白山町遺跡現地説明会 永遠に答えが分からないのが考古学
2025年05月03日
白山市(はくさんし)が主体となって進められた白山町(しらやままち)遺跡の発掘調査。
先日、その成果報告会が行われたので行ってきました。
場所は北陸電力白山ダム管理所のすぐそば。
ここに公園を作る計画が持ち上がり、その前に掘っちゃえーって事で調査したようです。
出てきたのは縄文時代と中世の遺跡・遺物。
特に目玉となったのが「道路状遺構」と呼ばれる痕跡でした。
現場の眺めはこんな感じ。
幅20メートル、長さ100メートル、深さ1メートルくらいの範囲が掘り返されています。
ぱっと見、土と石がダラダラあるだけで、どこにでもある工事現場みたいな感じ。
白い線で引かれたマーキングによってかろうじて遺跡的な雰囲気が出ている、そんな場所でした。
こちらが「道路状遺構」。
両サイドに溝が掘られたほぼ直線の形状を成していて、確かに道路と言われれば道路っぽい。
ただちょっと狭いんだな。
でもそんなに人の往来の多い所でもないだろうし、この幅で十分と言えば十分な気もするし。
道路なのか?道路じゃないのか?
う~んミステリー・・・。
この遺構、断面はどうなってんだ?って事でトレンチ調査(面ではなく線で切断するように掘るやり方)も行われています。
それがこの部分。
ちょっと遠目で分かり辛いですが、この部分だけ粘土質になっていて、明らかに盛り土が行われた形跡があります。
石も少ない。
やっぱ道路っぽいな。
盛り土されてるって事は、組織的な土木工事が行われたっていう査証になるし。
道路以外に説明がつかん。
そんな道路をバスっと切断するように走る溝。
これは別にここで道路が切れてたって訳じゃなく、発掘調査の段取り上、道路遺構を削って掘り出してあります。
両者は時代が違い、溝がまず先で、その後に道路。
恐らく道路が作られた頃には溝はもうなくなっていたと考えられています。
この辺りジレンマだわな。
掘ったらなくなるし、掘らにゃ下の状態は分からんし。
判断の難しいところです。
土坑跡。
何らかの生活痕と考えられています。
何の穴かね?
家が建ってた訳じゃなさそうなので、柱の跡じゃない。
貯蔵穴?
食料用?
分からん・・。
こちらの楕円部分は縄文時代の痕跡。
全体としては中世の遺構なのに、ここだけ部分的に縄文土器が出土しています。
不思議な話だわな。
同じ面を掘ってても、あっちからは中世、こっちからは縄文と、異なった時代の遺物が出てくる。
多分地中で地層がうねうね湾曲してるからこんな現象が起こるんだろうけど。
分かってても不思議な感じ。
最後に石の謎。
南から北に向かって、多→少→多とはっきり量が変化しています。
なぜか?
これについては発掘担当の人にも分からんそうで。
たまたまなのか、何らかの理由があるのか。
たまたまこうはならんだろうから、やっぱなんかこうなった理由があるんだろうとは思うけど。
それが何かは分からん。
難解じゃ・・(悩)。
様々な宿題を現代に残した白山町遺跡。
なんか消化不良過ぎて、頭の中もんもん!
考古学者ってきっと毎日こんなもんもんと戦ってんだろうね。
ストレス溜まりそー!(笑)
なおこちらの遺跡、間もなく埋め戻し予定なので生で見られるのは今だけです。
興味がある人は急いで見に行って下さい。
白山町遺跡
住所:白山市白山町タ35番
関連タグ >> 遺跡
薬王院 温泉寺 「あいうえお」はここから始まりました
2025年04月26日
湯治客で賑わう山代温泉の一角にシブ~いお寺があります。
その名も温泉寺、名前から分かる通り温泉を守るために建てられたお寺です。
なんでも創建にはあの奈良の大仏建立に関わった超レジェンド、行基(ぎょうき)上人が関わっていると伝えられていますが、ぶっちゃけ怪しい感じ。
実際はどうなんかね?
