
大境洞窟住居跡 この下になんやイロイロ埋まっとるようです
2021年11月10日

ザ・洞窟遺跡、それが大境洞窟住居跡(おおざかいどうくつじゅうきょあと)です。
ここ何かって言うと、その名の通り人の住んだ跡。
縄文中期~室町・安土桃山時代の生活の痕跡が断続的に残されています。
発見のきっかけは神社の改築。
基礎工事か何かをするのに地面を掘り起こしたんでしょうね、そうしたら人骨や土器なんかがゴロゴロ出てきて、こりゃエライこっちゃ!と調査したら、さらにイロイロ出てきたのです。

その問題の(?)神社がこちらの白山社。
ごくごくありふれた、小っちゃ~い地方の神社です。
この裏が洞窟になってまして、そこが現場となります。

サイズは幅8メートル、奥行35メートル、高さ8メートル。
ぶっちゃけそんなに大きなものではありません。
でもね、ここで人の営みが、それも縄文の大古から連綿と続けられてきた空間なんだ~と思うと神秘性むんむん。
なんかメッチャ厳かな世界に見えてきます。
一体どんな人間ドラマが繰り広げられてきたんですかね?
人のいるところにドラマあり。
泣いたり笑ったりド突き合ったり(←?)、きっと悲喜こもごもの人間模様が展開されてきたのでしょう。

洞窟中央には祠。
白山神社の本殿ですね。
こっれカッコええな~♪
建物左右には内転び(上に向かってすぼめる形)にした棟持ち柱、その上には異様に長い大棟。
大棟上には鰹木(かつおぎ・横向きに置かれている棒みたいなヤツ)が4本並べられ、両端には千木(ちぎ・V字型をした角みたいなヤツ)がビシッ!
コッテコテの古式神社建築。
多分モデルは伊勢神宮の社殿でしょう。

現地の案内板によると、本殿の地下はこんな感じになってんだそうです。
縄文~鎌倉・室町まで計6枚の層を、落盤によってできた土砂が分断。
まさに時代と時代をサンドしたミルフィーユ!
楽しかったでしょうね~、これ掘るの。
掘れば掘るほど、おっ、アレ出てきた、おっ、今度はコレ出てきた、みたいな。
ん~、時間を戻してその場に立ち合ってみたい!

洞窟内にはパネルがズラリ。
この洞窟ができた過程と、どんな使われ方がされてきたのかが、順を追って分かるようになっています。
説明によると、原始・古代の頃は住居として使われていたのが、中世からは祭祀の場として使われるようになったんだそうで。
そりゃそうでしょうな。。
原始・古代の頃は文化的にも技術的にも住居を「建てる」ってのはかなりハードルが高かったはず。
でも中世になれば家を「持つ」なんてのは、ごく普通の事でした。
必然、使われなくなった洞窟は祭祀の場として利用される事になったのでしょう。

祭祀場としての痕跡はこんな形で残されています。
石仏、及び石造物群。
昔はこの石仏に向かって手を合わせていたのでしょうね。
ナムアミダブツ~、ナムアミダブツ~って。
ただね、冷静に考えればちょっと変なんですよね~。
この洞窟にあるのは神社でしょ?
でも石仏は仏教でしょ?
信仰してたのドッチよ?みたいな。
ちょっと時間を巻き戻して、当時の人に聞いてみたい。
ドッチも同じじゃ!って言われそうだけど(笑)。

岩質は石灰岩。
石灰岩とは珊瑚の死骸が長い年月をかけて石化したものです。
って事は、この場所は元々はサンゴ礁が広がる海だったって事になります。
昔は温かかったんですかね?
北陸と言えば豪雪地帯なんですけどね。
まあ海底はプレート運動で動くので、この場所がドンピシャ昔のサンゴ礁だったって訳でもないですけど。

そんな石灰岩の洞穴、よく見ると天井部分に謎の丸い模様があります。
ひとつふたつだったら何かのシミかな?って所ですが、複数、それも規則正しく連続的に。
これ何かと言うと、補強の跡です。
石灰岩って基本的に弱いんですね。
先に見た地下の構造でも分かる通り、実際何度も落盤を起こしています。
これが今起きてもおかしくない。
そこで杭を打ち込んでガッチリと固めてあるのです。
その数なんと222本!
さらに表面には風化を防ぐ強化処理まで施してあります。
遺跡の状態を維持するって大変なのね~。

古代~中世の生活の痕跡を残す大境洞窟住居跡。
楽しいですよ~♪
面白いですよ~♪
イベント性むんむんですよ~♪
なお、ここからほど近くにある氷見市立博物館では、この大境洞窟での生活の様子を再現したジオラマが見られます。
あくまでイメージ再現ではありますが、現場と合わせて見るとなかなかの臨場感。
こちらも時間があればぜひどうぞ。
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