店主たみこの観光案内日記

一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡 ここにはロマンが眠っています

2025年02月15日

一乗谷朝倉氏遺跡の朝倉館跡

 

谷底一面に展開する一乗谷朝倉氏遺跡。
前回はその西側、雲正寺地区と平面復原地区を見てきました。
今回は逆の東側にある朝倉館跡を見ていきます。

 

ここは朝倉家当主の居館があった場所。
頑強な要塞感と大名屋敷らしいサイズ感を今なお留め、ただもう圧巻。
戦国時代の「熱量」みたいなものが、生き生きと感じられます。

 

 朝倉館跡の全体図

 

まずは全体図。
屋敷前面は水堀、背面は空堀。
周囲には土塁を高々と積み上げ、内部には大きな建物跡が複数。

 

わくわくしますよ、ここに立つと。
うわ、ここがまさに歴史の舞台だったんだという高揚感。
なんかもう、空気から違って感じられます。

 

水堀とたくさんの錦鯉

 

正面入り口前には満々と水をたたえた水堀。
水面にはたくさんの錦鯉がス~イスイ。

 

これ、なんでこんなに鯉が集まってるのかというと、観光客がエサを撒いているからです。
この水堀のすぐ脇に鯉のエサ(有料)があって、それをみんなしてバッサバッサ撒くもんだから、ここにうじゃうじゃ集まるのです。
何が楽しいのかさっぱり分からんのですが、これが意外に人気で。
結構多くの人がエサを買ってバラまいてます。

 

正面の唐門

 

その水堀の先に門。
杮葺き屋根がシッブ~イ、唐門です。

 

この門、残念ながら朝倉時代の遺構ではありません。
元々は江戸中期頃に建造されたお寺の門。
それがなんでここにあるのかはよく分かりませんが、館跡のシンボルとして正面入り口を飾っています。

 

三ッ木瓜と五三の桐の家紋

 

この唐門で見逃して欲しくないのが二つの家紋。
手前に朝倉家の三ッ木瓜、奥に豊臣家の五三の桐。

 

朝倉家は分かるけど、なんで豊臣家の家紋?と思われるでしょうが、これにはもちろん理由があります。
この門、豊臣家の寄進によって建てられたものなのです。
その後(老朽化のため?)建て替えられているので、現在の物はオリジナルではなくなっているのですが、家紋だけは当時のままに残されているのです。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の屋敷跡

 

門をくぐると一面の更地。
屋敷跡を示すマーキングによって、当時の建物の配置が分かるようになっています。

 

地面しかないので、殺風景と言えば殺風景。
でもそれが返って時の流れを感じさせると言うか、諸行無常感をくすぐると言うか。
どことなくミステリアスさの漂う、不思議な空気を作り出しています。

 

建物の礎石

 

整然と並べられている石は礎石。
柱の土台に置く石ですね。
この礎石を辿る事で、屋敷のおおよその間取りと輪郭を割り出すことができます。

 

これがやたら多くてね。
どんだけデカい屋敷だったのよ?みたいな。
このサイズが当時の隆盛ぶりを物語っています。

 

日本最古の花壇

 

四角く囲まれた妙な区画は花壇。
「日本最古」の花壇遺構と呼ばれています。

 

室町~戦国の庭園と言えば池泉式や枯山水のイメージが強いですが、この当時の公家や将軍家ではこうして庭に花壇をしつらえるのがトレンドだったそうで。
そのマネッコですね。
こうして最新の流行を取り入れることで、イケてる殿さまをアピールしたかったのでしょう。

 

朝倉館跡庭園

 

そのすぐ東側には山の斜面を生かした庭。
こちらは池+石組みで構成された、バリバリの日本庭園です。

 

これまた殺風景なんですけどね。
でもどことなく漂う、高貴な空気。
周囲を整備し、植栽を整え、庭園としてデコレーションし直せばきっと見違えるでしょうね。
この庭本来の景観、再生して欲しいな~。

 

発掘調査が進められている区画

 

こちらは現在発掘調査が進められている区画。
成果については不明ですが、多分色々出てんじゃないですかね。

 

ロマンですな~。
土の下に眠る歴史の忘れ形見。
ここに一体何が隠されているのか?
ぜひ一緒に掘ってみたいわ~!

