加賀藩十村役 喜多家 喜多蔵編◆まばゆいお宝の数々に身をよじれ
2021年10月23日
3回に渡ってレポートしてきた加賀藩十村役(とむらやく)喜多家。
今回はいよいよ最終回、喜多蔵についてレポートします。
喜多家は加賀藩から十村役を任じられたほどの家柄。
当然この地方における有力者でしたし、それ相応の財力もありました。
そんな喜多家に代々伝わってきたお宝の展示・公開をしているのが、こちらの喜多蔵です。
館内に入ると、いきなり吹き抜けの開放的なロビー。
ここまで見てきた江戸時代感が一気に吹っ飛ぶようなスタイリッシュな内装。
窓から覗く青々とした植栽がいいですね。
まるで1枚の絵画のよう。
右手に見えるでっかいレリーフみたいなヤツは家紋です。
当然喜多家の家紋。
「丸に一つ引き」って名前なんだそうです。
多分元々蔵の壁に付けられていたものを引っぺがしてレリーフに作り直したんじゃないですかね?
近くで見るとどことなーく使用感があるし。
この家紋、他にも館内のアチコチに見られます。
興味があったら探してみてください。
壁面にはオブジェ。
角偉三郎(かど いさぶろう)の「能登渡る風」という作品です。
角偉三郎というのは能登出身の工芸作家で、漆を用いた漆芸作品を数多く残した人です。
こちらもそのひとつで、木を用いて「風の形」を表現しています。
能登の風と言えば、冬の厳しい日本海の風をイメージしがちですが、この風は見るからに温か。
恐らく「大自然の厳しさ」よりも、能登という土地にあふれる「人間味に満ちた温かさ」みたいなものを、風というモチーフを通して伝えたかったのでしょう。
その先にあるのが第1展示室。
喜多家の歴史を軸に、多くの品が展示されています。
結構ね、色々あるんですわ。
銅銭やら古文書やら生活道具やら。
よくまあ残ってますわね。
普通はいらなくなったものなんてジャンジャン捨てちゃうんですけどね。
不用品もこうして200年300年経つと、骨董品としてめっちゃめちゃプレミアが付くんですね。
この甲冑なんて魅かれますわね~♪
イミテーションじゃなくて本物ですからね。
やっぱ貫禄が違いますわ!
胴に描かれている剣梅鉢紋の家紋は、言わずと知れた加賀の殿さま、前田家の家紋。
なんでもこの甲冑、前田家ゆかりの品なんだそうです。
何かで手柄を立てて拝領したものなのでしょうが、その辺の詳しい経緯については不明。
続いて2階に上がると第2展示室。
こちらは工芸品を展示してあります。
屏風やら漆器やらなんやら色々。
この手の美術品や骨董好きには多分ハードずきゅん!な場所。
中でも一番目を引くのがこの金屏風ですね。
「源平合戦図屏風」。
制作者は不明、江戸時代のものです。
とにかく画面全てが見所なんですよ。
表情豊かな人物の様子、幻想感あふれる空間構成、流れるような細い線、おぼろ気な色の配置、そんな諸々のエッセンスが入り乱れ、大画面から飛び出すような勢いでバーン!
こんなの飾ろうと思ったら、部屋にもそれなりの強さが求められるな。
壁に穴開いてるウチの部屋なんかじゃ余裕ぅ~で無理だな。
あ、壁に穴開けたのわたしです。(謎)
もうひとつ目を引かれたのがこちら。
ぶ・つ・ぞ・お~~♪♪
なんたってわたくし、仏像LOVE♪ですのでね。
仏像ってだけで0.1秒で喰い付いちゃいますわ♪
何の仏さまなのかについては説明がなく不明。
わたしも分かりません。
なんでしょうね?
インド系の神さまかな?
さらにその奥にあるのが第3展示室。
展示されているのは陶磁器色々と掛け軸が2幅。
どれも江戸時代の作品らしいですが、完全な工芸品ですね。
そこら辺に売ってるメシ食うための茶碗や皿とは明らかに毛並みが違う。
こんなのを収集してたんですから、相当カネあったんでしょう、喜多家。
ええ~生活してたんだろうな~。
以上、喜多家に伝わるお宝を展示した喜多蔵のレポートでした。
十村役という名誉職を代々拝してきた喜多家。
今回紹介したお宝の数々も立派ですが、やっぱり一番の目玉は何と言っても屋敷。
ここに来たらまずは屋敷をじーっくりご鑑賞ください。
藩政期の時代感みたいなものが感じられて、楽しいですよー。
関連タグ >> 美術館・博物館 加賀藩十村役 喜多家
加賀藩十村役 喜多家 室内編2◆最強の喰い付き所は「ココ」だ!
