店主たみこの観光案内日記

福々庵 味噌煮込うどん鍋 この鬼旨うどんにひとつ足りないものとは?

2021年08月30日

福々庵 味噌煮込うどん鍋

 

仕事が終わって病院へ。
頭が悪いので通院してます。
ついでに人相も悪いです。(謎)



診察が終わって晩ご飯タイム。
さーて何食うか?
しばらくウロウロして飛び込んだお店が福々庵。
うどんのお店です。

 

このお店、お品書きが面白いのですわ。
それがコチラ。

 

福々庵の扇子メニュー

[扇子メニュー]

 

渡された扇子をばっと広げるとメニューがズラリ。
表裏に書かれてます。

 

何がしたいのかよー分からんけど、好きですわこういうセンス。
おっと!「扇子」と「センス」をかけた訳じゃないですよ!

 

で、じろじろーっと眺めて選んだのが”味噌煮込うどん鍋”。
まだまだ残暑の厳しいこの時期にあえてクソ熱い煮込みうどんをチョイスするというこのセンス。
んーーーーイカス!!(←なんでや?)

 

って感じで今回は季節感完全無視の”味噌煮込うどん鍋”を。
ダラダラ滝汗覚悟で食べたおします。

 

味噌煮込うどん鍋のおつゆ

 

味噌煮込うどん鍋、まずはおつゆ。

 

口当たり、出汁の風味がじわり。
そこにすかさず赤味噌の濃い味がどすりとかぶさる。
油の軽い甘みもほんのり。

 

バッキバキに味噌味ですな。
出汁+味噌のド直球ジャパニーズ・テイスト。
これと白いごはんと納豆さえあれば、100%の日本人が幸せになれます!

 

福々庵のうどん

 

麺はうどんとしては若干細め。
コシのビッと張ったタイプじゃなくて、くてくてタイプ。

 

味わい小麦の風味いっぱい。
甘くソフトな味わいがふうわ~と広がる。

 

そしてこの麺に味噌味のつゆがよー染みてんのですわ。
小麦の甘みに味噌の滋味が重なって、もう強烈な美味さ。
きゅっと締まる程よい塩気がさらに食欲をソソる!

味噌煮込うどん鍋の具材

 

具材はいっぱい。
とにかくいっぱい。

 

特に印象的なのは野菜ですね。
バリバリとした繊維感がうどんのくたっとした質感と対照的で、硬軟のメリハリがキレッキレ。
そこに植物的な辛みがツンと乗って、味噌の甘みときれいに調和して。
すすってもすすっても持続する鮮烈な美味さ!



つるる~っとすすり込んで、完食。



福々庵の”味噌煮込うどん鍋”。
美味かった!


美味かったんだけども、たったひとつミステイクがありました。

それはごはんを付けなかったこと。
これと白いごはんを一緒に食べたらさらに3倍美味かっただろうな~・・・(後悔)。



ごちそうさま。





 

[参考]
・味噌煮込うどん鍋:980円

 


 

 

福々庵

住所:石川県金沢市磯部町ニ 22

TEL:076-251-5840

 

 

 


寺井山古墳群 能美古墳群の〆はやっぱココさ!

2021年08月28日

寺井山古墳群

 

5回に渡ってお届けしてきた能美古墳群レポート、最終回は寺井山古墳群です。

 

能美古墳群が和田山秋常山・西山・末寺山・寺井山の5つのサブエリアで構成されていることは以前の記事で書いた通りですが、中でもこの寺井山古墳群はやや異色な匂いがします。
と言うのも、ここだけが住宅地のド真ん中に突然ぽん!とあるから。
見た瞬間、え?ココに古墳?と一瞬目を疑うような場所に存在しています。

 

寺井山古墳公園入口

 

その入口がこちら。
ぱっと見なんとなく分かると思いますが、公園になっています。

 

住宅地の中にある理由はコレなんですね。
公園の中に入れてしまう事で、古墳を宅地化の波から守ったのです。

 

ただ残念ながら中には消えてしまった古墳もいくつかありました。
それは現場にある案内板の地図を見ると分かります。

 

