荒屋古墳群 古墳力が試される試練の現場
2021年11月03日
能美の住宅地の中にある松が岡古墳公園。
その名の通り古墳がある公園です。
史跡としての名称は「荒屋古墳群」。
この古墳群にはA支群とB支群があり、公園として整備されているのはA支群の方で、B支群は住宅地に飲み込まれて現在はもうありません。
昔お墓だった場所に家を建てて住む。
うーん・・・。
ナンか出そうで、ちょっと怖ぇーな(笑)。
では松が岡古墳公園のマップから。
どこから入っても構いませんが、正面口は赤三角形の位置。
そこから長い階段をトコトコ登った先に古墳群があります。
マップを見て分かる通り古墳はふたつのエリアに別れて建造されており、方墳ゾーンと円墳ゾーンがあります。
時代的には方墳ゾーンの方が古いそうです。
では現場の様子を見て行きましょう。
1号墳です。
分かりますかね?
微妙~~~に山になっています、微妙に。
最初に断っておきますが、ここの古墳、鑑賞するためにはめっちゃ古墳力が必要です。
古墳力のない人の眼には、え?コレが古墳?的なただの「盛り上がり」にしか見えません。
実際わたしの眼には、え?コレが古墳?的なただの「盛り上がり」にしか見えませんでした。(←古墳力ゼロ)
その極地の例がこちら、2号墳です。
まさに、え?コレが古墳?的なただの「盛り上がり」。
というか「盛り上がり」すらありません。
平地です。
普通~~~に周りと同じ高さです。
分からん・・・。
どーやったらコレが古墳に見えんのよ?(汗)
そんな難易度MAXな中、比較的古墳っぽく見えるのがこちら、4号墳。
画像じゃちょーっと分からんですが、現場で見るとちゃんと盛り上がってるのが分かります。
古墳力なくても、言われりゃ、ん~~~??古墳・・かな?くらいは感じられます。
別に進入禁止って訳じゃないので、興味があったら上に上がってみてください。
なんとなーく四角形になっているのが視認できます。
ちょっと円墳も見てみましょう。
こちらは7号墳。
なんとなーく丸く盛り上がっているのが分かります。
これも比較的理解しやすい例。
でもね、やっぱ難易度高いのあるんですわ。
これはすぐ近くにある12号墳。
どこにあるんだよ、盛り上がり?(汗)
ホント不思議ですよね。
見る人が見れば分かるんですかね、コレで?
だって盛り上がってすらいないんですよ。
それでなんで「ココ古墳」って分かるの?
せめてもうちょっと盛り上がっててもらわなきゃ、古墳って言われても全然ピンと来んですわ。
さてこの荒屋古墳群、よーく注意して回っているとあるミステリーに気付きます。
案内板には「ある」のに、現場には「ない」古墳があるのです。
具体的に挙げると5号墳と13号墳。
この2基は公園内を何回グルグル回っても見つかりません。
わたしね、こういうのすっげー気になるのですわ。
なので意地で探しました。
そしたらね、ありましたよ、ちゃんと。
まず13号墳。
歩道から飛び出して古墳エリアにずんずん踏み入った先に見付かりました。
標柱倒れとるがな・・・・。
これじゃ歩道からいくら探しても見つからんはずですわ。
って事で、この位置が13号墳ってことで決定。
やっぱ全然盛り上がりないけど。
そして5号墳。
これが最も難易度が高く、散々探してようやく発見した標柱がこちらです。
倒れて腐っとるし・・。
これじゃいくら探しても分からんはずですわ。
って事で、ここが5号墳という事で確定。
一応なんとなーく盛り上がってはいます。
いやー深いな、古墳。
もっともっと古墳力磨かんと全然分からんわ。
未整備古墳、ハードル高ぇーーー!!!
以上、荒屋古墳群の現場からお届けしました。
もーマジ古墳力必要ですわ、ここ。
シロウトにはかなり高難度。
なので訪問する時はあまり難しく考えず軽~~~い気持ちで、えー?コレ古墳ー??分からんわー、うひゃひゃひゃひゃ♪くらいのマインドでどうぞ。
肩の力を抜いて見学してもらった方が多分楽しめます。
そして古墳力のある人は!
そのパワーを存分に生かしてマニアックにご鑑賞ください。
兼六園 瓢池 日本庭園はなぜ池に島を浮かべたがるのか?
