伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)正宮 ◆強烈な寸止め地獄にもじもじが止まらない!
2020年10月19日
内宮と外宮、二つ合わせて伊勢神社。
どちらからお参りするも自由ですが、セオリーとしては外宮が先、内宮が後とされています。
前回はその外宮の入口から正宮(しょうぐう)手前までを見てきました。
今回はいよいよ心臓部となる正宮を見て行きます。
場所は神楽殿の左奥、玉砂利をじゃりじゃりと踏みしめて進んだ先にあります。
比較的開けた場所にあって、人だかりも多いのですぐに分かるでしょう。
正宮に到着してまず気なるのが、この壁。
なんじゃこりゃ?みたいな。
これは蕃塀(ばんぺい)と呼ばれるもので、バリケードみたいなモンです。
この短い塀1枚で、邪なるものが正宮へ侵入するのを防いでいるのです。
え?こんなんで何を防げるの?って感じですが、まあそこは気分の問題。
すべての理屈を「精神性」と「概念」で構築するのが、神社という世界なのです。
正宮の全体図はこんな感じ。
結構なサイズで、ここだけで小さな神社くらいの敷地があります。
で、見て欲しいのが塀の数。
内側から瑞垣(みずがき)→内玉垣(うちたまがき)→外玉垣→板垣、と4重の塀を巡らせてあります。
その上で板垣の切れ目4ヵ所にそれぞれ蕃塀です。
これでもかって言うくらい厳重に囲い込み、徹底して外部からの悪しき霊力の侵入を遮断しています。
もうほとんど要塞。
で、いよいよ参拝となるのですが、この鳥居の先は撮影禁止となっています。
理由は良く分かりませんが、「神さまを写真に収めるのは恐れ多い」って事みたいです。
こっそり撮ろうとしても警備員がビシーッ!と見張ってて、ほぼスキがありません。
なのでここから先は、『読者さまのご想像ビジョン』でお楽しみください。(←?)
鳥居をくぐると、いきなり門。
屋根は茅葺、棟には鰹木(かつおぎ・屋根の大棟上に横向きに並べてある棒)や千木(ちぎ・屋根上端部に付けられたV字形のツノ)まで乗せられた、およそ門とは思えない立派な仕立て。
ただこの門、出入口というより、ほぼ遮蔽物に近いような構造になっています。
ガタイの割には妙に扉が小さいんですね。
扉がそんなに小さいんなら、門自体をもう一回り小さくすればいいんでね?って感じのアンバランスな造り。
しかも!
ご覧ください、この門口!(想像で)
ただでさえ小さな門口には白い布が垂らされていて、その先が見えません。
風でパタパタ揺れる布の隙間からわずかに覗く向こうの景色を我慢して見るのが精一杯。
まさにチラリズムの極地!
この見えそうーーーで見えない、見たいーーーけど見れない、ふつふつと鬱積していくストレスを。
どうすればいいんだーーー???
ああー神さまーーどーにかしてーーー!!!!
あ、ここ神社か(笑)。
その意地悪な門を横にズレると、塀越しにちょこーっとだけ向こうが見えます。
ただ見てくださいよ、この眺め!(想像で)
先に触れた通り何重もの塀垣で覆っているので、アレやコレやが邪魔して、全然奥が見えません。
別にわざわざ伊勢まで『塀垣』を見に来たんじゃないんだけどな~。
建物を開けて室内まで見せてとは言わないから、せめて建物の外観くらいはちゃんと見せてよ~。
ああーーー見たいーーー。
見れないとなると余計にガッツリ見てみたいーーー!!!(うずうずうずうずうず・・・)
と散々寸止め地獄を味合わされ、退場。
残ったのは、もんもんとした不完全燃焼な気持ちのみ。
伊勢神宮、いけずやわ~。
結局ナンも見せてもらえんし。
写真すら撮らせてもらえんし。
ああ・・今日から3年は眠れない。(※注:疲れてぐっすり寝ました)
あっと、入口正面の画像をもう1回。
話が行ったり来たりしちゃうんだけど、気が付きましたかね?鳥居の形が違うの?
