店主たみこの観光案内日記

石動山城跡 道のりはシンプルだけどその工程には恐怖の仕掛けがいっぱい

2021年09月11日

 

中世の信仰の聖地であった石動山。

その奥地に今もひっそりと眠っている山城があります。

石動山城です。

 

こちら典型的な山城でして、アクセスは激悪です。
モロ山の中。
直前までは車で行けるけど、ガードレールもないかなりきわどい山の細道を進まなければなりません。
ガケから転げ落ちないよう、慎重ぉ~~~に運転してください。

 

石動山城跡入口

 

入口は大宮坊跡の脇と伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)の脇の2ヵ所にあります。
どちらから入城してもかまいませんが、今回は大宮坊脇のルートから入ります。

 

もう一度念押ししますが、山城です。
登城はイコール山登りとなります。
マジひでーので、そのあたり覚悟の上でお越しください。

 

石動山城のマップ

 

まずは全体マップ。
既に説明した通り、入口は2ヵ所。
ゴールは山の頂上にある本丸です。

 

実際行ってみると分かるんですけど、結構シンプルなのですわ、構造的に。
え?こんなあっさり本丸まで行けちゃうの?みたいな。

 

でもね、そこは山城。
よく観察すると、何気~に色々な仕掛けが施されています。
その辺り、ひとつひとつ見て行きましょう。

 

窪んだ通路

 

まずはこの窪み。
ひと目で分かる人口の窪み。
上に登りたきゃ、ここを通れって訳です。

 

でもね、潜んでんですね、この窪みの上に守備兵が。
程よく敵が侵入してきたタイミングで一斉に迎撃、それも両サイドから。

 

やられる方、タマランですな。
窪地だから逃げ場なんてなく、それこそやられ放題!
そして上の様子なんて分からないから反撃もできない。
まさに地獄の通路ですわ。

 

本丸と通路

 

その先に進むともう本丸なんですけどね。
ここがまたキツイ!

 

イメージとしては「T」の字ね。
攻め手側が「縦線」で登って来るのに対し、守り側は「横線」で迎撃できるのですよ。
突破無理!無理!

 

通路片側の断崖

 

しかも見ての通り、通路の片側は急斜面になってんですね。
前方の本丸からビュンビュン矢が飛んできて、パニックになってる所にこの斜面。
落ちますわな。
ゴロゴロ落ちますわな。
矢に当たったら重症、ここから転落しても重症。
もうどーもならんですわ!

 

石動山城の空堀

 

力づくで本丸への斜面を登っちゃえばイイじゃん、と思われるかもしれませんが、そうもいきません。
この斜面、切岸(きりぎし)という防御工事が施してあってメッチャ角度が付けられてるので、とても自力では登れません。

 

その上根元には空堀も掘られています。
今はかなり埋まって浅くなってますが、当時は深~い溝になっていたはず。
下手に突っ込むと転落して這い上がれなくなり、そこを弓矢で狙い撃ちにされます。
わざわざ死にに行くようなもんです。

 

本丸直前の枡形

 

恐怖の仕掛けはまだ続きます。
こちらは本丸への入口。
通路が突然カクンと折れ曲がってます。

 

これは枡形(ますがた)という防御構造。
こうして通路を曲げることで敵の勢いを削ぎ、さらに前・横の2方向から攻撃するんですね。
やられる側にしたらキツイですよ~。

 

本丸の入口

 

本丸への入口階段。
ここさえ突破してしまえば落城なんですけど、ここには間違いなく頑強な門があったはず。
最後の防御網です。

 

攻め手側としては本丸からの雨のような攻撃に耐えつつ、この門を破壊しないと前に進めません。
間違いなくヤられまくり。。
後はどれだけ被害を最小限に食い止めるか、もうそれだけです。
勢いに任せて一気に突破するしかないでしょうね。

 

石動山城の本丸

 

艱難辛苦の末、ようやくゴぉ~~~~ル!!
本丸に到着。
ここまで来れば落城です。

 

広さ的にはテニスコート1.5面分くらいですかね。
まあまあの広さです。

 

ここにももちろん、防御のための仕掛けがあります。
ちょっと見てみましょう。

 

本丸の櫓跡

 

