小嶋山 妙観院 後編◆寺に伝わる7つのミステリーを追え!
2022年04月18日
入口の山門がいきなりカッコいい妙観院(みょうかんいん)。
前回はそのエントランスから堂内までの様子を見てきました。
今回はこのお寺に伝わる7つの謎を追っていきます。
さてこの7つの謎巡り、山門から入場してはいけません。
スタート地点が別にあります。
それがこの階段。
駐車場の脇にあります。
現場には何の案内もなく、この階段って勝手に上がってもイイの?的な雰囲気がありますが、大丈夫です、上がってください。
その先に第1の謎があります。
それがこのお堂。
謎のタイトルは『観世音菩薩の不思議』。
中には観音像が収められています。
この観音像、あるいわれがあります。
それは空海手彫りの像という伝説。
真偽は不明(って言うかンなわきゃないんだけど)ながら、言い伝えによるとこの地に観音経が書かれた流木が漂着し、それを空海が自ら彫り抜いて作ったものなのだとか。
お堂内部の様子。
中央にある厨子の中にその観音像が祀られています。
いや見たいなー、空海手彫り(と言われている)観音像!
でもこの像ね、33年に1度しか公開されないのですよ。
次回は2025年らしいので、これを見逃すともう一生見られない!
忘れずに見ないとーー!!
第2の謎、『「竹に虎」の釣鐘の不思議』。
なんかよー分からんタイトルなのですが、ミソは鐘の竜頭(りゅうず・鐘を吊り下げるカギ)の部分。
虎と(角度的によく見えんけど)竹があしらわれています。
竜頭の名が示す通り、通常ここには龍があしらわれるのが基本。
でもなぜか虎と竹なんです。
この虎と竹には女霊を鎮魂する意味が込められていると言われています。
それにはこんな言い伝えがあります。
むか~し(理由はよく分からんけど)入水自殺した女性がいました。
その後女性は龍へと姿を変え、お寺の鐘をかっさらっては海へ持って行くようになったそうです。
そこで対抗措置として取られたのがこの虎の竜頭。
鐘に虎の霊力を込めて、龍の邪力にぶつけたのです。
虎と龍、ガチンコ一騎打ちの結果については語られていませんが、最後には七日七晩の手厚い供養を受け、女性は無事成仏しました。
と、こんなお話。
なんか考えれば考えるほどツッコミ所満載。
一応コメントは控えときます。(笑)
第3の謎、『弁財天の不思議』。
この祠の奥に祀られている弁財天像がその謎の主役。
この像、なんとあの気比神宮から流れてきたものなのだそうです。
ない!ない!ない!
絶対ない!
距離にして200km強だよ!?
そんな所からどんぶらコどんぶらコとここまで流れ着くわけがない。
しかも七尾は内海になってるから、半島をわざわざ回り込まんとたどり着けんし!
その疑惑(?)の弁財天像がこちら。
ふっくらしたお多福さんのような顔立ちで、一面(多面かもしれない)八臂(はっぴ)、つまり顔がひとつ・腕が8本の坐像。
正面に回している左右の手の中には何もありませんが、指の形から推察するに、恐らくかつては琵琶を抱えていたと思われます。
い~いですわね、この像。
包容力がありそうと言うか、メッチャメチャご利益ありそう!
第4の謎、『そうめん不動尊の不思議』。
そうめん不動尊とはこの不動明王像。
なにが「そうめん」なのかと言うと、このお不動さん、そうめんを配って歩いたそうなのです。
なんやらお寺が忙しいのでお手伝いしてくれたんだとか。
なんて気が利くお不動さん!
そうめんを茹でたのもお不動さんなのかな?(←気になるのソコか?)
