
野々市市郷土資料館 旧魚住家住宅編 ◆入るだけでも勇者
2021年09月18日

今現在も次々と消滅し続けている古民家。
一方で保存して後世に残していこうという動きもあります。
そのひとつの例がこちらの野々市市郷土資料館。
建造は1850年頃との事なので、江戸時代末期。
黒船が来るちょっと前くらいですね。
元々ここよりもっと南側の白山市村井町って所に建てられた民家で、その後2度移築され、最後の3回目に現在地へとやって来ました。
この最初の移築の際に建物を買い取ったのが魚住家という商家。
なのでこの建物は旧魚住家住宅とも呼ばれています。

まずは屋敷の間取りから。
この建物、奥に長い構造になってまして、手前側が移築部分です。
その奥に土蔵が1棟ありまして、これは移築以前から元々建っていた建物。
そしてこの蔵があるあたりから鉄筋構造になっていて、この鉄筋部分が近代の増築部分。
つまり生い立ちの違う3つの建物が混在しているんですね。
では実際の建物の様子を見て行きましょう。

こちらが建物正面です。
黒ずんだ板張りの壁でぐるりと覆われた重厚なマスク。
古民家感むんむん!
通りに面して格子がずらっと張られていますが、これは商家だった名残りでしょうね。
多分元々は蔀戸(しとみど・上にぱかっと開ける構造の扉)になっていて、往来する通行人相手に商売をしていたのでしょう。
でも民家として使うにはオープン過ぎるので、こうして格子を入れて目隠ししたのだと思われます。
ただ格子ってヤツは便利でしてね。

中から外を見るとこの通り。
めちゃくちゃ良く見えます。
つまり外から覗いても中の様子は分からないけど、中から外を見ると丸見えなんですね。
こうしておくことで来客時、あ、誰々さんが来た、ってのがすぐに分かるのです。
今で言うブラインドのイメージです。

そして注目して欲しいのがこちら。
入口なんですけどね、すごーく分かりにくいです。
え?ココ入んの?ココ??
めっちゃ小っちゃいんだけど?
って言うか、勝手に開けて入っていいの??
みたいな、拒絶的雰囲気でいっぱいです。
でも大丈夫です。
ひるまず入って下さい。
すげーーーーー勇気いるけど(笑)。

入口の嫌がらせのような(←?)狭さに反して、中はいきなりの大空間。
広い土間の向こうに、オエと呼ばれる居間がどん!と現れます。
ここは商家時代はきっと物販スペースだった場所でしょうね。
この部屋がそのまま店頭となり、土間には品物がずらっと並べられていたのでしょう。
そこに売り子がいて、客もいて。
あれやこれや売り込みや問答が行われて。
きっと活気あふれる商売風景が繰り広げられていたのでしょう。

上を見ると吹き抜けの高天井。
縦横に伸びる梁や束が幾重にも連なっています。
以前にひがし茶屋街休憩館の記事でも説明しましたが、この高天井には火事を食い止めるという役割があります。
火は上へ上へと燃え移るので、こうして天井を高く上げておけば、延焼を一旦足止めできるんですね。
その間に周囲の建物をぶっ壊して、火が近隣へと燃え移るのを防ぐのです。

こちらは本座敷。
部屋奥は床の間になっていて、脇に付け書院を備えた本格な仕様となっています。
右の重厚な扉は多分仏間・・・と思われるのですが、なんか金庫っぽい感じ。
やけに扉が仰々しいし。
ひょっとしたら商売で使う書類やおカネなんかを保管するのに利用していたのかもしれません。
わざわざ鍵まで掛けられるようにしてありますしね。

こちらは隠居の間。
ここにも本座敷同様、床の間が設えられています。
ただ広さはひと回り小さく、造りもややラフ。
でも何て言うかね、こっちの方がどこかリラックスした雰囲気があるのですよ。
多分先に見た本座敷は接客のための部屋で、こちらの部屋は家人のくつろぐプライベートスペースだったのでしょう。
そんな空気がきっと今も残っているんでしょうね。

ところでここまで見てきて、な~んか気になりません、壁?
なんだよこの赤?みたいな。
この家の壁、本当に元々こんな色だったんだそうです。
壁自体は近年手直しされているのでオリジナルのままではないのですが、元からこんな色だったんだそうで。
なんで赤だったんですかね?
あんま趣味よーねーな(笑)。

と、今回はここまで。
長くなるので一旦切ります。
次回はこの奥にある後半部分を見て行きます。
ここから先は鉄筋建築で、全然雰囲気変わります。
展示内容も建築ではなく、近代の生活の様子。
色合いは全然変わりますが、これもこれで面白いですよ~♪
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