一番のキモはこの突端ですな。

 

ここ、間違いなく櫓が建っていたはず。
見晴らしいいですからね、ここに高い足場を組めば周囲の状況は丸見え。
ここから敵兵の進軍状況を確認して指揮すれば、思いっ切り守備側のペースで戦いが進められます。
攻め手側にすれば、こんな鬱陶しいものはないでしょう。

 

本丸の土塁

 

さらにヘリの部分、よく見るとほんの~り盛り上がっているのが確認できます。
土塁ですね。
ここに柵をズバッと巡らせれば、強力なバリケードが完成。
まず突破は不可能です。

 

もうひとつの枡形

 

本丸には2つの入口がある事は既に書いた通りですが、今度はもう片方の入口を見てみます。

 

ここにもやっぱり枡形。
敵は前方・側面の2方向からの攻撃にさらされます。

つまりどちらから攻めても硬い防御網に守られてるって事ですね。
まさに鉄壁の構造。

 

石動山城の堀切

 

さらに先に進むともうひとつ面白いものが見られます。
堀切(ほりきり)です。
画像じゃイマイチ実感できませんが、現場に立つと露骨に窪んでいるのがはっきり確認できます。

 

この窪みは人の手で作られています。
これによって敵の侵入経路を遮断するんですね。
敵にすれば、前に進むにはこの窪みを一旦ヨッコラショと降りて、そしてまたヨイショとはい登らなきゃなりません。
そこを狙ってバンバーンと攻撃。
まさに死の窪みですね。

 

梅の宮跡

 

その先に進むと梅の宮跡というお寺の跡地に出ます。
ここを降りるともうひとつの入口、伊須流岐比古神社の脇に出ます。

 

さて、ここまで見てきて、お城慣れした人ならひとつの違和感を感じると思います。
アレ?曲輪(くるわ)が全然なくね?という疑問。
曲輪とは兵を駐屯させるためのちょっとした広場です。

 

大丈夫、曲輪、ちゃんとありますよ。

 

東林院跡

 

こちらは東林院跡と呼ばれる場所。
他にもこんな平地が山のあちこちにあります。

 

ここは山全体がお寺の集合体になっているんですね。
だから戦時にはこれらのお寺を曲輪としてそのまんま転用できるのです。
なのでわざわざ新規に土木工事して造成しなくても、もうあるのです、山のそこら中に曲輪が。
従って本丸のみ造ればそれで山城完成。
なんとも手間のかからないお城です。

 

石動山城跡の案内標識

 

仕掛けの塊となっている石動山城跡。
今もその痕跡はハッキリと残っています。
訪城の際には、それらひとつひとつをしっかり観察しながら見て行ってください。
思わず恐怖で震えますよ!

 

なお現場はモロに山です。
運が悪いと熊が出ます、マジで。
熊が怖いーって人は、鈴をぶら下げて登城してください。

 

 

石動山城跡

住所:石川県鹿島郡中能登町石動山子 1

 

 

関連タグ >> お城 石動山 

 


楽々園 建物内部に入れてもらえんので庭を楽しむ

2021年09月08日

楽々園

 

前回は庭園部分である玄宮園の様子を見てきました。
今回は隣接する楽々園についてレポートします。

 

場所は玄宮園の西口側。
敷地としては繋がっていますが、区画は別になっているので、無料で観覧できます。


では早速見て行きましょう。

 

鎖口

 

こちらは鎖口(くさりぐち)と呼ばれる場所。
玄関です。
えらい小奇麗なのは比較的最近修復されているからです。(※平成17~18年)

 

イカシますわね~、正面の唐破風。
滑らかなカーブが美しくて、白と黒のコントラストが見事で。
お殿さまの屋敷と言うより、ちょっと寺院的な雰囲気。
風格あふれるエントランスです。

 

楽々園玄関の破風

 

この唐破風、よーく見るとえらくデカいです。
建物に対してややアンバランス。
下の式台もそれに呼応して広いですね。

 

これは多分、藩主(隠居してるから正確には藩主じゃないけど)が籠で出入りできるようにでしょうね。
このでっかい唐破風屋根の下に籠を置いて、あるいはそのまま玄関内まで入って、そこでよっこらしょっと降りるのです。
そうすりゃ雨に濡れないし。
そのためのスペースとして、これだけたっぷりと空間を取ってあるのでしょう。

