カレーショップ JINJIN ロースカツカレー 肉汁じゅわじゅわのトンカツが旨ぇ~♪
2022年05月09日
この日はえっさえっさと山登り。
しこたま登って降って歩いてを繰り返し、あー疲れたー、メシじゃー!の時間。
google様で検索し、見付けたのがカレーのお店JINJINです。
店内はカウンター+テーブル数卓。
空いている席にストンと座り、メニューを見る。
あるわあるわ色んなカレー、どれにするか迷うー!
ひとしきり悩み、最終的に選んだのはベッタベタにベタな”ロースカツカレー”。
こちらをライス200g増量して食べたおします。
ルーはトロみ強めで、ベジポタ感ナシ。
いわゆるジャパニーズ・カレー・スタイル。
味も思いっ切りジャパニーズ寄りで、スパイスの刺激少なめ、まったり、フラット。
さらさらスルスル飲み込めるソフトさ。
そんな中酸味だけはやたら強くて、表現的には「酸味が強い」というよりむしろ「酸っぱい」レベル。
ある意味独創的な味。
カツは衣サックサク。
絶妙の揚げ加減で、立ち昇る油の香ばしさが抜群。
その中に包まれたお肉はやっわやわ。
むに~んと粘って、熱い肉汁をじゅわ~と出して、うま味で舌をべたべたにして。
旨さのボリュームと密度がハンパない!
そんな旨々カツをカレー+ライスと一緒に頬張るとも~至福の嵐♪
もさもさ食べて、完食。
カレーショップ JINJINの”ロースカツカレー”。
ややルーのフラットさは気になりましたが、カツは絶品。
2枚乗せにして食べたい充実感でした。
また来ることがあったら今度は辛さは2辛くらいにアップかな~。
ごちそうさま。
[参考]
・ロースカツカレー:890円
・ライス500g:200円
金沢湯涌江戸村 旧園田家・旧野本家◆古建築はやっぱり美しい!
2022年05月07日
江戸時代に建てられた4棟の農家建築が残されている金沢湯涌江戸村。
前回はその内の2棟、旧平家・旧高田家を見てきました。
今回は残りの旧園田家と旧野本家を見ていきます。
まずは旧園田家。
いきなり印象的なのが屋根中央の煙出し。
流線型のフォルムがなんかすげースタイリッシュ。
今見てもビンビンにファッショナブルなデザインです。
中の間取りはこんな感じ。
パッと見で分かる通り、前回見た旧平家・旧高田家とはえらい違いです。
部屋数が多く広い。
詳しい事は分かりませんが、これは多分単純に経済力の差なんでしょうね。
きっとおカネあったんですよ、この家は。
なんでも加賀藩に御料紙(ごりょうし)を納めていた家だったそうで。
要は藩御用達の紙漉き屋さんですね。
きっといい商売だったのでしょう。
その紙漉きの作業をしていた部屋がこちら。
江戸時代感完全無視のパイプ椅子とかステンレス製の流し台なんかがありますが、そこはスルーで。
見て欲しいのは床。
石敷きになっています。
これは紙漉きに水を使うからです。
板だと濡れて腐るし、土間だとドロドロになるし、って事で石敷きにしてあるのです。
でもこれじゃ冬場メチャメチャ冷えそうだな(寒)。
続いて居間。
カッコエーな黒光りツヤツヤの床。
この『使い込んでる感』がたまりませんわ!
こんなん見ると、やっぱ木造っていいな~ってシミジミ思っちゃいます。
土壁もいいですね。
黒い木材とぴったりフィットしてて。
そこにさーっと差し込む明かり障子の柔らかい光も素敵!
廊下も味がありますな。
古びた床がカッコエー♪
踏み心地もいいのですよ、この床。
しと・・しと・・とひと踏みごとに吸い付くような感触。
まるで家が生きているみたい!
こちらは奥の間。
上に何か付いてるスペースがありますが、これ何か分かります?