寺井山古墳群のエリア

 

茶色の部分は、元々山だったエリア。
近代になってこの部分が宅地化造成のために削平され、この過程で1~4号墳の4基の古墳が失われました。
しかし5・6号墳だけは公園というバリケードに守られ、かろうじて残ることができたのです。

 

ただ不自然ですわね。
これだけの面積の中に、たったの6基しかなかったってのはどう考えても変。
ちゃんと調べれば、もっと多くの古墳が残ってたんじゃないですかね?
と言うか、あったでしょう間違いなく。
今じゃもう確認のしようがありませんが。

 

5号墳

 

公園は丘状になっていて、その頂上に5号墳があります。
タイプは見ての通りの円墳。
きれいな丸形で、こんもりと低く盛られています。

 

サイズは直径20メートル。
円墳としてはやや大きめの部類。
発掘調査の有無については不明ですが、『埋葬施設や出土遺物が確認されていない』と案内されているので、恐らく掘ってはいるのでしょう。

 

周溝

 

墳丘周囲には幅約5メートル・深さ約1メートルの周溝が確認されています。
その目印がこちら。

 

多分この周溝を掘った土を積み上げて墳丘を作ったんでしょうね。
そう考えると高さが低いのも納得。
幅5メートル・深さ1メートルを掘った程度の土では、そんなに高くは盛れないでしょう。

 

周溝内の出っ張り

 

その周溝に、一部分だけ出っ張った場所があります。
用途は不明ながら、祭祀のための場所だったのではないかと考えられています。

 

一体どんな祭祀が行われていたんですかね?

今で言うお墓詣り的な行為が繰り返し行われていたのか、あるいは古墳完成時に一度だけ葬送儀礼が行われただけなのか。

今じゃもう分からない、永遠の謎です。

 

6号墳

 

その5号墳のすぐ近くにあるのが、こちらの6号墳。

 

ここは見ての通り、墳丘のないお墓となっています。
丘の突端に切り目を入れ、その先に埋葬施設を2つ並べただけの、極めてシンプルな構造。
墳丘がないのに古墳と呼ぶべきかどうかはちょ~っと疑問ではあるんですけど、ここでは一応古墳という扱いになっています。

 

6号墳から出てきた鉄刀

 

5号墳と違い、この6号墳では埋葬施設と出土品が確認されています。
それがこちらの曲がった鉄刀。
能美ふるさとミュージアムで見られます。

 

なぜ曲げられているのかは不明。
呪術的な意味があったのか、祭祀儀礼だったのか、あるいは単なる廃棄品だったのか。
その辺りは好きなように解釈してください。

 

墳丘上からの眺め

 

最後に墳丘上からの眺め。

海に浮かぶ島のように小さな山が3つ見えます。
向かって左が前回記事で紹介した末寺山、右が前前前回記事で紹介した和田山、真ん中が前前回記事で紹介した和田山5号墳のある山。
秋常山と西山は末寺山の陰に隠れてて、ここからは見えません。

 

いや~爽快ですな♪
古墳から眺める古墳の山。
ここ一帯が古墳の集積地なんだな~ってのが見て実感できます。
なんかもう感無量。
古墳好きには涙うるうるの景色です!

 

寺井山古墳群の案内板

 

以上、能美古墳群の和田山・秋常山・末寺山・寺井山の各古墳群を順に見てきました。

 

どれも個性豊か、ハートあげあげ。
ザ・古墳な古代ワールドが存分に味わえる、異世界空間となっています。
見に来て絶対に損はないので、古墳に興味があるナシに関わりなく、ぜひ遊びに来てみて下さい!

 

古墳!

 

LOVE!!