2021年10月20日
前回に引き続き喜多家邸内の様子を見て行きます。
今回は家主が生活用に使っていたスペースです。
まずは「溜りの間」。
これは前回も見た部屋です。
ただ見て欲しいのは部屋の様子じゃなくて天井。
こんな感じね。
梁と束が剥き出しになっています。
一見何の違和感もないですが、実はこの剥き出し天井にはある意図が隠されています。
これ、天井裏に部屋を作らせないため、わざと剥き出しにさせてあるんですね。
なんで天井裏に部屋があっちゃダメなのかと言うと、見えない所でコソコソよからぬ相談をするのを防ぐため。
加賀ってのはかつては一向一揆の盛んな土地でしたからね。
土着農民たちが結束して行動を起こすことに、過剰に神経を尖らせていたのでしょう。
その奥には台所。
その名の通り炊事場ですね。
外側が土間になっていて、煮炊きのための釜戸なんかもあります。
ここ、やけに壁や柱が黒くなっている事にお気付きでしょうか?
これは囲炉裏や釜戸から出るススのため。
火を焚けば当然煙が出ますからね。
その煙にいぶされる事で、こうして黒く染まったのです。
その台所から部屋をひとつまたいだ先にあるのが、こちらの「お寝間」。
家人の寝室だった場所です。
今はご覧の通りテーブルとイスがでーん!
壁には油絵なんかも掛けられています。
実はこの屋敷、結構最近まで実際に人が住んでいました。
でも東京だったか横浜だったかに移って、今は無人。
その当時の生活の跡がこのテーブルとイスなんですね。
なので妙にこの部屋だけ時間が現代っぽくなっています。
こちらはお寝間の向かいにある「書院の間」。
数寄屋風の座敷になっていて、奥には簡易の床の間もしつらえられています。
実はこの部屋、わたしがこの屋敷で最も喰い付いた場所です。
何に喰い付いたって、そりゃアレですわ。
床の間に置いてあるコレ。
仏像コレクション~~♪♪♪
なによ?
なんでこんな素敵なモノが突然こんなトコに置いてあんのよ?
しかもなんかすげー仏像のクオリティ高いし。
うっわ欲しいわ~♪
このコレクション、丸々欲しいわ~♪
ちょーだーーーーい!!!(←ダメ)
階段を挟んでその隣にあるのが「おへや」と名付けられたふたつの部屋。
8畳間の和風座敷です。
ここもかつての家人の暮らしていたスペースですね。
今は見学用にさっぱりさせてますが、昔はテレビとか置いてあったんじゃないですかね?
なんとなーくソレっぽい空気感みたいなのが残ってるし。
このふたつの部屋だけちょっと壁の色が違います。
なぜか緑。
この緑、ナンか意味あるんですかね?
江戸時代からこの色だったのか?
比較的最近、なんとなーくこの色で壁を塗っちゃったのか?
その辺、不明です。
多分そんなに深い意味はないと思うけど。
部屋横にある廊下沿いのガラスにもちょっと注目。
このガラス、画像じゃ分からんけど、表面が妙ぉ~にうねっています。
なんか雑。
これ、古いガラスの特徴なんです。
今のガラスはきれーなフラットなのが普通ですが、昔のガラスってのはこうして表面がうねうねしていました。
恐らく明治~大正期くらいのものでしょう。
いいですね~、うねうねガラス。
ホント古民家って、ガラス1枚にまで味がありますわ!
最後に「本座敷」。
家人が使う、最も格の高い部屋です。
奥は左が床の間、右が床脇。
両方ともたっぷりと横幅が取られています。
そして壁の色。
ビビッドな弁柄色です。
江戸時代に平民である家人がこの色を使えたとはちょっと考えにくいので、この壁は後から塗り替えられたのかもしれません。
恐らく明治期以降にリメイクされたのでしょう。
以上、長々と見てきた加賀藩十村役(とむらやく)喜多家の屋敷。
が、まだ終わりません。
もうちょっと続きます。
次回は敷地内にある喜多蔵のレポート。
江戸期から続く名家、喜多家のお宝がズラリと展示してある秘宝館です。
ここもね、なかなかいいモノが見られるんですよ。
詳細は次回!
関連タグ >> 古民家 古建築 加賀藩十村役 喜多家
加賀藩十村役 喜多家 室内編1◆武士、ナンボのもんよ!?
