
旧敦賀港駅舎 大正モダンの鉄道駅舎に異次元タイムトリップ
2021年09月22日

敦賀の港にたたずむなんやら謎にレトロチックな建物。
それが旧敦賀港駅舎です。
なんでこんなにレトロなのかと言うと、これは昔むかーしの敦賀港駅舎を再現したものだから。
大正2年建造の駅舎がモデルで、平成11年に開催された『つるが・きらめき・みなと博21』の一環として建てられました。
このイベントについては直接行ってないので詳細不明ですが、なんでも敦賀港開港100周年記念事業として開催されたものらしいです。

カッコえーですわな、この建物!
壁は柱を壁に埋め込まない真壁造り。
入口を中央に配し、縦横に小気味よく柱を並べた(ほぼ)シンメトリー(左右対象)な構造。
一方で屋根は、左は三角形・右は直線。
このアンバランスな構成が実に不安定で、でもそれゆえにグッと引っ張られるような不思議な力があって。
すぺしゃるワンダフル!

どーですか、このクソ古ったらしいエントランス?
横文字を右から読ませるって言うね。
しかも「駅」の文字が旧書体だったりして。
もーーーレトロ!!
で、中央にアナログ時計ですよ。
こんなトコに時計なんて置きませんからね、今時。
時間なんて携帯見りゃ分かるんだから、わざわざ据え置きの時計なんていらない!いらない!
でもこの無駄感が大正という時代の空気を物語ってて。
カッコええな~~♪

中に入るといきなり改札。
え?キップ見せるのか?って感じですが、不要です、キップ。
ここ、入場無料ですので。
この改札口もいい味出してますわな。
どうでもいい注意書きやらパンフレットやらが色々ごちゃごちゃ置いてあって。
なんかこの雑然感がいいわ~(笑)。

天井のランプも味がありましてね。
真鍮の金属パーツに白のプラスチックカバー。
そこから柔らかな光がふわ~。
いいですな、この大正ロマンな雰囲気。
当時はきっと最先端、でも今はレトロ。
そのギャップがものすげーノスタルジック感を生んでて。
過去の息遣いがそのまま残っているような不思議な感覚。

中には敦賀駅や港に関する展示が色々。
こちらはそのひとつで、扇形機関車庫の模型です。
なんかバウムクーヘンみたいな形をしたヤツがそうで、こんなのが比較的最近の平成6年まであったんだそうで。
んー見たかったな、生の扇形機関車庫。
こんなの銀河鉄道999か仮面ライダー電王でしか見たことないよ。

改札口の横には特別待合室なんて部屋もあります。
覗いてみれば分かりますが、ただの小部屋。
中では「敦賀鉄道物語」なんて映像が流されています。
上映時間30分。
ちょっと長いなー。
さすがに30分は退屈なので、5分くらいでコンパクトにまとめて欲しい。

さらに二階に上がると、敦賀駅と港の歴史が様々な角度から解説されています。
説明書きによると、日本海側で最も早く鉄道がやって来たのがここ敦賀なんだそう。
近畿からの距離的な近さと、ロシアや中国などへ繋がる港があったことが大きな要因だったのでしょう。
この「鉄道」+「港」という二大インフラが当時の敦賀の強力な武器で、これにより戦前・戦中・戦後を通して大量の人と物資が行き来しました。

こんなジオラマも展示されています。
これがまーよーできてましてね。
想定は昭和10年前後、制作は平成11年。
時間のギャップが大きいだけに正確さについてはやや不確実な部分を含んでいるようですが、でもほぼ当時はこんな姿の町並みが広がっていたのでしょう。
平屋の黒瓦屋根の家々がバラバラと並び、鉄道が港まで伸びて、海には大きな輸送船が浮かんでて。
今じゃちょっと想像できない景色ですが、こんな時代もあったんですね。

敦賀の近代発展の様子が「鉄道」と「港」というキーワードから見られる旧敦賀港駅舎。
レトロムードむんむんで、空気が独特です。
敦賀港まで来る機会があれば、ぜひ訪れてみてください。
特に鉄道マニアの方には絶対にオススメ。
わたしみたいな一般人(←?)なんかにゃ気付けない喰いつき所を一杯発見できると思います。
古き良き鉄道のロストワールドを思いっ切り堪能してください!
野々市市郷土資料館 展示館編 ◆これに触れる勇気はあるか?
2021年09月20日

前回は野々市市郷土資料館の前半分、旧魚住家住宅部分を見てきました。
あちらは江戸期に造られた、バリバリの古民家建築。
建物それ自体が展示品です。
それに対してここから先は江戸時代~昭和中期くらいまでの生活の様子を紹介した展示になっています。
ではひとつひとつ見て行きましょう。

