
旧司祭館 金沢と不思議な縁で繋がっている明治建築の遺構
2021年04月05日

旧開智学校校舎のすぐ隣に、テイストはかなり違いますが、もう1棟の西洋建築があります。
旧司祭館です。
建造は明治22年。
フランス人神父のオーギュスタン・クレマンが、司祭の住居として建てました。
以来100年近くに渡り、カトリック宣教師達の活動拠点として使われたそうです。

基壇はレンガ製。
よく見るとレンガの積み方、長い方と短い方が1列ごとに変えられているのが分かります。
これは「イギリス積み」と呼ばれるもので、いくつかあるレンガ積みのパターンのひとつです。
でもこの建物はフランス人が建てたもの。
建てたのはフランス人なのに、積み方はイギリス式。
う~~~ん、ややこしい・・・・。
別に積み方の名称と作る人の国籍は全然関係ないんだけど(笑)。
何気に換気の穴がきれいなアーチ構造になってますね。
西洋の石積み建築でよく見る形。
ん~~~ヨーロピアン♪

外壁は下見板張り。
これは日本の伝統建築でもよく見られる張り方ですが、この場合は別に和風に仕立てたって訳じゃなく、アメリカ開拓時代のコロニアン・スタイルのやり方を持ってきてるんだそうで。
その象徴がバルコニー。
この「下見板張り」+「バルコニー」ってのがコロニアン・スタイルのひとつの典型パターンで、確かに西部劇の映画の中なんかでよく見掛ける構造です。
ちなみにこれとよく似た建物が金沢にもあります。

それがこちら、ウィン館。
アメリカ人宣教師トマス・ウィンが明治21年に建てた建物です。
やっぱり壁は下見板張り、前面にバルコニーを備えた、コロニアン・スタイルとなっています。
用途も旧司祭館と同じで、外国からやって来た聖職者の宿舎として使用されていました。
ちなみに旧司祭館を建てたオーギュスタン・クレマンや、ここを拠点に活動をしていたギュスターヴ・セスランは一時期金沢にいた事があります。
その時にはもうウィン館があったので、滞在中はここで過ごしていたかもしれません。
長野と金沢を繋ぐ不思議な縁です。

話を戻して、旧司祭館。
建物の形はほぼ正方形になっていて、1階はお風呂を含めて5部屋、2階には4部屋が備えられています。
残念ながらここに人が住んでいた頃の調度品等はほぼ残っておらず、ここが寝室、ここが食堂といった案内があるだけ。
もう少し当時を感じられる生活臭があったらいいんですけどね。

そんな数少ないかつての生活の痕跡のひとつがこちら、マントルピース(暖炉)。
カッコイイ~じゃないですか~♪
わたしね、居間にマントルピースのある家にものすごく憧れがあるのですよ。
パチパチと薪を燃やしながら、ロックチェアなんかに揺られて、ゆったりと時間を過ごす。
イカス~~~!!!
ま、ここの場合は別に贅沢趣味のためにあった訳じゃなくて、純粋に暖を取るための設備だったんですけどね。

マントルピースの蓋を開けると中はこんな感じ。
意外と狭い。
これだとそんなに豪快に薪を突っ込めませんわね。
チョロチョロと燃やすのが精いっぱい。
まあそれでも長野の冬は厳しいですからね。
こうやって細々と火を焚くだけでも、全然暖かさが違ったのでしょう。

こちらは窓。
いかにも西洋建築的な縦長の形状。
窓+鎧戸のボロっちい二段構成がシブいですわね~♪
ところで突然ですが、なんで日本の窓は横長が多く、西洋の窓は縦長が多いかご存知でしょうか?
その理由は構造にありまして、日本の建物ってのは「柱」で全体を支えているのですよ。
なので壁に窓や出入口としての穴を大きく空けても全然問題ないのです。
でも西洋の石積み建築は「壁」で支える構造になっているんですね。
なのでその壁に窓や出入り口の穴を空けちゃうと、一気に強度が落ちるんです。
だから縦長にしたり、上部をアーチ構造にしたりして、できるだけ壁の強度を落とさないようにしているんですね。

最後にバルコニー。
外枠全面にがっちりガラスがはめ込まれています。
このガラス、なんでも後付けなんだそうで。
コロニアン・スタイルでバルコニー作ったのはいいんだけど、いざ使ってみたら寒い!寒い!
長野の風、ハンパねー!って事で、ガラスで覆ってふさいだんだとか。
フランス人よ。
日本の冬をナメんじゃねー!!(←なぜ自慢?)

明治期のレトロ感をむんむんに今に残す旧司祭館。
まー素敵ですわ。
お隣の旧開智学校校舎まで来る機会があれば、こちらも忘れずに訪問していってください。
そしてもし金沢に来ることがあれば、ウィン館もぜひ見て行って下さい。
同じような時期に建てられた同じような建物。
色んな共通項があって、比較しながら眺めると楽しいですよ~!
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