答えは床の間。
吊り床ってヤツです。
床の間と言えば押し入れみたいに引っ込んでて、掛け軸や生け花なんかが飾られてて、横には違い棚なんかがあってってイメージだと思いますが、こんな簡易タイプもあります。
小さなスペースで取り合えず感じだけ味わえればいいわーってヤツです。
見た感じやや違和感強めなので、ひょっとしたら後付けで取り付けられたのかもしれません。
こちらは仏間。
奥に見えている仏壇は雰囲気を味わってもらうためのパネルです。
本来はここに本物の仏壇がどーん!と据えてあったみたいです。
ただそれよりも見て欲しいものが別にあります。
それはこの部屋の入口の上。
それがコレね。
長押に取り付けられている二つのフック。
これ、花嫁のれんを掛けるためのものですね。
花嫁のれんとは、輿入れの日、花嫁が嫁ぎ先でくぐるのれんです。
これをくぐってその先にある仏壇に手を合わせる事で、今日からその家の人間になりますという事を宣言するのです。
石川と富山の一部に伝わる古い風習です。
(※詳しくは→ 花嫁のれん館)
続いて旧野本家。
こちらも立派な家構えですね。
バシッと末広がりの茅葺屋根がたまらなく素晴らしい!
元々は能登の柳田村にあった屋敷で、1820年(江戸時代末期)頃の建造です。
柳田村と言えば前回見た旧平家と同郷ですが、あちらとはエライ違い。
こちらの方が露骨に広く、しかもスタイリッシュ。
なんでかね?
やっぱ経済格差なんかね?
内部の間取りはご覧の通り。
ニワと呼ばれる土間から入り、右手に次の間→上座敷と続く接客用のパブリックスペース。
それ以外が居間や納戸といった生活空間。
どことなく武家屋敷に似た構成になっていて、農家の造りとしてはやや異質。
この家、一体どういう人が使ってて、どんな使われ方をしていたんですかね。
もう少し詳しく知りたい。
土間がいきなり広いのですわ。
縦横奥行の空間的広がりが格別。
ここからもう毛並みが違いますわね。
はっきりと生活レベルの高さを感じる。
大地主とかそんな人の家だったんだったんですかね?
謎だ~~~。(悩)(悩)(悩)
こちらは居間。
部屋の中央には古き日本家屋の象徴、囲炉裏がどん!
囲炉裏の真上になんか四角い覆いみたいなのがぶら下がってますが、これ何かご存知でしょうか?
これは「火棚」と呼ばれる熱拡散装置です。
囲炉裏から上がった熱をこの火棚にぶつけて横に流し、部屋全体を効率よく温めるのです。
隠された日本人の知恵ですね。
上を見上げると屋根裏がダイレクトにバーン!
見て欲しいのは木材と木材の結合部で、なんと縄で締めて固定してあります。
これでもつのか?って感じですが、もつんですね、不思議な事に。
豪雪地帯として知られている白川郷の合掌集落なんかもこんな感じになっています。
これで雪の重さを支えちゃうんだから驚き。
何気~に頑丈な強度を実現している、ストロング工法です。
板戸。
黒漆仕上げの枠にはめ込まれた、艶やかで木目の美しい板。
てらてらと輝く鈍い色彩がなん~とも言えずクラシック。
板戸、好きなんですよ~♪
襖や障子もいいんですけどね、重厚感を求めるなら何と言っても板戸。
板の深く沈むような色調がもーー刺さるぅ!!
縁側に回るとボロボロの雨戸。
朽ちて隙間だらけ。
ボロいって素敵だー♪
こういう疲労感・使用感を探すのが、古建築探訪の楽しさ。
古い建物ってそれだけで魅力的ですわ!