まずいきなりですが、土蔵です。
そしてこの土蔵、魚住家とは何の関係もありません。
実は今建物が建っているこの場所、元々は稲坂って家の敷地でした。
なので当然かつてはその家の屋敷が建ってたのですが、それを取り壊して旧魚住家の建物を移築したのです。
ただどういう理由でか、土蔵だけは手を付けずに残したんだそうで。
それがこの土蔵です。
なので繋がってないんですよね~、全然。
あ?なんでここに唐突に土蔵?みたいな。
せめて改装して展示室にでも使えばまだ違和感薄れるんですけど、そういう事もしてないし。
なんか意味なくね?

その土蔵の正面にはパネルがずらずらずらー。
富樫氏の盛衰が解説されています。
富樫氏って言っても地元の人しか知らんだろうけど、平安~安土桃山時代にこの辺り一帯を治めていた一族です。
その間結構浮き沈みがありまして、一時期守護職を外の家に取られたり、内輪でごちゃごちゃもめたり。
最後はつまらない内紛で弱体化し、挙句に一向一揆に潰されて歴史から姿を消す、とそんな歴史を持つ一族です。
なんかイマイチぱっとしないですが、それでも石川県の地方史では必ず出てくる名前で、その富樫氏の館の跡がこのすぐそばにある事から、こうして紹介されているのです。
まー興味があれば。
どうぞゆっくりとご覧ください。

その先にあるのが『農家の四季』と題された部屋。
その名の通り、様々な農耕器具がぎっしりと展示されています。
今でこそ機械化が進んでトラクターやコンバインでじゃんじゃん田植えも稲刈りもやっちゃいますが、当時はオール手作業。
こういった農耕具を使って稲を一本一本処理していたのです。
いやーなんか考えただけで腰痛になりそうですな!

こちらはその一部。
真ん中にあるのは肥えを運ぶ桶と柄杓です。
「肥え」ってのは、要するにウ〇コですね。
昔はどこの家のトイレもどっぽん式(←死語)で、溜めたウ〇コをこうして桶で運んで田んぼや畑に撒いたのです。
い~い肥料になったそうで。
今でもホームセンターに行くと乾燥した鶏糞なんか売ってますけどね。
でもこりゃ「生」ですからね、それも人間の。
だから全然違いますわ、迫力が。
その生々しいウ〇コをこの桶に入れて運んだのですよ。
どう?ちょっと触ってみる?

展示品の中にはこんなものもあります。
「ねずみホイホイ」。
昔の家は隙間が多く、ねずみの侵入にずいぶん悩まされました。
そこでこのような器具を置いて捕獲したんですね。
箱の中にはねずみの大好物が入っていて、それに誘われて侵入したところを底部に塗られている強力な粘着材で引っ付けて捕獲する、という仕組みになっています。
江戸時代にはもうこんなトラップが使われていたんですね!
・・・・・。
ンなワケない??(笑)

続いて2階、『くらしの道具』と題された展示が行われています。
こちらには明治~昭和中期頃の生活をにおわせるアンティークな道具が色々。
当時は当たり前だったけど今はもう見る事のない、レトロな品物がズラリと並んでいます。
わたしこの手の骨董品が好きでしてね。
収集こそしてませんが、なんか見てるだけでノスタルジぃーーックな気分に浸れて、すごく満たされるんですよ。

こちらは学校の看板と教材・教科書ですね。
ソロバン、でかいな~!
武器かよ!?みたいな。
ソロバンなんて今じゃほとんどの人が使えないでしょうね。
わたし、小学校の頃ソロバン習ってたので、今でも足し算と引き算ならできますよ。
掛け算と割り算のやり方は忘れましたが。

この時計のコレクションなんかシビレますわね~♪
古いってのはそれだけでカッコイイですわ。
この中で一番のお気に入りは左上のヤツですかね?
古っっぅる臭ぁぁ~~~いデザインがたまらなく刺さりますわ。
欲しいな~~~・・・。
館長さんにお願いして、ジャンケンで勝ったらもらえんかな?(※もらえません)

以上、長々と見てきた野々市市郷土資料館。
前半部分の古民家建築を楽しむもヨシ。
後半部分の生活・文化を楽しむもヨシ。
どうぞ自分好みの喰いつき所を見付けて、思いっ切りお楽しみください。
斜め向かいには喜多家住宅なんてのもあります。
こちらも見学可能。
古建築好きなら、ぜひそっちも合わせて見てみてください。
野々市市郷土資料館 旧魚住家住宅編 ◆入るだけでも勇者
2021年09月18日

