店主たみこの観光案内日記

好古園

2019年06月29日

好古園

 

姫路城のすぐそばに、ひっそりと地味にたたずむ施設があります。
好古園(こうこえん)です。

 

こちら、いわゆる日本庭園なんですが、作られたのは比較的最近の平成4年です。

姫路市制100周年を記念して作られたんだそうで。
なので江戸時代から着々と手を入れられ続けてきた、みたいな歴史ある庭ではありません。

 

この場所は元々西御屋敷や武家屋敷などがあった所で、昭和60年から発掘調査が進められてきました。
その際に明らかになった区割りや通路を元に全体を構成し、各屋敷跡を個別の庭園へと作り替えたのです。
庭だけでなく建物や塀にまで江戸期の仕様が再現されており。
ノスタルジックな時代感が、そこかしこで楽しめる場所となっています。

 

まず入口を進むと正面に見えてくるのが、でん!とそびえる薬医門(やくいもん)。
両脇を漆喰壁の白に挟まれ、屋根には重厚感満点の黒の本瓦。
そして色合い深い鏡柱に、上部をガシッと支える冠木。
前から見ても後ろから見ても。
ひたすらカッコイイ!!

 

その門を抜けると、その先には活水軒(かっすいけん)。
ここはレストランです。
あとトイレはここだけですので、御用のある方はこちらでどうぞ。
用のない人はとっとと次へ。(←!)

 

見所はこの活水軒の先にある渡り廊下。
ここの空気感がもう格別なのですよ。
通路って普通真っすぐシャキッと通すものなのですが、ほんの~りカーブしてまして。
この曲線の柔らかさがなんとも美しい。
さらに左を見ると段落ちの滝、右側には大池。
さらさらと流れる水の音が、何とも言えない情感を誘います。

 

その渡り廊下を渡り切ると次にあるのが潮音斎(ちょうおんさい)。
これは目の前の池を愛でるためにあつらえられた建物です。
ここから望む池の眺めがまた素晴らしいのですよ。
水の中には幾匹もの大きな錦鯉がゆらゆらと往来し。
所々に配された庭石は重く力強く。
周囲には季節により様々な色どりを見せる木々。
その静かな世界の中で、対岸にある滝だけが雄々しい動感を創り出す。
日本庭園のエッセンスをぎゅっと凝縮したような、何とも言えない心地よい空気が楽しめます。

 

そこから先はややグレードダウン。
サイズ的にもひと回りコンパクトな庭がつらつらと続きます。
これら各庭には「水」「夏木」「松」など、それぞれ独自のコンセプトが設定されており。
これはこれでなかなかに風情があるものの、前半部分のインパクトが強烈だっただけにどうにも力不足。
ここはむしろ武家屋敷をそのまま再現した方が面白かったんじゃないかと思うのはわたしだけですかね?

 

あと門の扱いがやけに軽く。
各庭の入口にそれぞれ門が備えてあるのですが、全部同じ設計・デザインなのですよ。
せっかく庭の造りや四阿(あずまや)に色々な個性を持たせてあるのに、その入口がどれも同じ紋切り型ってのはちょっと退屈。
ここまでやったんなら、ぜひ門ひとつひとつにも個別の意匠を持たせて欲しかったな~、なんて思ってしまいます。


みたいな感じで、前半・後半の興奮度のアップダウンが激しい好古園。
もう少し全体をしっかり練り込んで欲しかったと思うわたしは。
ただの面倒くさい客ですかね?(笑)



園のすぐ隣は姫路城。
姫路城とこことのセット訪問は定番中のド定番です。
共通チケットを買えばちょびっと値段もお安くなりますし。
行く時はぜひ両方まとめてご覧になってください。

 

 

好古園

住所:兵庫県姫路市本町 68

TEL:079-289-4120

 

 

関連タグ >> 庭園 

 


チャーシュー亭 トッピング丼

2019年06月25日

チャーシュー亭 トッピング丼

 