 

楽々園の御書院

 

中には入れないので、そのまま脇を通って庭へ移動。
すると御書院と呼ばれる、屋敷で最も大きな建物が見えてきます。

 

この建物はお客さんを迎える場所だったんだとか。
確かに中を覗くと謁見の間的な造りになっています。

 

ここでちょっと間取りを確認。

 

御書院の間取り

 

鎖口から御書院まではこんな感じ。
本当はこの右側にも建物が続いているんですが、どうせ入れないし詳細もよく分からないので省略。

 

右上、御上段(おんじょうだん)って部屋が藩主用の部屋ですね。
その正面の上之御間(かみのおんま)が謁見者用の部屋。
その隣の御次之間(おんつぎのま)が謁見者の控え部屋。
左上の御小座敷(おんこざしき)はなんだろ?従者用の部屋ですかね。

 

以上の4つの部屋で構成されています。

 

上之御間→御上段の眺め

 

鎖口同様、室内については外から覗くしかありません。
こちらは上之御間→御上段の眺め。
きんちゃく袋はスルーしてください。(←?)

 

手前の部屋に対して奥の部屋、床が一段高くなっているのが分かりますかね?
これは上段の間ってヤツです。
床面の高さで身分の違いを表しているんですね。

 

御上段の部屋の様子

 

角度を変えてもう一度御上段の様子。

 

室内の様子をもっと見たいんですけど、遠いし、遮蔽物が多いし、全然分からんですね。
奥が床の間になっているのがかろうじて分かる程度。
天井も格天井になってるのか竿縁天井なのか分かりません、竿縁らしいけど。

 

欄間がえらい質素ですね。
大体上段の間の欄間ってのはもっとゴージャスな透かし欄間であることが多いんですけどね。
金沢の成巽閣(せいそんかく)の欄間なんか、ゴッテゴテに彩色してあるし。

 

明り取りのための障子

 

採光には結構気を使ってるみたいで、明り取りのための障子が上部にまで付けられています。
こんだけを光入れられりゃ、さぞかし居住性が良かった事でしょう。
ただその分断熱性能が落ちて冬は寒くなるけどね。

 

彦根の冬ってどうなんだろ?
住んだことないし分からん。
なんか琵琶湖のせいで風強そうってイメージが勝手にあるんだけど、別にそんな事ないのかな?

 

楽々園の枯山水庭園

 

建物の右横は荒々しい枯山水庭園になっています。

 

石の使い方がすごいですわね。
礫岩、花崗岩、堆積岩、なんやらゴチャゴチャ、大きさもバラバラ。
角張った石ばっかり使って、色も黒味の多いものばかり。
さらに整地までガタガタにして、柔らかさゼロ。

 

山の渓流のイメージですね。
すぐそこの玄宮園が海をイメージしたゆったりとした庭なので、わざとここは対照的な造りにしたのかもしれません。

 

正面の枯山水庭園

 

建物の正面も枯山水の庭園になっています。

 

こちらは一転海のイメージ。
ただ玄宮園のような穏やか~な海ではなく、荒磯を模したゴツゴツした海。

 

切り立った断崖がスゴイですね。
なんか冬の日本海を見てるみたいで、だっぱーーん!と打ち付ける波の音まで聞こえてきそう。

 

枯山水の川

 

何気に流れ込む川まで表現されています。
枯庭なので水は流れてませんけどね。
ちゃんと上流は細く、下流は太くなってて、ゆったりと流れ込む水の流れまで見えてきそう。

 

川は奥にももう1本あって、そちらには滝まであります。

 

奥側の川

 

それがこちら。
画像だと角度的にイマイチ川っぽく見えませんが、石がズラズラッと並んでいる所が川です。
傾斜まできちんと付けて川の流れが表現されています。

 

上の方に細長い石が縦に置かれてますよね。
これが滝です。
石で表現する滝。
枯山水庭園ではよく使われる手法です。
オキマリのやり方なので、覚えとくと次見た時すぐに気付けますよ!