今現在も次々と消滅し続けている古民家。
一方で保存して後世に残していこうという動きもあります。
そのひとつの例がこちらの野々市市郷土資料館。
建造は1850年頃との事なので、江戸時代末期。
黒船が来るちょっと前くらいですね。
元々ここよりもっと南側の白山市村井町って所に建てられた民家で、その後2度移築され、最後の3回目に現在地へとやって来ました。
この最初の移築の際に建物を買い取ったのが魚住家という商家。
なのでこの建物は旧魚住家住宅とも呼ばれています。

まずは屋敷の間取りから。
この建物、奥に長い構造になってまして、手前側が移築部分です。
その奥に土蔵が1棟ありまして、これは移築以前から元々建っていた建物。
そしてこの蔵があるあたりから鉄筋構造になっていて、この鉄筋部分が近代の増築部分。
つまり生い立ちの違う3つの建物が混在しているんですね。
では実際の建物の様子を見て行きましょう。

こちらが建物正面です。
黒ずんだ板張りの壁でぐるりと覆われた重厚なマスク。
古民家感むんむん!
通りに面して格子がずらっと張られていますが、これは商家だった名残りでしょうね。
多分元々は蔀戸(しとみど・上にぱかっと開ける構造の扉)になっていて、往来する通行人相手に商売をしていたのでしょう。
でも民家として使うにはオープン過ぎるので、こうして格子を入れて目隠ししたのだと思われます。
ただ格子ってヤツは便利でしてね。

中から外を見るとこの通り。
めちゃくちゃ良く見えます。
つまり外から覗いても中の様子は分からないけど、中から外を見ると丸見えなんですね。
こうしておくことで来客時、あ、誰々さんが来た、ってのがすぐに分かるのです。
今で言うブラインドのイメージです。

そして注目して欲しいのがこちら。
入口なんですけどね、すごーく分かりにくいです。
え?ココ入んの?ココ??
めっちゃ小っちゃいんだけど?
って言うか、勝手に開けて入っていいの??
みたいな、拒絶的雰囲気でいっぱいです。
でも大丈夫です。
ひるまず入って下さい。
すげーーーーー勇気いるけど(笑)。

入口の嫌がらせのような(←?)狭さに反して、中はいきなりの大空間。
広い土間の向こうに、オエと呼ばれる居間がどん!と現れます。
ここは商家時代はきっと物販スペースだった場所でしょうね。
この部屋がそのまま店頭となり、土間には品物がずらっと並べられていたのでしょう。
そこに売り子がいて、客もいて。
あれやこれや売り込みや問答が行われて。
きっと活気あふれる商売風景が繰り広げられていたのでしょう。

上を見ると吹き抜けの高天井。
縦横に伸びる梁や束が幾重にも連なっています。
以前にひがし茶屋街休憩館の記事でも説明しましたが、この高天井には火事を食い止めるという役割があります。
火は上へ上へと燃え移るので、こうして天井を高く上げておけば、延焼を一旦足止めできるんですね。
その間に周囲の建物をぶっ壊して、火が近隣へと燃え移るのを防ぐのです。

こちらは本座敷。
部屋奥は床の間になっていて、脇に付け書院を備えた本格な仕様となっています。
右の重厚な扉は多分仏間・・・と思われるのですが、なんか金庫っぽい感じ。
やけに扉が仰々しいし。
ひょっとしたら商売で使う書類やおカネなんかを保管するのに利用していたのかもしれません。
わざわざ鍵まで掛けられるようにしてありますしね。

こちらは隠居の間。
ここにも本座敷同様、床の間が設えられています。
ただ広さはひと回り小さく、造りもややラフ。
でも何て言うかね、こっちの方がどこかリラックスした雰囲気があるのですよ。
多分先に見た本座敷は接客のための部屋で、こちらの部屋は家人のくつろぐプライベートスペースだったのでしょう。
そんな空気がきっと今も残っているんでしょうね。

ところでここまで見てきて、な~んか気になりません、壁?
なんだよこの赤?みたいな。
この家の壁、本当に元々こんな色だったんだそうです。
壁自体は近年手直しされているのでオリジナルのままではないのですが、元からこんな色だったんだそうで。
なんで赤だったんですかね?
あんま趣味よーねーな(笑)。

と、今回はここまで。
長くなるので一旦切ります。
次回はこの奥にある後半部分を見て行きます。
ここから先は鉄筋建築で、全然雰囲気変わります。
展示内容も建築ではなく、近代の生活の様子。
色合いは全然変わりますが、これもこれで面白いですよ~♪
道神社 富山県指定有形文化財の建物がたったの130円?
2021年09月15日

