明治の館 室木家 敷地編 ザ・金持ちはお城に住んでます
2022年08月06日
古建築好きの大好物、茅葺屋根。
一度は住んでみたい茅葺屋根。
そんな茅葺屋根を今に残す古~い建物が明治の館室木家です。
なんで「明治の館」なのかと言うと理由は簡単、明治時代に建てられた屋敷だから。
明治12年から10年以上かけて造ったそうなので、竣工から130年くらい経っている計算になります。
元々は江戸時代から続く名家で、メッチャクチャ裕福な家だったんだとか。
エントランスからいきなりコレよ。
思わず「お寺かよ!」とツッコミを入れたくなる立派な門。
完全に個人宅のレベルを超えています。
形式としては四脚門。
屋根を重厚な黒瓦で固め、両脇にはぶっとい鏡柱、その上には来訪者を威圧するかのようなデカい梁。
さらに軒下には寺院建築によく用いられる支輪や枓栱(ときょう)といったデコレーションを配し、見ているだけでため息が止まらなくなるほどの素晴らしさ。
鼻血出そうや~!(喜)
で、急いで入らず、その前にちょっと左側の石垣を見て欲しいのです。
なんやら模様が刻まれています。
左から順に「盃とひょうたん」→「鶴」→「お尻に藻の生えた亀」→「松」→「竹」→「(多分)室木家の家紋」。
いずれも長寿と繁栄を暗示させる絵柄です。
遊んでますな。
さすがはザ・金持ち。
やる事が粋です。
改めて門をくぐり、敷地内に入ると右側に立派な納屋。
これも素晴らしいな~。
納屋って言うより、お城の多門櫓ですやん。
上部の窓は明らかに武者窓を意識したデザインだし、分厚く塗り込められた白漆喰も武骨感ムンムン。
絶対城郭建築をモチーフにしてますね。
「家は城」なんて言いますけど、ここの場合はまさに言葉そのまんまの意味で「城」ですわ。
その向かいには蔵。
堂々たる風格でズズーン!
これもスゲーな。
お寺や神社でもこんなに立派な蔵を持ってる所なんてなかなかないよ。
くどいけど個人宅だからね。
どんだけお金持ちだったのよ?って感じですわね。
入口上には薄汚れたこて絵。
こて絵とは左官屋さんが壁を塗る時に使う道具、あれをコテって言うんですけど、それを使って描いた絵です。
これがまたね~、ん~、何を描いてあるかと言うと、ん~。
なんやろ??(←おい)
雲上に浮かぶ菊にも見えるし、波間に浮かぶ菊にも見えるし。
あちこち塗装が剥がれててよく分からんけど、紅葉を描いてる部分があるようにも見えるし。
イマイチ絵の伝えたいメッセージが分からん・・(悩)。
中は民俗資料館みたいになってて、農具を中心とした昔の生活道具が多数展示されています。
その道の人じゃないと何に使うのかサッパリ分からんものばかり。
昔はこんなの使って田んぼ仕事してたんですね。
今と違って機械なんかないですからね、当然オール肉体労働。
毎日がハンパない重労働の連続だった事でしょう。
2階も展示室になっていて、こちらはその様子。
やっぱり数々の古臭い生活道具が並んでいます。
骨董感全開ですな。
なんか4~5世代くらい前のじーちゃん・ばーちゃんが使ってた道具小屋を覗いているような感じ。
うわ、こんなモンまだ残ってたんだ!?みたいな不思議ななつかしさが漂っています。
ところでこの蔵、妙にピカピカなのにお気付きでしょうか?