この柱の使用感もスゴイですわな。
擦り傷だらけ。
何世代にも渡って使い続けられてきた証ですね。
いや~美しい♪
こちらは座敷。
意味不明に米俵が置いてあるだけで、やけに殺風景。
この部屋はこの家のファーストルームなので、本来はこんなモンじゃなかったはず。
床の間にはちゃんと掛け軸が飾られてて、花なんかも生けられてて、文机なんかもあって。
もっとビシッと整えられた堂々たる体裁になっていた事でしょう。
以上、金沢湯涌江戸村の様子を5回に渡って見てきました。
商家の旧松下家・旧山川家。
宿場問屋の旧石倉家。
武家屋敷の旧永井家・旧平尾家。
農家の旧平家・旧高田家・旧園田家・旧野本家。
どの家もそれぞれに味わいがあって楽しさがあって。
そして江戸時代の息遣いがむんむん感じられて。
いくら見ても飽きない臨場感でいっぱい!
作り物ではない「生」の江戸時代の空気、どうぞ思う存分ご堪能ください。
すぐ目の前は湯涌温泉。
江戸建築巡りをした帰りにひとっ風呂ってのも乙ですよ!
金沢湯涌江戸村 旧平家・旧高田家◆江戸時代の農家の生活はとても厳しかったんです
2022年05月04日
江戸期の建物を移築公開している金沢湯涌江戸村。
楽しいのですわ。
古建築好きには心臓ばっくん!ばっくん!するくらい楽しいのですわ。
今回はそんなタイムスリップ・トゥ・江戸時代な湯涌江戸村の農家ゾーンへと突入します。
まずは旧平家。
間取り図はご覧の通り。
旧時代感全開、めっちゃくちゃシンプルです。
元々は能登半島の柳田村にあった屋敷で、建造は18世紀中頃(江戸時代末期)。
肝煎(きもいり)、要は村の大元締めを務めていた人の家だそうです。
にも関わらずこのシンプルさ。
決して裕福という訳ではなかったようです。
家に入る前にまず屋根下を見て下さい。
茅葺が3色カラーになってます。
これ、「三段階葺き替え」の痕跡ですね。
三段階葺き替え(わたしが勝手に付けた名前だけど)とは、葺き替えの際、前回・前々回に吹き替えた茅は残して、前々々回に葺いた分のみを葺き替えるというやり方です。
以前に岡部家で見たのと同じヤツですね。
これによって葺き替えのコストと手間を減らしたのです。
入口を入ると広い土間がどーん!
この家の玄関です。
謎にだだっ広いのは作業場でもあったから。
この家は農家ですのでね、当然脱穀やら農器具のメンテナスやらの作業のスペースが必要でした。
それをここで行っていたんですね。
茶の間の様子。
ここもガッチガチの田舎の農家風景ですな。
部屋全体がえれー黒いのは囲炉裏のススが付着しているためです。
今は時間が経っているので全然感じませんが、現役当時は臭いもススの臭いがぷんぷんしてたはず。
天井裏にはマックロクロスケもうじゃうじゃいた事でしょう。(←?)
この天井の眺め、イカスわ~♪
ゴテゴテとブサイクに梁が行き交って、屋根の萱が丸見えになってて。
そのどれもがススで真っ黒にいぶされてて、ドン臭くて、でも愛おしいほどに心に沁みて。
じ~っとり見入ってしまうほどの美しさ。
原風景です!
これこそが日本家屋の原風景なのです!