2021年10月18日
前回は喜多家の門から母屋の入口までを見てきました。
今回はいよいよ屋敷内部へと潜入します。
まず最初に目にするのが「溜りの間」と呼ばれる部屋。
畳数で約17畳半、結構な広さです。
ここ何の部屋かと言うと、会議室です。
ここで村の寄り合いを開き、様々な決め事をしていたのです。
だから「溜り」なんですね。
ではここで屋敷の見取り図を確認します。
全体の間取りはざっとこんな感じ。
ピンクのゾーンが武士用スペースで、黄色のゾーンが平民用のスペースです。
基本この間を両者が行き来することはありません。
それが江戸時代のザ・身分格差社会のルールなのです。
その痕跡はこんな所に見られます。
分かります?床面の高さが違うの?
向こうが武士スペース、手前が平民スペース。
武士スペースの方が一段高くなっています。
カーストですねー、ガッチガチのカースト制度。
お前ら平民と我々武士が同じ床面を歩けるか!っていうくだらないプライドがこの床の高さに表されているのです。
いやー面倒臭い(笑)。
その先にある武士スペースがこちら。
「広間」と呼ばれる部屋で、約21畳あります。
ここで武士の役人たちは執務を行っていたそうです。
ただいつもかも役人が詰めていたのかと言うとそうでもなく、たまにチョコチョコ来ていた程度だったようです。
じゃあこんな立派なスペースいらんだろうと思うのですが、そこは威張りくさった武士。
無駄に部屋を広く取って、優越感に浸ってたんでしょうね。
その部屋の庭側に「調詩所」と呼ばれるスペースがあります。
ここ何かと言うと、聞き取りを行う場所です。
この前が桟敷になっていて、そこに村の者を呼び出し、アレやコレやと直接やり取りをするのです。
話の内容は主にその年の米の収穫状況の事。
豊作だったとか不作だったとか、そこからどのくらい年貢を納められるのかとか。
そんな現場からの生の声をここで吸い上げていたのです。
そのための工夫がこちらの格子。
画像じゃ分かりませんが、三角形になっています。
外側が頂点、室内側が底辺。
こうする事によって外から中は見えにくく、中から外は良く見えるようになります。
人って面と向かうと本音が言いづらくなりますよね?
だから外から中を見えなくすることで相手の顔を隠し、遠慮なくモノを言えるようにしてあるのです。
役人側もそれなりに気を使ってたんですね。
その隣が「武台の間」。
ここは前回記事で見た、殿さま専用の入口に繋がる部屋です。
見て欲しいのが畳の敷き方。
独特でしょ?
部屋中央に縦方向にすぱっと通してあります。
この畳、殿様の通路なんです。
専用玄関から入ってきた殿さまは、この縦敷きの畳ロードをのしのし通って奥へと進むのです。
その先にあるのがこちらの「謁見の間」。
その名の通り、殿さまが客や部下と謁見するための部屋です。
あれ?と思いません?
そう、ここだけ壁の色が変わっています。
突然の弁柄色。
これも殿さまの権威の象徴なんですね。
壁を紅く染める事で、ここにいる殿さま、エライんだぞ~って事を表現していたのです。
その隣の隣にあるのがこちらの「御座の間」。
ここは殿さまのプライベートルームです。
要は寝室。
喜多家滞在時は、基本ここで過ごしていたそうです。
この部屋ね、面白い仕掛けがあるんですよ。
それは床の間の壁。
この壁の向こう、どうなってると思います?
こんな感じ。
「武者かくし」と呼ばれる3畳の部屋になっています。
そしてこの武者かくしと御座の間、なんとどんでん返しで繋がっていました。
どんでん返しってのは忍者屋敷なんかでよく見る、くるっと回る壁ね。
あのどんでん返しが床の間の壁に仕掛けられていたのです。
目的はもちろん殿さまのガード。
いざという時にすぐに隣の部屋に飛び込めるよう、緊急用の出入り口を確保してあったんですね。
ただこのどんでん返し、現在は残念ながら壁に埋め込まれてなくなっています。
画像左側の枠部分が本来その場所なのですが、ご覧の通りがっちりクローズ。
叩いても蹴ってもくるんと回転してくれません。
コレ、なんで埋めちゃったんですかね?
クルっとやりたかったなー、どんでん返し。
今からでももう1回作り直してくれんかな?