 

 

寺井山古墳公園

住所:石川県能美市寺井町ま 156

 

 

関連タグ >> 遺跡 古墳 能美古墳群 公園 

 


末寺山古墳群 古墳マニアの心くすぐる前方後方墳が3基も見られるレアスポット

2021年08月25日

末寺山古墳群の入口

 

古墳と言えば、前方後円墳を思い浮かべる人が多いでしょう。
確かにあの鍵穴形はまさに古墳の象徴。
ある意味アート的な気質さえ感じさせます。

 

でもね、中には方墳と方墳がドッキングした古墳もあります。
それが前方後方墳。
前も後ろも四角形の古墳です。
その特殊な形状からか数はあまり多くなく、古墳としてはマイナー。
そんなマイナーな前方後方墳を3基も見られるのが、ここ末寺山古墳群です。

 

末寺山古墳群マップ

 

まずは全容の確認。

 

古墳の数は全部で14基。
ただナンバリングが17まで進んでいる事から分かる通り、本来はあと3基ありました。

つまり3基消失。

残念!

 

入場はどこからでも構いませんが、基本的には下の入口が正規の入口です。

駐車場はありませんので、すぐ近くにある能美ふるさとミュージアムの駐車場を利用してください。

 

6号墳

 

では現場を見て行きましょう。
まずはいきなりですが、末寺山古墳群最大の古墳、6号墳。

 

分からんね。
形が全然分からんね(汗)。

ドローンでも使わんと全形の確認は無理です。

 

公式発表によると、全長約57メートル。
結構な大きさです。

 

6号墳の後方部

 

こちらは後方部の様子。
まるで亀裂のような溝がパックリと開いています。

 

これは発掘の跡ですね。

ガッツリ掘り込んであります。

でもここまでやっても何も出なかったんだそうで。

 

って事はこの古墳は単に土の山を盛っただけなんですかね?

一体何のために??

 

末寺山古墳7号墳

 

その隣にある7号墳。
6号墳と違って規模はぐっと縮小、高さも低いなだらかな円墳となっています。

 

サイズと形から考えて、恐らく中級レベルの人の墳墓でしょうね。
6号墳との関係は不明ですが、位置関係から察するに何らかの繋がりがあった可能性が濃厚。
例えば6号墳は首長墓、そして7号墳はその臣下とか。

詳しくは埋葬者に聞いてください。(※生きてません)

 

発掘の跡

 

こちらもぱっくり溝が彫られています。
発掘の痕跡ですね。

 

和田山の古墳なんかだと、全部埋め戻してきれいに成形し直してあるんだけど、ここは掘るだけ掘ってそのまんまほったらかし。
なんちゅーか、まあ。



雑やな(笑)。

 

末寺山古墳5号墳

 

こちらはもうひとつの前方後方墳である5号墳。
全長約30メートル。

 

やっぱり全体の形が分からなくてゴメンナサイ。
画像左が前方部、右が後方部となります。

 

5号墳の測量図

 

形としてはこんな感じ。
後ろデッカチで、かなりいびつな前方後方形をしています。
ハッキリ言ってブサイク。
5号墳はかなり初期のものなので、まだまだ築造技術が未熟だったのでしょう。

 

参考までに前回記事で見た秋常山古墳1号墳は、この約100年後のものです。
100年の間にどれだけ古墳築造技術が進歩したのか、これら両者の違いを見比べてみると実によく分かります。

 

2号墳

 

その5号墳のすぐそばにある2号墳。
この古墳群に現存する3基の前方後方墳の最後のひとつです。

 

現場はご覧の通り全くの未整備。
普通に山の中です。
木がにょきにょき、草ぼーぼー。

 

でも考えてください、考古学者の人ってこんな景色の中から古墳を探し当てるのですよ。
ちょっと信じられなくありません?
くどいですけど普通にただの凹凸ですわ、どう見ても。
どうやったらこれが古墳に見えるのか?ある意味これが一番のミステリー!