明らかに明治時代の建物の色艶じゃない。
ここね、平成19年の能登半島地震でかなりの被害を受けたそうで、その後大修復を行っています。
それに伴い、恐らくごっそりと部材を入れ替えて補強したのでしょう。
実質的には建て直しに近いレベルでいじったのではないかと。
なのでこんなにピッカピカのツヤツヤなんですね。
そして母屋。
白茶色の茅葺屋根がずんと沈む、威風堂々のたたずまい。
カッコええな~♪
茅葺というド田舎的なビジュアルが逆にスタイリッシュ。
古き時代の匂いまで感じられるようです。
メンテナンスが悪いのか、ちょっとデコボコが目立つけどな(笑)。
もうちょっと屋根をクローズアップ。
こうして見るとやっぱ結構痛んでますね。
若干部分補修の跡も見られるし。
基本的に茅葺屋根の寿命は20~30年程度と言われています。
ただそれも人が住んで維持管理してての話ですから、ここの場合はもっと短くなるのではないかと。
そろそろ葺き替えが必要なのかもしれませんね。
でも茅葺を葺き替えなんてなったら、すげーカネかかるんだろうな。
いくらくらいすんのかな?
はい、今回はここまで。
次回はいよいよ母屋の中を見ていきます。
なんたってザ・金持ちの御屋敷ですんでね、見所いっぱい。
思わずふーふー!溜息出まくりますよ。
血圧上げまくりでご覧ください!
メンツル食堂 カツカレーうどん 美味ぇ~わ♪神の味だわ♪
2022年08月02日
うどん屋さんなのになぜかラーメン屋とgoogleに表示されるお店、メンツル食堂へ。
場所は松任駅の裏側。
こちらはやたら地元産にこだわりを持っているお店で、うどんはもちろん地元産小麦を使った自家製麺を使用。
その他色んな食材も地元産、地元産、地元産。
とにかく「地元大好き愛」にあふれたお店です。
数あるメニューの中からこの日選んだのは、”カツカレーうどん”。
暑かったので冷やし系もいいかなーと思ったけど、なぜかコッテリ重いものが無性に食いたくてカレー。
暑い中、熱いカレーうどんを、汗ダ~ラダラ垂らしながら食べたおします。
つゆは完濁の黄土色。
液質シャバシャバで、「ルー」というより完全に「スープ」寄り。
するするさら~と舌を流れる。
味わいエキゾチック。
ヒリつくような痛辛さはないけどそれなりに辛さもあり、まったり柔らかいけど甘いという訳でもなく。
刺激とうま味が程よく調和した、まろやかテイスト。
うどんは極太。
食感が独特で、はなまるのようなピンと張ったコシはなく、丸亀のようなもっちりとした粘りはなく、どちらかと言えばぱっさりとした淡泊な噛み心地。
小麦の風味はふかふか軽く、田舎的と言うか、素朴~な味わい。
ここにピリリと絡むカレースープ。
決して強くないスパイスの刺激が、素朴系うどんに実によく馴染む。
トンカツ。
結構大きめのものが2枚!
この肉が厚くて柔らかくて、すう~~と歯が通る。
その感触の気持ちいイイこと!
そしてあふれる程の肉の味がじんわ~。
衣に閉じ込められた肉汁は1摘も逃げることなく口の中に流れ出し、濃密な甘露となって舌を包む。
その贅沢な味はも~~~神の至福♪
ペロッと完食。
メンツル食堂の”カツカレーうどん”。
こちらの想定を超えたクオリティ・満足度。
幸せいっぱいな「美味い時間」をヨダレだばだばで過ごさせていただきました。
ごちそうさま。
[参考]
・カツカレーうどん:900円
加賀一の宮駅跡 ノスタルジーを楽しめる出入り自由な廃駅
2022年07月30日
鶴来の街中に唐突にぽつーんとある、加賀一の宮駅跡。
その名の通り、かつての鉄道の駅舎です。
これがまー素敵でしてね。
レトロ感むんむん!
なんかいきなりジブリの世界にでも迷い込んだような、不思議~な感覚が味わえます。
いきなり入口がスバラシイじゃないですか。
まるで神社やお寺のような唐破風がズバーン!