氷見の山間の一角に忘れ去られたような神社がぽつんとあります。
道神社です。
明確に「ココに行こう!」という意思がない限り、まずたどり着く事はないような場所です。
創建年は不明。
江戸時代の記録に名前が出てくるそうなので、少なくともそれ以前からはあったようです。
祭神は猿田彦神(さるたびこのかみ)。
「導き」を司り、航海の安全を守る神です。
恐らく元々のルーツは地元漁師の守護神として祀られたものだったのでしょう。

まずは入口。
ガツンとそびえるのは石造りの大鳥居。
内転び(上に向かってすぼませた形)の丸柱に、笠木(天頂に横に渡された部材)をスラリと逆反りにさせた明神鳥居です。
比較的どこででも見かける地味~なエントランス。
なんだけどね、この先に素敵なものがあるのですよ♪

それがこの拝殿。
ここがいきなりこの神社のクライマックス。
カッコエエー!
形は方形(ほうぎょう・正方形)、屋根は杮葺 (こけらぶき)。
古びた木の色がシックでシックで、ひたすらシックで。
深みのある風合いはただもう見事の一言。
ジャパニーズ・オールド建築の美がビンビンに感じられる建物です。

この軒下の組み物なんかもシビれますわ♪
寸分の狂いもなくガッチリと組み合わさった技巧的な造形。
アートですわ、アート!
そしてこの組み物、よく見ると三段に突き出ています(四段に見えるけど根元はカウントしません)。
いわゆる三手先枓栱(みてさきときょう)と呼ばれるもので、なんで三段にしてあるのかと言うと、上の屋根を支えるため。
ここで改めて前の画像を見返してもらうと分かるのですが、この建物、身に対して屋根がやたらデカく、その結果軒下が異様に長く突き出しています。
これを支えるにはそれ相応の耐負荷力を持った構造が必要なんですね。
それをやってるのがこの三手先枓栱なのです。
力持ちなんですよ~、この構造。

この垂木の列もイケてますわ~♪
垂木ってのは屋根下にずらずら並んでる角材なんですけどね、この規則正しさがタマランじゃないですか!
しかもこれ、よーく見ると放射状に並んでいます。
扇垂木(おうぎたるき)ってヤツです。
これも技術いるんですよ。
角度をきちんと計算して配置していかないといけない上に、長さも1本1本調整しなきゃいけませんからね。
メッチャクチャ面倒臭いです。
でもその分、出来上がった時の美しさは格別!
これができりゃー宮大工として一人前、と言われるほどの超絶技巧です。

杮葺の屋根もい~いですな~♪
杮葺とは木の皮で葺いた屋根です。
材にはヒノキの一種であるサワラが使用されており、30×15cmに成形した樹皮を少しずつずらしながら貼り合わせてあります。
この樹皮が放つ枯れた美しさが独特で、じんわりと心にしみるようなワビサビ感が楽しめます。
やっぱいいな~日本建築♪と心から感じさせてくれる屋根です。

ところでこの拝殿、なんとなーくお寺の建物っぽい気がしませんか?
それもそのはず、この拝殿はかつてお寺のお堂でした。
元々は天平寺(てんぴょうじ)ってお寺の開山堂(かいざんどう・お寺を開いた人を祀るお堂)として、1801年(江戸時代後期)に建てられました。
それが1874年(明治時代初期)に売りに出されて中田村が取得、移築して道神社拝殿として生まれ変わったのです。
その時の売却金額、なんとたったの『130円』!
買ったのにーー!!!
130円ならわたしが買ったのにーー!!!
あと147年待っててくれれば買ったのにーー!!!(※待てません)

画像きちゃなくてゴメンナサイ。
こちらは拝殿内部の様子です。
見ての通りカラッポ。
見事なくらいカラッポ。
普通はもうちょっと神具やらなんやら色々置いてあるもんなんですけどね。
神棚すらありません。
って事で裏に回ります。

本殿はご覧の通り別棟。
しかも建物のテイストがアレ?ってくらいガラリと変わります。
切妻の反り屋根、大棟上には千木(ちぎ・ツノみたいなV字型のヤツ)と鰹木(かつおぎ・大棟上に横に置いてある棒みたいなヤツ)がビシッ。
バリバリの神社形式の建物。
建てられたのも比較的最近の様ですね。
まだ建材がピカピカしてます。