この家で唯一畳が敷かれている座敷。
畳は縁に装飾のない縁なし畳。
ぶっちゃけ貧乏臭い畳です。
これは多分、江戸時代の能登の農家の生活風景をイメージしているんでしょうね。
決して豊かとはいえないこの環境。
そんな中でも人々はたくましく生きたのです。
そのツラさ、分かるぞ~~~、わたしも貧乏だから!!!(←ガチ貧乏)
続いて旧高田家。
こちらは金沢の山奥にあった家です。
建てられたのは18世紀前半。
見て欲しいのが屋根の勾配。
断崖レベルに急勾配となっています。
この角度は雪を落とすためのものですね。
こうしておかないと雪の重みで家がグチャッとイっちゃうのでしょう。
内部の間取りはご覧の通り。
これまためちゃめちゃシンプルになっています。
これでも肝煎の家だったそうで。
能登と同じく、山村の生活も厳しかったんですね。
冬場なんかはほとんど身動きが取れず、春までずーっとこの中で過ごしていたのでしょう。
ある意味シェルターです。
入口入ってすぐにあるニワ。
下は便宜上コンクリートになってますが、本来は土間でした。
すごいね、古民家感ぷんぷんで。
わたしが子供の頃は、まだかろうじてこんな家がありました、田舎に行けば。
うちの母方の実家も、流石に茅葺じゃなかったけど、こんな感じだったような記憶があります。
今はもう建て替えちゃって、影も形も残ってないけどね。
その片隅に馬屋なんてスペースがあります。
その名の通り、馬を収容しておくスペースです。
ここで冬の間馬を飼育し、夏場になるとふもとの農家にレンタルして収入を得ていたんだそうです。
臭かったろうな~、家の中で馬なんか飼ってたら。
でも室内に入れておかないと凍死しちゃうし、臭くてもガマンしてたんでしょうね。
キツイーー!!
こちらはオイと呼ばれる部屋。
今で言えばリビングルームですね。
中央には囲炉裏。
ここは生活の中心であり、家族団らんの場でもありました。
この囲炉裏を囲んで食事をしたり、内職をしたり、子供と遊んだりといった日常風景が繰り広げられていたのです。
そこには今と変わらない、温かな毎日があった事でしょう。
そんな一角に。
疲労感満点の柱~~!!
どーよ、このボロボロ具合?
割れまくりで、色落ちしまくりで、虫食い穴まで空いてて。
100年以上使い込まないと出せない独特の風情。
イケてる~~♪♪
その奥の部屋の壁!
コレもいいわ~♪
土壁ですね。
ちょっと触るとボロボロ落ちる、もろーい壁。
壁自体は2005年と比較的最近塗られたものですが、でもこのドロ臭さがなーんとも郷愁を誘って、古き時代の息吹が生々しく感じられて。
素敵だ~♪
江戸時代の農家のリアルな生活風景が見られる、旧平家&旧高田家。
質素です。
素朴です。
貧乏臭いです。
でもその雰囲気が、めぇ~~っちゃノスタルジ~♪
厳しくもたくましく生きた当時の人のパワーと温かさが今でも感じられるようです。
次回は残り2軒の農家、旧園田家・旧野本家を見ていきます。
この2軒は同じ農家でも様相がガラリと変わります。
詳しくは次回!
金沢湯涌江戸村 旧永井家・旧平尾家◆同じ武家屋敷でもこんなに違う
2022年05月02日
江戸時代のホンモノ屋敷が見られる金沢湯涌江戸村。
県内外に残っていた江戸期建築を移築公開している施設です。
その金沢湯涌江戸村に展示されている建物の内、前々回は商家を2棟、前回は宿場問屋を1棟見てきました。
今回は武家屋敷を見ていきます。
現在公開されている武家屋敷は2棟、旧永井家と旧平尾家です。
スタートは旧永井家から。
間取りはこんな感じ。
まず入口となる玄関土間があり、左手がパブリックスペースである小間&座敷。
その他が茶の間を中心とするプライベートスペースとなります。
パブリックスペースとは接客空間、プライベートスペースとは生活空間ですね。
この公私の空間分けは武家屋敷のお決まりで、以前に紹介した金沢市足軽資料館の屋敷なんかでも同じ構成が見られます。
