店主たみこの観光案内ブログ

旧開智学校校舎 西洋建築と日本建築のチグハグなドッキングにハートどきゅん!

2021年04月03日

旧開智学校校舎

 

明治~大正頃に日本中で流行った擬洋風建築。
その遺構のひとつがこの旧開智学校校舎です。

 

建てられたのは明治9年で、元々はその名の通り学校(小学校)でした。
設計したのは立石清重(たていし せいじゅう)という幕末生まれの大工さんで、親父さんも大工の棟梁だったそうです。
建築に当たっては東京の開成学校や山梨の日川学校、琢美学校などを参考にしたと言われています。

 

これが色々なエッセンスが詰まってましてね。
面白いんですわ~♪
ひとつひとつ見て行きましょう。

 

旧開智学校校舎の前庭

 

まずは前庭。
ガッチガチの西洋型の整形式庭園。

 

日本庭園ってのは自然を取り込み、自然を模すってのが基本思想なのですが、西洋式は逆。
「人工的」「人工的」「人工的」、徹底的に「人工的」なビジュアルに仕上げます。
その長たるのがシンメトリー(左右対称)。
この庭も完全なシンメトリーとまではいきませんが、自然界にはない直線と直角でビシビシ構成された「人工的」なアウトラインになっています。

 

旧開智学校校舎のファサード中央

 

そしてこの建物の最もシンボリックなポイントが、この「正面入り口」→「バルコニー」→「八角塔」とつながる縦のライン。
西洋?和風?どっちよ?と思わずツッコミを入れずにはいられない、不思議なフュージョンが成立しています。

 

まず目につくのが虹梁上の白い龍の彫刻。
これ、がっつり寺院建築のデコレーション。
その上にはバルコニー。
日本建築にはない、バリバリ西洋の構造。
ところがその欄干に施されているデコレーションは、寺院建築によく用いられる雲形紋様。
その上に続く「開智学校」の看板両脇にはザ・キリスト教なエンジェルを配し、でもそこに寺院建築様式の唐破風屋根をかぶせる。

 

どーなってんのよ、もー??(笑)

 

中央のバルコニーと塔

 

八角塔ってのも微妙ですよね。
確かに西洋建築、特にお城なんかにこの形の塔がよくあります。
でも日本の寺院建築にも八角形のお堂(八角堂)ってのがありますし。
どっちを意識したものなのかが、かなりあいまい。

 

さらにパーツごとのデザインもやっぱり西洋・和様入り乱れてて、天頂のファイニアル(避雷針みたいなやつ)と風見鶏は明らかな西洋式。
その下のアーチ窓や扉、レンガ壁も西洋式。
でも欄干の唐草模様や擬宝珠はバリバリの日本の寺院建築の様式。

 

完全なるカオスですわ。

 

壁面角のコーナーストーン

 

あと面白いのがこの外壁の角部分。
これはコーナーストーンと呼ばれるもので、西洋建築の仕立て。

 

なのですが。

 

これフェイクなんだそうです。
そもそもコーナー「ストーン」って名前から分かる通り、これって本来石積み建築の装飾なのですよ。
でもこの建物は木造。
ですので石なんてどこにも使われておらず、壁の上に漆喰をごてごてに盛り塗って無理やりそんな感じに見せかけて作ってあるんだそうです。

 

ダマされちゃ~ダメよ(笑)。

 

ちなみに先述の八角塔下部のレンガも、これと同じ手法でフェイクしてあるそうです。

 

旧開智学校校舎の廊下の様子

 

中は超~~~レトロな世界。
板張りの床に、白漆喰の壁。
天井は紙貼り。
黄色い光を放つ照明の照り返しがあやふやで、なんか情緒感いっぱい。

 

この構造はガチガチの西洋式ですね。
日本家屋は部屋と部屋の間を襖で仕切る程度にして境界をあいまいにしますが、西洋はひと部屋ひと部屋を壁でがっちりふさいでクローズしちゃいます。
そもそも建物の目的が学校ですんでね、この構造の方が合理的だったのでしょう。

 

旧開智学校校舎の再現教室

 

元教室だった部屋は現在展示室となっており、当時の教室風景を再現したり、かつての学校の様子・資料なんかが展示されています。

 

いいですわね、こうして昔の机や椅子なんかがそのまま残ってるってのは。
過去の姿がハッキリとイメージできる。
何でもポイポイ捨てちゃダメですね。

 

金沢にも「金沢くらしの博物館」って昔の校舎が残ってんですけど、当時の机と椅子は一組しかないんですよ。
なので教室を再現してもこんな感じ。

 

金沢くらしの博物館の再現教室

 

ご覧の通り机と椅子は全部復元で新調して、しかも内装まできれ~にリフレッシュ。
なので時代感ぶっ飛んじゃってて、全然昔っぽくない。
実に寂しい。

 

これと比べると全然説得力が違いますね、ホンモノは。

当時の空気の匂いまで伝わって来るようです。

 

明治天皇御座所

 

二階に上がるとこんな部屋があります。
「明治天皇御座所」。

 

ここ何かって言うと、明治13年に天皇陛下が巡幸した際、休憩を取った部屋だそうです。
なのでここだけ畳敷きで赤カーペットまで敷かれています。

 

ここでちょっと注目して欲しいのが奥にあるもうひとつの部屋。
床面が1段底上げてあるのが分かりますね?
これは「上々段の間」と呼ばれる、江戸時代なら将軍とか天皇クラスにしか許されなかった超最上級の格式を表す造りです。
天皇陛下がいらっしゃるという事で、急遽リフォームしてしつらえたんでしょうね。

 

旧開智学校校舎の講堂

 

さらに廊下を進むと、右手に長細く区切られた大きなスペースが現れます。
講堂です。
館内ではここがスペース的に一番広く、恐らく集会や特別な催しなんかが行われる場所だったのでしょう。

 

バルコニーへの入口

 

この講堂、よーく見ると、壁際にステンドグラスの窓が1ヵ所あります。。
この部分、実は最初の方で見たバルコニーの背面部分に当たります。
え?窓から出入りすんの?変じゃね?不便じゃね?と思われるでしょう。
そう、実際変なのです、不便なのです。
バルコニーに出るにはこの窓を開けて、よっこらしょっとまたいで行き来しなければならないのです。

 

なんでこんな妙な構造になっているのかは謎。
恐らくあのバルコニー、機能的な目的があって付けたものではなく、あくまで装飾的なものとして設置されたものなのでしょう。

 

八角塔の内部

 

そしてこちらが屋根上にある八角塔の内部・・・の写真の画像。
残念ながら八角塔内部には入れません。
一番行ってみたい所なんですけどね。

 

コッソリ行こうと思っても、入り口のドアには鍵が掛かっています。

完全シャットアウト状態。
鍵開けの技術のある人のみ、挑戦してみてください。(←ダメです)

 

旧開智学校校舎の門

 

明治レトロの気分が思いっ切り味わえる旧開智学校校舎。
和風なのか?洋風なのか?
重箱の隅を突くような気分で、どうぞツッコミまくってください。
もー果てしなく楽しいですよ!

 

次回は隣にある旧司祭館を見て行きます。
こちらもレトロムードいっぱい。
しかも金沢との不思議な縁なんかもあって、興味深いですよ~。

 

 

旧開智学校校舎

住所:長野県松本市開智 2-4-12

TEL:0263-32-5725

ホームページ:旧開智学校校舎公式サイト

 




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関連タグ >> 古建築 国宝 

 


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