2021年11月01日
兼六園の真弓坂口から入場し、最初に目にする大きな池が瓢池(ひさごいけ)です。
池の中央部付近がくぼんだ形をしている事から、この名前(瓢=ひょうたん)が付きました。
実はここ、兼六園のスタート地点となります。
現在約12ヘクタール(東京ドームの2倍強)ある兼六園ですが、元からこのサイズだった訳ではなく、まずはこの瓢池周辺の作庭から始まりました。
その後竹沢御殿が隣接されたり、そこからさらに拡張されたりを繰り返し、今ある大きさにまで膨れ上がったのです。
池の面積は約760坪、サッカーコートの大体半分くらい。
静かに照り返す水面を周囲の高木が鬱蒼と覆いつくす、どこか幽玄な雰囲気を放っています。
園内でも屈指の落ち着いた空間。
ここがね、い~いんですわ。
気持ち良く抜ける池の広がり、起伏に富んだ地形、木々の緑、静と動が交錯する水のしつらえ、そのどれもが楽しく、目に肌に心地よく。
不思議な癒しが心を満たしてくれます。
ではまず池全体の様子から確認。
水はこのちょっと向こうにある霞ヶ池(かすみがいけ)から引かれていて、流入口には高低差を利用した滝が設けられています。
池内には2つの島を配置し、大きい方の島へは石橋を渡って上陸可能。
北側には夕顔亭という茶亭を置いて、池の風情を眺めながら茶の湯を楽む事ができるようになっています。
この池で一番の見所がこの翠滝(みどりたき)。
約6.6メートルの高さから一気に水が落ちてきます。
着水地は坪状になっておらず、岩に直接たたきつける恰好になっているので、水しぶきが強烈!
さらにその先は粗い石が段上に並んでいるので、小さな落差が連続し、白い水流が勢いよく池に注ぎ込む、というダイナミックな景観になっています。
生きてますねー、水が。
池の静寂を打ち破るこの一点の水の激しさ、なんとも風情があります。
その滝の左側にも注目。
どうですこの岩、人の手に見えません?
親指を内側に折り込んで、残り4本の指を柔らかく立てた形。
これは「仏掌岩(ぶっしょうせき)」と呼ばれるもの。
この岩の形がお釈迦さまの手を表していて、池に仏の祝福を取り込むという意味があります。
自然石で作った大仏さま(の一部)といった感じですかね。
・・・・うそです。
単に思い付きで書いたネタです。
でもどう見ても人の手に見えるな。
ジャンケン岩って名前どう?(笑)
こちらは日暮らし橋。
池の中島へと架かっている橋です。
表面模様はご覧の通り四半敷き。
斜めに並ぶ正方形の連続が実に幾何学的で、自然石を多用する事の多い日本庭園の中にあって、極めて人工的な空気を放っています。
それゆえか妙な吸引力があって、なんかね、渡りたくなるのですよ、この橋を。
おお~~ココ渡っとかなおれんわ~、みたいな。
ってコトで早速渡りましょ♪
その渡った先の中島に立っているのが、こちらの海石塔。
江戸時代からあるんでね、苔の厚みハンパねー!
そしてこの海石塔、よーく見ると傘の部分と火袋の部分の疲労感が露骨に違います。
傘はボロボロ、火袋はまーそれなりにキレイ。
なぜ?
これ、素材を変えてあるんです。
傘の石は海から持ってきたもので、風化・劣化しまくった虫食い石。
火袋の石は山から採ってきもので、まだフレッシュな石。
つまり傘の部分がボロいのは元からこうなんですね。
制作者のこだわりです。
ところでこの中島、何のためにわざわざ島にしてあると思います?
別になくてもいいと思いません?
これね、日本庭園のオキマリ思想なんですけど、神仙島をイメージしているのです。
神仙島とは不老不死の仙人が住むと考えられた伝説の島です。
方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)・蓬莢(ほうらい)と3つあり、海石塔のある島が方丈、その先にある小さな島(岩島)が瀛洲、現在夕顔亭が建っている場所(今は陸続きだけど昔は島になっていた)が蓬莢って事らしいです。
こうして神仙島を池に浮かべることで、不老長寿を願ったんだとか。
健康不安のある人。
この島にしっか~りお願いすれば、長生きできるかもしれませんよ!
そして夕顔亭。
江戸時代から現在地に建っている茶室です。
カッコええな~この建物。
分厚く重くかぶさる茅葺屋根の下に、細身の柱が優雅に伸びて。
壁は素朴な土壁。
明かり障子はなく、開口部を守るのは木戸。
この木戸を開け放つと瓢池をダイレクトに眺めることができ、明媚な庭と一体となりながらお茶を楽しむことができる。
ん~風流だ♪
兼六園の始まりの地、瓢池。
ややもすると素通りして終わりがちですが、とんでもない!