こちらは御座の間から見える庭の眺め。
前回記事で見た通り、この屋敷はくぼ地に建てられているので地面が上に向けて傾斜しています。
なので圧迫感が強く、奥行きがイマイチ。
樹木が鬱蒼と生い茂っているのは、景観のためというより恐らく実用上の都合でしょうね。
ひとつは屋敷を目立たなくするための目隠しとして。
そしてもうひとつは防風林として機能させるため。
正直あんまり見て楽しめる庭って感じじゃないですね。
以上、喜多家の武士&殿さま用スペースを見てきました。
江戸時代の格式ばった習慣をリアルに実感できる、タイムトリップハウス。
当時の堅苦しい空気みたいなものを想像しながらご見学ください。
次回は今回見てない、平民用のスペースを見て行きます。
こちらは本当の生活空間。
所々にかつての生活の痕跡が残ってて面白いですよ~。
関連タグ >> 古民家 古建築 加賀藩十村役 喜多家
加賀藩十村役 喜多家 エントランス編◆無駄な身分格差制度になんじゃコリャ?
2021年10月16日
十村役(とむらやく)ってご存知ですかね?
江戸時代に加賀藩が置いていた役職で、分かりやすく言えば庄屋さんです。
10ほどの村を統括し、村民の管理や田畑の維持・開発、税の徴収などを行いました。
イメージ的にはその土地の大元締めみたいな役割です。
そのお偉いさんの屋敷が今も残されています。
それが今回紹介する喜多家の屋敷。
地味~な村落の中にぽこっとあります。
入口となるのがこの門。
黒瓦の切妻屋根を乗せた棟門です。
十村役と言っても身分は農民ですのでね。
本来はこんな立派な門を持つことは許されないはずなのですが、そこは役得。
この屋敷は民家であると同時に役所でもあったので、このような門を構えることができたのでしょう。
その門をくぐると庭。
両脇に植栽を見ながら、奥の屋敷へと進みます。
で、どう?
なんか変じゃありません?
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、この道、よく見ると下っています。
普通はわざわざ低地に屋敷を建てません。
だって水はけ悪くなるしね。
でもなぜか、この屋敷はくぼ地の底にあるのです。
これにはもちろん理由がありまして、当時の加賀藩が置かれていた状況が大きく関係しています。
まずこの屋敷、役所であると同時に出城の役目も担っていました。
つまり有事の際の防衛拠点ですね。
ただそんな軍事施設が堂々とあるってのは体裁上ちょっとマズイ。
なんたって百万石もの国力を有する大藩なので、幕府からは常に強い警戒の目にさらされているのです。
そんな中で下手にこんな施設があることを知れてしまったら、どんな因縁を付けられるか分かったモンじゃない。
そこでこうしてくぼ地にこ~っそりと建てて、存在を隠したのです。
その下り坂な通路を進むと再び門。
今度は大振りな長屋門っぽい造りになっています。
これ、シッブイですわな~♪
入母屋屋根に分厚い茅葺がばっさりとかぶさってて、緑の苔がびっしり生えてて。
壁は上部を土壁、下部を下見板張り。
門口は左に寄せて、分厚い重厚感で訪問者をずっしりと包み込む。
貫禄と風格にあふれたえ~え門です。
そしてその先にいよいよ母屋が現れます。
出城機能を備えてるだけあってなかなかのサイズ。
仕立ては伝統的な吾妻建ち(あづまだち)。
吾妻建ちとは切妻の大屋根に、妻側を東面させて玄関を設けるスタイルです。(東=アズマ=吾妻)
屋根下は白漆喰で塗り、束と梁を埋め込まない真壁造り。
現代建築ではほとんど見られなくなりましたが、昔の家屋が残る村落では今でもポツポツ見られるオールドスタイル。
さて、ここで見て欲しいのが玄関。
画的にいい角度が確保できないのでこの画像じゃイマイチ良く分かりませんが、横に4つ並んでいます。
そして右に行くに従い、どんどん奥へと引っ込んでいます。
なぜか?
これ、4つそれぞれに用途が決まっていたのです。
向かって一番左が殿さま、つまり藩主である前田さん専用の入口。
その右隣りが家老クラスの入口。
その右隣りがお侍さん用の入口。
そして一番右端が平民用の入口、となっているのです。
こちらは殿さま用の入口。
ご覧の通り柵で囲われています。
この柵は江戸時代からあったものだそうで、柵で囲ってしまうくらい滅多に使わないって事だったそうです。
どのくらい使ってなかったかと言うと、なんとたったの2回。
そのたった2回のために、この入口は存在したのです。
殿さまの権威、恐るべしですな。
内側から見るとこんな感じ。
これまた画像じゃイマイチよー分からんのですが、かなりゆったりめに造られています。
この「ゆったり」、ちゃんと理由があります。
ここまで来た前田の殿さま、どんな状態だと思いますか?