 

御書院の縁側

 

江戸時代の大名屋敷の雰囲気を今に残す楽々園。
まー風雅な所です。
彦根の殿さまの粋な人柄までギンギン伝わってくるようです。
どうぞ訪問の際には、そんな人間臭さまで感じ取ってください。

 

でもね~、中に入れないってのがちょっとね~。
寸止めの消化不良感ハンパないですわ。

 

内部開放強く求ムぅーーーーー!!!

 

 

楽々園

住所: 滋賀県彦根市金亀町 3-41

TEL:0749-22-2742

ホームページ:びわこビジターズビューロー公式サイト

 

 

関連タグ >> 古建築 玄宮園 彦根城 庭園 

 


玄宮園 その橋、閉鎖したらダメくね?

2021年09月06日

玄宮園

 

彦根城裏手にある玄宮園。
以前書いた記事では現場の様子をチラッとしかお伝えしませんでした。
今回改めて園内の様子をレポートしたいと思います。

 

ここね、い~い庭なのですわ♪
ホントい~い庭なのですわ♪
金沢にも兼六園があるんですけどね、あそこは数度の造成・付け足しを繰り返しているせいでどーにも全体として統一感がない。
でもここはひとつの庭としてぴしっとまとまってて、なんかこう世界観がつかみやすいんですよね。

 

玄宮園マップ

 

まずは全体の構成から。

 

出入口は東西2ヵ所。
中央に大池を配し、中島が4つ、その周囲を園路がぐるりと囲むといった構造になっています。
典型的な池泉回遊式庭園ですね。
脇道はほとんどなく、池を軸にぐるりと周遊するというのが基本的な動線となります。

 

東口の田んぼ

 

では早速入場、東口から入ります。
いきなり田んぼです。

 

え?なんで庭に田んぼ?って感じなのですが、これは神事用の田んぼだったそうです。
五穀豊穣を願うと共に、その年の米の出来具合の目安としたとの事。

ただずっと土の下に埋まっていて、復元されたのはごく最近の平成24年。

なので何気に新品(?)です。

 

玄宮園の中島へと続く橋

 

そのままつたつたと歩くと、中島へと渡る橋に出ます。
この中島は園内で最も大きな島で、そして唯一自由に歩ける島です。
どうぞ思う存分歩いてください。

 

1分で歩き終わるけど。(←!)

 

鳳翔台

 

その中島の左手にある建物がこちら、鳳翔台(ほうしょうだい)。
茶室です。
バリバリの数寄屋造りですね。

 

仕立てが素晴らしいですわ。
茅葺の寄棟屋根、浅茶色の土壁、細身の丸柱、板を張っただけの縁側、周囲を取り囲む桟敷。
この地味と質素を徹底凝縮させた美しさが数寄屋の特徴。
カッコええな~♪

 

龍臥橋から見る鶴島

 

くるっと振り返って、さっき歩いて来た中島の先に架かるのが龍臥橋(りゅうがばし)。
二連になった木造の反り橋です。

 

ここで急いで渡らず、ちょっと途中で池を見渡してみてください。
向こうにもう一つの中島が見えるはず。
鶴島です。
その名の通り鶴に見立てて造営してあります。
画像じゃちょっと分かりにくいですが、島の真ん中にぴょこっと長く上に突き出てる石がありまして、それが鶴の首を表しています。

 

亀島

 

ちょっと目ざとい人なら、「鶴があるんなら亀もあるんじゃね?」とお思いになるかもしれません。
ありますよ、亀もちゃんと。
それは今立っている場所のほぼ真下。
二連になっている龍臥橋の継ぎ目にある小さな島がそれです。
アッチが鶴島なので、コッチは当然亀島。

 

ただ、正面からの写真を撮り忘れましてね。
この画像に写っている島がそうなのですが、こっちは裏側なんですよ。
亀の頭はこの反対側にありまして、そっちから見るともっと亀っぽく見えます。

 

玄宮園の船着き場

 

龍臥橋を渡ると再び池の外周路。
そのまま道沿いに進むと、カックンと角ばった入り江に出ます。
船着き場です。
パンフレットの地図だと「船小屋」と書かれているので、昔は小屋が建てられていたのかもしれません。

 

船着き場なので、当然かつてここには船が繋がれていました。
船浮かべてどうすんの?って感じですが、実はこの時代において「池+船」ってのには大きな意味があったのです。
それは上流階級としてのステータス。
庭に大きな池を備えて船を浮かべて遊ぶってのは、社会的地位の高い人間であるという証明だったのです。
今で言えば個人で別荘とクルーザーを所有しているみたいなイメージですかね?