ここだけ鳥居がスペシャルなんですよ。
前回の記事で見た伊勢鳥居、笠木(天頂の横木)が1本でした。
でもこの正宮の鳥居のみ、もう1本渡されています。(※この部材を島木という)
理由はやっぱりここだけ別格だからなんでしょうね。
なんたってご神体が祀られている場所ですからね。
ひとしきり正宮を楽しんだら(楽しめたかどうかは別として)、次に見て欲しいのが隣。
がら~んとした空き地になっています。
これは古殿地(こでんち)と呼ばれる場所。
かつて正宮があった場所です。
式年遷宮(しきねんせんぐう)って言葉、多分ほとんどの人が聞いたことがあるでしょう。
何をするかと言うと、この隣の空き地に社殿一式をごっそり移すんですね。
で、今ある社殿は取り壊して、更地にして、新たに古殿地にしちゃうんです。
そしてそこから20年したらまた新たに古殿地に社殿一式を建てて、引っ越しして、それまでの社殿は取り壊して古殿地に戻すと。
さらに20年したらまた逆をやる。
と、こんなことを延々と繰り返すのです。
もうほとんど狂気ですわな。
資金力がなきゃできない制度です。
この古殿地、よーく見ると、中央にひとつだけちっちゃな社が残されています。
これ何だと思いますか?
この正体について、神社からの正式なアナウンスはないのですが、どうも心御柱(しんのみはしら)が収められていると言われています。
心御柱とは、まあ柱ってんですから柱と思われますが、その正体は謎。
と言うか繰り返しますが神社からの正式なアナウンスがないので、そもそもそんなものが本当に収められているか自体も不明なのです。
真実を知るのは神社上層部の人間と、式年遷宮でこの社の建設に携わった宮大工さんのみ。
ただし厳重なかん口令が敷かれていて、聞いても絶対教えてもらえないそうです。
最後にもうひとつだけ。
古殿地の前にこんなのがあります。
注連縄で囲まれた、なんやら意味深な何か。
これは三ツ石と呼ばれるもので、お祓いやお清めをする場所です。
かつてこの場所には川が流れていて、その水で禊(みそぎ)を行っていたんだそうです。
それが地震によって川筋が変わって干上がってしまい、でも禊の場としての役割は残され、現在でもこんな形で目印を置いて祭祀が営まれているのです。
なんやら噂では、ここに手をかざすと温かなエネルギーを感じるそうで。
興味のある人はやってみてください。
神社の公式サイトを見ると、「バチ当たりやからやらんといてくれ」って書いてあるけどね(笑)。
長々と見てきた伊勢神宮外宮の正宮。
神霊エネルギーいっぱいの超パワースポットです。
江戸時代「一生に一度はお伊勢参り」と言われた神秘のパワーを、ぜひ現地で体感してみてください。
次回は別宮の風宮(かぜのみや)・土宮(つちのみや)・多賀宮(たがのみや)を見て行きます。
サイズこそ正宮に比べてコンパクトですが、こちらも色んなエッセンスの詰まった必見のポイント。
どうぞじ~っくりとご覧ください。
伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)表参道~神楽殿 ◆ぴょこっと植えられている謎な木の正体を知る
2020年10月17日
『伊勢神宮』とは125ある宮社の総合体の事で、実は特定の神社の呼称ではありません。
と言われてはいますが、実質的には内宮と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう)と外宮と呼ばれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の2社を差します。
それぞれ祭神が違い、内宮で祀られているのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮で祀られているのは豊受大御神(とようけのおおみかみ)。
この両宮にはゆるやかな上下関係があり、基本的に内宮が「主」外宮が「従」となっています。
ゆえに参拝の際はまず外宮を先に参り、次にメインの内宮に参るのが正しい順序とされています。
