一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園・湯殿跡庭園 ちょっともったいないなココは
2025年02月22日
一乗谷朝倉氏遺跡に残る4つの庭園。
朝倉館跡庭園、南陽寺跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園。
そのいずれもが国の特別名勝に指定されています。
前回はその内の朝倉館跡庭園を見てきました。
今回は南陽寺跡庭園と湯殿跡庭園を見ていきます。
それぞれの位置関係は上図の通り。
南陽寺跡庭園は朝倉館跡の北、空堀の外側。
歩いて10分くらい。
途中、山登りになるのでちょっとキツイです。
湯殿跡庭園は朝倉館跡のすぐ南側。
歩いて1分で行けます。
まずは南陽寺跡庭園から。
入口は朝倉館跡庭園の脇にある石段を登って頂上で左折した先にあります。
現場は見ての通りの一面の平地。
自然にこんな平地ができる訳ないから、人力でせっせとならしたんでしょうね。
面積は結構あり、サッカーくらいは楽にできます。
その一角にあるのがこの石組み。
これが庭園です。
と言うか、これだけ。
正直に言います。
え?
このチョロっとある石の残骸が兼六園や後楽園と同格扱いの国の特別名勝?
マジで??
というのが正直な感想。
そのくらい貧祖。
「南陽寺跡庭園」の名前から分かる通り、ここは元々お寺でした。
なんでも尼寺の禅宗寺院があったんだそうで。
禅宗と言えば枯山水庭園。
ここにある石組も枯山水・・・と言いたいですが、遺構を見る限り水が張られていたような雰囲気。
水源は不明ですが、多分山から引っ張って来ていたのでしょう。
石の表す意味は謎。
お寺の庭なんだから仏教世界の表現、と考えるのが自然ですが、イマイチ読み解けない。
最初、一番背の高い石が須弥山(しゅみせん・仏の住む山)かと思いましたが、それなら東西南北に4つの島を表す石を配置するはず。
でもそれっぽいのが見当たらない、と言うか、石の配置も数もグチャグチャ。
何を表現しているのかさっぱり分からない。
単に見た目かねえ?
こんな感じで置いたらカッコイイんでねえの?みたいな。
特に深読みする必要はないのかもしれない。
そこから朝倉館跡に戻って南側に下った先にあるのが湯殿跡庭園。
ここも何もない広場の片隅に石組みがゴチャゴチャあるだけです。
本来は建物もあったんでしょうね。
恐らく平屋の小振りな建物があり、そこから庭を眺めて楽しむといった趣向になっていたのでしょう。
茶会なんかの用途に使われていたのかもしれません。
こちらは先に見た南陽寺跡庭園より規模が大きくて豪壮。
力感と量感にあふれた、ダイナミックな構成となっています。
注目して欲しいのは石の使い方。
大振りな石をガンガン立ててあります。
これによって空間に垂直性が生まれ、より動的な空気が作られるのです。
庭石の妙です。
この部分なんかも面白いですね。
中央の石が島になっていて、明らかに橋が架けられていた痕跡が残っています。
この橋を渡って、池の上を歩いて遊んだのでしょう。
趣味人だったのかね、朝倉氏?
京都から積極的に先進の文化や上流貴族を招き入れるような人でしたからね。
ひょっとしたら庭の造りにも一方ならぬこだわりがあったのかもしれません。
ただそれだけに残念なんだな~、この荒れ具合。
ここはぜひきちんと整備して欲しいね。
庭師を呼んで、当時の姿を考証して、水を入れて植栽を配置して。
庭園としての体裁をきれいに整えて欲しい。
多分びっくりするくらい見違えるはず。
茶店なんかもあってもいいな。
遺跡を守るのも大事だけど、現代に合わせた形で生かすのも大事。
みずみずしく生き返った戦国大名の庭を愛でながらお茶なんか飲んだら、きっと楽しいと思うんだけどな。
一乗谷朝倉氏遺跡の南陽寺跡庭園と湯殿跡庭園。
南陽寺跡庭園の方はやや残念感強めですが、湯殿跡庭園はポテンシャル抜群。
往時の朝倉氏の勢いを生々しく感じることができます。
ここに一体どんな景色が展開されていたのか?どうぞ想像力全開でご覧ください。
次回は残る最後の庭園、諏訪館跡庭園とその手前にある中の御殿跡を見ていきます。
こちらの庭園も見応え満点。
庭好きにはタマランですよ!