金沢市もりの里。
すぐ先には金沢大学の角間キャンパスがあり、ここはいわば金大生のベッドタウンとなっています。
なのであちこちに学生向けのアパートがいっぱい。
そして学生街となれば、当然食べ物屋さんもいっぱいあるわけで。
ここもりの里は食べ物屋さん激戦区となっています。

 

そんな厳しい環境の中で頑張っているお店のひとつ。
それが今回行ってきた『チャーシュー亭』です。

 

店に入ると、まずは券売機。
何を食べるかここでじーーっくり考える。
アレもコレもいいんですが、この日選んだのは”トッピング丼”。
食券を発行して、カウンターで渡して、10分ほど待機して。

 

デ・キ・ター!!

 

それではチャーシュー亭にてド定番のトッピング丼。
張り切ってもぐもぐ食べたおしましょう!

 

チャーシュー亭のチャーシュー

 

チャーシューは大きさ・厚みともに普通。
枚数は数えてないけど、いっぱい。

 

肉質やわやわ。
バラ肉なので脂が多く、脂身はとろ~りゼリー状。
甘くて重くて濃密感満点!

 

肉の味はがっしり。
塩と醤油が程よく効いてて、きりりとした締まりがあり。
でもうま味はノリノリに乗ってて。
豊潤かつ重厚な美味しさ。

 

トッピング丼のごはんと具

 

そのチャーシューをごはんと共に頬張る。

 

ごはんは炊き立てつやつや。
しっとりみずみずしく、優しい甘みをふわりと湧き出す。

 

ここにどすんと乗っかるやわやわチャーシュー。
肉のうま味がずしっと沈み。
脂の甘みがとろ~りと滴り。
ごはんの水気が味の流れをぐんと伸ばして。
味わいのボリュームがずんずん盛り上がる!

 

さらにザクザク食感のキムチ。
キンと伸びるスパイスがしみ入るほどにすがすがしく。
中央の温泉玉子をぷちゅんと潰すと、液状の黄身がべっとりとあふれ出し。
甘い甘い濃密な甘みを広げる。

 

この全てを頬張りながら。
舌の上に味を転がし転がし。
もんぐもんぐ噛んで噛んで噛みまくって。
のど越しを楽しんで。
すかさず次のひと口を口に入れて。
再び味わいを楽しむ。

 

ああ・・涙・・・♪(←謎)



そんな幸せを思いっ切り満喫して。
完食。



チャーシュー亭の”トッピング丼”。
豚肉の味が存分に活きた、肉食系おコメ族には超ストライクの。
食べ応え満点のダイナミック丼でした。



ごちそうさま。





 

[参考]
・トッピング丼:650円
・特盛:120円

 


 

 

チャーシュー亭杜の里店

住所:石川県金沢市もりの里 1-149

TEL:076-260-0010

 

 

 


石川ルーツ交流館

2019年06月22日

石川ルーツ交流館

 

県名は石川県。
県庁所在地は金沢市。

 

なんで?

 

隣の富山県は富山市、福井県も福井市。
でも石川県は金沢市。

 

なんで?

 

これは明治期、現在の都道府県制度が定着するまでの間のややこしい経緯が原因です。
一時期金沢県時代ってのもあったらしいのですが、なんやかんやでごちゃごちゃやってる内に石川県って名前に変更されて。
そのまま現在に至る、と。

 

さっぱり分からん??(笑)

 

実はそのごちゃごちゃの中心となったのが、ここ石川ルーツ交流館のある美川なのです。

 

事の起こりは1871年の廃藩置県。
この法令により江戸時代から続く「藩」が廃止されて「県」が置かれ、現在の石川県域には「金沢県」が誕生しました。
県庁所在地は金沢市。
つまりこの時点では金沢県+金沢市、というとても分かりやすい状態でした。

 

コトをややこしくしたのはその後。
1872年4月、突然県庁を美川に移転したのです。

 