 

玄宮園の州浜

 

ここでちょっと振り返ってください。
岸辺に玉石がざっと敷かれています。
これは州浜。
砂浜の表現です。

 

日本庭園というのは何かを「模する」のが好きで、特に海がよくテーマにされます。
これもそのひとつ。
岸辺に玉石を敷き詰めて砂浜を表現し、水際のラインもわざとカーブさせてあります。
こうやってなんとな~く海の情景を作り出し、鑑賞して遊ぶのです。

 

路面が変わる場所

 

ついでに足元にも注目。
上ばかり見てると気付きませんが、路面の素材が変わっています。
手前は石敷き、奥は玉砂利。

 

変化ですね。
こうして路面の素材を変えることで、視覚ではなく感覚で変化を付けているのです。
ニクイ演出です。

 

飛梁渓

 

さらに進むと右手に飛梁渓(ひりょうけい)と呼ばれる、谷を模した築山が現れます。
谷をまたいで架けられた反り橋が目印です。
なんか白い丸いのあるけど、まあスルーで。(←?)

 

この橋を見付けたら、ちょっと寄ってみてください。

橋の近くまで来たら回れ右。

 

玄宮園最強のビュースポッ

 

そこから見える眺めがこちらです。
玄宮園最強のビュースポット。
手前に池を望み、奥に向かってぐっと空間が広がって、山の上に借景としての彦根城天守閣が雄大にそびえる。


いいですよね!このアングル。
惚れ惚れしますわ!

 

この画像じゃ天気悪くてなんか全然スペシャル感ないけど(汗)。

 

通行止めの橋

 

そう考えると、この位置に敢えて築山を築いて橋を渡してある事に意図を感じます。
多分この庭を設計した人も、この場所からの眺めが園内で一番と考えたのでしょう。
そこでその眺めをより楽しめるよう、わざわざ築山を築き橋を渡したのです。
つまりこの橋は最高の眺望を思いっ切り楽しんでもらうための橋なんですね。

 

でもご覧の通り「渡るな」と。
なんともまあ無粋な・・。

 

楽々園

 

さらに池に沿ってすたすた歩くと右手に見えてくるのが楽々園。
彦根の殿さまが隠居所として建てさせた屋敷です。
次回はこちらをレポートします。

 

玄宮園の入口の門

 

以上、彦根城の大名庭園玄宮園のレポートでした。

 

庭好きにはハートどきゅん!な素敵庭園。
見れば見るほどそれまで気付かなかった魅力が見付かって、何度歩いても飽きない素晴らしい庭です。
彦根城に来る機会があれば、必ずセットで訪れてください。

 

次回は既にチラッと書いたけど楽々園のレポート。
こちらも浮世離れしてて、見てるだけで胸ワクですよー!

 

 

玄宮園

住所:滋賀県彦根市金亀町 3

TEL:0749-22-2742

ホームページ:びわこビジターズビューロー公式サイト

 

 

関連タグ >> 玄宮園 庭園 彦根城 

 


金剣宮 境内編 金運パワーよ!カモぉーーーーンッッッ!!

2021年09月04日

金剣宮

 

鶴来(つるぎ)の山地にひっそりたたずむ古社、金剣宮。
前回はエントランス編として、主に参道の男坂・女坂を中心に紹介してきました。
今回はその先にある境内の様子を見ていきます。

 

この神社ね、結構ゴチャゴチャしてんですよ。
あんま広くない敷地の中に末社がぎっちり詰め込まれてんのね。

 

金剣宮の境内マップ

 

その全体図がこちら。

 

境内ほぼ中央のラインに本殿・拝殿。
右側にお守りなんかを販売している社務所。
左側に6つの末社が所狭しと密集。
さらに舞殿と呼ばれる能舞台も。

 

これがまたね、全然統一感ないのですよ。
並び、サイズ、距離、とにかくぐちゃぐちゃ。
なんの計画性もなく、後から後から場当たり的に追増してったんだなーってのがひと目で分かる。

 

雑やの~(笑)。

 

拝殿

 

まずはセンターを飾る拝殿。

 

カッコえ~な~♪
プロポーション抜群ですわ!