場所は山代温泉総湯のすぐ近く。
歩いて3分程の所にあります。
寺の入口にはいきなり謎オブジェ。
明覚(みょうかく)上人の発案した「五十音図」を顕彰する碑です。
五十音って誰でも知ってますよね?
「あいうえお」「あかさたな」のアレです。
あの並びを最初に考案したのが、このお寺にいた明覚上人と言われています。
いわば日本語発音の基礎を作った人。
それがここから生まれたんだ~って事で、地元では大いに自慢のタネとなっています。
その先にドガーン!とそびえる山門。
まるで龍宮城の入口のような、ちょっとオリエンタルタッチな意匠。
派手だわな~。
今でこそ色があせてシックな印象になってますが、建造直後は相当ビビッドな色彩だったはず。
イメージ的には沖縄の首里城の門のような、あんな感じだったんじゃないかな~?
その派手門をくぐると、再び門。
今度は両脇に金剛力士像を備えた仁王門。
こちらの仁王さま、ちょっと変わってまして、両像ともなぜか目線を左に向けています。
普通は互いに真ん中を向き合うんですけどね。
理由は不明。
全く不明。
なんでやろ~?ってしばらく考えたけど、サッパリ分からん。
なんでや?
さらに参道を進むと、左手に八角形のお堂。
観音堂です。
慈光観音という、ちょっと聞き慣れん名前の観音さまが祀られています。
建物自体はそんなに古くなさそうですね。
30~50年くらい?
そろそろ古みが出始めるかな~くらいの、ミドルエイジな感じ。
もう50年もするとさらにシブみが増してんだろうな。
堂内中央には黒味を帯びた観音立像。
左右には位牌や宝塔がズラリ。
観音像だけやけに古いね。
なんでもこのお寺には平安時代に彫られた十一面観世音菩薩像ってのがあるらしいんだけど、それがこれなのかな?
そう言われてみると、のっぺりしとた表情は確かに平安頃の仏像を思わせる雰囲気。
光背(こうはい・頭の後ろにある金の輪っか)と水瓶(すいびょう・左手に持ってる花瓶)はなんか浮いた感じがするので、後世の付け足しなのかも。
そのすぐ先に本堂。
これまた龍宮城を連想させる、エキゾチックな外観。
美麗だわ~♪
水平性を強調した入母屋屋根と格調高い唐破風屋根。
キレッキレに映えるグリーン・レッド・ホワイト。
エッジのきりっと冴えた精緻な彫刻。
格調高さと雅がまぶしいほどに輝く、目の覚めるような建築です。
素晴らしい~!
ただ内部は残念。
狐格子でガシャーンと閉ざされてて、奥の様子が視認不可。
室内も見たいな~。
上を見ると菊の紋章。
かつて花山法皇がこの地を訪れたって事なので、それにあやかっているのでしょう。
とは言っても今から1000年以上前の平安時代の話で、現在も皇室と何らかの繋がりを持っているのかは不明です。
その本堂の斜め前にある崖。
これがまたシブくてね、ワビサビ感全開。
岩・苔・植栽がモザイク状に入り組み、ちょっと禅宗寺院の庭のような雰囲気。
この崖、人の手で作られてますね。
ここだけ不自然に岩がゴチゴチ集中してて、明らかに不自然。
恐らく修行のための瞑想場としてデコレーションされたのでしょう。
脇には裏山へと続く石段。
「あいうえおの小径」と呼ばれる通路です。
何が「あいうえお」かと言うと、段のステップを見ると分かります。
一段一段に「あ」「い」「う」「え」「お」と刻まれたタイルが貼られているのです。
しかもただの「あいうえお」ではありません。
平仮名だったり、カタカナだったり、漢字だったり、ハングル文字だったり、なんや色々。
ここを登る時は足元にも注意しながら登ってみてください。
その終点に建つ小さなお堂。
明覚上人を祀ったお堂です。
中にはボロっち~い五輪塔がちょこん。
この五輪塔、鎌倉時代に作られたものだそうです。
って事は1000年近く経っている計算になりますが、その割にはコンディション良好。
多分ずっと屋根の下に置かれ、風雨から守られてきたのでしょう。
もし雨ざらしだったら、きっと今頃はただの石クズになっていたはず。
そんなに広くないけど、その分見所がぎゅっと詰まった温泉寺。
最強は本堂だわな。
とにかく建築が素晴らしい!