これについては当時大参事(現在の知事)だった内田政風(うちだまさかぜ)が薩摩藩出身だったため、旧加賀藩士がうじゃうじゃいる金沢は色々と煩わしかったためと言われています。
まあ実際そうだったのでしょう。
そしてその際、ついでに県名も変えてしまえと「美川県」の名前で政府に申請したそうです。
しかしどういう事情でか「美川県」は却下、代わりに美川のあった石川郡にちなんで「石川県」という名前が付けられました。
ところが翌73年1月、1年も経たないうちに県庁が再び金沢に戻されます。
この時再度「金沢県」が復活するかと思いきや、県名は「石川県」のまま保留。
ここに県名「石川県」県庁所在地「金沢市」の名前別々状態が生まれました。
その後もこの状況はずーっとずーっと続き。
そして今も続いているのです。

 

なので美川はいわば「石川県」の名称が生まれた「ルーツ」とも言える場所なのです。
『石川ルーツ交流館』、ぱっと見なんの事かよく分からんこの施設の名称には、そんな意味が込められているのです。

 

館内では様々な資料と共に、そのあたりの経緯を紹介。
「石川県」の名前がどのようにして生まれたかを説明しています。
中には当時の知事室の再現なんかもあったりして。
ここ美川こそが石川県のルーツなんだ!と力強く主張しています。

 

一時期だけであったにせよ、この地にかつて県庁があったんだという事実。
それは地元の人にとっては、ちょっとした誇りなんでしょうね。

 

ただ。

 

ただね。

 

問題はここから先。
かなり妙なことになってます。

 

まず登場するのが、手取川の解説コーナー。
かなりのスペースを割いてます。
え?ここって「石川県」の名前のルーツを紹介する場所じゃないの?

なんで突然手取川?と多分混乱するはず。

 

手取川とは石川県最大の一級河川で、古来より流域一帯に豊かな恵みをもたらしてきました。
しかし同時に洪水等の自然災害も度々引き起こしてきた暴れ川でもありました。
そんな手取川とどう向き合い克服してきたかという歴史、つまり治水の経緯を詳しく紹介。
さらに生態系や民話にまで話が及び、ひたすら手取川愛の話が続きます。

 

かなり???です。

 

で、終わるのかと思うと、今度は北前船コーナーが登場。
かつてこの地に寄港し港町として大いに栄えた北前船時代の様子を、数々の資料と共に紹介しています。

 

「石川のルーツ」→「手取川」→「北前船」??
繋がりが全然見えてきません。

 

激しく混乱しまくっていると、次に現れるのがお祭りコーナー。
毎年5月に行われる藤塚神社のおかえり祭りに使われる山車や関連する品々、さらに祭りの様子まで。
音声と共に元気いっぱい紹介しています。

 

この辺まで来るとようやく、ああ最初から1本のテーマでまとまってる訳じゃないのね、とようやく腑に落ちます。

 

そしてトドメが奥田敬和コーナー。
ここで突然個人にスポット。

 

奥田敬和さん、知ってます?
1969年から30年に渡って国会議員を務め、国政において数々の要職を歴任してきた超大物です。
現役時代はテレビのニュースなんかでもしょっちゅう登場してたので、今でも知ってる人は多いはず。
彼は美川の名誉町民だったそうで、彼にまつわる遺品や生前の業績などがつらつらと紹介されています。



石川ルーツ交流館。

 

石川県のルーツだったり。
手取川の解説だったり。
北前船の歴史だったり。
お祭りの紹介だったり。
奥田敬和人物伝だったり。

 

色んなテーマがごちゃ混ぜのカオスな世界。
結局なにがしたいのか、見てると多分段々???な気持ちになってくるはず。

 

でも!!!!

 

どうかその辺はあまり深く考えないでください。
ここは石川県の起源と美川一帯の文化・歴史を知る場所なんだと捉えて、軽い軽い軽ぅ~い気持ちでお越しください。

 

と思って行っても???になるんだけどね(笑)。



川を渡ったすぐ先には呉竹文庫があります。
ここは元個人図書館だったところ。
建物が古く渋く、地味~~~に味のある場所です。
石川ルーツ交流館と共通入場券となってますので、こちらもぜひ見て行ってください!