 

アルミサッシ邪魔だけど。(←?)

 

屋根のラインが美しいですわな。
滑らか~なカーブを描いて、正面に千鳥破風+唐破風の二連破風。
それらを銅板の柔らかな茶が覆い、ゆったりと落ち着いた風合いで包む。
威厳と貫禄に満ちた社殿です。

 

拝殿の内部

 

内部はなかなかに豪壮。
特に上部を飾る透かし欄間がいいですね。
中央欄間は左に竹林の虎・右に雲間の龍、そして左右の欄間には松と鶴。
虎は武力、龍は神の力、松と鶴は長寿繁栄の象徴ですね。
いずれもダイナミックに表現され、今にも画面から飛び出してきそうなほどの迫力!

 

神社ってのは、お寺なんかもそうなんですが、昔から芸術家たちの作品発表の場だったんですね。
なので当代随一の芸術家たちは競って渾身の作品を寺社に奉納し、より多くの人に見てもらい、それによって自身の存在と技量をアピールしたのです。
この欄間もそんな野心作のひとつなのかもしれないですね。

 

金剣宮の舞殿

 

そんなエネルギッシュ拝殿の左手前にぽこっとある建物が舞殿。
やっぱアルミサッシが邪魔で外見からは何の建物かよー分かりませんが、能舞台です。

 

「神楽」って言葉をご存知でしょう。
神に捧げる舞ですね。
一般的には境内や拝殿で行われることが多いのですが、このように専用の舞台を用意している神社もごく少数ながらあります。

 

舞殿内部の能舞台

 

中を覗くとガッツリ能舞台ですね。
背面の鏡板には老松の絵がどどーん!

 

見た感じ結構古そうだけど、いつ頃の建物なんですかね?
境内の案内板によると昭和27年「改装」と記されており、築造年については不明。
見た感じ大正か明治後期くらいな感じなんだけど。
その辺り、詳しく知りたいなー。

 

あと中に入りたいなー。(←すぐ中に入りたがる)

 

天の真名井

 

そのすぐ脇にこんなのもあります。
「天の真名井(あまのまない)」。
井戸です。
古来より枯れたことのない、無尽蔵の水が湧き出す井戸として知られています。

 

そりゃまー水湧くでしょうな。
すぐ後ろが山だし、山なんてそれそのものが巨大なスポンジみたいなもんだし。
チョコっと掘れば水なんてじゃばじゃば湧きますわ。

実際この井戸の水位は高く、のぞき込むとすぐそこに水面が見えます。

 

乙剣社

 

そのちょっと奥に行った所にある末社が乙剣社。
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、いわゆる山幸彦(やまさちひこ)を祀った神社です。

 

この神社、知る人ぞ知る神社で、あの経営の神さまと呼ばれた船井総研の創業者である船井幸雄(ふない ゆきお)が「金運の上がる神社」と紹介したことで全国的に有名になりました。
本社よりむしろこっちの末社目当てで参拝に来る人の方が多いほど。

 

わたしもね、ガッチリお参りしてきましたよ。
これでこれから・・ふっふっふ・・・。(謎)

 

恵比寿社

 

その横にあるのが恵比寿社。
ご存知えべっさんですね。

 

えべっさんと言えば大漁の神さまなので海の神社で祀られているイメージが強いですが、ここは深~い山の中。
恐らくは「大漁」=「大猟」のこじつけから、山の幸がたくさん得られるようにとの願いを込めて祀られたのでしょう。

 

この社殿ね、まだ新しいのですわ。
アルミサッシを開けて中を覗くと、ふうわ~と木の匂いがするくらい。
興味があったら香りも楽しんでってください。

 

金刀比羅社

 