 

南陽寺庭園跡と中の御殿跡への通路

 

歴史好きには胸わくわくの朝倉館跡。

 

タマランですよ、ここは。
「何もない」ことが逆に「想像力」をかき立て、妄想膨らむ!膨らむ!
当時の情景、どうぞ腹いっぱいイメージしまくってください。

 

次回は南陽寺庭園跡と中の御殿跡を見ていきます。
こちらもバリバリ殺風景。
妄想力全開でご覧ください。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡

住所:福井県福井市城戸ノ内町

ホームページ:福井市文化遺産ホームページ

 

 

関連タグ >> 遺跡 一乗谷朝倉氏遺跡 

 


一乗谷朝倉氏遺跡 雲正寺地区・平面復原地区 今も残る生々しい生活の痕跡

2025年02月08日

一乗谷朝倉氏遺跡

 

谷ひとつが丸々史跡指定されている一乗谷朝倉氏遺跡。
前回はその前後の入口を見ていきました。
今回は谷の西側、雲正寺地区と平面復原地区を見ていきます。

 

この辺りは庶民&武士の生活エリア。
注目なのはインフラで、戦国期としては異例のハイスペック設備が整えられていました。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の雲正寺地区と平面復原地区

 

全体の様子。

 

現場は更地に近い状態で、当時の道路や水路跡・住居跡がほんのりと分かる格好になっています。
建物は何もなく、地面上の案内や目印を追いかけながら当時の状況をイメージする感じ。
ただ逆に言えばその分「遺跡感」が強く、目の前一杯に展開するロストワールドがたまらなく神秘的です。

 

平面復原地区の住居跡

 

いきなり続く住居跡・住居跡、住居跡。
その間を縫うように道路と水路。
明らかに図面を引いた上で区画割を行い、計画的に構築されていった事が伺えます。


素晴らしいですね、この都市設計能力。
優秀な戦国大名ってのは戦いが強いだけじゃなく、デベロッパーとしての資質も必要だったんですよ。
要はヒトとカネが集まる場所を作れる能力って事ね。
ここはまさにそんな当時の最先端を行く場所だったのです。

 

笏谷石の井戸枠

 

その最先端を象徴するもののひとつがこの井戸。
ほぼ全ての家に備えられています。
いわゆるプライベート井戸。

 

これ、当時としては画期的でした。
通常は共同で使用する井戸が村のどこかにあり、そこまで毎日水を汲みに行くのが普通でした。
それがここでは各家庭に完備。
そりゃ住みたくなりますわね。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の水路

 

さらに水路。
町中至る所に張り巡らされ、常時フレッシュな水が供給されます。
これも夢の設備。

 

水なんていくらでも使いますからね。
炊事・洗濯・掃除などなど。
その度にいちいち水場まで行ってたら、邪魔臭くてしょうがない。
でもここならすぐ目の前が水路。
さぞかし快適だった事でしょう。

 

地中に埋められた大甕

 

この妙なのは全部大甕。
なんやら謎に地中に埋められています。


これ、実際に出てきた甕のレプリカ再現です。
こんな感じでごっそり埋まってたんだそうで。
恐らくこの場所は元々染物屋で、この甕に染料を入れて布を浸していたと考えられています。

 

そしてこの甕、すぐ近くの一乗谷朝倉氏遺跡博物館って所に展示されています。

 

一乗谷朝倉氏遺跡博物館の基本展示室

 

それがこちら。
2階の基本展示室にどっかーん!と並べられています。

 

デカいですよ、本当に。
大人一人楽に入れるサイズ。
製造はここ一乗谷ではなく、30km程も離れた丹生(にう)山地で焼かれたものなんだそうで。
多分水路を使って運んだんだろうけど、それでも大作業だったろうな。

 

平面復原地区の墓地跡

 

墓地跡。
骨や棺桶、笠塔婆(かさとうば)などが出土したそうです。

 

