
大聖寺城跡
2019年04月30日

石川県南部、加賀市の大聖寺地方町の小さな山に地味な城跡があります。
大聖寺城跡です。
江戸時代の一国一城令により破却されたため、現在はそれらしい痕跡だけが残されています。
現地はまあ普通に山です。
元々の起源は鎌倉時代。
この地の有力者であった狩野氏によって築かれたとされています。
構造は典型的な中世スタイル。
高石垣や深い水堀に囲まれた人工的な大要塞ではなく、崖や急勾配といった天然の要害を利用した簡素な構成となっています。
実際防御力はあまり高くなかったようで、史実に残る戦いの記録を見ても簡単に攻め落とされています。
とは言え、立地的にはとても重要な場所で。
越前と加賀の隣接点であり、様々な勢力が幾たびも戦火を交えてきた戦略上の要所でした。
古くは南北朝時代の新田義貞の勢力が、戦国期は一向一揆勢力や織田信長の勢力が激しく火花を散らしてきた経緯があります。
守るに厳しく攻めるに易い戦略拠点。
守備側は冷水を飲むような思いだったでしょうな。
城の歴史には大きくふたつの時期があります。
まず前期は創世記である鎌倉時代から室町時代。
新田勢だ一向勢だ朝倉勢だと様々な勢力が攻防を繰り返し。
最終的には堀江景忠×朝倉義景の合戦で焼き払われます。
つまりこの時点で一旦城は姿を消しているのです。
1567年の事でした。
その城が復活したのは安土桃山時代。
かの織田信長がこの地を支配下に治めます。
その際、配下の柴田勝家に命じて大聖寺城の修復を行うのです。
1575年の事です。
ここから先が後期。
しかしその後も相変わらずゴタゴタが続き。
最終的には加賀前田家が領有するのですが、1615年の一国一城令により破却され、完全に歴史からその姿を消す事となるのです。
やがて加賀藩が分藩され、この地に大聖寺藩が設立されるものの。
大聖寺城が復活することはありませんでした。
時代は江戸時代。
新しく築城するなんて幕府が許すはずがない。
という事で、城のあった山のふもとに城代わりの陣屋が築かれたそうです。
陣屋って分かります?
江戸時代、城持ち大名ってのはそれ自体でひとつのステータスだったんですが。
城を持っていない大名ってのもいっぱいいたんです。
そんな大名が城代わりに築いたのが陣屋。
基本的に堀や石垣などの防衛機能はなく、ほぼ行政機能に特化した施設ですね。
そして大聖寺城のあった山はお止め山となり、一般人は入山禁止とされました。
そのため自然がそのまま残り、そのことが返って城跡の痕跡をきれいに残す結果となったのです。
現場はまあすごいですよ。
先にも書きましたが、山です。
でも一部公園化されてて、場違いに遊具が設置されてます。
ガッタガタに老朽化してて全然遊べませんが(笑)。
ほぼ山の大聖寺城跡。
夏は雑草が生い茂りかなり足場が悪いそうです。
なので訪問するなら秋~冬場がおすすめ。
まあまあ快適に歩けます。
正直大きな見所には欠けるものの、ああ中世の山城ってこんな感じだったんだなって雰囲気くらいは感じ取れるはず。
どうか散策の際はここが本丸、ここが櫓、おーここに堀があったんだなって具合にイマジネーションをフル稼働させてご観覧ください。
道は結構起伏が激しいです。
靴は必ずスニーカーで。
大聖寺城跡
住所:石川県加賀市大聖寺地方町
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