 

 

石川ルーツ交流館

住所:石川県白山市美川南町 138-1

TEL:076-278-7111

 

 

関連タグ >> 美術館・博物館 

 


九谷陶芸村

2019年06月18日

九谷陶芸村

 

石川県の誇る伝統工芸九谷焼。
そのお店がズラリと軒を連ねているのが、ここ九谷陶芸村です。
イメージ的には「九谷焼ストリート」って感じでしょうか?

 

日本三大陶磁器と呼ばれる美濃焼・瀬戸焼・有田焼。
九谷焼はその内のひとつ、有田焼をルーツとします。
加賀藩の分藩である大聖寺藩の後藤才次郎が有田に渡って技能を習得し、この地に持ち帰ったのが始まりです。
その後藩の主力産業とすべく盛んに焼かれますが、どういう事情でかわずか50年で廃窯とされ、一旦はその歴史を閉じます。
それが復活したのが江戸後期。
京都からやって来た青木木米(あおきもくべい)が開いた窯を皮切りに、再び各地で焼かれ始めます。
そして現代にまでその系譜が続いているのです。

 

この九谷焼のお店ばかり集めたのが九谷陶芸村。
通り沿いにあるお店は全~~~部九谷焼のお店。
なかなかに見応えありますよ!

 

店先にはワゴン。
お買い得品を山積み。
どれも値頃感のあるものばかり。
もちろん贈り物として使えるような高価なものもちゃんとあります。
自分で使うのか?人にプレゼントするのか?
用途に合わせた自由な選択ができます。

 

お店だけじゃありません。
通りの中央にはカッコいいモニュメントがででーん!
全高4.7メートルもの巨大なステンレス製のリングがあります。
インパクト強烈です!

 

このリングは九谷焼の過去・現代・未来をイメージしたものだそうで、輪=終わりのない発展を意味するそうです。
さらにリング内は階段を伝ってくぐれるようなっており、、各ステップには赤・黄・青・緑・紫の5色があしらわれています。
この5色は「九谷五彩」と呼ばれるもので、九谷焼の絵付けに使われる5色の絵の具を表しています。

 

観光客がこのリングを背景に写真をパチリと撮る姿は定番の光景。
インスタ映えを狙うなら、ここは絶対外せませんよ!

 

さらにその奥には九谷焼陶芸館。
ここはいわゆる体験型の施設となります。
絵付けやロクロ体験などができ、自分だけのオンリーワン作品の制作が楽しめます。
ただ見るだけじゃなく実際に製造の現場にも触れてみたいって人は、ぜひ挑戦してみてください。

 

その向かいには九谷焼技術者自立支援工房。
ここは観光客向けというより、作家の卵を育てるための施設です。
まだまだ無名の若い作家さんたちの作品が販売されており、時には作家さん本人にも会えます。
運が良ければ、未来の大作家さんとの縁が生まれるかもしれませんよ!

 

さらに最奥には九谷焼技術研修所。
ここは観光客向けの施設ではなく、学校です。
陶芸作家を志す人のための技術指導センター。
ここで日々作家の卵たちが技術の習得に励んでいます。



九谷焼に気軽に触れられる九谷陶芸村。
買い物するもよし、体験するもよし。
そして未来の作家さんを応援するもよし。
ここには九谷焼を取り巻く今と未来がぎゅっと詰まっています。
そんな空気をぜひ感じてみてください。

 

すぐそこには九谷焼資料館や浅蔵五十吉美術館なんかもあります。
九谷焼をより深く理解したければ、ぜひこちらにも足を運んでみてください。

 

 

九谷陶芸村

住所:石川県能美市泉台町 22

TEL:0761-58-6102

 

 

 


福井城 山里口御門

2019年06月15日

福井城 山里口御門

 