第5の謎、『夫婦岩の不思議』。
この岩、仲良く寄り添っているように見えるので、夫婦円満の象徴とされているそうです。
ゆえにこれを眺めているだけで、家庭円満や子孫繁栄のご利益にあずかれるのだとか。
コレ多分アレでしょうね。
性器信仰。
本来は夫婦じゃなくて女性器をイメージしたものが、時代と共に仲良く寄り添い合う夫婦岩へと話が変わり、現代に残ったのでしょう。
子孫繁栄のご利益があるとされているのは、恐らくはその名残りですね。
第6の謎、『底なし池の不思議』。
この池の中央に大きな穴が開いていて、海にまで繋がっているそうです。
残念ながらこの日は水が濁っていたため、穴の存在は未確認。
でもあるんでしょうね、あるってんですから。
とは言え本当に海に繋がっているかどうかはかなりマユツバ。
だって池には鯉がスイスイ泳いでるし。
本当に海に繋がってたら潮が混じるから、鯉なんて生きられないでしょ?
あくまで伝承の類と思われます。
そして最後、第7の謎、『獅子岩と鼓岩(つづみいわ)の不思議』。
これはちょっとロマンチックなお話でして、手前の草ぼーぼーの丸い岩が獅子、奥の縦長に立っている岩が鼓岩です。
この獅子岩が鼓岩の音色に合わせて踊るんだとか。
こんな話、好きだなー。
すごーく素朴で平和で。
そんなイメージでこの眺めを見てると、なーんかほのぼのと心温まる気持ちになってきます。
以上、妙観院に伝わる謎を1~7まで追ってきました。
思わずツッコミを入れずにいられないものから、人のイマジネーションの豊かさを感じずにはいられないものまで色々。
ちょっとした異界巡りみたいな感覚が楽しめます。
現地を訪れた時はひとつひとつじっくり吟味して、想像力をめい一杯働かせて遊んでいってください。
全部回った人にはご褒美としてお不動さんがそうめんをふるまってくれるかもしれませんよ~♪
小嶋山 妙観院 前編◆現世の竜宮城へようこそ
2022年04月16日
7つの謎を持つ、ザ・ミステリーなお寺、妙観院(みょうかんいん)。
いいのですわ~ココ♪
神秘感むんむん!
ちょっとした異次元ワールドになっています。
場所はかつて前田利家が築いた小丸山城のすぐ近く。
通り沿いで駐車場もあるので、比較的アクセスは良好です。
いきなりコレですわ。
まるで龍宮城の入口のような唐門!
誰よ?コレ作ったの?
インパクトスゴ過ぎやん!
カッコ良過ぎやん!
スペシャル過ぎやん!
門の形式としては、二階建ての楼門形式。
屋根は黒瓦の切妻造りで、その中央には優美なカーブを描く唐破風(からはふ・飾り屋根)がスラリ。
二階部分には3つの開口部があり、真ん中に桟唐戸(さんからど)、その左右に寺院建築特有の花頭窓(かとうまど)を配したシンメトリー(左右対称)構成。
そして最も特徴的なのが上下のバランス。
ごっつり重厚な上部と白い曲線が軽快な下部とのコントラストがまーもー見事!
美しさと宗教的深淵さが融合された、素晴らしいビジュアルです。
ここですかさず門をくぐりたい所ですが、その前にちょっと脇の崖をチェック。
ざっくり削られてます。
明らかに水による浸食の跡。
いわゆる海食崖(かいしょくがい)ってヤツです。
実はこの場所、今じゃちょっと想像できませんが、明治期に干拓が行われるまでは海の上の孤島だったんだそうです。
この崖はその名残りなんですね。
断面が砂・泥の互層になっているので、恐らく元々は海の底だったのが隆起して陸になったと思われます。
さらにもうひとつ、こんなのもあります。
弘法大師(空海)像。
制作は比較的最近の第二次大戦の末期頃で、田中太郎という彫刻家の手による作品です。
何でも当時このお寺に疎開していて、その時に制作したものなのだそうで。
実はこのお寺、とある縁でこの空海と直接繋がりを持っています。
その話については次回詳しく紹介します。
そしてようやく境内。
中央には本堂がどーん!
