
金龍山 天徳院 山門
2018年09月20日

かつて前田家と徳川家ってのはものすごーく関係が悪くて。
まだ利家が生きていた間は、彼がにらみを効かせてたのでそんなに露骨じゃなかったのですが。
彼が死んだことで、状況は一気に悪化。
「前田に叛意あり」と突然一方的な言いがかりをつけてきて、加賀藩討伐の機運が本格化したことがありました。
ハッタリじゃなく、本気だったみたいです。
当時藩主だった二代目の利長、もーオロオロ!
徳川に太いパイプを持った家老を江戸に派遣したりして。
すったもんだの交渉と申し開きを散々重ねた末。
なーーーーんとか戦争を回避。
ただその時の条件として、母親であり利家の正室であるおまつの方を江戸に人質に出すことになったんですね。
これが世に言う『参勤交代』制度の始まりとなったのですが。
実は徳川方からも人質が出されてて。
それが珠姫(たまひめ)。
二代目将軍秀忠の実の娘。
当時わずか3歳。
そんなまだオムツも取れてないような少女を、後の三代目藩主利常の嫁として送り出してきたのです。
まあいわゆる政略結婚ってヤツですな。
その後14歳で正式に結婚し、10年間で3男5女の子宝に恵まれるも。
5女・夏の出産後に体調を崩し、そのまま24歳という若さで短い生涯を閉じました。
前置きが長くなりましたが、その珠姫を弔う菩提寺として建てられたのがこの天徳院。
寺号は珠姫の戒名である『天徳院殿乾運淳貞大禅定尼(てんとくいんでんけんうんじゅんていだいぜんじょうに)』から付けられたそうです。
創建は珠姫が亡くなった翌年の1623年。
その後1693年に、五代藩主綱紀が伽藍を中国の明朝式に改築。
しかし75年後の1768年に、火災でそのほとんどを消失してしまい。
わずかに焼け残ったものの一つが、この山門なのです。
やっと山門まで話が進んだ(笑)。
他にも焼け残りはいくつかあったようですが、歴史の時間の中ですべて取り壊されてしまい。
今残ってるのは山門だけ。
つまりこの山門は天徳院の中で最も古~い建物なのです。
どうですか?
カッコいいでしょ、この山門。
太い柱と梁でがっしりと組み上げられた部材はどれも力強く。
建材の木目は、深く褐色に沈み。
屋根には重厚な黒瓦。
そして門の両脇には、目を紅蓮に燃え立たせた仁王像がずしりと構える。
いや、素敵ですわ♪
外からは見えませんが、門上には釈迦の弟子である 十六羅漢像が安置されており。
いつも上から衆生を見守ってくれているそうです。
これらの像もすごく文化的価値が高く、市の指定文化財になっているものの。
門の上に上がるのは危ないって事で、残念ながら一般公開はされていません。
1回見てみたいんですけどね~、コレ。
天徳院さん、上に登らせてーーー!!!(←わがまま)
天徳院山門。
その重厚壮大なたたずまいだけでなく、珠姫の遺徳にも思いを馳せながら手を合わせると。
またちょっと違って見えてきますよ。
楼上の羅漢様たちもきっと。
笑顔で手を振って応えてくれるはず・・・ないか(笑)。
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