こちらは玄関土間の上にある収納戸。
金沢市足軽資料館にもこれと同じものがありましたね。
そう、薪を収納するための場所です。
夏の間にここにせっせと薪を溜め込んで、冬になったらチマチマと引っ張り出しては燃やすのです。
この黒い戸は多分後付けでしょうね。
こんなんあったら出し入れの邪魔だし。
恐らく昭和くらいになって囲炉裏を使わなくなり、それに合わせて戸をはめてふさいじゃったのでしょう。
小間。
なんかえっれー気合の入った額が置かれています。
書かれている文字は『一身温飽愧于天』。
これは大塩平八郎の詠んだ漢詩の一節で、「自分だけが温かい服を着てお腹いっぱい食べられることは天に対して恥ずかしい」という意味です。
大塩平八郎と言えば、江戸末期に貧窮にあえぐ庶民のために反乱を起こした義人として知られています。
そんな彼の詩がなんでここに飾られているのかと言うと、この屋敷、大正から昭和初期にかけて代議士を務めた永井柳太郎(ながい りゅうたろう)の生家だったからです。
この言葉には政治を担う者はかくあるべし、という柳太郎の心意気が込められているんですね。
その奥の座敷。
ちょっと後ろがつかえてこんな窮屈な写真しか撮れなかったのですが、実際窮屈です。
この座敷だけに限らず、家全体がコンパクトと言うか窮屈です。
お世辞にも「豪邸」と呼べるシロモノではありません。
と言うのもこの屋敷、元々は足軽屋敷でした。
足軽と言えば武士身分の中でも最下層。
どこか貧祖な感じがするのはそのためなんですね。
さて、この部屋に入ったら一つ確認して欲しい事があります。
それは畳の踏み心地。
ここだけ妙に足裏に馴染むと言うか、ソフトな感触が実感できます。
分かりにくかったら隣の部屋の畳と踏み比べてみてください、はっきりと違いが分かるはずです。
理由は畳にあり、この部屋の畳、なんと職人さんが手縫いしたものが使われています。
手縫いなんて今でこそ高級品ですが、江戸時代は当然これが普通。
つまりこの踏み心地は江戸時代のものに限りなく近い、リアルな踏み心地なのです。
ここを訪れた時はそんな足裏の感触にも注意を向けてみて下さい。
次は旧平尾家を見ていきます。
外観からして先に見た旧永井家より大振り。
ガッチリとした土塀に囲まれて、エントランスにも余裕があり、明らかに格上の造り。
恐らくこの平尾家は永井家(足軽)より高い身分だったのでしょう。
現場の案内板には身分についての明確な説明はありませんが「知行70石程度」と記載されているので、恐らくは平士階級だったのではないかと。
その格の違いがこうして家の造りに現れているのでしょう。
(※加賀藩の武士身分は上から順に「人持組頭」→「人持組」→「平士」→「与力」→「御歩」→「足軽」の6階級)
旧平尾家の間取りは上図の通り。
玄関を入って左手にパブリックスペースとなる次の間→座敷。
その他の部屋が生活のためのプライベートスペースとなります。
一見して旧永井家とは部屋の数が段違いですね。
やはり両者の間に大きな身分格差があったのは間違いないでしょう。
ガツーン!と鎧が飾られている座敷。
この家のフラッグシップルームですね。
金箔貼りの天袋が光りますなー。
ステキですわ♪
そして面白いのが床柱(画像中央の柱)。
中央が黒く、左右は茶色くなっています。
これは中央部分のみ木の皮を残し、後ははぎ取ってあるからです。
何気にオシャレ感ギンギンの柱となっています。
そしてちょっと見て欲しいのが、隣の仏間との天井の高さの違い。
画像じゃイマイチ実感できませんが、座敷の方が一段高く作られています。
これはこの部屋の方が格が高いんだよ~って事を表しています。
日本家屋ってね、天井で部屋の格の違いを表現するケースが多いのですよ。
高さ以外にも格天井にしたりだとか、あるいは装飾を施したりだとか。
部屋を見る時はそんな頭の上の様子にも注意して見ていくと、色々な発見ができて面白いですよ!