軒下には懸魚(げぎょ)と蟇股(かえるまた)を配し、柱の根元には露盤(ろばん)。(※いずれも寺社建築に用いられる装飾)
思わずパンパンと柏手を打ちたくなるようなエントランス。
それもそのはず、この駅舎のすぐ近くには白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)があるのです。
つまりこのデザインは神社をイメージしているんですね。
全体に作りがレトロ~なのもそのため。
黒板張りの壁なんかもい~いですね~。
木が持つ温かさというか風格と言うか、現代的な建築素材では出せない独特の深みがあって、実にシック。
さらに窓枠。
現代建築ならアルミサッシがド定番ですが、ここもやっぱり木。
めっちゃ開け閉め重そうなんだけど、その不便さが何と言うか、逆にカッコいいなー♪
駅舎内は自由に出入りできます。
間取りは当時のままで、待合室や改札、駅員室なんかがそのまま残っています。
ここがなんかね、不思議にリアルなのですわ。
駅「跡」にいるというより、「今も動いている」駅の中にいるような感覚。
耳をすませば、行き交う人々の喧騒まで聞こえてきそうです。
このベンチは当時使われてたもの。
使用感むんむんで、まーボロい。
これが硬くてねー。
こんなのに長時間座ってたらケツ痛いっちゅーねん。
でも昔の人はね、ここにじーっと座って電車が来るのを待ってたんですよ。
当然エアコンなんかもないし。
夏冬はキツかったろうなー!
当時の時刻表も残ってます。
始発は6:26、最終は22:03、ほぼ1時間に1回のペース。
意外に本数はあったようで。
わたしの家の近くのバス停なんか悲惨ですよ。
1日に数本の世界。
全然使いモンにならんちゅーねん!(←ド僻地在住)
こちらは改札口。
この向こうに駅員がいて、キップを売ったり切ったりしてたんですね。
ちょっと気になるのが会話用の丸い穴。
なんか妙に高い位置にあります。
これって昔の駅員さんは立って仕事してたって事なんですかね?
でなければ。
座高すげー高かったんだな!(※お客さんの立ち位置に合わせてあるだけです)
駅舎の裏はこんな感じ。
モロに駅ですね、駅だから当たり前だけど。
ここにね、電車が通ってたんですよ、ガタンガタンと。
その痕跡は今も見ることができます。
それがこの眺め。
現在レールは取り除かれてアスファルトが敷かれていますが、道幅といいカーブの具合といい、いかにも線路的。
なんとなーく当時の情景が思い浮かぶようです。
奥の方には、電車の車止めなんかも置かれています。
これも当時使われていた実物。
お触りオーケー(←?)なので、こんなの好きな人はぜひさわさわしてってください。
その車止めの前あたりに、駅舎とは全然関係ないけど面白いものがあります。
「かわらけ(素焼きの小皿)を捨てた穴」。
要は昔のゴミ捨て場ですね。
なんかピラミッド状になっている所がそうなのですが、中を覗くと確かにソレっぽいものがいっぱい散らかっています。
ここは白山比咩神社の旧社地だった場所で、その儀礼に使われたものがこうして捨てられたんだそうです。
ただ説明書きによると移転復元との事なので、まさにこの場所に捨てられたって訳でもないようですが。
失われた古い時代の空気を今に生々しく残す加賀一の宮駅跡。
まーレトロですわ。
とにかくレトロですわ。
昭和の雰囲気を思いっ切り味わってみたいって人、ぜひ遊びに来てみて下さい。
すぐ近くには白山比咩神社。
こちらは全国に2,000社あると言われる白山神社の総本宮で、そもそもこの駅はその参拝者用に作られたものです。
徒歩圏内にありますので、時間がある人はそちらも合わせてどうぞ!
加賀一の宮駅跡
住所:石川県白山市白山町レ
関連タグ >> 古建築
木越山 光徳寺 このお寺の山門は動物園かよ!?