見所いっぱいです。
兼六園に来た際には忘れずに立ち寄って、その魅力を思う存分楽しんでいってください。
池のほとりにある三芳庵では食事もできます。
江戸時代から続く名園の池を眺めながらお昼をいただくってのもいいですよ!
堅田城跡 やっぱ山城、怖ぇ~~~~(震)
2021年10月30日
金沢市森本方面、山の中にひっそりとある山城が堅田城(かただじょう)です。
とにかく山の中です。
お城見学と言うよりも、ほぼ山歩きになります。
根性のない人は来ないでください。(←?)
そのくらい山の中です。
ではまず大まかなマップから。
入城ルートは2つ。
墓地の上と神社の裏のいずれかです。
お好きな方からどうぞ。
構成としては主郭を中心とした曲輪群とそれを繋ぐ通路でできており、所々に堀切や竪堀、切岸といった防御施設が施されています。
主郭には櫓台も認められているので、お城現役時代には物見櫓もあったようです。
では個別に見て行きます。
通路はどこもこんな感じ。
細くうねって、片側は急斜面の崖。
ちょこっと足を滑らしたら下に向かってザザザザーーー!
危ないったらありゃしない。
守る方にすりゃ楽ですわな。
どんなに大軍で来ても、敵はこの細い通路を通らなきゃ前へ進めないから、わざわざ一列になってくれる。
そこを弓で射かけたり、上から大きな石を落としてやれば、勝手に向こうでパニクって山の下にこんコロこんコロ転げ落ちていくのですよ。
地の利というヤツです。
通路から上を見ると、そこは曲輪。
曲輪とは山を削平して作った広場の事で、当然守備側の兵が大量に常駐しています。
そして上からガンガン攻撃してくるんですね。
たまりませんわな、やられる側は。
上から見下ろされたら身を隠す場所がないですからね。
やられ放題ですわ。
こちらは堀切。
堀切とは曲輪と曲輪の間に作られた溝です。
こうして曲輪同士の通路を切断することで、一方の曲輪が敵の手に落ちても、すかさず次の曲輪に進撃できないようにしてあるのです。
と同時に、防御構造としても優れています。
敵は基本、この下の溝を伝って来ますのでね。
それを上から狙いすまして挟み撃ちで攻撃できるのですよ。
攻め手にすれば、右と左から弓矢や落石の雨あられ。
もう地獄ですな。
ちょっと変わったものにこんなのがあります。
畝形阻塞(うねがたそさい)。
画像じゃよく分からんですが、通路左側に連続して縦溝が並んでいます。
これ何のためにあるのかと言うと、敵の横移動を封じるためのものです。
敵もバカじゃないので、攻撃されたら左右に動いてかわそうとします。
しかしこうして溝を縦方向に並べて掘ることによって、横に動けなくなるんですね。
で、足を取られてもたもたやってる内にガッツンガッツンやられちゃうのです。
しかも上の人間がやられたらそのまま転がり落ちてくるから、下にいる者まで巻き添えを食うというね。
まさに被害のドミノ倒し!
そして曲輪です。
ここまで来たら攻め手の勝ち、ここの死守が守備側の生命線。
山城攻めというのは、端的に言えば、ここを取るか取られるかの攻防戦です。
堅田城の曲輪は段状になっていて、完全に真っ平らにしてある訳ではなく、まあラフと言えばラフ。
でもこのタイプの山城というのは、戦闘時にだけ使用する使い捨てのものなので、とりあえず最低限の構造だけ用意できればそれで十分だったのです。
なのでかなり大雑把。
ここは主郭と呼ばれる曲輪。
本丸と言った方がピンと来ますかね?
いわば堅田城の心臓部とも言える場所です。
主郭なので当然一番標高が高く、周囲一面を見渡せます。
ここから敵の位置や戦いの状況を確認し、適時兵を出したり攻撃の指示を出したりするんですね。
そのためにこんなものもあります。
櫓台。
山のてっぺんなので元々見通しがいいのに加え、そこに櫓を建ててさらに高い場所から見渡せるようになっています。
櫓と言うとなんやら立派な建物があったような印象を受けるかもしれませんが、ここにあったのはそんなに大したものじゃありません。
それこそ掘っ立て小屋に毛の生えた程度。
高さはせいぜい5~6メートルくらいですかね?