って事で今回から始まる伊勢神宮編、このルールにのっとって、まずは外宮から先に見て行きましょう。
入口は表参道口と北御門口の2ヵ所がありますが、表参道口から入るのが正式なルート。
その入場口にあるのがこの火除橋(ひよけばし)です。
ゆるやか~なカーブを描いた木造の反り橋。
この橋はその名の通り火の延焼を遮断するための防火ライン、つまり火事除けのためのものです。
万が一火の手が迫って来ても、この橋を切り落とせば火はそれ以上前に進めない訳です。
ただ現実的には火はこんな細い川くらいなら簡単に乗り越えてきますけどね。
その火除橋を渡ると玉砂利の広場になっていて、左手にスタイリッシュな建物が見えてきます。
「せんぐう館」です。
伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう・20年に1回社殿を新設して入れ替える儀式)についての歴史や、それに関わる品が数多く展示されています。
特に印象に残ったのは、正宮(しょうぐう)の再現建物ですかね。
正宮の中ってのは限られた人しか入れないので、我々一般人が間近で建物を見るという事はできないのですよ。
でもここではそれが疑似的に体験できるのです。
もー感動ですよ!
そしていよいよ登場、大鳥居。
これがあると、あー今から神社に入るんだー的な実感が湧いてきます。
形は笠木(天頂の横材)が反っていない神明鳥居。
特徴的なのは柱で、ご覧の通り丸柱となっています。
根元は太く、上に向かって細くし、角度は左右から内側にすぼめる内転び。
さらに横から見ると笠木の形が、四角形ではなく五角形になっています。
これらは全て伊勢神宮の鳥居の特徴。
鳥居ってのは意外とアバウトでして、神社によっては同じ境内の中に違う形状の鳥居が混在してるなんてケースが時々見られます。
でもここは違います。
どこ行ってもこの形の伊勢鳥居がビシッ!
ほとんど軍隊のような規律正しさで統一されています。
鳥居を抜けて進むと、右手になんやら建物が見えます。
格子扉の門と格子塀でがっちりガードされた、謎な建物。
これは斎館(さいかん)と呼ばれる建物で、何気に非常に重要な場所です。
斎館とは「斎(さい)」=「斎(いつく)」=「清め」を表し、ここは清めの場所なのです。
重要な儀礼や祭りが行われる際には、神職の人たちは一定期間ここにこもって身を清めます。
その間は食事や生活、さらにはトイレの所作に至るまで細かく行動が制限されていて、それによって徹底的に汚れを祓います。
なので清浄第一なんですね。
当然一般人は完全シャットアウト。
わたしのような小汚いおっさん(←!)がウロチョロ入ってこれないよう、厳重に柵で囲ってあるのです。
その先には再び鳥居。
え?また鳥居?って感じですが、でも他の神社でもよくあるでしょ?このパターン。
いわゆる一の鳥居と二の鳥居ってヤツ。
これもそうですね。
この奥には当然神社の心臓部とも言える本殿があり、そこには大切な神さまが祀られています。
その神さまを邪な力から守るため、こうして二重三重に鳥居を巡らして結界を張っているんですね。
いわゆる神霊的なバリアって訳です。
その二の鳥居を抜けると、いきなり出てくるのが神楽殿。
その名の通り神楽を奉納する建物です。
神楽とは神にささげる歌舞ですね。
巫女さんがふわ~ふわ~と踊ってるの、テレビとかで見た事あるでしょ?
アレです。
中にはそのための舞台なんかもあるらしいですが、基本中には入れません。
お祓いとかしてもらう人だけ入れてもらえるみたいです。
中も見たいって人はお祓いをしてもらってください、当然有料ですけど。
そのお祓いの受付をしているのが、こちらの神札授与所(ふだじゅよしょ)。
お守りやお神札(おふだ)など、神社の定番アイテムの販売を行っています。
なんたって伊勢神宮のお守りですからね、めちゃめちゃご利益ありそう。
おーこれあれば無敵じゃね?みたいな。
お伊勢参りの記念におひとつどうぞ。
あなたの開運ビクトリーロードはここから始まります!