大屋根がばっさりかぶさる建物はなかなかの重厚感。
年季の入った漆喰の白の深みが素晴らしいですね。
縁はなく、腰回りには格子窓がぐるり。
楼門と同じくシンメトリーで設計された、安定感のある造形です。
中に入ると目の前に金剛杵(こんごうしょ)。
金剛杵とは密教で用いられる法具で、先に見た弘法大師像の左手にも握られています。
コイツで悪い仏敵をガツーン!とやっつけるんですね。
これ、ぺたぺた触ると仏の加護が受けられると言われています。
わたしも切実な願いを込めてぺたぺたやってきました。
ドン底人生よー!
どっか行けー!!!(※ネタじゃなくてリアルにドン底)
ご本尊が安置されている部屋の入口には仏足石(ぶっそくせき)。
仏足石とはお釈迦さまの足跡です。
なんか仏教と言えば色んな仏像を作っては拝んでいるようなイメージがありますが、原始仏教ではこのような偶像崇拝は禁じられていました。
でもそれじゃどーにも布教しづらい、何か信教のためのシンボルが欲しい、って事で生まれたのがこの仏足石なのです。
像や画で直接仏さまを描くのはダメでも、足跡ならいいでしょ?って事です。
なんやらよー分からんへ理屈のようですが、まあ実際へ理屈なんだけど、そんな仏足石が仏像解禁となった今でも信仰の対象としてこうして残っているのです。
身近なお寺にもきっとあると思うので、興味があったら探してみて下さい。
そしてメインとなるご本尊。
真言宗なので、そこにあるのは当然大日如来!
・・のはずなんだけど、このお寺のご本尊は阿弥陀如来らしいので、置いてあるのは阿弥陀如来像のようです。
確かにこの像、よく見ると大日如来のシンボルである宝冠を被ってないんですよね。
その前にある像はもちろん空海。
右手に金剛杵をたずさえ、厳しい目できりりと正面を見据えています。
すげーわな、このキンキラリン。
中央に四角形の天蓋(てんがい)、その左右に長細い幢幡(どうばん)。
ゴールドの光で仏のエネルギーをまぶしいほどに放っています。
仏さまってのはね、こんな感じでピッカピカに輝いてるそうですよ。
いわゆる「後光が差す」ってヤツですね。
言い換えれば「オーラ」。
わたしなんて悪のオーラでドロドロだけどね。(←?)
その隣の部屋の床の間にはなんやら仏像がゴチャゴチャ。
左側の空海上人像を除いて、あとは全部観音さまですね。
何気に右側の掛け軸がめっちゃビビッとキますね。
満月を背景に、天女っぽい女の人が龍の頭に乗って浮遊しています。
ひょっとしたら法華経に登場する龍女ですかね?