ただ中が見れんのが残念なので、ぜひ室内もしっかり見学できるようにして欲しいな。
時間と体力のある人は、このさらに奥もどうぞ。
四国八十八ヵ所加賀霊場ってのがあって、石仏が延々並ぶ散策路が楽しめます。
半分山登りみたいな道ですが、独特のスピリチュアルな空気が格別ですよ。
餃子のあひる 餃子定食 この餃子、エンドレスに食えるわ~♪
2025年04月19日
黒豆せんべいが好きでね。
昔はどっさり買って来てはバリバリ食ってたんですが、最近は高くなってねー。
数年前ならドラッグストアで128円で買えたのに、今じゃどこ行っても178円。
高過ぎるー!!!
黒豆せんべいだけじゃないわな。
米もガソリンも電気代も、なんでもかんでも高くなって。
何一つ安くならず。
ビンボー人にはどんどんツライ世の中へと変わっていく。
ああ・・黒豆せんべいが安く食えた日々が恋しい・・。
黒豆せんべい(泣)、黒豆せんべい(泣)、と号泣しながら餃子のあひるへ。
カウンターに座ってメニューを物色、しばらく迷い、一番ベタな“餃子定食”をチョイス。
ごはん大盛りにして、食べたおします。
餃子の皮は舌触りぬっとり、噛み心地もちもち。
小麦の甘みがふんわり優しい。
中にはたっぷりの餡。
挽肉より野菜中心で、バリバリとした破砕感とツンとした植物香が強烈。
後からリッチな肉のうま味がゆるりと追いかける。
今度はごはんと一緒に。
ごはんはふんわりふわふわ。
すわっと鼻をくすぐる香ばしさが心地良い。
この上にどさっとかぶさる餃子。
じゅわじゅわに流れ出すつゆが極上のジュースとなり、味のボリューム激アップ!
頬張るほどに幸せボルテージが上りまくり、湧き出す唾液がさらに美味さを盛り上げ。
ンもぉ~涙あふれる充実感♪♪
玉子スープ。
液質とろり、溶き玉子のトロトロ感が加わってさらにとろり。
味わい薄く、鶏ガラのライトな味がさっと流れる。
餃子の爆裂インパクトとは真逆の淡々テイスト。
完食。
餃子のあひるの“餃子定食”。
野菜中心の餃子はヘルシー感いっぱい、満足感最強。
あふれる美味さ、腹いっぱい楽しませてもらいました。
ごちそうさま。
[参考]
・餃子定食:800円
・ごはん大盛り:150円
餃子のあひる
住所:石川県野々市市矢作 3-128-3
TEL:076-246-0660
栄谷丸山横穴群 コウモリに注意してご鑑賞ください
2025年04月12日
加賀の山裾、閑散とした村落の一角に古代の群集墓があります。
栄谷丸山横穴群(さかえだにまるやまよこあなぐん)、古墳時代後期に掘られた横穴墓群です。
ぶっちゃけね、陰鬱な場所です。
薄暗いし、人気ないし、全然整備されてないし。
そもそもお墓だし。
どうぞ勇気を持って侵入してください。
山肌にボコボコと展開する穴、穴、穴。
全部で13基確認されているそうです。
なかなかヤバイよ、雰囲気。
なんか出てくんじゃないの?みたいな。
霊感とかある人には、何か感じるものがあるかも?