一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています
2025年02月15日
谷底一面に展開する一乗谷朝倉氏遺跡。
前回はその西側、雲正寺地区と平面復原地区を見てきました。
今回は逆の東側にある朝倉館跡を見ていきます。
ここは朝倉家当主の居館があった場所。
頑強な要塞感と大名屋敷らしいサイズ感を今なお留め、ただもう圧巻。
戦国時代の「熱量」みたいなものが、生き生きと感じられます。
まずは全体図。
屋敷前面は水堀、背面は空堀。
周囲には土塁を高々と積み上げ、内部には大きな建物跡が複数。
わくわくしますよ、ここに立つと。
うわ、ここがまさに歴史の舞台だったんだという高揚感。
なんかもう、空気から違って感じられます。
正面入り口前には満々と水をたたえた水堀。
水面にはたくさんの錦鯉がス~イスイ。
これ、なんでこんなに鯉が集まってるのかというと、観光客がエサを撒いているからです。
この水堀のすぐ脇に鯉のエサ(有料)があって、それをみんなしてバッサバッサ撒くもんだから、ここにうじゃうじゃ集まるのです。
何が楽しいのかさっぱり分からんのですが、これが意外に人気で。
結構多くの人がエサを買ってバラまいてます。
その水堀の先に門。
杮葺き屋根がシッブ~イ、唐門です。
この門、残念ながら朝倉時代の遺構ではありません。
元々は江戸中期頃に建造されたお寺の門。
それがなんでここにあるのかはよく分かりませんが、館跡のシンボルとして正面入り口を飾っています。
この唐門で見逃して欲しくないのが二つの家紋。
手前に朝倉家の三ッ木瓜、奥に豊臣家の五三の桐。
朝倉家は分かるけど、なんで豊臣家の家紋?と思われるでしょうが、これにはもちろん理由があります。
この門、豊臣家の寄進によって建てられたものなのです。
その後(老朽化のため?)建て替えられているので、現在の物はオリジナルではなくなっているのですが、家紋だけは当時のままに残されているのです。
門をくぐると一面の更地。
屋敷跡を示すマーキングによって、当時の建物の配置が分かるようになっています。
地面しかないので、殺風景と言えば殺風景。
でもそれが返って時の流れを感じさせると言うか、諸行無常感をくすぐると言うか。
どことなくミステリアスさの漂う、不思議な空気を作り出しています。
整然と並べられている石は礎石。
柱の土台に置く石ですね。
この礎石を辿る事で、屋敷のおおよその間取りと輪郭を割り出すことができます。
これがやたら多くてね。
どんだけデカい屋敷だったのよ?みたいな。
このサイズが当時の隆盛ぶりを物語っています。
四角く囲まれた妙な区画は花壇。
「日本最古」の花壇遺構と呼ばれています。
室町~戦国の庭園と言えば池泉式や枯山水のイメージが強いですが、この当時の公家や将軍家ではこうして庭に花壇をしつらえるのがトレンドだったそうで。
そのマネッコですね。
こうして最新の流行を取り入れることで、イケてる殿さまをアピールしたかったのでしょう。
そのすぐ東側には山の斜面を生かした庭。
こちらは池+石組みで構成された、バリバリの日本庭園です。
これまた殺風景なんですけどね。
でもどことなく漂う、高貴な空気。
周囲を整備し、植栽を整え、庭園としてデコレーションし直せばきっと見違えるでしょうね。
この庭本来の景観、再生して欲しいな~。
こちらは現在発掘調査が進められている区画。
成果については不明ですが、多分色々出てんじゃないですかね。
ロマンですな~。
土の下に眠る歴史の忘れ形見。
ここに一体何が隠されているのか?
ぜひ一緒に掘ってみたいわ~!
歴史好きには胸わくわくの朝倉館跡。
タマランですよ、ここは。
「何もない」ことが逆に「想像力」をかき立て、妄想膨らむ!膨らむ!