・・・多分。
その隣にあるのが五丈殿(ごじょうでん)・九丈殿(くじょうでん)。
これは何のためにあるのかと言うと、雨の日の祭祀会場。
伊勢神宮ってのはやたらお祭りの多い神社で、その数実に年間1,500回以上!
と言っても年がら年中ぴ~ひゃらぴ~ひゃらやってるって訳じゃなく、そのほとんどは地味~な神事程度のもの。
そんなお祭りを天気に影響されずに滞りなく行えるよう、こうして雨天用の建物を用意してあるのです。
で、ちょっと見て欲しいのがこの謎な木。
なんやら意味不明にぴょこんと植えられています。
あ?なんか意味あんの?みたいな。
ありますよ、意味。
この木、実はこれ自体がひとつの神社なのです。
ここには四至神(みやのめぐりのかみ)という神さまが祀られていて、その神さまの依り代(よりしろ・降りてくる場所)がこの木なのです。
神社と言えば何かしら社(やしろ)があるのが普通なんですけど、実は原始神道においてはそのような常設施設はありませんでした。
それが現在のようなスタイルになったのは、後から入ってきた仏教の影響を受けてからと言われています。
それ以前の古代の人々はこんな風に木や岩、あるいは山などに神さまが宿ると信じ、祈っていたのです。
そしていよいよクライマックスとなる正宮、となるのですが、今回はここまで。
正宮の様子は次回詳しくレポートします。
なんたって伊勢神宮の心臓部ですからね。
ここの空気感は別格!
震えるほどに神聖ですよ~♪
警備も厳しいけど。(←?)
祥雲山 龍国寺 謎の資金力を持つお寺
2020年10月14日
加賀友禅ってご存知ですかね?
金沢の伝統工芸で、京都の友禅染にルーツを持ちます。
今回紹介する龍国寺は、そんな加賀友禅と深いつながりを持つお寺です。
このお寺、アプローチが少々分かり辛くてね。
卯辰山寺院群の奥地、しかも道路わきにひっそりある細い階段を上がって、その先にようやく見えてくるといった場所にあります。
ここに行くぞー、って明確な意思がないとまずたどり着かないような、そんな場所です。
こちらがその階段。
ご覧の通り赤鳥居がずらーっと続いています。
赤鳥居と言えばお稲荷さん。
だけどお稲荷さんは神社。
でもココはお寺。
あら?どうなってんの?、と頭の中???でいっぱいになりますが、とりあえず進んでください。
やがて本堂のある広場に到着します。
両側にキツネが2体(右のキツネは隠れちゃってますが)お出迎え。
狛犬ならぬ、狛キツネです。
この形、典型的なお稲荷さんの神社スタイル。
でも奥に見えるのは社殿じゃなくてお寺の本堂。
ここまで来るともうはっきり分かるのですが、ここは「お稲荷さん」を祀った「お寺」。
要はご本尊が「仏さま」じゃなく「神さま」なんですね。
仏教と神道がなんやらごちゃごちゃ。
なんでこんなことになったのか、ちょっとお寺の縁起を探ってみます。
創建から現在までの流れを時系列で追ったのがこちら。
始まりは普通にお寺だったみたいです。
宗派や本尊は不明。
それがすったもんだを挟んで一旦消え、その後復活して、その復活時からお稲荷様を祀るようになったそうです。
なぜお稲荷さんだったかと言うと、前田利家の出世を助けたお稲荷さんを祀るお寺を建てたかったからとのこと。
縁起書きを抜粋すると、以下の通りです。
『寛文11年(1671年)、前田家菩提寺である宝円寺(金沢市宝町)8代目住職虎白禅師が、前田利家公出世開運のお守りを封じ込めた高徳稲荷大明神を祀るために当地に重建した』
この書き方だと「出世開運のお守り」ってのがあって、それを「封じ込めた」「高徳稲荷大明神」ってのがあると読み取れます。