わたしゃそんなんねーからズンズン進むけどね。
穴の中はこんな感じ。
奥行3メートル・高さ1.5メートルほどで、天井はアーチ状。
こんなんどうやって掘ったんかね?
だって古墳時代よ。
金属器はまだほぼない時代、当然鉄のスコップやツルハシなんてありゃしない。
やっぱ石器でゴリゴリ掘ったんだろうな。
地質は凝灰岩。
凝灰岩とは火山灰が降り積もって石化したものです。
元が粉なので固まってもたいして硬くならず、爪で削り取れるほどの柔らかさです。
とは言っても、これだけのサイズの穴だからね。
ひとつ掘るのにかなりの手間暇がかかったはず。
一体何人がかりで掘ったんだろうね?
構造は前室+玄室でできています。
玄室は被葬者が納められている部屋、前室はその手前にある部屋。
今はちょっと確認できませんが、そのさらに手前には恐らく羨道(せんどう・通路)と侵入防止のための封印もあったでしょう。
完成直後の姿ってどんなんだったんだろうな?
きっともっときちんと整備されてて、葬送の場にふさわしい清浄な空間だったんだろうな。
当時の眺め、見てみたいな~。
中には埋没しかけの墓穴もあります。
と言うか、本来は全部塞がれてんですけどね。
じゃなきゃ、1000年以上前に掘った穴なんてとっくに崩壊してるはず。
現在のように穴がぼこぼこ口を開けているのは昭和の発掘で掘り返したせいで、それまではずっと土の中に眠っていました。
って事は逆に言えば、このまま放置しておいたら崩れてなくなるって事でもあります。
実際ね、崩れ始めてるのもありますよ。
分かりますかね、穴の奥、天井がボコっと落ちてます。
崩落の始まりですね。
当たり前だわな。
土の中にあるならまだしも、雨風にさらしっぱなしにしたら速攻壊れるわな。
今日・明日なくなるって訳じゃないにしろ、このままじゃ数十年もすりゃ形を失うだろうな。
こちらは一番デカい穴。
他の穴とは明らかな格の違いを感じます。
きっとエラ~イ人が葬られてたんだろうな。
例えば首長クラスの権力者。
穴のサイズから想像するに、恐らく生前から掘り始めてたんじゃないかな。
案外被葬者本人も穴掘りに参加してたのかも?
中は広々。
奥行5メートル、高さ2メートルくらいあります。
身をかがめなくても余裕で歩行できる広さ。
この穴、現場にいる時は気付かなかったけど、後で画像確認したら奥にコウモリめっちゃぶら下がってたみたいで。
気持ち悪ッ!
横穴ボコボコで少々薄気味悪い栄谷丸山横穴群。
昼間に来る分には大丈夫です。
若干足場悪いですが、まーなんとか見て回れます。
コウモリを刺激しないよう、静かに見学してってください。
なお現場は木や竹に覆われてて、道路からは視認困難。
車で通っただけじゃちょっと見付け辛い感じになってます。
google mapを頼りに探してみてください。
栄谷丸山横穴群
住所:石川県加賀市栄谷町
関連タグ >> 古墳
富山市郷土博物館 復元模型のテクノな仕掛けがイカスのよ!