現場はただの更地なんだけどね。
ここが元は墓地だったのか~と思うとちょっと不気味。
ヘタすりゃ足の下にお墓あったんじゃないの?なんて思うとなんとも歩きづらい。
あんまり真上は歩かん方がいいかもしんない。

 

サイゴー寺跡

 

隣接する形で寺院跡なんてのもあります。
その名もサイゴー寺。(「サイゴー」にどんな字が当てられていたのかは不明)
2棟の建物と門・庭で構成された小規模なお寺。

 

宗派はなんだったんだろうね?
朝倉氏は一向一揆勢とバチバチにやり合ってたから、浄土真宗はまずないだろうし。
法華経が書かれたコケラ経(こけらきょう)なんかも出てるそうなので、天台宗か日蓮宗かな?
福井と言えば永平寺だし、曹洞宗?
う~ん興味深い。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の医師の屋敷跡

 

医師の屋敷跡。
ここから『湯液本草(中国の医薬書)』の炭化紙片や薬の調合器具なんかが出た事から、「医師の屋敷」と呼ばれているそうです。

 

人口1万の町ですからね。
そりゃ医者もいますわね。
医者と言えば、明智光秀が朝倉氏の元に身を寄せていた時に医療技術を学んだなんて言われていますが、ひょっとしたらここがまさにその場所だったのかな?
そう考えると、なんかちょっとミステリアス。

 

月見やぐら展望所への階段

 

最後に忘れずに寄ってって欲しいのがこの階段。
高台に向かって、結構無茶な角度で架けられています。

 

まあまあキツイですよ、この階段。
登りはしんどいし、降りは危ないし。
足腰あんま自信ないわ~って人は無理に登らんでいいです。

 

月見やぐら展望所

 

で、頂上にあるのがこの展望台。
その名も「月見やぐら展望所」。
一乗谷の全景がズバッと俯瞰できます。

 

結構木立が邪魔っちゃ邪魔なんだけどね。
でもね、やっぱ高い位置から見下ろすのは気分いいですわ。
どうぞ殿さま気分で雄大な眺めをお楽しみください。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の雲正寺地区

 

主に庶民・武士の屋敷が密集していた、一乗谷朝倉氏遺跡の雲正寺地区&平面復原地区。

 

ガチガチに遺跡です。
建物はなにもありません。
あるのは痕跡と案内板だけ。
ここを歩く時はイマジネーションをフル稼働させて、当時の情景を頭いっぱい思い浮かべながら遊んでください。

 

次回は朝倉館跡をレポートします。
ここは一乗谷遺跡の心臓部とも呼べるコアな場所。
たくさんのコイがあなたの来訪を待っています!

 

エサを求めて(謎)。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡

住所:福井県福井市城戸ノ内町

ホームページ:福井市文化遺産ホームページ

 

 

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一乗谷朝倉氏遺跡 下城戸跡・上城戸跡 ここがディフェンスラインの最前線

2025年02月01日

一乗谷朝倉氏遺跡の入口

 

戦国期、越前一帯を支配していた巨大勢力朝倉氏。
その本拠地だった場所がここ一乗谷です。
「谷」と名が付く通り谷間に展開された、南北1.5km東西300mほどの細長い土地。
現在は丸々国の特別史跡の指定を受け、今も調査が続けられています。

 

ここが歴史ロマン満点でね。
歩いてるだけでハートばくばくが止まらない!
そんな一乗谷朝倉氏遺跡のレポートを今回より5回に分けてお届けします。

 

一乗谷朝倉氏遺跡の全体図

 

まずは全体図。
東西に山の尾根、南北に防御壁となる下城戸&上城戸を配し、その間を埋めるように城下町。
天然の地形を巧みに利用した、頑強な都市構造となっています。
ここに全盛期には1万人もの人が暮らしていたんだとか。

 

多分安全だったんでしょうね。
時は戦国期、それだけの人が集まるからにはそれなりの理由があったはず。
とは言っても、最後は信長に焼き滅ぼされるんですけどね。

 