 

上水道の貯水タンク

 

2号墳の近くに柵に囲まれた謎に四角形な土山があります。
見た感じ、え?これも古墳でね?って感じ。

 

これね、古墳じゃないんです。
上水道の貯水タンクです。
わざわざ土で埋めてあるのは、多分古墳の遺跡地という雰囲気を壊さないためでしょう。

 

ただここにも本来は古墳がありました。
今は失われた3号墳と4号墳がまさにこの場所にあったのです。
それがこの貯水タンク建設に伴い、潰されちゃったんですね。

 

人の生活を取るか?遺跡の保存を優先するか?
なかなかに悩ましいテーマです。

 

末寺山古墳群の景色

 

希少な前方後方墳が3基も見られる末寺山古墳群。
整備状況がやや中途半端ながら、見応えは十分です。
古墳好きを自負するなら、ここは絶対に見ておいてください。

 

次回は能美古墳群シリーズ最終回、寺井山古墳群を見て行きます。
住宅街の中にぽつーんと残された古墳。
ここもなかなかに味があっていいですよ~。

 

 

末寺山古墳群

住所:石川県能美市末寺町

 

 

関連タグ >> 遺跡 古墳 能美古墳群 

 


秋常山古墳群 デケー前方後円墳と中に入れる方墳に心アゲアゲ♪

2021年08月23日

秋常山古墳群

 

能美古墳群探訪最大のクライマックス、それがここ秋常山古墳群です。
なぜならここには能美古墳群の中でも最大、というか石川県内最大の前方後円墳があるからです。

その全長実に140メートル!
全長50メートルの超大型巨人が寝そべってもまだ90メートルのお釣りがくるというデカさ。
エレンも真っ青のサイズです。(←何の話?)

 

秋常山古墳群の全体図

 

秋常山古墳群マップ。

 

「群」と言っても、古墳は2基だけです。
メインとなるのが前方後円墳の1号墳、その隣に方墳の2号墳。
築造は1号墳が4世紀後半、2号墳が5世紀半ば頃と推定されており、確証はありませんが、両墳の被葬者には何らかの繋がりがあったと考えられています。

 

1号墳の階段

 

まずは1号墳、を見上げる階段。

 

伝わりますかねー、この高度感?
下から見た瞬間、うおっ!高ぇー!みたいな。

 

高さってのはそれだけで絶対的なイメージを抱かせますからね。
神話の神さまだって雲の上とか空とか、はるか上にいるのが基本ですし。
古墳が丘や山の上といった高所に建造されたのは、やはり崇拝の対象としての意味合いがあったのでしょう。

 

葺石

 

その途中にあるのがこの葺石(ふきいし)。
ただしこれは再現です。

 

葺石とは古墳表面を覆う石です。
こうして石でカバーする事で表土の流出を防ぎ、同時に美観を整えるのです。

 

使用された数は推定40万個。

ここから数km離れた手取川から運ばれたと考えられています。

 

墳丘の段

 

墳丘の傾斜の作り方にも注目。

よく見ると一直線のラインではなく、段状になっています。
段の数は古墳によって違いますが、この秋常山1号墳の場合は3段。

 

この段の作り方ってのが意外に面白く、時代によって流行り廃りがあります。

基本的に前方部と後円部の段が途切れているのが前期型、繋がっているのが後期型。
秋常山1号墳は前後が繋がった後期型で、それゆえ見た目がビシッとシャープになっています。

前方後円墳の完成形とも言える美しいフォルムです。

 

秋常山1号墳の墳頂

 

そして最上段の後円部。
ドローン撮影じゃないので全景の画像が撮れませんが、現場はちゃんと円形をしています。

 

素晴らしいのですわ、ここからの眺めが。
周囲一帯をずばーっと見渡せる。
丘の上+古墳の上ですからね、とにかく目線が高い。
ここに立つと、この地が古墳建造の場所として選ばれた理由がよく分かります。

 

秋常山古墳群の説明版

 

この古墳、実はまだ発掘されていません。
なのでこの下を掘れば間違いなく「何か」が出てきます。

 

じゃあなんで掘らないのかと言うと、現状維持のため。
以前の記事でも書きましたが、「掘る」という行為はイコール「破壊」にも繋がるんですね。
一旦壊してしまうと、二度と元には戻せない。
ゆえに発掘を先送りし、こうして保全してあるのです。

 

一体この下に何が埋まっているのか?
ん~~~~ロマンだ♪

 