2022年07月27日
小丸山城址公園の駐車場に降り立つと、すぐ隣に大きなお寺の本堂が見えます。
光徳寺です。
創立は1226年との事なので鎌倉時代中期、ここから約80km以上も離れた金沢の木越という場所で開かれました。
戦国期には一向一揆の大勢力として大いに気を吐きましたが、最終的には柴田勝家に敗北し、その後寺地を転々と移して現在地へと流れ着いたそうです。
その金沢時代の跡地がこちら。
千田町にある八坂神社の隣の畑に案内板が立っています。
意識して通らなければ100%スルー確定の地味さ。
多分横の神社も元はお寺の境内の一部だったんじゃないですかね?
全盛期は結構ブイブイ言わせてたようなので、敷地もそれなりに広大だったはず。
恐らくこの辺りに広がる畑や田んぼをいくつも合わせたくらいの寺地を持っていたでしょう。
改めて話を現在地に戻して、こちらは入口の山門。
スペシャル感ギンギンの唐門です。
いきなりですが、この山門がこのお寺のクライマックスです。
この山門だけで記事1本書けるくらい見所満点の凝縮度。
ンも~~惚れ惚れするほどのスーパーワンダフルな山門です。
どーーですか、この彫刻!?
破風直下に両翼を大きく広げた鳳凰、その奥に轟々とうねる龍、その真下には荒波がどっぱどぱ暴れまくり、さらに木鼻には猛々しい獅子。
これでもかと言わんばかりの、霊獣オンパレード!
放たれる霊的エネルギーがハンパない!
誰ですかね、この彫刻担当したの?
気合の入り方が完全に異次元。
鬼気迫る熱量で見る者を圧倒します。
鏡柱には滝登りの鯉。
これまた息を飲むほどの迫力!
激しく飛び上がる鯉が生き生きと躍動し、弾ける水しぶきが今にも目の前まで飛んできそう。
ちなみになんで鯉なのかと言うと、先に見た龍が関係しています。
中国の伝説に「急流を上る鯉はやがて天に昇って龍となる」ってのがあり、その鯉と龍を描いているのです。
つまりあの龍は鯉の進化した姿なんですね。
いやーイカスわー!!!
虎もいます。
竹と虎。
どんだけ動物大好きなのよ?(笑)。
この虎がまたね、不気味なほど悠々と休んでんですよ。
王者の風格と言うか貫禄と言うか、どっしり余裕の横臥。
ゴロゴロゴロ・・という喉鳴りまで聞こえてきそう。
守ってんですね、こうして門を。
そして悪いヤツが来たらガッ!と襲い掛かるのです。
自分は悪いヤツという自覚のある人は十分注意して通ってください。(←?)
裏に回ると表と同じ位置に再び鳳凰。
ただこの鳳凰、よく見ると表と裏とで微妙に仕様を変えてあります。
表の鳳凰は口を開き、裏の鳳凰は一文字。
つまり表裏で阿吽の呼吸をやっているのです。
さらに表側の鳳凰、よーく見ると口に何か玉みたいなものをくわえています。
これは恐らく宝珠(ほうじゅ)。
宝珠とはあらゆる願いを叶えるとされる玉で、仏像の持物(じぶつ・手に持っている法具)なんかにもよく登場します。
それを山門正面の鳳凰がくわえているという事は、「このお寺を訪れる者全ての願いを叶えます」という事を暗示しています。
何気に幸せを呼ぶありがた~い鳳凰なのです。
そんな見所ギンギンの門をくぐると、正面に本堂。
堂々たる体躯とサイズでずどーん!
これも素晴らしいですな。
重厚な黒瓦に覆われた大屋根、ガッシリと太い柱、黒く沈むマスク。
お寺の中心に相応しい、威厳あふれるいで立ちです。
この柱の列がまた強烈!