その隣は金刀比羅社。
崇神天皇(すじんてんのう)を祀った神社です。


崇神天皇とは初代神武天皇(じんむてんのう)から数えて10代目の天皇で、恐らく実在した最初の天皇と言われています。
伊勢神宮の創建に間接的ながら関わっている事でも有名です。

 

金刀比羅社と言えば、何と言っても香川にある総本社が思い浮かびますね。

いつかそっちにも行ってみたいなー。
でも遠いなー・・・(悲)。

 

丈六神社

 

丈六神社。
大山咋命(おおやまくいのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社です。
ここだけなぜか複数の神さまが詰め込まれています。

 

多分だけど、これ元々は外にあった神社なんじゃないかな?
恐らくこの4柱の神のどれかが主神で残りが末社という形の神社があって、それが廃社となってここに遷宮され、その際に一緒くたに合祀されたと。
そんな感じじゃないでしょうか。
あくまで予想ですけどね。

 

粟島神社

 

粟島神社。
少彦明神(すくなびこなのかみ)を祀った神社です。
少彦明神は小人の神さまで、大国主神(おおくにぬしのかみ)と共に国造りを行ったとされています。
霊験は医療・温泉・穀物・酒造など多岐に渡り、かなりのマルチタレント。

 

この神社だけね、妙なんですわ。
なぜか横向いてて、他の末社群と90度向きが違うんですよ。
多分何かしらの意味があるとは思うんだけど、理由は謎。
なんでかな??

 

金剣宮の招魂社

 

そして最後、招魂社。
戦没者鎮護のための神社ですね。

 

ここだけ境内が別枠になっています。
何か他の末社群とは一線を画すような感じ。
多分神社創建の意図として、金剣宮の敷地内にはあるけれど神社としては全く別個の存在なんだよ、ってのをアピールしたかったのでしょう。

 

金剣宮の境内と拝殿

 

1回でたくさんの神さまに出会えて、たくさんのご利益が得られる金剣宮。
いいですぜー。
ハッピーになれますぜー。
バラ色の人生が待ってますぜー。

 

我こそは幸せになりたいという方、張ーーり切ってお参りにどうぞ。

 

 

 

わたしも次の宝くじは・・・ふっふっふ・・・(謎)

 

 

金剣宮

住所:石川県白山市鶴来日詰町 118-5

TEL:076-272-0131

ホームページ:石川県神社庁公式サイト

 

 

関連タグ >> 神社 金剣宮 

 


金剣宮 エントランス編 源義経も腰かけたと言われる伝説の石に座(れない)

2021年09月01日

金剣宮

 

中世の時代には白山七社のひとつに数えられた金剣宮(きんけんぐう)。
手取川を見下ろす、河岸段丘上にある神社です。

 

ここがえ~神社でね。
荘厳ムードむんむん。
おお~神さま、いるわいるわ~、絶対いるわ~、みたいな雰囲気。
そんなスピリチュアルなスポットです。

 

金剣宮の参道マップ

 

で、早速見ていくのですが、この神社、正面に参道が2本あります。
いわゆる「男坂」「女坂」と呼ばれるもので、金剣宮の場合は左が急峻な男坂、右が傾斜のゆるやかな女坂となっています。

 

なんで男・女、2本の坂があるのかについては諸説ありますが、着物が関係しているようです。
昔の、例えば江戸時代の女の人の着物はすそが狭く、そのせいで足を大きく踏み出せませんでした。
当然段差の大きな石段を登るにはすこぶる具合が悪い。
そこで小股ででもテクテク登れるようにと、女性専用の傾斜の緩い道が用意されたのです。
ゆえに傾斜の緩い方に「女坂」、急な方に「男坂」という名前が付いたんだとか。

 

ただこの神社の女坂は後半結構傾斜キツクて、あんまり意味ないけどね。

 

男坂

 

こちらがその男坂。
ズバッと急坂一直線。
いやー男らしいわ!