当時の情景、どうぞ腹いっぱいイメージしまくってください。
次回は南陽寺庭園跡と中の御殿跡を見ていきます。
こちらもバリバリ殺風景。
妄想力全開でご覧ください。
一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
2025年02月08日
谷ひとつが丸々史跡指定されている一乗谷朝倉氏遺跡。
前回はその前後の入口を見ていきました。
今回は谷の西側、雲正寺地区と平面復原地区を見ていきます。
この辺りは庶民&武士の生活エリア。
注目なのはインフラで、戦国期としては異例のハイスペック設備が整えられていました。
全体の様子。
現場は更地に近い状態で、当時の道路や水路跡・住居跡がほんのりと分かる格好になっています。
建物は何もなく、地面上の案内や目印を追いかけながら当時の状況をイメージする感じ。
ただ逆に言えばその分「遺跡感」が強く、目の前一杯に展開するロストワールドがたまらなく神秘的です。
いきなり続く住居跡・住居跡、住居跡。
その間を縫うように道路と水路。
明らかに図面を引いた上で区画割を行い、計画的に構築されていった事が伺えます。
素晴らしいですね、この都市設計能力。
優秀な戦国大名ってのは戦いが強いだけじゃなく、デベロッパーとしての資質も必要だったんですよ。
要はヒトとカネが集まる場所を作れる能力って事ね。
ここはまさにそんな当時の最先端を行く場所だったのです。
その最先端を象徴するもののひとつがこの井戸。
ほぼ全ての家に備えられています。
いわゆるプライベート井戸。
これ、当時としては画期的でした。
通常は共同で使用する井戸が村のどこかにあり、そこまで毎日水を汲みに行くのが普通でした。
それがここでは各家庭に完備。
そりゃ住みたくなりますわね。
さらに水路。
町中至る所に張り巡らされ、常時フレッシュな水が供給されます。
これも夢の設備。
水なんていくらでも使いますからね。
炊事・洗濯・掃除などなど。
その度にいちいち水場まで行ってたら、邪魔臭くてしょうがない。
でもここならすぐ目の前が水路。
さぞかし快適だった事でしょう。
この妙なのは全部大甕。
なんやら謎に地中に埋められています。
これ、実際に出てきた甕のレプリカ再現です。
こんな感じでごっそり埋まってたんだそうで。
恐らくこの場所は元々染物屋で、この甕に染料を入れて布を浸していたと考えられています。
そしてこの甕、すぐ近くの一乗谷朝倉氏遺跡博物館って所に展示されています。
それがこちら。
2階の基本展示室にどっかーん!と並べられています。
デカいですよ、本当に。
大人一人楽に入れるサイズ。
製造はここ一乗谷ではなく、30km程も離れた丹生(にう)山地で焼かれたものなんだそうで。
多分水路を使って運んだんだろうけど、それでも大作業だったろうな。
墓地跡。
骨や棺桶、笠塔婆(かさとうば)などが出土したそうです。
現場はただの更地なんだけどね。
ここが元は墓地だったのか~と思うとちょっと不気味。
ヘタすりゃ足の下にお墓あったんじゃないの?なんて思うとなんとも歩きづらい。
あんまり真上は歩かん方がいいかもしんない。
隣接する形で寺院跡なんてのもあります。
その名もサイゴー寺。(「サイゴー」にどんな字が当てられていたのかは不明)
2棟の建物と門・庭で構成された小規模なお寺。
宗派はなんだったんだろうね?
朝倉氏は一向一揆勢とバチバチにやり合ってたから、浄土真宗はまずないだろうし。
法華経が書かれたコケラ経(こけらきょう)なんかも出てるそうなので、天台宗か日蓮宗かな?
福井と言えば永平寺だし、曹洞宗?
う~ん興味深い。
医師の屋敷跡。
ここから『湯液本草(中国の医薬書)』の炭化紙片や薬の調合器具なんかが出た事から、「医師の屋敷」と呼ばれているそうです。
人口1万の町ですからね。
そりゃ医者もいますわね。
医者と言えば、明智光秀が朝倉氏の元に身を寄せていた時に医療技術を学んだなんて言われていますが、ひょっとしたらここがまさにその場所だったのかな?
そう考えると、なんかちょっとミステリアス。
最後に忘れずに寄ってって欲しいのがこの階段。
高台に向かって、結構無茶な角度で架けられています。
まあまあキツイですよ、この階段。
登りはしんどいし、降りは危ないし。
足腰あんま自信ないわ~って人は無理に登らんでいいです。
で、頂上にあるのがこの展望台。
その名も「月見やぐら展望所」。
一乗谷の全景がズバッと俯瞰できます。
結構木立が邪魔っちゃ邪魔なんだけどね。
でもね、やっぱ高い位置から見下ろすのは気分いいですわ。
どうぞ殿さま気分で雄大な眺めをお楽しみください。
主に庶民・武士の屋敷が密集していた、一乗谷朝倉氏遺跡の雲正寺地区&平面復原地区。
ガチガチに遺跡です。
建物はなにもありません。
あるのは痕跡と案内板だけ。
ここを歩く時はイマジネーションをフル稼働させて、当時の情景を頭いっぱい思い浮かべながら遊んでください。
次回は朝倉館跡をレポートします。
ここは一乗谷遺跡の心臓部とも呼べるコアな場所。
たくさんのコイがあなたの来訪を待っています!