中には神棚と宮殿。
中央に祀られている丸鏡は、祭神である猿田彦神のご神体ですね。
脇には赤と青の狛犬、さらに手前には四神獣を描いた幕を垂らした4本の槍。
神域感出てますな。
拝殿内の素っ気なさとは大違い。
神を祀る場としてのエネルギーに満ちた荘厳な空間です。

境内の脇に回ると、こんな妙なものがあります。
左に長方形の石、右に鉄鍋。
詳しい由来については鉄鍋の上にある案内板に書かれていて、簡単に説明すると以下の通り。
・長方形の石は元々は石橋。でもいらなくなったので、ここに持ってきて飾った。
・鉄鍋は開山堂のすぐ近くにあった伊須流岐比古神社( いするぎひこじんじゃ)の神事で使われていた。これもやっぱりいらなくなったので、譲り受けて飾った。
って事だそうです。
さらに案内板にはあともうひとつ、開山堂の「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」ってのもあると書かれています。
でもこれだけないんですわ、なぜか。
あり~?と思って探してみると、ちょっと離れた所でぽこっと見付かります。

それがこれ。
狛犬のすぐ脇です。
ご覧の通り思いっ切り傾いてて、ボロボロの朽ち朽ち。
本当はてっぺんに相輪(そうりん)と呼ばれるアンテナみたいなのが乗っかってるはずなのですが喪失。
とにかく疲労感ハンパない。
コレ、覆屋でも作って囲った方がいいんでね?
このまま置いといても劣化する一方ですわ。

拝殿がビンビンにカッコイイ、道神社。
いいですよー。
マジでシビレますよー。
日本古建築の美、どう心行くまでご堪能を!
それにしても。
130円は安いな~。
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みよしの つるぎTKGY ええーー!コレって焼いて良かったのかー!?
2021年09月13日

この日は鶴来へお出掛けDAY。
出発が遅かったせいで、現地に着いたら早やお昼前。
どーれ取り合えずメシでもシバくかーい!とgoogle mapで食事処を検索。
アッチャコッチャと調べまくって見付けたのが「みよしの」。
ごくふつーーーーのうどん屋さんです。
お店に着くとのぼりがヒラヒラ。
黄色地に『TKGY(たまごかけごはんやき)』の文字。
なに?「たまごかけごはん」までは分かるけど、「焼き」?
焼くの?「たまごかけごはん」を焼くの?
「たまごかけごはん」は卵が生だから「たまごかけごはん」なんであって、焼いたら「たまごかけごはん」じゃなくなっちゃうんじゃないの?
焼いてもやっぱ「たまごかけごはん」は「たまごかけごはん」なの?
と頭を「???」で一杯にしながら、入店と同時に迷わずオーダー。
食わな分からんだろ、コレは!
って事で今回はみよしのにて”つるぎTKGY”を。
トッピング「長いも」+「食べるラー油」で食べたおします。

まずはTKGY部分。
表面の焦げとは裏腹に、食味は普通にお茶碗で食べるごはん。
焼いてあるのでチャーハン的かなー?って感じですが、パラ感はゼロで、いつもお茶碗で食べるごはんのあの感覚。
長いもが入ってることもあり、舌触りややねっちょり。
金属質な甘みがとろとろとろーと抜ける。
そこにごはんのみずみずしい甘みがすかっと伸びて、焦げの香ばしさがバリッとかぶさって、卵のさっぱりした甘さも重なって。
意外に(←?)ド直球な美味さ。

食べるラー油。
フライドガーリックがカリカリ軽快。
粒がやや粗い事もあり、結構な存在感。
そして後からぎゅっと増してくる辛み。
唐辛子の鋭角的な辛みがピシピシと舌を刺す。
これがね、TKGYと絶妙にフィットするのですわ。
ごはん+卵の甘み、焦げの野趣、そしてラー油の程よい辛みと刺激。
これらが溶け合って、まー味がハネる!ハネる!
想定をはるかに上回る強烈な美味さレベル。

みそ汁。
具材はたっぷりのワカメと麩。
とにかく多くて、「食べてる感」満点!
味噌の濃度は薄々。
だけど汁にワカメの出汁がしみ出てて、味のコシはしっかり。
ボディ豊かな味わいがじんわり~と喉を撫でる。
もっさもっさ頬張って、完食。
みよしのの”つるぎTKGY”。
キワモノ臭むんむんなネーミングとは裏腹に、きちーんとスジの通った美味さ。
あ、コレもアリだな、と思わせる、しゃっきり素直な味わいでした。
ごちそうさま。
[参考]
・つるぎTKGY(長いも入り+食べるラー油):600円
・大盛り:100円