これどういう意味かと言うと、かつて利家を加護したお守りのお札ってのが実在するらしいんですね。
そしてそのお札を内部に収めたお稲荷さんの木像がここのご本尊なんだそうです。
つまりその木像が「高徳稲荷大明神」なんですね。
ただ残念ながら、肝心の木像は厨子に入れられてて見れません。
それではお寺の様子を見て行きましょう。
まずこちらが本堂。
狭い敷地に不釣り合いなほど大きくどどーん!と建っています。
屋根は黒瓦葺きの切妻屋根。
面積をたっぷりと取った、大振りな造り。
建物中央の開口部には大きな引き違い戸を4枚備え、その左右にある窓も全て引き違い戸。
よくよく見るとこれらの扉、格子の形が全部狐格子(正方形を連続させた枠)に統一されています。
「お稲荷さん」だけに「狐」格子。
うん、絶対わざとだ(笑)。
本堂の中を覗くとこんな感じ。
どーですかコレ?
えらいゴージャスじゃないですか?
最奥にある須弥壇の様子は暗くて良く見えませんが、その前にある外陣部分はキンキラキン!
中央に大きな天蓋をぶら下げ、その四隅にも大振りな幢幡(どうばん)をざらりと垂らし、全てを金箔で覆って神々しい光をバンバン放つ。
正直ね、そんなにお金持ってそうじゃない(失礼!)んですわ、外観的には。
ああ、ちんまりしたどこにでもよくあるお寺のひとつね、くらいの感じ。
でもそんな第一印象を一瞬にして吹っ飛ばす、この派手なしつらえ。
一体この資金力はどこから来るのか?
う~~ん・・謎だ・・・・(悩)。
本堂の横、ちょっと先にこんな建物があります。
「友禅堂」。
これは加賀友禅の名前の元ともなっている、宮崎友禅斎を偲んで建てられたもの。
なぜここにそんな建物があるのかと言うと、その宮崎友禅斎の墓がこのお寺で見つかったからです。
冒頭にチラッと書いた「龍国寺と加賀友禅の繋がり」とはそういう事なのです。
お堂の形式は方形(ほうぎょう・正方形)、多分。
多分ってのは、正確には正方形になっていないからです。
でもよーく見るとあちこち出っ張ってる部分はどうも後から付けたした感があるので、多分元々はきれいな方形。
それにゴチャゴチャ追築した結果、今の形になったと思われます。
ちなみにこのお堂、人が住んでるらしいです。
友禅作家のおばあちゃんが、去年からここに暮らしてせっせと創作活動にいそしんでいるのだとか。
その看板がこちら。
『加賀友禅工房 欒堂(らんどう)』。
フリガナがないと絶対読めない、難しい~名前(笑)。
最初に見たお寺へとつながる細い階段の途中にあります。
ちょっと調べてみると、「家族団らん」の「ラン」がこの字(欒)みたいですね。
要はみんなで楽しく語らうがごとく、加賀友禅を通して多くの交流を深めていきましょう、とそんな意味があるのでしょう。
今や加賀友禅の業界関係者にとっては聖地ともなっている龍国寺。
でもそんなの関係なくても、なかなかに楽しめるいいお寺です。
どうか訪問の際には、「このキンキラリン本堂作るカネは一体どこから来るんだろう??」というミステリーに首をひねりながらお参りください。
まあ多分加賀友禅の業界からどっさり寄進受けたんだろうけど(笑)。
毎年5月17日には「友禅まつり」が開催されます。
余裕があればそんなタイミングも狙ってみてください。
はづ貴 ごろっとビーフカレー 住宅街の中にある隠れ家的カレー屋さん
2020年10月12日
仏像展ってのに行って来たのですよ。
なんやら有名な仏師さんの作品展らしくて、会場には100体以上の仏像がゴロゴロ。
庶民的な親しみやすいものから、シリアスな本格派のものまで、いつまで眺めてても飽きない程バラエティ豊かなラインナップ。
どれも超カッチョよ~くて、脳天までシビれるような神秘感!
