺 

 


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