詳細は不明。
エントランスから堂内まで見所びっしりの妙観院。
アガりますゼ~♪
めちゃめちゃ心アガりますゼ~♪
ここ、本当に楽しいですから、七尾に来る機会があったらぜひ一度訪れてみてください。
次回も引き続き妙観院をレポートします。
冒頭でチラッと触れた「7つの謎」の話。
このネタに絞ってご紹介いたします。
南谷発掘地 平泉寺の町開発プロデュース力に脱帽
2022年04月13日
中世の時代、一大宗教都市を形成した平泉寺。
最盛期には周囲に6000もの僧房が建ち並んだと言われています。
そんな壮大な中世の景色を今に残すのが南谷発掘地。
平泉寺の南側に展開した僧侶の住宅街の跡地です。
まずは全体図。
現場は結構広大で、ぐるりと1周するだけで1時間くらいかかります。
ただあくまで跡地ですので、見られるのはほぼ更地のみ。
まあ散歩感覚で回ってみてください。
どこから見てっても自由ですが、今回は平泉寺側の通路からスタートします。
いきなり一発目の見所、謀反岩。
一見ただの崖ですが、この崖にはあるストーリーが隠されています。
それはお坊さんの喧嘩。
かつて平泉寺の石垣を築くにあたって、波多野玉泉坊(はたのぎょくせんぼう)と飛鳥井宝光院(あすかいほうこういん)という二人のお坊さんが意地の張り合いを始めました。
ポイントはズバリ「どちらがでっかい石を積むか」。
すげーどーでもいいこの喧嘩、最後は宝光院がこの崖からサイズ14メートルもの石を切り出そうとした所で時の有力者朝倉義景(あさくら よしかげ)がストップ。
やめとけ、と仲裁に入る事で決着をみたのです。
まーね。
あほだな(笑)。
そこからとことこっと歩くと、ひたすら段状の平地×平地が続きます。
これはすべて造成の痕跡。
元々はゆるい傾斜地だったのをこうして段々にならし、建物を建てる下地を作ったのです。
今でこそブルドーザーやパワーショベルで一気にガガガーっとやれますが、当時はこれ全て手作業でやんなきゃいけないんでね。
そりゃもー凄まじい労働量だった事でしょう。
大量の僧侶を動員できた平泉寺の力なくしては成しえない、巨大土木事業です。
そこから道なりに進むと次の見所ポイント、復元門・土塀が現れます。
ただ見ての通り、復元と呼ぶにはイマイチ中途半端な仕上がり。
本来はこんなのが一面にズバーっと広がっていたんでしょうね。
プラス建物。
そこに多くの人が行きかい、喧騒や活気にあふれた生活模様がこの場を包んでいたのでしょう。
ちょっと感じは違うかもしれませんが、こちらは金沢の長町武家屋敷界隈の様子。
石畳の細道がジグザグと通って、その両側には土塀がズラリ。
この場所もかつてはこんな眺めだったのかもしれません。
ただここに並んでたのは武家屋敷じゃなくて僧房ですからね。
もうちょっと地味でお寺の匂いがする、宗教的な空気だったかもしれません。
そこからズバッと続く石畳の通路。
この眺めも素晴らしいな~♪
ノスタルジックなムードでむんむん!
やっぱ遺跡ってスゴイわ、説得力が。
見てるだけで当時の人々の息遣いまで聞こえてきそう。
なんか突然別世界に飛ばされたみたいな不思議な感覚!
こちらはもうちょっと先の石畳通路の様子。
杉林に挟まれて、一気に趣きが変わります。
ええな~この眺めも♪
深遠な宗教的空気でいっぱい!
もちろん住宅地だった当時は杉の木なんか生えてなくて、今とは全然景色が違ったわけですが。
でも今のこの眺めもメチャメチャ素敵♪
通路脇の石垣には、所々にこんな感じの切れ目があります。
これらは全て家の出入り口の跡。
かつてはここに門があったんですね。
そしてこの門跡、よーく観察すると規則正しく配置されています。
これはつまり、計画的な町割りが行われていたって事を物語っています。
行き当たりばったりでなく、きっちり図面を引きながら町を作っていたんですね。
何気に平泉寺の高い都市設計能力が垣間見れます。
さてこれほどの隆盛を誇った大宗教都市がなんで現在の姿になってしまったかと言うと、そこには一向一揆という超巨大勢力との衝突がありました。
早い話が一揆勢によって焼き討ちをくらい、滅ぼされたんですね。
北陸の一向勢力ってのはハンパなかったですからね。
町ひとつ焼くなんて朝メシ前だったでしょう。
ある意味、狂気の集団でした。
そんな武力衝突の痕跡がこの空堀跡。
空堀とは敵の侵入を封じるための溝で、お城の防御施設の定番です。
そんなものがお坊さんの住む住宅地の前線に張られているという事実に、当時の緊張感が伺えます。
まさに臨戦態勢ですね。
恐らくこの堀に沿ってバリケードとなる高い柵もザーッと並べられていた事でしょう。
つまり都市であると同時に、要塞としての機能も兼ね備えていたのです。
その空堀の端、通路からちょっと離れたところに小さな神社がちょこん。
若宮八幡宮です。
神社と言ってもちっちゃい祠がひとつあるだけです。
ここで見て欲しいのは、その傍らに生えている巨大な杉。
この杉、先の話に出た一向一揆の焼き討ちに耐えた奇跡の生き残りなんだそうです。
確かにそう言われるとすげー樹齢古そう。
1000年くらいは生きてんじゃないかな?