どれ?お値段は・・・と見てみたら、一番安い小坊主の木像で16万、一番高い彫金処理した大日如来になると2,750万!
・・・・・・・・・・・・・・・・(沈黙)。
退散。
はい、カレーを食べに内灘へ。
ビンボー人はカレーを食べるのです。
仏像ロマンはいつか大金持ちになってから!(←いつ?)
こちらは住宅街の中にぽこっとあるお店で、カレー屋と言っても民家の改装店舗。
なので素通り注意。
完全に周囲に溶け込んじゃってるので、初めての人はよ~く目を凝らして探さないと見落としてしまいます。
メニューは色々ありますが、この日選んだのは”ごろっとビーフカレー”。
その名の通りゴロンとした牛肉が乗っけてあるカレーです。
こいつをサイズ”大盛”の上の”得盛”にして、もりもり元気に食べたおしまっす!
ごろっとビーフカレー、まずはベースのルー&ライス。
ルーはドロ系。
水分の少ないこってりした質感で、口当たりもずっしり。
甘旨く、深いコク味でじんわりじんわり厚みを増していく。
味わいは酸味強めで刺激弱め、後味に唐辛子の辛みがほんのり残る程度。
多分辛いの苦手な人でも十分イケる味。
ライスも水分やや少なめ。
そのぱらっとしたライスにごってり重いルーが絡むもんだから、さらに味わい重く。
ルーの重度+ライスのボリュームで、実食量以上の重圧感がずっしりと胃に積み上がっていく。
ビーフは一口サイズのものが数切れ。
”ごろっとビーフ”の名の通り大粒にカットされてて、食べ応え十分。
このお肉がンもぉ~や~んわらかくてね~♪
ほっちゃんほっちゃん♪
すくっと歯を通し、舌の上ではらりとほどけ、濃密な肉汁をじんわ~と広げる。
そしてむわむわ~と膨張する肉のうま味。
この贅沢感!たまんね~!(涙)
あとはひたすらカレーとライスをばくばく頬張って。
お肉もぐもぐ噛んで。
甘み+スパイス+お肉の融合を思い~~っ切り楽しんで。
幸せ~で頭にお花いっぱい咲かせて。
完食。
はづ貴の”ごろっとビーフカレー”。
ベースのカレーがパワー満点に美味くて。
トッピングの肉も文句なしにクオリティ高くて。
最初から最後まで食べ応え満点で。
たらふく楽しめた、最高のカレーでした。
やっぱ庶民は仏像よりカレーじゃ!(←?)