前方部の様子

 

後円部から見下ろした前方部。
形状はご覧の通りフラットとなっています。

 

ひと口に前方後円墳といっても色んな形状があります。
このように前方部がフラットになったもの、あるいはスロープ状のもの。
前方部と後円部とで高さが違うもの、同じもの。
あるいは先に見た通り、前後で段が繋がっているもの、切れているもの。
そもそも段があるものないもの。

 

そんな細かい所にも注目していくと、古墳それぞれの個性がよりハッキリと見えるようになります。
古墳を見学する時には、形状の違いにも意識を向けてみてください。

 

秋常山2号墳

 

続いて2号墳。
ご覧の通り方墳となっています。
サイズは32.5×27メートル。

 

こちらは1号墳とはまた違った楽しみ方ができます。
何が楽しいって、中に入れるのです!

 

秋常山2号墳の入口

 

その入口がここ。
見た目鉄の扉でバッシーンとシャットアウトされているような感じですが、勝手に入ってオーケーです。
どうぞ遠慮なく入ってください。

 

内部の様子

 

中の様子はこんな感じ。
なんか薄暗くてミステリアスなムードむんむん。

 

左側に窓が見えますよね。
そこから埋葬室の様子を見ることができます。

 

秋常山2号墳の石室

 

それがこちら。
メッチャ生々しい!

 

と、一瞬感動してしまいますが、実はこれ、模型です。
残念ながら本物ではありません。
触ると分かるけどコンクリートで作られてて、その上から着色してソレっぽく仕上げられているだけです。

 

でもね、それが分かっててもわくわくするのですよ。
なんたって古墳の「中」にいるんですからね、それだけでもう感慨ひとしお。
古代のミステリアスな空気を頭からかぶっているような不思議な気分になれます。

 

墳頂上の埴輪

 

古墳上には埴輪も並べられています。

 

埴輪と言えば、おーい!ハニ丸的な(←?)人型埴輪を思い浮かべがちですが、こちらは「円筒埴輪」と呼ばれる、また別の種類の埴輪。
何らかの儀礼的、あるいは宗教的な意味があったと考えられていますが、詳細は不明。

今も研究者の頭を悩ませている、何気に厄介なシロモノです。

 

何がしたかったんでしょうかね、古代人?

知りたいーー!!!

 

秋常山古墳群の入口

 

以上、秋常山古墳群のレポートでした。

 

いいですよ~ココ。
見学用に整備されているので、古墳の形がくっきり視認できて充実感抜群!
おお~古墳来た~って気分が存分に味わえます。
古墳好きならずとも一度は訪れて欲しい場所。
ぜひ現場の空気を肌で感じて、その独特の世界観を思いっ切り堪能してみて下さい。

 

次回は末寺山古墳群を見て行きます。
こちらはひとつの山の上に数基の古墳がぎゅっと詰まった密度の高い場所。
古墳フリークには夢のワンダーランドです!

 

 

秋常山古墳群

住所:石川県能美市秋常町

ホームページ:能美市公式サイト

 

 

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和田山古墳群 5号墳 古代の王様、スッゲー!!!

2021年08月21日

和田山古墳群 5号墳

 

古代人の活動の痕跡である古墳がズラリと見られる和田山古墳群。
その数実に23基。(※現存19基)。
現在は公園として整備され、自由に見学が可能です。

 

前回記事ではその内の主だったものをいくつか見てきました。
今回は5号墳だけに絞ってご紹介します。

 

和田山古墳群 墳丘分布一覧

 

まずは和田山古墳群の墳形構成から。

 

一番多いのが円墳の14、続いて方墳2、前方後円墳1。
この唯一の前方後円墳が、今回の主役である5号墳です。
規模は古墳群中最大の55メートル。
形からも大きさからも、和田山古墳群の中で最も力のあった人物の墳墓だった事が伺えます。

 

和田山古墳群5号墳の形状

 

墳丘全体の形はこんな感じ。
前方部よりも後円部の方が小さく、ややどんくさい印象のフォルム。

 