居間。
室内は見ての通り質素。
特にデコレーションらしいデコレーションは何もない端正な部屋となっています。
かつてはここにタンスとか調度品とか、もっと生活臭いものが沢山あったんでしょうね。
そしてかーちゃんがいて、とーちゃんがいて、子供達がドタバタ走り回ってて。
そんなどこの家にでもある日常の風景が繰り広げられていたのでしょう。
部屋の外は広縁となっていて、そのまま背戸(せど)と呼ばれる裏庭へと繋がります。
こちらがその背戸の眺め。
これね、何気に江戸時代の武士の生活を物語っています。
四角く区切られている場所は畑。
え?武士が裏庭に畑作って作物を育ててたの?って思われるかもしれませんが、育ててたんです。
意外とね、ビンボーだったのですよ、江戸時代の武士ってのは。
だからこうやって「食う」ために自力で食糧生産をしてたのです。
決して趣味の園芸じゃないんですよ!
同じ武家屋敷でもかなりの違いが実感できる旧永井家&旧平尾家。
訪問の際にはドコがドウ違うのか?そんなテーマを持って見比べてください。
他にも色んな発見があって面白いですよ!
次回は農家を見ていきます。
田舎の農家だけに屋根はオンボロ茅葺、壁はガタガタ土壁。
旧時代の息吹が生々しくて、めっちゃめちゃノスタルジックですよ~♪
金沢湯涌江戸村 旧石倉家◆VIPのオレ様ぶりに敬礼!
2022年04月30日
金沢湯涌江戸村レポート、前回は旧松下家・旧山川家の2棟の商家を見てきました。
今回は旧石倉家の紹介。
こちらは江戸時代に宿場問屋を営んでいた屋敷です。
宿泊施設だっただけあって、規模はここ金沢湯涌江戸村で最大。
ある意味「威風」を放っています。
そのくらい堂々とした体躯。
とにかく屋根がデカいのよ。
ズシッと沈み込むようなボリューム感。
しかも反り屋根になってて、なんだかお寺の本堂みたい。
さらに建物前面の壁には白漆喰がビシッ!
何気に海老虹梁(えびこうりょう・左右にあるカーブの入った梁)なんてシャレたデコレーションまで付いています。
トドメに巨大な鬼瓦がぐわーん!
イカツイわ~!♪
ちょっと右側に目を向けると門なんかもあります。
ブラックで包まれた、いかめしい棟門。
さり気なく脚元に銅板なんか巻いて、結構おカネかけてられています。
ただこの門、位置がちょっと変なんですよ。
なぜか入口真正面ではなく、右にズレた位置にあるのです。
その理由は門をくぐると分かります。
こちらはその先にある建物の屋根なのですが、分かりますかね、鬼瓦の真下に菊の紋があしらわれているのが。
菊の紋と言えば皇室のトレードマーク。
なんとこの屋敷、明治11年の天皇巡幸の際に休憩所として使われたのです。
ゆえにこうして「天皇陛下専用の入口」として、右側にわざわざズラして門が設置されているんですね。
ちなみにこの屋敷、江戸時代は参勤交代の本陣(宿泊所)として使われていました。
なので元々は殿様専用の門として用意されたもののようです。
今も昔もVIP様ってのは入る場所から違うんですね。
では屋敷の間取りを見ていきます。
入口入ってすぐにニワと呼ばれる土間、その右手に受付兼会計所となる帳場。
その先には広~い広間が配され、その広間を囲むように居間・茶の間・三の間・十畳。
ちょっと離れた場所に本陣座敷&次の間。
特徴としては広さですね。
宿場という性格上、どの部屋もかなりゆったりめに作られています。
まずは広間。
板張り+土壁の、ちょっと農家的な内装になっています。
ここで見て欲しいのが柱と梁。
要塞レベルにド太いのがずどーん!