エサを求めて(謎)。
一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
2025年02月01日
戦国期、越前一帯を支配していた巨大勢力朝倉氏。
その本拠地だった場所がここ一乗谷です。
「谷」と名が付く通り谷間に展開された、南北1.5km東西300mほどの細長い土地。
現在は丸々国の特別史跡の指定を受け、今も調査が続けられています。
ここが歴史ロマン満点でね。
歩いてるだけでハートばくばくが止まらない!
そんな一乗谷朝倉氏遺跡のレポートを今回より5回に分けてお届けします。
まずは全体図。
東西に山の尾根、南北に防御壁となる下城戸&上城戸を配し、その間を埋めるように城下町。
天然の地形を巧みに利用した、頑強な都市構造となっています。
ここに全盛期には1万人もの人が暮らしていたんだとか。
多分安全だったんでしょうね。
時は戦国期、それだけの人が集まるからにはそれなりの理由があったはず。
とは言っても、最後は信長に焼き滅ぼされるんですけどね。
でっけー土塁どどーん!!
下城戸跡(しもきどあと)です。
高さ5メートルくらいかな?
この超絶バリケードが一乗谷の入口をガッチリと塞いでいました。
土塁自体は復元、あるいは修復されてますね、形がやけにきれいだし。
ただ感じて欲しいのは規模。
「ここはゼッテー通さねー!!」という強い意志がガチガチに感じられます。
石垣は当時から残る本物。
これまた強烈なデカさ。
大きなものだと2メートル以上にも及びます。
こんなのどうやって積んだんかね?
重さ何トンにもなるだろうし、現代でも運ぶの大変だよ。
そんな巨石をいくつも人力で組み上げて壁にしちゃうって、いやー考えられんわ。
通路はL字に屈折。
枡形と呼ばれる構造ですね。
ここを通ると通路の先は門で塞がれ、敵はドン詰まりの状況に追い込まれます。
そこを弓や鉄砲で一気に殲滅して死体の山を築く、という悪魔の仕掛けです。
えげつねーわなー。
ま、ヤらなきゃヤられるんだから仕方ないんだけどね。
全ては戦国の世の無情です。
石は火成岩。
地質図を見るとこの辺りは堆積岩ですが、ちょっと山間に行くとデイサイト・流紋岩質になるそうなので、多分その辺りから採ってきたものなのでしょう。
と言ってもこのサイズだからね。
また同じ話の蒸し返しになるけど、どうやって運んだんかね?
謎だわ~~~。
土塁の端は道路でバツッと切断、その先は川。
これじゃ簡単に通れちゃうので、本来は川のギリギリまで土塁が切り立てられていたのでしょう。
こんなん越えられんわな。
土塁上からの攻撃をかいくぐりながら駆け上がる訳にもいかんし、足元の悪い川を通る訳にもいかんし、迂回しようにも両サイドは山に挟まれてるし。
どーーもならん。
正に鉄壁のバリケード!
一気に谷の上流側に移動して、今度は上城戸跡(かみきどあと)。
長大な土塁がどどーん!と続いています。
これは明らかに復元土塁。
重機で盛った感むんむんです。
イメージですね、イメージ。
昔はこの場所にこんなのがあったんだよーってイメージを持ってもらうための土山です。
なのでこんなのがあります。
階段。
上からの眺めも楽しんでくださいねーっていうサービスルートです。
ただ見ての通り使用不可。
劣化・崩壊が進んで、今は使っちゃダメみたいです。
登りたきゃ斜面からなんぼでも登れるから問題ないけど。
へりの下部にわざとらしく石垣が組んでありますが、これも多分復元でしょう。
どっかの土木業者さんが積んだ現代製。
当時の土塁はどんな姿をしていたんですかね?
もっと大きかったのか?下城戸のように頑強な石垣が組まれていたのか?あるいは逆に簡素だったのか?
