
諸嶽山 總持寺祖院 境内編その2 このお寺何が何でも瑩山紹瑾が大好きです
2024年09月07日

仏教建築の博物館のような堂塔伽藍が並ぶ總持寺祖院。
前回は回廊内部の鐘鼓楼(しょうころう)~放光堂(ほうこうどう)までを見てきました。
今回はその先にある大祖堂(だいそどう)から見ていきます。
こちらは大正2年建造で、間口34メートルのビッグサイズ。
瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)を始めとする、歴代祖師を祀ってあるお堂です。

プロポーションがいいわな~。
デカい入母屋屋根がドンとかぶさり、中央には優雅なカーブを描く唐破風。
壁面には清廉な白漆喰を塗り込め、その中を柱や束が小気味よく走り、腰回りの板張りが足元をきゅっと引き締める。
豪壮さと緻密さ、重と軽が絶妙に絡み合った素晴らしいビジュアルです。
何気に前面の庭との間に段差を設けてあるのもポイントだわな。
物理的な高低差が、建物の格の高さを暗示しています。

中に入ると壮麗な仏教装飾がばーん!
強烈なインパクト。
中央の天蓋がスゴイな。
まるで天から金色が降って来るかのよう。
奥の宮殿(くうでん)も黄金でキラッキラ。
これでもかと黄金を使う事で、仏の世界の荘厳さを表現しています。

そしてここに来たら必ず欄間に注目。
この寺を開いた瑩山紹瑾の誕生から諸国行脚までの物語が、一代絵巻のように描かれています。
偉人ですからね、このお寺では。
こうして欄間を並べる事で遺徳を偲んでいるのでしょう。
瑩山紹瑾LOVE♪なハートがひしひし伝わってきます。

隣に移って、仏殿。
こちらも立派な体躯で、大祖堂に継ぐ大きさ。
中には寺のご本尊である釈迦牟尼仏が祀られています。
ここで注意して欲しいのが建物の位置。
先に見た大祖堂が山門正面のベストポジションにあるのに対し、仏殿は脇の右側に配置されています。
サイズも大祖堂よりひと回り小さめ。
普通は本尊を祀るお堂の方が格上として扱われるはずなのに、ここではなぜか逆。
そんだけ瑩山紹瑾への崇敬が高いんだろうね。
このお寺のナンバーワンはお釈迦さまではなく、瑩山紹瑾なのです。

内部は当然黄金で装飾。
釈迦牟尼仏をセンターに置き、シャイニングゴールドがキラッキラに光を放ちまくる。
ただここも大祖堂ほどの荘厳さはないですね。
空間の広がりも、ゴールドの物量も、一格落ちる感じ。
やっぱナニがナンでも瑩山紹瑾推しなのね。

隣には座敷の大部屋。
奥の襖にはデカデカと「鐵樹 枝抽 石樹 開花」の文字。
山岡鉄舟(やまおか てっしゅう・幕末~明治にかけて活躍した政治家)による墨書です。
意味は・・・・知りません。(←!)
ただ「石樹」というキーワードに注目。
前々回のレポートで紹介した珪化木の記念碑、覚えてますでしょうか?
アレ、明らかにこの文字にかけてます。
堅牢・永続性という意味だけでなく、ここにも隠れた謎かけがあったんですね。

最後に香積台(こうしゃくだい)。
こちらはお坊さんの生活スペース兼接客スペースとなっています。
なので内部は見学不可。
見られる範囲で中をチラッと覗くと、結構生活感強め。
なんか田舎の親戚の家を覗ているような感じ。
やっぱ人が住んでる場所と仏さまを祀ってる場所って、空気が全然違うね。

脇に置いてある増長天像。
増長天は東西南北を守る四天王の一角で、南の守護を担当しています。
スゴイな、このずんぐり感。
アンバランスに足が短くて、顔がデカくて。
そしてギョロついた真っ白な目。
あんまりカッコ良くない。
でもそれが返って愛嬌さをソソルと言うか。
いいわ~~♪♪

以上、前回に続いて2回に分けて境内の様子をお届けしてきました。
次回はいよいよ總持寺祖院レポート最終回、裏山にある慈悲の杜を見ていきます。
ここに入る人、なかなかいないと思うんだけどね。
山登んなきゃいけないし(丘程度だけど)、なんか見た感じヤバそうだし。
でも行くんです、バカとマニアは!
詳細は次回。
※このレポートは震災前に訪問した時のものです
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