多いんですわ、柱が。
しかもそのどれもが太くて力強くて、まるで要塞のよう。
さらに見て欲しいのが形。
何気に屋根下を支える柱は角柱、建物本体を支える柱は円柱となっています。
これは内部に祀られている仏さまへの敬意の表れ。
つまり丸柱の内側(本堂内部)は特別な聖域なんですよという事を示しているのです。
本堂の左側には鐘楼。
これまた素晴らしいプロポーションです。
安定感のある内転び(上に向かってすぼまっていく形)の柱。
その上にガッチリとかぶさる黒瓦の屋根。
中央にゆったりとぶら下がる重厚な鐘楼。
一部の隙もない、見事な美しさ。
その鐘楼の斜め前には親鸞(しんらん)聖人像。
親鸞とはご存知、浄土真宗の開祖ですね。
親鸞の教えの画期的だった点は、阿弥陀信仰を至上とした事。
ただ一念に阿弥陀さんを信じれば、誰でも極楽浄土へ往生できると説いたのです。
そのお手軽かつ明快な教理は、それまで仏教と縁遠かった一般庶民の間に見る見る浸透していきました。
しかし時代が下って戦国という不安定な世になると信徒達は徐々に制御不能な暴徒へと変貌、やがては一向一揆という巨大戦闘集団へと発展していきます。
その急先鋒として暴れまくったのがまさにこのお寺でした。
今でこそ片田舎の静か~なお寺ですが、当時はバリバリの超武闘派だったんですね。
とにかく山門がカッコイイ光徳寺。
見惚れますゼ!
シビれますゼ!
オシッコ漏らしそうになりますゼ!
このお寺に来た時はとにかく山門を隅から隅までじぃーーーーっと鑑賞してってください。
ビバ!
仏教建築!!
木越山 光徳寺
住所:石川県七尾市馬出町 35
TEL:0767-53-0555
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龍ヶ峰城跡 アチコチに仕掛けられた死のトラップに戦慄
2022年07月25日
戦国時代、加賀(石川)の前田利家(まえだ としいえ)と越中(富山)の佐々成正(さっさ なりまさ)がガンガンにやり合っていた頃の遺構のひとつ、それが龍ヶ峰城跡(りゅうがみねじょうあと)です。
場所は北陸旧街道沿いの山の中、道幅車1台分のヤバイくらいの狭路をグネグネ上がった先にあります。
実際勇気いりますよ、ココ進むの。
対向車来たらアウトじゃん!みたいな。
まさに恐怖の一本道。
運を天に任せて進んでください。
まずはお城の見取り図から。
この龍ヶ峰城は旧街道である北陸道を押さえることを目的としています。
なのでその北陸道に沿うような格好で城域が構成され、攻撃方向も街道側を前提として設計されています。
さらによく見ると加賀側の防御が厚くなっています。
これは加賀方面からの攻撃を想定している事を意味しており、ここからこの城は越中側の城だったって事が分かります。
こちらは入口。
細っ!と通路幅ばかりに目を取られちゃいけません。
アナタ、この時点で死んでます。
見て欲しいのは片側の急傾斜の崖。
この真上は曲輪(くるわ・広場)になっていて、守備兵が待ち構えています。
つまりここを登ろうと思うと、上から弓矢や鉄砲でズバズバズバー!と集中砲火を食らうのです。
死亡フラグ確定のデス・シャワーです。
その通路の先に最初の曲輪。
横長の形をしています。
そしてその横長い曲輪が上に向かって段丘上に連続しています。
これ、攻め手にしたらキツイですよ。
曲輪をひとつ落としても、そのさらに上にある曲輪からジャンジャン弓矢が降り注いでくるんですからね。
しかも曲輪内にいると身を隠す場所がない。
おかげでせっかく攻め取った曲輪が、今度は殺されるためのステージに変身。
まさに恐怖の殺戮ショーが始まるのです!