福井県福井城。
かつて徳川家康の次男結城秀康(ゆうきひでやす)が築いた城です。

 

造られたのは関ケ原の合戦直後。
完成まで実に6年もの工事期間を要した大プロジェクトでした。
当時は広大な敷地を4重5重もの水堀で厳重に囲った、強大な大城郭だったそうです。
その影には隣藩加賀百万石の存在があり、万が一前田が挙兵した際、その押さえの城としての役割を想定していたと言われています。

 

そんな福井城の心臓部とも言える本丸西側に設けられた出入り口が山里口御門です。
オリジナルは明治期まであり、今でも古い写真でかつての様子を見ることができます。

それが廃城令のせいですかね、理由と時期はよく分かりませんが、取り壊され一旦は姿を消すことになります。
それが近年になり「県都デザイン戦略」プランの一環として復元構想が浮上し、平成28年に着工、翌年に完成しました。
こうして100年(くらい?)の時を経て、山里口御門が再び我々の目の前によみがえる事となったのです。

 

これがなかなかいい出来で。
戦国ムードむんむん!

 

堀を渡ってまず目の前にそびえるのが棟門(むなもん)。
県産のケヤキ材を使った頑丈な門です。
装飾には至る所に黒金具があしらわれ、重々しく頑強な圧力で迫ります。

 

あーっと、棟門って分かります?
門扉両側に備えられた2本の太い鏡柱と、上部に切妻屋根を備えた構造の門のことです。
この鏡柱の後ろにさらに控え柱を2本据えた門が薬医門(やくいもん)、その控え柱と鏡柱の上に屋根を備えた門を高麗門(こうらいもん)と呼びます。
格的には、高麗門>薬医門>棟門って感じですかね?
さらに棟門の格下的な門に屋根を備えていない冠木門(かぶきもん)ってのがありまして、そのさらに・・・まあいいや、長くなるし(笑)。

 

棟門を抜けると、目の前に現れるのが四角形の空間。
この空間、「枡形(ますがた)」と呼ばれるもので、いわば敵を足止めするためのスペースです。
仮に棟門を破られてもここで敵をとどめ、上空から鉄砲や弓矢を使って袋叩きにするという仕掛けです。

 

その枡形の先にあるのが第二の門となる櫓門(やぐらもん)。
櫓門とはその名の通り、櫓と門が一体となったものです。
櫓上は小さな部屋となっており、ここに兵や武器を配備し、攻めてきた敵を上からガンガン攻撃するわけです。

 

以上のストーリーを敵側目線からまとめるとこんな感じ。

 

・目の前に水堀、細い橋を渡るしかなく大軍で攻めても数の優位を生かせない
・橋の先には棟門。分厚い扉を破るだけでも一苦労なのに、その間にも城からガンガン反撃される
・やっと棟門を開けるとその先にあるのは枡形、でもすぐ先に頑強な櫓門があるので前に進めない。枡形内で立往生してる間に四方八方から鉄砲や弓の雨が降り注ぐ
・櫓門突破、やっと城内に侵入!

 

と、いくつもの関門を乗りえないと城内に攻め入れないのです。
仮に入れたとしても、ここまでで膨大な戦力を削られるわけで。
いや~~恐怖ですな!



福井城の山里口御門。
どうかご訪問の際には、城攻め兵になった気持ちで。
あっちから鉄砲、こっちから弓矢、おおーーっと突然長槍が飛び出したー、なんてイメージしながら歩くと。
生きた心地しませんよ(笑)。

 

櫓門内部は展示室になっていて、自由に観覧できます。
福井城に関する歴史などがつらつらっと見られて、初めて来た人にはとても参考になるはず。
映像資料などもありますので、どうぞ休憩ついでに腰を下ろしながらゆっくりと眺めて行ってください。

 

 

福井城

住所:福井県福井市大手 3-17-1

TEL:0776-20-2051

 

 

関連タグ >> お城 福井城 

 


 


 

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