下城戸跡の大きな土塁

 

でっけー土塁どどーん!!
下城戸跡(しもきどあと)です。
高さ5メートルくらいかな?
この超絶バリケードが一乗谷の入口をガッチリと塞いでいました。

 

土塁自体は復元、あるいは修復されてますね、形がやけにきれいだし。
ただ感じて欲しいのは規模。
「ここはゼッテー通さねー!!」という強い意志がガチガチに感じられます。

 

下城戸跡の石垣

 

石垣は当時から残る本物。
これまた強烈なデカさ。
大きなものだと2メートル以上にも及びます。

 

こんなのどうやって積んだんかね?
重さ何トンにもなるだろうし、現代でも運ぶの大変だよ。
そんな巨石をいくつも人力で組み上げて壁にしちゃうって、いやー考えられんわ。

 

枡形になった通路

 

通路はL字に屈折。
枡形と呼ばれる構造ですね。
ここを通ると通路の先は門で塞がれ、敵はドン詰まりの状況に追い込まれます。
そこを弓や鉄砲で一気に殲滅して死体の山を築く、という悪魔の仕掛けです。

 

えげつねーわなー。
ま、ヤらなきゃヤられるんだから仕方ないんだけどね。
全ては戦国の世の無情です。

 

石肌の拡大

 

石は火成岩。
地質図を見るとこの辺りは堆積岩ですが、ちょっと山間に行くとデイサイト・流紋岩質になるそうなので、多分その辺りから採ってきたものなのでしょう。

 

と言ってもこのサイズだからね。
また同じ話の蒸し返しになるけど、どうやって運んだんかね?
謎だわ~~~。

 

土塁の端

 

土塁の端は道路でバツッと切断、その先は川。
これじゃ簡単に通れちゃうので、本来は川のギリギリまで土塁が切り立てられていたのでしょう。

 

こんなん越えられんわな。
土塁上からの攻撃をかいくぐりながら駆け上がる訳にもいかんし、足元の悪い川を通る訳にもいかんし、迂回しようにも両サイドは山に挟まれてるし。
どーーもならん。
正に鉄壁のバリケード!

 

上城戸跡の土塁

 

一気に谷の上流側に移動して、今度は上城戸跡(かみきどあと)。
長大な土塁がどどーん!と続いています。
これは明らかに復元土塁。
重機で盛った感むんむんです。

 

イメージですね、イメージ。
昔はこの場所にこんなのがあったんだよーってイメージを持ってもらうための土山です。

 

土塁を登る階段

 

なのでこんなのがあります。
階段。
上からの眺めも楽しんでくださいねーっていうサービスルートです。

 

ただ見ての通り使用不可。
劣化・崩壊が進んで、今は使っちゃダメみたいです。
登りたきゃ斜面からなんぼでも登れるから問題ないけど。

 

上城戸跡の端の石垣

 

へりの下部にわざとらしく石垣が組んでありますが、これも多分復元でしょう。
どっかの土木業者さんが積んだ現代製。

 

当時の土塁はどんな姿をしていたんですかね?
もっと大きかったのか?下城戸のように頑強な石垣が組まれていたのか?あるいは逆に簡素だったのか?
なんとも興味が尽きない。

 

発掘中のユンボ

 

その脇、南側を見るとユンボが土を掘り掘り。
先にも書いた通り、ここは国指定の特別史跡で勝手に土を掘っていい場所じゃありません。
って事は発掘ですね。
ユンボで荒く土を掘り、後は手作業でチマチマ掘るのでしょう。

 

ここから何が出るのかな?
楽しみだ~♪

 

 

一乗谷を守った下城戸跡&上城戸跡。

 

熱量スゴイです。
この一線はまさに生きるか死ぬかのデッドライン。
そんな当時の危機感を、命を削りながらご鑑賞ください。

 

次回は城戸の内側、雲正寺地区と平面復原地区を見ていきます。
こちらは戦いではなく日常生活の痕跡。
平和な一乗谷での暮らしをひとつずつ追いかけてみます。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡

住所:福井県福井市城戸ノ内町

ホームページ:福井市文化遺産ホームページ

 

 

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とんかつ勝亭 立山ロース定食 この肉、味もボリュームも極上だわ~♪

2025年01月25日

とんかつ勝亭 立山ロース定食

 

この日は富山へお出掛け。
富山城を皮切りに、街中をアチコチぶ~らぶら。

 

20代の時、1~2年くらい富山市内に住んでた事があるんだけどね。
あの頃はガチガチの引きこもり人間だったから、街中散歩とか全然しなかったんですよ。
今考えたらもったいない!
もっと色々遊びに行っとけば良かったな~。

 

・・などと過去を振り返りながらウロついてたら、もうお昼。
さ~てメシ食うべとgoogleさんにお店を探してもらい、とんかつ勝亭へ。
一番スタンダードっぽい“立山ロース定食”を、ライス大盛りにして食べたおします。

 

立山ローストンカツ

 

地元富山産の豚を使ったトンカツ。

 

粒の粗い衣は食感サックサク。
軽快な破砕感と揚げ油の香ばしさが震えるほど美しい。

 

中にはピンク色の肉。
厚みたっぷりなのにすう~っと歯を通すほど柔らかく、肉汁豊潤。
脂もまたベロベロに柔らかく、いやらしさのない甘みがしっとりと舌を濡らす。
極上、極上、デラ極上!

 

トンカツとごはん

 

そんな鬼旨お肉をごはんと一緒に。

 

ごはんはツヤツヤのホワイト。
熱いつゆからは透き通った甘みがすっとしみ出す。

 

これが極旨トンカツと合うのよ!
ごはんの甘み、水気、そこに流れ込む怒涛の肉のうま味。
混ざり合う味と味は狂気のレベルで美味さを昇華させ、もうほとんど幸せの拷問♪
この時間、永遠に終わらないでくれ~ってくらいのインパクトで、脳みそまでトロトロに溶かしまくる。

 

とんかつ勝亭 みそ汁

 

みそ汁。

 

味噌の濃度は中庸、ツンとした植物香が淡く鼻を突く。
具はネギ、ワカメ、油揚げ、量そこそこ。
ネギのザクザク感と青い香味が印象的。



完食。



とんかつ勝亭の“立山ロース定食”。

 

ある程度の期待感を抱いてはいましたが、見事に裏切られました。
想定していたハードルをはるかに越える美味さ・充実感。
ここまで美味ぇーか!?と叫びたくなるクオリティ。

 

もっと食いたいけど、富山市は遠いなー(涙)。



ごちそうさま。





 

[参考]
・立山ロース定食:1,700円

 


 

 

とんかつ勝亭

住所:富山県富山市有沢 791-1

TEL:076-422-1077

ホームページ:とんかつ勝亭公式サイト

 

 

 


加賀大観音 怖いです、マジで

2025年01月18日

加賀大観音と本堂

 

加賀の小山の上に屹立する黄金の観音さま。
それが今回紹介する加賀大観音です。

 

目立つんだわ、この観音さま。
国道8号を走ってると、どうやっても目に入る。
全長実に73メートル、それが小山の上にどーん、しかもキンキラキン。
まー目立ちます。

 

加賀大観音の見取り図

 

現場の見取り図はこんな感じ。
一応正面に駐車場がありますが、そちらからは入れません。
入口はなぜか脇にある未舗装の空き地。
入ると右手に本来の入口である山門があり、左手にゲート。
ゲートをくぐると中央奥にメインの観音さまがあり、両脇に建物数棟、最奥に三十三間堂。
建物内はどれもほぼ立入禁止です。

 

では現場の様子を。

 

廃墟化した建物

 

山門前の様子。

 

廃墟。
ガラスバリバリ、建物ボロボロ、ゴミ散乱、おまけに謎な廃車まで放置してあって、目も当てられないほどの荒廃ぶり。
完全なる廃墟。

 

そう、この施設、稼働していないのです。
ゆえに管理者不在で、ヤバイくらいの廃墟状態。
でもなぜか出入り自由になってて、ポツポツと見物人が入ってきます。

 