ゴージャス感の演出ですね。
泊ったお客さんにどうぞ豪華な気分を味わってください、というパフォーマンスです。
実際気分良かったでしょうね、こんな所に寝泊まりできれば。
部屋の上にもゴツゴツ骨太な梁。
それもなんか中途半端にぐにゃ~と曲がった梁。
好きだわ~、このいかにもな古建築的眺め♪
現代建築なら直線+直線でキッチリ仕上げちゃうところなんですけどね、ここは見ての通りぐにゃぐにゃのゴツゴツ。
でもそれがなぜか不思議な美しさを生み出していて、心の中をほかほかと温めてくれるような熱まで感じられて。
やっぱ古建築はいいですわ!
その奥は居間→茶の間→三の間と同じ作りの部屋が3つ並んでいます。
共に広さ10畳で庭に面する側には縁側もあり、その先は恐らく立派な庭園もしつらえられていたと思われます。
ここは多分寝室だったんでしょうね。
何度も言う通り、この建物は元々は宿屋でしたからね。
それも参勤交代に利用されていた施設なので、それ相応の人数を収容できるようにこんな大きな部屋を3つも用意してあったのでしょう。
こちらは部屋から見た庭の眺め。
玉石がざっと敷かれて、その向こうに石と植栽。
なかなかに味のある庭です。
ただこの建物は福井から移築してきたものなので、現地での庭はこれとは全く違うものだったはず。
一体オリジナルはどんな庭だったんですかね?
移築前の庭も見てみたいー!
この部屋は次の間。
ちょっと良く見て欲しいんですけどね、先に見た居間・茶の間・三の間とここには微妙な違いがあります。
どこか分かります?
それは畳のへり。
何気に装飾が施されています。
これは先の部屋よりこちらの方が格上という事を表しています。
なんで格上なのかと言うと、ここは天皇陛下や殿さま用の部屋だったから。
例のVIP様専用の門の線上にある部屋がまさにこの部屋なのです。
その天皇陛下&殿さまがメインに使っていた部屋がこちらの本陣座敷。
確かに何か空気が違います。
どことなーく天上感があると言うか、なんかエラそう。
中央に置かれている厚畳は単なる飾りです。
本当にここにこんなのが置かれていたって訳じゃなく、金沢職人大学校の生徒さんが授業で作ったものを展示してあるのだそうです。
まあ確かにこんなのが部屋の真ん中にあったら寝っ転がる場所がなくなって邪魔だわな(笑)。
VIPルームなので、この部屋にだけ床の間なんかもあります。
これがもう素晴らしく、本床に畳を敷いて、床柱には味のある黒木を据え、床脇には金箔貼りのゴージャスな天袋(戸棚)をバーン!
この金箔装飾の天袋がスゲーいいのですよ。
画像じゃ小さくて分かりにくいですが、金地に水墨画で山景が描かれてて、めちゃめちゃクール。
そこにさらに経年劣化によるシブ味も加わってて、とにかく感嘆の一言!
まー見事ですわ。
欄間も違います。
この部屋だけ竹をあしらった透かし欄間が設置されています。
竹は1年を通して青々しさを失わない姿から、繁栄の証とされています。
つまりこの竹には、殿さまの末長い繁栄への願いが込められているんですね。
気分良かっただろうな~、ここに泊った殿さま。
きっといい夢を見られた事でしょう。
わたしもこんな部屋で寝られる身分になりたいですわ。
VIPルームのスペシャル設備はこれだけではありません。
なんと部屋の後ろには殿さま専用トイレまであります。
しかも畳敷。
さすがですな。
VIP様はトイレまでオレ様仕様。
きっと心行くまでゆ~っくりと用を足せた事でしょう。
そりゃもういっぱい出たんでしょうね!(←何が?)
一般人とVIP様との格の違いを思いっ切り実感できる旧石倉家。
ジェラシーですわ。
一般人側の人間としては激しくジェラシーですわ。
わたしもソッチ側の人間に生まれたかった。
でも、でも、貧乏人はどんなに努力しても一生貧乏なんだー!だー!だー!
今度の宝くじこそはなんとか当てて、ソッチ側に行けるよう頑張りますっ!
次回は武家屋敷を2棟見ていきます。
チョンマゲ結ってご覧ください。
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