高い足場さえ確保できればそれでいいのです。
最後に主郭からの眺め。
いや~壮観ですな♪
ふもとが一望。
と、今なら言えるけど、いざ戦闘となったら命懸けですからね。
きっと当時の人々は胃がキリキリ引き絞られる緊張感の中で、ここからの景色を眺めていたのでしょう。
中世の山城、堅田城。
石垣や建物といった類のものは一切ない大雑把な城跡ですが、その分想像力をふんだんに働かせて遊ぶことができます。
ここに一体どんな光景が広がっていたのか、そしてどんな戦いが繰り広げられたのか、どうぞ思いっ切り妄想しまくってください!
そして何度も言う通り、現場はほぼ山歩きです。
お越しの際には動きやすい服装と靴で。
雨上がりにはかなり足元がぬかるむはずですので、天気にもよく注意してください。
ではレッツ・エンジョイ・山城歩き♪
堅田城跡
住所:石川県金沢市堅田町
関連タグ >> お城
芋堀藤五郎神社 お金持ちになりたい人、集まれ~~
2021年10月27日
金沢の山科という住宅地の一角に、芋堀藤五郎神社という、えらい平和な名前の神社があります。
芋堀藤五郎(いもほりとうごろう)とは金沢のレジェンド的人物で、芋掘ったら土の中に金が混じってて、お金持ちになりましたメデタシメデタシ、って人です。
そんな訳ぁないやろ!と思うかもしれませんが、まあそんな訳ぁないですわね。
あくまで伝承の類です。
古今東西、人は苦労もせずに棚ボタな人生を夢見るのです。
例えばわたしとか。(←?)
ちなみにこの手の芋掘り伝説は日本全国で見られ、特に金沢に限った事ではありません。
でもことさらここ金沢でだけクローズアップされるのは、こんなのがあるからです。
金城霊沢(きんじょうれいたく)です。
兼六園のすぐそばにあります。
なんでも藤五郎はこの泉で芋を洗って金がサラサラ出てきたんだとか。
そしてこの故事が「金洗い沢」→「金沢」と変化し、金沢の地名のルーツになっているってのが定説となっています。
つまり藤五郎は「金沢」という地名の生みの親なんですね。
とは言え藤五郎が住んでいたという山科とこの金城霊沢との距離は約5km。
車でも10分以上かかる距離。
徒歩しか移動手段のなかった大昔(※奈良時代と言われている)に、わざわざ重い芋を背負って芋を洗うためにこんな所まで歩いたとはとても考えられない。
藤五郎伝説はどこかの誰かが考えた荒唐無稽なヨタ話と考えて、まず間違いないでしょう。
と、昔のお話にケチをつけるのはこのくらいにして、以上の経緯により藤五郎は、ここ金沢では歴史的レジェンドとされているのです。
そしてそんな藤五郎を祀って建てられたのが芋堀藤五郎神社なのです。
創建は昭和6年と比較的最近。
この町の青年団の尽力によって建てられました。
その時点では小さな祠があった程度のものだったらしいのですが、昭和61年に大幅に改装&バージョンアップを実施。
そして生まれたのが現在の姿なのです。
そんな神社の縁起が記されているのがこの碑。
大体ここまで説明してきたような話が、もっと細かーく書かれています。
全文書き出してもいいのですが、無駄に長くなるので、どーしても中身が読みたいって人はこのブログを参考にしてください。
>> はじかみ神主のぶろぐ
この中に松の話がありまして、藤五郎が休憩に使ってた松ってのがかつてこの辺に「あった」そうです。
「あった」ってのは枯れてなくなってしまったって事なんですが、今は二代目が植えられている、と碑には書かれています。
でもどうもこの二代目ってのもその後枯れてしまったそうで、現在は三代目が植えられています。
これがその三代目。
小っさ!