いかにも霊力ありそうだ~。
中世の宗教都市の面影を今に伝える南谷発掘地。
まーいいですわ。
特に石畳の通路はたまらなく素敵ですわ。
実際にここを歩いてみなきゃ分からない、独特の空気感。
これはぜひ現場に来て味わってみてください。
すぐそこには神秘の苔ワールドが楽しめる平泉寺があります。
ここも必見。
せっかくなので合わせて楽しんでってください。
うどん亭 大黒屋 大黒 具てんこ盛りのへろへろうどんにココロ満腹♪
2022年04月11日
この日は寒かった。
フトコロも寒い。
人生も・・・寒い・・・(北風ぴゅー)。
そんな寒々モードで大黒屋へ。
うどんのお店です。
ココロもカラダも寒い日(人生)はあったかいうどんすすって温まるのです。
数あるメニューの中で選んだのは、お店の看板メニューである”大黒”。
いつも通り大盛りにして、食べたおします。
つゆは透明。
淡~い味わいの中に出汁のうま味がじわじわ~。
滋味深い甘みが染み入るように舌を舐める。
後味もいいですね。
細く長い余韻がゆるくゆる~く後を引く。
うどんは柔らか、くってんくってん。
いわゆる「飲めるうどん」。
好きなんですわ~こんなの♪
ちゅるちゅる滑って、ぷにゅんと潰れて、つゆがじゃぶっと流れ出して。
そこに小麦の爽やかな甘みと香味が重なって。
全てが優しくて、みずみずしくて。
切れ目なく、流れ込むようにつるつるつるんと喉を落ちる。
具はいっぱい。
白菜、三つ葉、なめこ、しいたけ、えのき、タケノコ、カマボコ、エビ、鶏肉、温玉。
とにかくいっぱい!
一番存在感があるのは何と言っても白菜。
ザク切りなので歯応え豪快で、しみ出す汁もツンと爽快。
淡味つゆともきれいに馴染み、出汁のうま味に葉野菜のハーブ香がしっとり溶け込む。
つるる~っと吸い込みまくって、完食。
大黒屋の”大黒”。
ボリューム満点の具、へろへろのうどん、そして淡味つゆ。
どれもわたしのハートをドキュン!とブッ刺す、ド真ん中ストライクなうどんでした!
ごちそうさま。
[参考]
・大黒:880円
・大盛り:100円
ハニベ巌窟院 不動明王~涅槃仏編◆この洞窟のフィナーレがここにあります
2022年04月09日
長々とお送りしてきたハニベ巌窟院レポート。
1回目はエントランスを。
2回目は巌窟院前の広場を。
3回目は巌窟院内入口側を。
4回目は巌窟院内地獄ゾーンを見てきました。
そして最終回の今回は、巌窟院出口側とその先にある広場を見ていきます。
では早速洞窟内の様子から。
ガーン!と登場、不動明王!