ごちそうさま。
[参考]
・ごろっとビーフカレー:1,000円
・得盛:250円
上荒屋史跡公園 住居の痕跡から古代の生活の様子を見る
2020年10月10日
閑静な住宅地の中にある、一見どこにでもありそうな公園。
でもここ、地面の下に重要な遺跡が眠っています。
それは奈良時代から平安時代前期にかけての荘園跡。
昔学校で習ったと思いますが、荘園とは貴族とか豪族とかの領地です。
つまりこの辺一帯は、古代の有力者の私有地だったのです。
その建物や運河の跡が、ここから見付かったのです。
最初に公園の全体図を見ていきます。
大きな見所は3つ、「綾庄」「東荘」「運河」。
綾庄は建物跡、東荘は復元建物、運河は形状復元です。
中央は芝生広場になっており、この日は親子がサッカーの練習をしていました。
熱血指導のとーちゃんと全然言う事きかんマイペース息子との凸凹ぶりが見ててオモロくて・・・まあそこは別にどうでもいいけど。
ではひとつずつ見ていきます。
こちらは綾庄。
現場は保全のためコンクリートでガッチリカバーされています。
所々に打たれている丸や四角は柱の跡の目印です。
当時の建物は「掘っ立て柱建物」と言って、柱を直接地面に打ち込む構造でした。
これは建てる時は手っ取り早くて楽なんですが、柱の腐りが早く、耐久性に欠けます。
その欠点を克服するために考えられたのが、礎石を地面に置いてその上に柱を乗せる「礎石建て」です。
なので建物の遺跡が見付かったという時には、ちょっとその辺を注意してみてください。
「掘っ立て柱を打ち込んだ痕跡が見付かった」のか、「礎石が並んでいるのが見付かった」のか、このどちらかのはずです。
確認された柱跡から推定すると、建物は全部で4棟。
ほぼ同じ規模の建物が縦2列・横2列で並んでいました。(※分かりやすいように色を付た部分がソレです)
サイズは約7.4×10.5メートル。
入口がどこにあったのかは分かりませんが、多分辺の長い方じゃないですかね?
用途も謎。
倉庫だったのか?住居だったのか?
そこは色々イメージして遊んでみてください。
こちらは運河の跡。
復元は途中で切れてますが、当時は多分もっと先まで続いていたと思われます。
根元はこのすぐ近くにある安原川。
恐らく大量の人夫を動員した、異例の大規模工事を敢行して繋げたのでしょう。
相当の権力者じゃないとできませんね。
発掘調査から運河は深さ2メートル・幅は8メートルほどの規模であったと推定されています。
利用目的は水運。
つまりここを拠点に物資を搬入・集積・搬出していた訳ですね。
その事を示す船着き場跡も確認されているそうです。
地図で見るとここから海まではそれほど遠くなく、船を使って安原川を下ればすぐに日本海に出られます。
なので海を経由し、遠方までの輸送なんかも行われていたかもしれません。
最後に東庄。
こちらは当時の建物の想像復元です。
桁行5間、梁間2間、切妻平入り、正面に5間のひさし付き。
今でこそ、おや?小屋かい?って程度ですが、当時のレベルでこの規模の建物は相当なサイズだったと考えられます。
うおっ!でけぇー!!(驚)くらいのインパクトはあったでしょう。
用途はやっぱり不明。
多分人が居住して、役所的な使われ方をしてたんじゃないかなー?と思いますが、どうでしょうね。
柱はかなりゴツイのが使われています。
見るからに頑丈そうなヤツ。
ここは雪国ですんでね、冬場の事を考えたらこのくらいの柱は必要だったでしょうね。
今でこそ温暖化で毎年暖冬続きですが、本来は豪雪地帯。
中途半端な柱じゃ耐えられなかったはずです。
ただ加工技術は今ほどじゃないので、実際はもう少しぐんにゃりした建材だったかもしれません。
壁なんかもきれいに塗られていますが、本当はもっとラフなものだったでしょうね。
それこそ数年でボロボロ落ちてくるようなもの。
それを繰り返し修繕して持たせていく、みたいな使い方をしていたことでしょう。
古代日本の社会の様子を今に残す上荒屋史跡。
残念ながら当時から生の姿のままで残っているものはありませんが、その分イマジネーションが働きます。
どこにどんな建物が建っていたのか?
ここでどんな生活が営まれていたのか?
他地域とどう繋がり、どんな交流が行われていたのか?
想像は尽きません。
どうか自分なりの当時の姿を思いっ切り空想しまくってください。
このすぐそばには東大寺領横江荘遺跡という、同年代の遺跡がもうひとつあります。
そこも合わせて訪れれば、さらに古代のロマンが深まりますよ!
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