高さは大体大人のヘソくらい。
ひ弱のヒョロヒョロで、まだ添え木で支えられているような状態です。
あまりに貧弱。
あと20年もすれば立派な樹姿へと成長をとげるのでしょうが・・・まあ。
20年もしたらわたしの方が死んでるわ(老)。
拝殿です。
流造(ながれづくり・後ろより前の方が屋根が長い)の一間社(いちげんしゃ・柱が四方に1本ずつ)。
昭和晩期の建造なので、ようやく古みが出て来たかな?くらいの状態。
社殿自体には特にユニークな点はないですね。
ごくごくオーソドックスな造り。
ただちょっと気になる点が一点ありまして、それがこれ。
狛犬、置き位置が逆や(汗)。
例外もあるので絶対って訳ではないのですが、基本的に狛犬は社殿に向かって左が「うん」、右が「あ」。
でもこの狛犬、逆に置かれています。
何か意図があって敢えてこうやって置いたって考え方もできますが、まあないでしょう。
多分何も知らずにテキトーに置いたのでしょう。
実際拝殿前のでっかい方の狛犬はちゃんとセオリー通り、左が「うん」右が「あ」の位置で置かれています。
拝殿の左側にも小さな祠がひとつあります。
こちらは繁盛大黒天。
大黒さまですね。
大黒さまはいいとして、なんでわざわざ頭に「繁盛」って付いてんの?って感じですが、恐らく藤五郎伝説との絡みでしょう。
藤五郎=砂金ザクザク=大金持ち、の図式から、金運のご利益があると言われる大黒さまも合わせて祀ることで、さらなる金運アップを目指しているのです。
人の持つおカネへの飽くなき欲望。
実に醜い・・・・。
でも。
おカネ大好き♪(←お前が一番醜い)
境内には忠霊塔も建っています。
台座につらつらと由来が書かれているのですが、言葉遣いも含めてメチャメチャ読みにくく、かなり解読難易度大。
でも頑張って読んでみると、日清戦争以降の戦没者の英霊を祀るための碑、というような事が書かれています。
戦争なんて考えたくもないですわな。
でもいつの世も、そして現在も、この世界から戦争がなくなった瞬間というのはありません。
戦争が過去の事になる日ってのは本当にやって来るんですかね?
藤五郎伝説を元に建てられた芋堀藤五郎神社。
山の中腹にあるちっちゃーいちっちゃーい神社ですが、でも「金沢」という地名を生んだ藤五郎を祀る神社です。
金沢人ならぜひ一度はお参りを。
そうでない人ももちろんぜひ!
しっかり手を合わせて「おカネ~~おカネ~~」と祈れば、財布くらいは拾うかもしれませんよ。
ネコババしたらアカンけどな(笑)。
芋堀藤五郎神社
住所:石川県金沢市山科
AASHIRWAD マトンカレー 本格派インド・ネパール系カレーはアジアンテイスト全開!
2021年10月25日
この日はお散歩日。
てっくてっくとひたすらお散歩。
程よく歩いたところでそろそろお昼。
さ~てドコで食うべかな~?としばらく考えて選んだのがAASHIRWAD(アシルワード)、インド・ネパール料理のお店です。
まだちょっと時間が早かったこともあり、先客ナシ。
空いているテーブルに案内され、メニューを渡される。
選べるカレーはバターチキン、キーマ、マトン、セミベジタブルの4種。
いずれもヨダレじゅるじゅる♪
そんな中、じーっと悩みまくって選んだのが”マトンカレー”。
それでは本日はアシルワードにて”マトンカレー”を。
ザ・インド人気分で食べたおします。
マトンカレー。
ルーはペースト感強め。
ドロンコどろ~んと口の中に流れ込む。
味はスパイスばっしばしで、チリチリとした刺激が口の中をまんべんなく焼いていく。
ただ辛さはさほど強烈でもなく、まあ辛いんだけど、火を噴くようなレベルではなく、ごく常識的な辛さ。
中には大振りのマトン(羊肉)がゴロンゴロンと4粒。
肉質ほろほろと柔らかく、噛むと肉の繊維がパラパラほどける。
味は妙に抜けててスッカスカ。
脂がほぼないせいか、溶けるような甘みやうま味が皆無。
ちょっと退屈。
このスパイシーなカレーをナンと一緒に。
ナンは巨大。
顔をごしごし拭けそうなくらい(←?)巨大。
皮は薄くてパリパリで身はもっちり、空気をたっぷり含んでてふっかふか。
口に含むと最初パサつくけど、唾液で湿るとねっちょりと粘りだし、さらりとした甘みをしみ出す。
ここにスパイシーなカレールーを塗りたくるともう最強。
ナンのもっちり感とカレーのスパイスが溶け合って、刺激と甘みバチっと重なり合って。
味のボリュームが大爆発!
後はもうナンにカレーを塗っては食べ、塗っては食べ、塗りたくっては食べ。
時々カレーを直接スプーンでずずっとすすって。
さらに塗っては食べ、塗っては食べ。
完食。
アシルワードの”マトンカレー”。
スパイスがド真ん中に生きたドロんこカレー。
家庭では味わえない、本格的なインドカレーの味に、満足感満点の幸せを楽しめました♪
ごちそうさま。
[参考]
・マトンカレー:1,100円
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