背後に火炎光を燃え立たせ、憤怒の形相でこちらを睨みつけています。
持物はお決まりの宝剣と羂索(けんさく)。
剣は敵を打ち倒すため、羂索は迷える衆生を残らず救い上げるための武器ですね。
脇侍は向かって左に制吒迦童子(せいたかどうじ)、右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)。
これもお決まりのコンビ。
制吒迦童子のシワクチャ顔が面白ぇー♪
その隣の部屋には閻魔大王。
ご存知、あの世の裁判官ですね。
意外と知られてませんが、実は死後の裁判は1回ではありません。
あの世には5人の裁判官がいて、宋帝王→五官王→閻魔大王→変生王→泰山王と7日おきに計5回の裁判が行われるのです。
なので閻魔さまの一存で全てが決まる訳ではないのです。
でも見方を変えれば、こんな怖い裁判官に5回も裁判される訳で。
どうしよう・・・・。(←悪いコトばっかやってきた人生)
なぜか突然風神雷神のレリーフ。
この画、タッチがどことなくコミカル。
なんでかなー?とよーく観察してみると、あっかんべーしてんですよね、両神とも。
仲が悪いのか?遊んでるのか?
なんかよー分からん、風神雷神図です。
もう1発レリーフ。
ミトナ像です。
前々回記事で出てきたエロ部屋にあったのと同じヤツのレリーフ版。
ただアッチほどはドギツさのない、大人し~作風になっています。
ちょっとなんかギリシア・ローマ的な雰囲気がありますね。
元々インドの仏教美術やガンダーラ美術は、オリエントの影響を強く受けて生まれたものですからね。
そんな匂いが入り込んでいるのかもしれませんね。
このレリーフ作ったのは日本人だけど。
その先には最澄と法然の像。
最澄は天台宗を、法然は浄土宗を興した人ですね。
この両像、見ての通りやけにリアルなんですわ。
写実性が強いと言うか、あんまりアート的なデフォルメがない。
基本的にここにはこの巌窟院を作った都賀田勇馬(つがた ゆうま)とその息子の作品しかないはずなのですが、この像にはそのどちらの雰囲気も感じられない。
これ本当に都賀田親子の作品なんですかね?
ちょっと違和感。
その次に現れる大きな部屋にあるのがこちら、お釈迦さまファミリー。
座禅を組むお釈迦さまを中心に置いて、高名な十大弟子が左右を固めています。
十人十様、個性豊かな姿。
質素ですな、どのお弟子さんも。
この頃の出家信者ってのは基本的に在家信者からのお布施だけで生活してましたからね。
ごくごく貧しい生活だったのですよ。
当然お釈迦さまも貧粗~な日々を送っていたと思われます。
そこから進むと小さな空間があり、そこに祀られているのがこちらの愛染明王。
「愛」の言葉から分かる通り、御縁結びの神さまですね。
わたし、仏さまの中ではこの愛染明王が一番好きでしてね。
だって「愛」に全然縁がないし。
どなたか素敵な愛染明王像、譲っていただけないでしょうか?
お礼にラーメンくらいはおごります。(愛染明王=ラーメン1杯?)
このすぐ先が出口。
巌窟院修了です。
お疲れ様!
でもね、これで終わりって訳じゃないんです。
洞窟を出た所に岩盤を掘り抜いた狭い通路があって、その先が小さな丘の上の広場へと繋がっています。
そしてそこに最後のクライマックスが待っています。
それがこちらの涅槃仏。
釈迦の入滅(にゅうめつ・臨終)の姿を描いた像です。
ここで以前の記事を思い出してください。
釈迦の生涯を辿った部屋で、なぜか釈迦の最後について触れられていませんでした。
その物語の結末がここにあるんですね。
つまりここまで登ってようやく巌窟院のプログラムの全てが完結するって事なんです。
なかなかニクイ演出じゃの~♪
意味不明とおどろおどろしさと仏教エッセンスがギンギンに楽しめるハニベ巌窟院。
とにかくね、衝撃ですわ。
ここはこんな所って分かってて行っても衝撃的。
そのくらい強烈な場所です。
どうぞ行く時は覚悟を決めてご訪問ください。
駐車場脇にはお土産物屋さんもあります。
訪問の思い出にハニベ焼きの置物なんていかがですか?
関連タグ >> ハニベ巌窟院
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