そんな段々曲輪を登るための通路がこちら。
ご覧の通りカクカクと折れ曲がっています。
これももちろん防御の仕掛け。
こうやって右に左に進路を変更させることによって侵入の勢いを削ぎ、かつ前面+側面の2方向から迎撃するんですね。
当然途中には柵や門もあって容易には前進できません。
攻め手としてはある程度の犠牲を覚悟した上で、あとはもう力づく突破するしかないのです。
キツーー!!
こちらは城内で一番広い平地を持つ三郭。
広さ的にはテニスコート1.5面分くらい。
この真上は城の心臓部となる主郭なので、ここが最後の防衛線となります。
つまりここを落とされたら完全アウト!
なのでこのスペースを一番広く取り、戦力を最も充実させられるようにしてあるのです。
この斜面の上が主郭。
手すりが見える場所がそうです。
斜面の角度がメチャメチャ急になっていますが、これは人工的に削って造成してあります。
お城用語で言うところの「切岸(きりぎし)」です。
まー無理ですわな、登るの。
甲冑着て、武器持って、上から攻撃されながら、こんな急斜面登れるわけがない。
そうすると当然敵は通路を使って上に登ろうとします。
それがこの通路なんですが、これがまたキツイ!
左は急斜面になっていて、足を踏み外せば数メートル下まで転落します。
右は先に見た切岸の工事で出てきた土を盛って壁にしてあります。
結果この細い通路をお行儀よく1列になって進むしかありません。
しかもさらにこの先は頑強な門が行く手を遮っていたはず。
そんな状況で迎撃の雨あられです。
こんなんどうやって突破すんのよ!?(汗)
そんな幾多の死地をくぐり抜け、ようやく主郭に到着。
ゴぉぉぉぉーーーール!!!
平和ですわココ♪
吹く風は涼しいし、高いから気分いいし、見晴らし最高だし。
どーですか、この眺め?
はるか先の日本海までズバッ!
まー爽快ですわ♪
でも戦時はこの景色が今生最後の眺めとなったのかもしれないんですからね。
悠長に感傷に浸ってる余裕なんてなかったでしょうね。
ああー、明日にはオレ、死んでるかもー・・・みたいな。
そう思うとこの平和な眺めもちょっとホラー。
その主郭の裏側には土橋。
自然の尾根を利用した狭路ですね。
元々ある程度の傾斜はあったのでしょうが、それをさらに削って幅を狭めてあります。
これも恐怖ですわな。
どんなに大軍で攻めても兵を横に展開できないんですからね。
縦一列になってちょびっとずつしか進めず、そこを狙い撃ちにされるのです。
じつにいやらしい仕掛け。
さらに奥に進むとこんな謎な曲輪があります。
行き止まり曲輪。
一見、え?何のためにあんのコレ?って感じなのですが、これがまたいやらしいのですよ。
答えは真下に行くと分かります。
画像中央付近にある柵が先に見た行き止まり曲輪がある場所です。
見ての通り迎撃基地ですね。
ここから攻め登って来る敵に対して弓矢や鉄砲をジャンジャン放つのです。
ちなみにこの画像だと攻め手側は左から右へと進む格好になります。
ここで再び立ちはだかるのが切岸。
分かりますよね、斜面が急角度に削られているのが。
この傾斜によって敵は手が出せず、城側は攻撃し放題の構図が出来上がるのです。
そろそろしつこくなってきたので、この辺でやめときます。
でもまだまだあるんだ、見て欲しいポイント。
ここエグイ!ここヤバイ!ここナンじゃ?みたいな。
後は現地でご確認を。
恐怖の仕掛けがギッシリ詰まった龍ヶ峰城跡。
エエですよ~、楽しいですよ~。
ココどんな意味があるん?ココどうやったら突破できるん?そんな事を色々思い描きながら歩くと、もーわくわくマックス!
中世のお城ロマンがあなたを待ってます!!
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