 

見ての通り手すりがないんでね、実際登ると見た目以上にキツイです。
途中でへーへーはーはー、みたいな。
その辺りはご自身の体力と相談して、無理のないペースでどうぞ。

 

女坂

 

そこから100メートルほど横にある女坂。

 

確かに傾斜の具合は見た目緩やか。
さらっと登れそう。

 

雰囲気もね、どこか女性的なのですわ。
景観がさら~っとしてて、なんとな~く軽くて。
デートで来られる方はこちらから登るのがオススメです。

 

金剣宮の不動滝

 

そしてこの女坂なのですが、途中いくつか見所があります。
そのひとつがこちら、不動滝。

「不動」とは「不動明王」ですね。

不動明王は滝の化身と考えられており、このように滝を不動明王に見立てて祀られるケースはここ以外でもよく見掛けます。

 

この滝が素敵でしてね。

不動明王の荒々しいイメージとは裏腹に、白絹のように細くたなびく水流がたまらなくエレガント。
周囲を囲む緑がさらに荘厳さを引き立てて、めちゃめちゃクール!

 

石清水薬師不動尊の祠

 

滝の隣には小さな祠がぽつり。
石清水薬師不動尊です。
薬師は文字通り薬の意味。
この滝の水には古来より癒しの力があると信じられており、特に眼病に効果があると言われています。

 

目の病にお悩みの方。
しっかりお参りしていけば少しは改善する、かも、しれませんよ。

 

急傾斜な女坂後半

 

そしてその上。
いきなり傾斜がキツくなります。
一応ぐにゃーんと経路は曲げられていますが、それでもなかなかの傾斜。
決して楽~に登れる角度ではありません。

 

試練ですな。
ここは頑張って登るしかありません。
意地で登り切ってください!

 

なお、わざわざこの坂登らんでも、坂の上に駐車場があってそこから簡単に参拝できます。(←え?)

 

金剣宮の入口

 

そんなすったもんだの先にようやく境内。
鬱然と茂る木々の中に神社の入口が現れます。

 

いいですな~、このビジュアルも。
ついに神の世界にたどり着いたわ、みたいな。
圧倒的な神霊力がビンビン飛んできます。

 

細身な狛犬

 

その入口を守る狛犬。

 

どーーーーですか、この迫力!
狛犬と言えば一般的にでっぷり太ってて、どちらかと言えば鈍重なんですけどね。
でもこの狛犬はご覧の通りスカッとシャープ。
まるで鍛え上げられたアスリートのよう!

 

いいね。
わたしのぶよぶよなお腹にも見習わせたいね。

 

金剣宮の亀石

 

その狛犬の脇に、なにやら意味深な石が3つゴロゴロっと転がっています。
そのひとつめがこちら、「亀石」。
見たそのまんま、亀です。

 

何が言いたいのかは不明。
多分長寿を願ってのものと思いますが。
まあ遊びですな。

 

天忍石

 

その横には「天忍石(あまのしのぶいし)」、またの名を「牛石」。
これは影向石(ようごういし)と呼ばれるもので、神が宿ると信じられています。
金剣宮ではこの石に神が降臨したという伝説が残っているんだとか。

 

見た感じただの石なんですけどね。
安山岩かな?
ぶっちゃけあんま神霊感ないです。(←それ言っていいのか?)

 

義経腰掛石

 

最後のひとつがこちら「義経腰掛石」。
義経ってのはあの源義経(みなもとのよしつね)。
鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の弟で、弁慶の親分ですね。
平氏との戦いで大武勇を馳せたにも関わらず、後に頼朝と仲違いして流浪、最後は奥州で自刃して生涯を閉じた悲劇の武将です。
その流浪の際、この金剣宮にも立ち寄ったそうで、その時この石に腰掛けたんだそうです。

 

石はなーーんの変哲もない花崗岩なんですけどね。
(真偽不明だけど)義経が腰を下ろしたってだけで、こうして何百年も大事に守り伝えられるほどのお宝になるんですね。

 

歴史レジェンドの威光、恐るべし!

 

金剣宮の手水舎

 

と、今回はここまで。
次回は境内の様子を見ていきます。

 

境内もまたい~のですわ。
末社でぎゅうぎゅう、神霊パワー全開!
雑多でやや洗練感に欠けるのものの、でも不思議~に荘厳な空気が漂ってて。

おカネの神さま(←?)なんかもいて。

まー飽きないですよ~。

 

 

金剣宮

住所:石川県白山市鶴来日詰町 118-5

TEL:076-272-0131

ホームページ:石川県神社庁公式サイト

 

 

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