2025年04月05日
富山城址公園内にある存在感抜群の天守閣。
それが富山市郷土博物館です。
ただこの天主閣、復元でなく単なるモニュメントです。
元々富山城には天守閣はなく、昭和29年に富山産業大博覧会の会場として建てられたものです。
とは言え、場所が場所なんでね。
何の違和感もなくしっくり収まっています。
展示室のレイアウト。
ルート通りに進むと、「富山城研究の現在」→「中世」→「近世」→「近現代」。
折り返して企画展示室、最後に展望台へ。
そんなに広くはないです。
でもその分情報がコンパクトにまとめられてて、効率的。
富山城の歴史をざっと俯瞰できます。
館内に入ってまず最初に目につくのがこの瓦展示。
富山城址公園東側にある千歳御門の瓦です。
左の本瓦は本物(左下の1枚だけリメイク)、右の鬼瓦は丸々リメイク。
すごいな、疲労感が。
瓦って頑丈なイメージがあるけど、176年も経つとこんなにパゲパゲになるのな。
ボロさが逆にカッコイイわ。
そしていよいよ展示室。
ここから一気に空気が変わります。
黒で染められた室内はタイムスリップ感でいっぱい。
素晴らしいな、このギアチェンジ。
「現代」という時間感覚を一気に消し飛ばす、幻想世界への導入口。
わくわくが止まりませんわ!
その突き当りにミニシアター。
富山城誕生の経緯を手短に解説しています。
これがまた結構ゴチャゴチャでね。
1回観ただけでは、??、みたいな感じ。
なんたって同盟・裏切りが目まぐるしく交錯する戦国の世の話ですんでね。
頭の中を整理しながら、ひとつひとつ順を追って理解してって下さい。
富山城跡からの出土品。
かわらけ、鍛冶製品、炭化穀類が展示されています。
今もね、掘れば出るらしいですよ。
ひょっとしたら自分が今立っている足の下にもものスゴイ物が眠ってるかも?
そう考えると、ちょっとロマンですな。
銀鯰尾形兜(ぎんなまずおなりかぶと)。
頭頂ににゅーっと伸びてる長いヤツがナマズの尾を表現しているんだそうで。
地震を起こすほどのパワーを持つナマズの力をその身に宿す、という縁起を担いでいます。
これ、127センチもあるらしいですよ。
こんなの被ったら重いし安定悪いし返って邪魔だろ、と思うんですけどね。
実用性低いわ(笑)。
越中国富山古城絵図。
1647年に幕府に提出された絵図の写しです。
よく見ると、石垣が崩落していたり雑草が荒れ放題になっている様子が描き込まれています。
これは廃城後のノーメンテナンス状態をそのまま描いたからなんだとか。
もったいないなー。
見たかったわ、ちゃんとお城として生きてた頃の富山城。
廃城のきっかけは火事による全焼らしいけど、これがなきゃ今もある程度は形が残ってたのかな?
残念!
この博物館の一番の目玉、富山城復元模型。
これがねー、イカスんだわ。
音声と照射によるビジュアル説明で、富山城の構造や変遷が手に取るように分かる。
「歴史」という過去と「テクノロジー」という現代技術が融合した、タイムトラベルマシン。
これ作った人、素晴らしいわ♪
・・・で、どんだけカネかかったの?(←そういう所が気になる)
さらにこのジオラマ、裏側にも仕掛けがあります。
表側が現役バリバリだった戦国期なら、裏側は明治以降の変化の様子。
ここにあの建物が建ったとか、あっちにこの建物が建ったとか。
表側に比べればややインパクトは薄いんですけどね。
ただ時代が近い分、こちらの話はなんだかリアル。
移り行く世の流れみたいなものが生々しく感じられます。
最後に天守展望台からの眺め。
富山城址公園全体はもちろん、富山市の街並みがざっと見渡せます。
気持良いですよ、高い所からの景色。
い~い感じに風も吹き込むし。
どうぞ殿さま気分でお楽しみください。
富山城の今昔が分かる富山市郷土博物館。
知識ゼロで大丈夫です。
ここで全部分かります。
分からんでも、とりあえず眺めてるだけで楽しめます。
せっかく富山城跡に遊びに来たなら、ここは必ず寄ってってください。
あっと、最後にひとつ。
この公園の地下に駐車場が併設されているのですが、不当に高いです。
車で来られた方は周辺にある民間のコインパーキングの利用が絶対にオススメです。
どうぞ、お忘れなきよう。
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