
気多大社
2019年01月01日

能登国一宮の気多大社(けたたいしゃ)です。
まず「一宮(いちのみや)」ってなに?って事ですが、一宮とはその地域で一番の神社の事を指します。
じゃあ何を基準に一番なの?と言われるとちょっと困るんですが。
まあ格式とか歴史とか規模とかそういった事なんでしょうね。

で、この気多大社の場合は何がすごいのかと言うと。
歴史がすごいんですわ。
文献上初めて登場するのがなんと万葉集。
万葉集ですよ!
万葉集と言えば奈良時代。
まだ都が京都じゃなく奈良に置かれていた時代。
公家や貴族が政治の実権を握って、庭で「にょほほほ」とか笑いながら蹴鞠をぽーんぽーんと蹴って遊んでたくらい大昔。(※注:にょほほほと笑ってたかは謎)
当時すでに気多大社は遠く離れた奈良の地でも広く知られており。
かの大伴家持(おおとものやかもち)が越中国司として赴任した際、わざわざ参拝に訪れたほど。
ガチガチのビッグネームだったようです。

その後も時の支配者から厚い庇護を受け続け。
戦国時代には畠山氏から。
江戸時代には前田家から。
様々な恩恵を授かってきました。
その痕跡は建物を見ることで確認できます。

まず鳥居をくぐった先にある神門。
この神門が建てられたのは安土桃山時代。
ざっと400年くらい前ですかね。
確かに建材はどれも退色が激しく、柱や梁の1本1本が渋~い感じにグレー化しています。
装飾は極めてシンプルで、さっぱりとした実用重視型。

その門をくぐると見えるのが拝殿。
でも先に見て欲しいのが、その左の脇にある一回り小さな摂社の方。
これは戦国時代に畠山氏によって建てられたもので、若宮神社の本殿です。
え?神社の中に神社があるの?と思われるかもしれませんが、結構こういう神社あります。
この時代になると梁や軒などに装飾が施されるようになり、見た目の印象も少し変わってきます。

そして改めて中央の拝殿。
こちらは江戸時代、前田家の時代の建築。
建てたのはこのブログでもたびたび登場している加賀藩が誇るスーパー大工、山上善右衛門嘉広(やまがみぜんえもんよしひろ)。
ちなみにその奥にある本殿も同じく江戸時代のもので、こちらはさらに180年後のもの。
大工は清水次左衛門峯充。
いずれも江戸期に相応しい技巧的な装飾が施され、見た目にも華やか。
こうして建物を見るだけでも、この神社の歴史の長さを俯瞰でき。
時代と共に移り変わってきた建築技術の発展の様子なども楽しめます。

で、肝心のご利益の方ですが。
まあ普通はそっちの話が先なんですけど(汗)。
この神社のご利益はズバリ『縁結び』。

「気」が「多い」と書いて「気多大社」。
その名の通り「想い」にまつわる力が強いとされており、古来より縁結びの神として崇められてきました。
現在でもその信仰は篤く、全国から恋を夢見る女子がたくさん訪れるそうです。
神社側でもそんな恋する乙女達をがっつりターゲットに据えており。
ハート模様の絵馬や恋願い用のお守りなど、女子ハートにグサッと突き刺さるバラ色のアイテムをたくさん取り揃えています。
まさに恋の悲願成就のための駆け込み寺!
おっと、神社でしたね。(←?)

古来より能登の信仰の中心として栄えてきた気多大社。
少々アクセスは分かり辛いかもしれませんが、訪れる価値はアリます。
歴史あふれる建築の変遷を楽しむもヨシ。
恋の祈りをささげるもヨシ。
年に数回行われるイベントを楽しむもヨシ。
信仰と伝統に裏打ちされた大いなるパワー、思う存分体感しちゃって下さい!
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