
成巽閣
2019年01月19日

兼六園に隣接し、ちょうど金沢城の反対側に成巽閣(せいそんかく)はあります。
高い塀に囲まれているため少々認識しづらく、知らないで歩くと気付かずそのままスルーしてしまいそうなので注意が必要。
まあでっかい門があるから分るっちゃ分るんだけどね。
さて成巽閣ってなに?ってトコから話を始めると。
前田家13代目藩主の斉泰(なりやす)が、義母の真龍院(しんりゅういん)のために建てた建物です。
このあたり、もうちょっと時間を遡って説明します。
コトは斉泰の先代、つまりおとーちゃんである斉広(なりなが)の代から始まります。
この斉広、あんまりぱっとしなかった人で。
それなりに張り切って藩政改革に取り組んだそうですが、色々と横やりが入り。
まあ今も昔もいますよね、既得権益にしがみついて邪魔する人。
結果的に潰されたって言うか、要するに大した仕事ができなかったんですね。
で、多分投げたんでしょうね、息子に。
次の斉泰が家督を継いだのがなんと12歳の時と言うから、驚きです。
あんまり責任感とか、そういう感覚のない人だったのかもしれないですね。
その後斉広が何やってたかと言うと、御殿の建造。
今の兼六園のド真ん中あたりに竹沢御殿ってお屋敷をでーん!と建てたんですわ。
決して藩財政の豊かでなかった江戸末期。
そんな時期にバカスカ金使って作らんでもいい御殿建てて道楽してたってんですから、なんて言うか、完全にお殿様感覚ですな。
周りいい迷惑です。
ほどなく斉広は亡くなり。
主のいない御殿は不要のものとなり、とっとと解体。
じゃあなんで作ったのよ?って感じですが、本当なんで作ったんでしょうね?
そしてその解体の際、一部流用して別の建物が作られました。
それが成巽閣。
つまりこの建物、元々は別のもっと大きな建物の一部分だったんです。
作らなくてもいいものをムダ金使って作った斉広。
不要になったものを上手にリユースした斉泰。
親子のなのにやる事正反対。
親が頼りないと子はしっかりするものなのでしょう。
しかもこの成巽閣、別に斉泰が自分用に作ったものじゃないんです。
先述の通り、義母である真龍院の隠居所として用意したものなんです。
真龍院は元々京都の名門公家である鷹司(たかつかさ)家の出身。
輿入れ後はずっと江戸での生活が続き、金沢に移ったのは斉広が逝去してなんと14年も経ってから。
その後しばらくは金沢城の二の丸で生活していましたが、斉泰が溶姫(ようひめ)を正室として迎え入れるに当たり退去。
そこで彼女の新しい生活の場として用意されたのが成巽閣だったのです。
要は斉泰から母への心温かいプレゼントという訳ですな。
いやー、斉泰いい人だ。
散財おやじと大違い!
その後真龍院は残りの余生を静かにここで過ごし。
84年の生涯を閉じたそうです。
そんな思いやりあふれる成巽閣。
リユース品とは言え、そこはさすがに百万石を誇る前田家です。
至る所に贅が凝らされ、見どころいっぱい!
中でも一番インパクトがあるのが二階にある「群青の間(ぐんじょうのま)」。
天井が「青」なんですよ、「青」!
この青、実はめちゃめちゃ贅沢な青で、わざわざ海外から取り寄せた顔料を使用しているのだとか。
価格は金よりも上。
金より顔料の方が高価ってちょっとピンと来んですが、当時は舶来品ってだけで超プレミアが付いたんでしょうね。
ただまあ現場で見てみると分かるんですけど。
なんか落ち着かんのですわ、この青。
妙に目に残って。
これ普通に黒とか木目の方が落ち着いてていいんでないの?と思うのですが。
実際真龍院さんの印象ってどうだったんですかね?
斉泰の思いやりあふれる成巽閣。
群青の間の青は果たして深い愛情なのか?それともやり過ぎなのか?
どうぞその目で見て判断してください!
おっとそうそう、北陸新幹線「かがやき」のシートに使われている青はこの青がモチーフだそうです。
新幹線で来る人はぜひシートの色と見比べてみてくださいね。
と言ってもグリーン席のシートの話だけど(笑)。
成巽閣
住所:石川県金沢市兼六町 1-2
TEL:076-221-0580
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