加賀大観音の山門

 

山門。
両脇に金剛力士像を備えた仁王門です。

 

鉄筋造りがややチープだわな。
どーにも重みと言うか、貫禄に欠ける。
やっぱお寺の伽藍ってのは木造でナンボですわ。
とは言えこの施設、本来はお寺と言うよりアミューズメント施設として作られたんだけどね。

 

瑠璃光殿と金色堂への入口

 

中に入ると右手に瑠璃光殿と金色堂へと繋がるお堂があるのですが、残念ながらクローズド。
鍵が掛かってて入れません。

 

結構いいモン見られるらしいんだけどな~。
見たいな~。
入りたいな~。
でもね、ダメなんですわ、だって。

 

ボロボロの屋根

 

見よ、このオンボロぶり!
屋根材剥げまくり、骨組み見えまくり。
これじゃ危なくて立入禁止にもなるわな。

 

よく見ると左右で屋根の状態が違いますが、これは素材が違うため。
左は葺き、つまり木の皮、右は銅板、つまり金属。
当たり前だけど木の皮は腐るので、ノーメンテナンスで何十年も放置された結果、これだけの差が出たのです。
やっぱ金属は強いな。

 

加賀大観音の本堂

 

向かいには本堂。
これまた鉄筋のチープな建物。

 

ここもね、中は結構い~い感じに荘厳らしいですよ。
でも例によってクローズド、見られません。
施設稼働時は本当にお寺として使われてたそうで、法要なんかも営まれていたらしいんですけどね。
残念。

 

慈母観世音菩薩大立像

 

そしてメインの加賀大観音、正式名称「慈母観世音菩薩大立像」。

 

デカいのよ、間近で見るとガチでデカいのよ。
もー圧巻のサイズ。
仏さまというより、ほぼモンスター。
強烈な圧力です。

 

加賀大観音内部への入口

 

この観音さま、なんと内部に入れます。
入口は台座裏側。
ほとんどの建物が進入禁止な中、なぜかヘイ!カモン!的に扉が開いています。

 

となるとせっかくなので中へ、となるのですが。
これがまたね。

 

内部の様子

 

暗っ!

 

画像はフラッシュをたいているのできれいに見通せますが、現場は照明が一切なく、真っ暗です。
窓がないため本当に真っ暗で、文字通り一寸先も見えません。
今にもお化けが出そうなくらいのヤバさ。

 

一応スマホの懐中電灯で照らしながらグルっと一周したけどね。
もう二度と入りたくないわ・・・(怖)。

 

三十三間堂の入口

 

観音さまの奥には三十三間堂。
でももちろん鍵が掛けられてて入れません。

 

ここも結構面白いらしんだけどね。
千手観音像がズラッと並んでたり、仏教寺院のジオラマがあったり。
見たかったな~。

 

梵鐘仏堂

 

最後に梵鐘仏堂。
ここはなぜか入れます。
多分建物の状態が良好で、内部も比較的破損してないためでしょう。

 

中には自慢の大梵鐘が収められています。
その大きさ、自称世界一!

 

加賀大観音の大梵鐘

 

その大梵鐘がこちら。

 

確かにデカい。
しかも金箔が貼られててキラッキラ。

 

下に据えられている仏像は五知如来ですね。
左から順番に阿閦(あしゅく)、阿弥陀(あみだ)、大日(だいにち)、宝生(ほうしょう)、不空成就(ふくうじょうじゅ)。
見る人が見れば「お、このお寺、真言宗だな」とひと目で分かるラインナップです。

 

加賀大観音と山門

 

完全に廃墟と化している加賀大観音。

 

夜は絶対に来ないでください。
マジ出そうです。
来るなら必ず太陽の出ている日中に。

 

それと余計な所には立ち入らないように。
完全ノーメンテナンスなので、思わぬアクシデントに遭うかもしれません。(天井が落ちてくるとか)
その辺り、十分注意してご見学ください。

 

 

加賀大観音

住所:石川県加賀市作見町観音山 1-1

TEL:050-3442-0294

 

 

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