所々に入っている長細い長方形は発掘の記録です。
古墳の発掘と言うのは、このように墳丘の一部を線形に切り取って掘り込みます。
こうする事で古墳の破壊を最小限に押さえつつ、下に埋まっているものを調べるんですね。

 

古墳の全景

 

ずっしーんとそびえる古墳。

 

前回記事で見た古墳群は、同じ丘の上にいくつもの古墳が連続していました。
でもこの5号墳は、これ1基だけでひとつの丘を丸々占有しています。

 

エラそうですな!
それだけ権力があったという事でしょう、この古墳の被葬者は。
恐らくこの地方の大王クラスの人物だったのでしょう。

 

くびれ部分

 

こちらは前方部と後円部の接続部分。
造出(つくりだし)はないっぽいですね。

 

造出ってのは、前方部と後円部がジョイントするくびれの部分に引っ付いている耳みたいな出っ張りです。
多くの場合ここからは須恵器や埴輪などの祭祀具が出てきます。
そのため恐らく祭祀を営むための場所として使われていたのであろうと考えられています。

 

葺石のない表面

 

斜面上はオール土。
葺石(ふきいし)の痕跡は見当たりません。

 

葺石とは古墳表面を覆う石です。
石で覆う事で表土の流出を防ぎ、同時に美観を高める効果があります。
ただこれをやろうと思うとメチャメチャ手間もコストもかかるため、相当なパワー&財力が必要とされます。

ここの古墳主には、そこまでの力はなかったんでしょうね。

 

和田山古墳群5号墳の後円部

 

後円部。
画像じゃ全然円形の形分からんけど(汗)。

 

ここからは2つの粘土槨(ねんどかく・粘土で覆った木の棺)が見付かっていて、副葬品として大量の武具が出土しています。
鉄の甲冑や鉄剣・鉄鉾、中には2メートルもの鉄刀もありました。

 

副葬品は埋葬者の人物像を語ります。
武具=力。
恐らくこの古墳の主は、強力な軍事力を持っていた人物だったのでしょう。

 

そしてそんな出土品の数々が、すぐそこの能美ふるさとミュージアムで見られます。

 

4メートルの鉄槍

 

こちらは鉄槍。
全長実に4メートル!
朽ちて腐ってボロボロですが、握りの部分には紐を巻いて漆で固めた装飾が施されていた事が確認されています。

 

このサイズなので流石に実用性はないと思うんですけどね。
恐らくは権力誇示のためのアイテムとして作られたものなのでしょう。
今で言えば、周りに見せびらかすために買った高級外車みたいな感じですかね。

 

甲冑

 

甲冑。
いやー勇ましい!

 

驚きなのは状態の良さですね。
だって1500年も前の鉄製品ですよ。
それが今なお形を残してるってのがスゴイ。
もちろん研究員の人が膨大な手間暇かけてボロボロの破片を繋いでこの形まで戻したんだろうけど、それでもスゴイ。
いやー素敵だ♪

 

鉄の刀剣類

 

ズラリと並ぶ刀剣類。
これも5号墳の出土品。

 

量が凄まじいですわな。
ひとつの古墳からこれだけの量の鉄製品が出てきたんですからね。
どんだけモノ持ちだったのよ、と。
めちゃめちゃおカネ持ってたんでしょうね、この時代におカネはまだないけど。

 

おカネと言えば中国銭も出土してるらしいです。
ここには展示されてませんが。

 

和田山古墳群5号墳の全景

 

ザ・キングのスーパーパワーを今に伝える和田山古墳5号墳。
スゲーですゼ。
圧倒されますゼ。
見て絶対損はありませんので、頑張って丘の上まで登って見てってください。

 

次回は場所を変えて、秋常山古墳群を見て行きます。
こちらにも和田山古墳5号墳と同じ前方後円墳があります。
ただサイズは向こうの方が上です。
さらにパワーアップした古墳の姿、どうぞじっくりご堪能を。

 

 

和田山古墳群

住所:石川県能美市和田町 65

 

 

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