なんとも興味が尽きない。
その脇、南側を見るとユンボが土を掘り掘り。
先にも書いた通り、ここは国指定の特別史跡で勝手に土を掘っていい場所じゃありません。
って事は発掘ですね。
ユンボで荒く土を掘り、後は手作業でチマチマ掘るのでしょう。
ここから何が出るのかな?
楽しみだ~♪
一乗谷を守った下城戸跡&上城戸跡。
熱量スゴイです。
この一線はまさに生きるか死ぬかのデッドライン。
そんな当時の危機感を、命を削りながらご鑑賞ください。
次回は城戸の内側、雲正寺地区と平面復原地区を見ていきます。
こちらは戦いではなく日常生活の痕跡。
平和な一乗谷での暮らしをひとつずつ追いかけてみます。
とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪
2025年01月25日
この日は富山へお出掛け。
富山城を皮切りに、街中をアチコチぶ~らぶら。
20代の時、1~2年くらい富山市内に住んでた事があるんだけどね。
あの頃はガチガチの引きこもり人間だったから、街中散歩とか全然しなかったんですよ。
今考えたらもったいない!
もっと色々遊びに行っとけば良かったな~。
・・などと過去を振り返りながらウロついてたら、もうお昼。
さ~てメシ食うべとgoogleさんにお店を探してもらい、とんかつ勝亭へ。
一番スタンダードっぽい“立山ロース定食”を、ライス大盛りにして食べたおします。
地元富山産の豚を使ったトンカツ。
粒の粗い衣は食感サックサク。
軽快な破砕感と揚げ油の香ばしさが震えるほど美しい。
中にはピンク色の肉。
厚みたっぷりなのにすう~っと歯を通すほど柔らかく、肉汁豊潤。
脂もまたベロベロに柔らかく、いやらしさのない甘みがしっとりと舌を濡らす。
極上、極上、デラ極上!
そんな鬼旨お肉をごはんと一緒に。
ごはんはツヤツヤのホワイト。
熱いつゆからは透き通った甘みがすっとしみ出す。
これが極旨トンカツと合うのよ!
ごはんの甘み、水気、そこに流れ込む怒涛の肉のうま味。
混ざり合う味と味は狂気のレベルで美味さを昇華させ、もうほとんど幸せの拷問♪
この時間、永遠に終わらないでくれ~ってくらいのインパクトで、脳みそまでトロトロに溶かしまくる。
みそ汁。
味噌の濃度は中庸、ツンとした植物香が淡く鼻を突く。
具はネギ、ワカメ、油揚げ、量そこそこ。
ネギのザクザク感と青い香味が印象的。
完食。
とんかつ勝亭の“立山ロース定食”。
ある程度の期待感を抱いてはいましたが、見事に裏切られました。
想定していたハードルをはるかに越える美味さ・充実感。
ここまで美味ぇーか!?と叫びたくなるクオリティ。
もっと食いたいけど、富山市は遠いなー(涙)。
ごちそうさま。
[参考]
・立山ロース定食:1,700円
- 羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 part2 等伯の神画が見られるゼ~♪
- グリル&ハンバーグNINO ハンバーグ&ソーセージ&から揚げ コスパ高すぎ!腹いっぱい食えます
- 旧橋本家住宅 ここに人間が住んでたのが信じられない
- 富山市ガラス美術館 展示編 難しいゾ~、ガラスアート
- 富山市ガラス美術館 建築編 富山という土地を表現した建築アート
- 白山町遺跡現地説明会 永遠に答えが分からないのが考古学
- 薬王院 温泉寺 「あいうえお」はここから始まりました
- 餃子のあひる 餃子定食 この餃子、エンドレスに食えるわ~♪
- 栄谷丸山横穴群 コウモリに注意してご鑑賞ください
- 富山市郷土博物館 復元模型のテクノな仕掛けがイカスのよ!
- 富山城跡 千歳御門~日本庭園周辺 庭園の読み解き、楽しいわ~♪
- 富山城跡 水堀~西の丸 石垣の詳細がよー分からん、謎多きお城
- 羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 今しか見られない貴重なお宝がいっぱい
- 香満居 豚トロ黒胡椒炒め定食+担々麺 ボリュームも美味さも文句ナシの街中華
- 一乗谷朝倉氏遺跡 中の御殿跡・諏訪館跡庭園 こんなカッコエエ庭に憧れるわ~
- 一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園・湯殿跡庭園 ちょっともったいないなココは
- 一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています
- 一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡
- 一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線
- とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