
末松廃寺跡 失われた建物の痕跡をジロジロ探れ
2020年08月08日

古い古~いお寺の跡。
    それが末松廃寺跡。
    どれぐらい古いかと言うと、今からおよそ1,300年前。
    まだ恐竜がのしのし歩いていた時代です。(←そんなに古くはない)
この末松廃寺跡の概要については、既に過去の記事で紹介しました。
    今回は現地に残されている建物跡の様子について見て行きます。

まず全体の構成を頭に入れましょう。
    発掘調査を元に確認された建物は全部で5棟。
    仏塔、金堂、建物A・B・Cです。
この元お寺は、あっと廃寺ってのはその名の通り「廃されたお寺」なので、言い換えれば「元お寺」となります、は670年頃と750年頃の2度作られました。
    どちらもいつの間にやら消滅してしまうのですが、第1期に仏塔と金堂、第2期に金堂と建物A・B・Cが作られています。

ただお寺の施設は仏塔や金堂だけではなく、他にも回廊や講堂、門、鐘楼、さらにお坊さんが寝起きした僧房などが付属します。
    最低でも生活のための僧房はあったと思われるのですが、発掘調査の結果を見る限り、それらは確認されませんでした。
    本当になかったのか?あったけど痕跡が消えてしまって見付けられないだけなのか?
    それはもうタイムスリップして調べるしかない、永遠のミステリーです。

なお末松廃寺跡について色々調べると、必ず「法起式伽藍構成(ほっきしきがらんこうせい)」というキーワードが出てきます。
    これなんじゃ?という事ですが、ざっくり言うと「塔と金堂を東西に並立する配置」という事です。
    「法起式」の語源は法起寺というお寺が奈良にありまして、そこの配置がモデルになっているからそう呼ばれています。
その法起寺の伽藍配置(※創建時)が上図です。
    こうして見ると、まあまあ末松廃寺と似てますよね。
    末松廃寺がズバリ法起寺をお手本としたのか、あるいは中央からこんな風に作れと指示されたのか、今となっては知る由もありませんが、いずれにせよこの配置は当時の仏閣建築のスタンダードだったのでしょう。

では実際の痕跡を見て行きます。
    まずは建物Aです。
なんやら四角形が2つ重なってますが、これは1度建て直しが行われたからです。
    当時の建物は掘っ立て柱建物なので耐用期間が短く、せいぜい20~30年程度しかもたなかったそうです。
    この建物も恐らくそのくらいで寿命が来て建て替えが行われたのでしょう。

こちらは建物Bです。
    案内板によると梁間2間(3.6メートル)・桁行4間(7.2メートル)。
    四角形の枠は柱の跡です。
サイズ的にはAよりひと回り大きめ。
    用途は不明。
    お寺の建物なので僧房だったかもしれないし、単に物置だったかもしれないし。
    あるいは何かの仏さまが祀られていたかもしれないし。
    なんか色々想像膨らみますね。

建物C。
    案内板によると梁間2間(4.8メートル)・桁行4間(9.6メートル)。
ここで、あれ?Bも同じ梁間2間・桁行4間なのに、なんでCの方が大きいの?と思われるかもしれません。
この辺、もうちょっと掘り下げて見てみます。
このCだけ柱の並びが内・外二重構造になっています。
    建物はこの内側部分だけでした。
    じゃあ外側は何?と言うと、ひさしです。
    要するに建物の周りを雨除けの屋根がぐるりと取り囲んでいたのです。
    その屋根を支えたのが、外側に巡らされた柱なんですね。
CもBも同じ梁間2間・桁行4間なのにCの方がサイズが大きいのは、このひさしのサイズを建物寸法としているからでしょう。

そしていよいよお寺の本体。
    こちらは金堂跡です。
先に見た建物ABCと違い、基壇の形で復元されています。
    基壇とは建物の基礎となる土台です。
    柱の目印はなく、案内板にも柱の話は一切出てきません。
ここはどうなってたんでしょうかね?
    やっぱり掘っ立て柱の建物が建っていたのか?それとも礎石を用いた建物だったのか?
    その辺が曖昧です。
ちなみに金堂とはお寺の本尊を安置する場所。
    本堂と呼んだ方がピンと来やすいですかね?
    どこのお寺にも必ずある施設です。

最後に仏塔跡。
中央にぽこっと置いてある石は心礎と言って、ここに心柱(しんばしら)が立ちます。
    心柱とは塔の中心となる柱ですね。
    この柱のみ、1層目から最上階の屋根の上まで一直線に繋がっています。
    その周りを囲む4つの目印は、塔の内側を支える四天柱(してんばしら)。
    そして外周をぐるりと取り囲む12の目印が塔の1層目を外から支える側柱(がわばしら)です。
この1層目のサイズから逆算すると、この塔は七重塔だったのではないかと言われています。
でもそれはあくまで可能性と理論値の話。
    1,300年も昔のこんな地方のド田舎にそんな技術力があったとはとても考えられないので、せいぜい三重塔くらいだったんじゃないかなと、わたし的には思っております。

具体的な文献が残っておらず、発掘の痕跡から当時の様子を推し量るしかない末松廃寺跡。
    一体ここにどんな建物が建っていたのか?
    残された痕跡を一つ一つを吟味しながら、思いっ切りイメージで遊んでみてください。
頑張ってイメージすれば。
ふう~~~~っと当時のお坊さんが現れて。
    昔むか~しのお話をしてくれるかもしれませんよ~。
お化けかい!!(笑)
関連タグ >> お寺 末松廃寺跡 遺跡
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