なんたって殿さまですからね、歩いては来ません。
そう、カゴに乗ってるんですね。
なのでカゴごとがさっと入れるよう、広~いスペースが確保されているのです。
何様よ、一体?(←殿さまです)
ちなみにここは一般武士用の入口。
先に見た画像の左から3番目のヤツですね。
ご覧の通り、普通のウォークスルー形式。
カーストですな。
これが江戸時代の身分格差社会の実態。
なん~とも息苦しい、堅苦しい世の中だったんですね。
そして一番右側、平民用の入口。
現代人(?)もここが入場口となります。
はい、今回はここまで。
次回はいよいよ屋敷内部のレポートに進みます。
中もね、い~んですよ♪
やっぱ古民家ってのはそこにいるだけで楽しいですな。
ではまた次回!
関連タグ >> 古民家 古建築 加賀藩十村役 喜多家
聖興寺 山門にずきゅん!本堂にずきゅん!鐘楼にずきゅん!茶室に・・・あら?
2021年10月13日
松任駅から徒歩5分、大きな門が目印の古刹が聖興寺(しょうこうじ)です。
創建は1495年、戦国時代の真っただ中で一向一揆が各地で頻発していた頃。
浄土真宗中興の巨人、蓮如に感化された明源という僧によって興されました。
元の名前は徳光寺、その後2度ほど寺地を移し、名前も聖興寺と変え、1648年(江戸時代前期)に現在地へとやって来ました。
門ですわ。
いきなりワンダフル。
ずんとそびえるこの重量感。
見てるだけで背筋にビリビリ来るくらいワイルド!
サイズ、圧力、技巧、スタイル、どこを取ってもスキのない、素晴らしい門です。
建造年代は不明ですが、このお寺、明治24年に火事で焼けてるので、少なくともそれ以降となります。
本堂が明治31年再建という事を考えると、恐らくはその前後くらいかなと。
すげーわ、この彫刻が。
どんだけ気合入れてんのよ?みたいな。
開口部をぐるりと囲むように蓮華と蔓。
そのうねりが生み出す動感がハンパない!
その上には(ネットが邪魔で全然見えんけど)龍。
湧き立つ雲間に身を横たえ、力強い眼光で悪しき者の侵入を監視しています。
悪いヤツ!
うっかりココくぐると、がぶっ!とヤられるぜ!
門扉もイケてるわ~。
上部に透かし彫刻をあしらい、ポイントポイントに黒金具を配置。
深く沈む茶色がそこにさらに重厚さを加える。
濃いわ~。
ホントこの門、扉も柱も、隅から隅まで濃いわ~♪
そのガチガチの門を抜けると、正面に本堂、なんだけどね。
んん~~~・・。
木が邪魔や(困)。
既にチラッと書いた通り、このお寺は明治24年に火事に遭い、ほとんどの伽藍を失いました。
現在の本堂はその後8年の歳月をかけて再建されたものです。
このクオリティが素晴らしいのですわ。
まーデカい。
下から見上げると圧倒的なスケール。
さらに造形的美しさにも優れ、細部までみっちりと作り込まれてて、ため息が出るほどの出来栄え。
このズラリと並ぶ組み物、どうですか?(またもやネットが邪魔で見難いけど)
構造的にここまで必要なのか?って気がせんでもないですが、そんなのは問題じゃない。
美ですわ、美。
美しさを追及しての造形ですわ。
こんな事やってたら手間もかかるし、おカネもかかるし、でもやったんですね、美を求めて。
いいもの作るためには一切妥協は許さない、そんな強い意思がビンビン伝わって来ます。
これ作った大工さん、そーとー頑固じじーだったんだろうな(笑)。
そのビッグ本堂の斜め前には鐘楼。
この鐘楼は明治の火事で被災しなかった唯一の遺構だそうで、建造は1695年と、江戸時代前期にまで遡ります。
これもエゲつなく素晴らしいですわな。
ばさっと広がる入母屋屋根、内転びに立てた頑強な粽柱、変則的な亀甲積みで組み上げたテクニカルな基壇。
本堂に負けず劣らずの見事な建築です。
そこに吊り下がる梵鐘。
い~い音出そうだ~♪
お寺の公式サイトによるとこのお寺の梵鐘、戦時中軍に供出させられたため、戦後になって棟方志功(むなかた しこう・版画家)と柳宗悦(やなぎ むねよし・思想家)の協力で作り直されたんだとか。
でもよーく見ると梵鐘の胴部に「平成廿四(平成24年)」の文字。
で、鐘楼の足元を見ると、もうひとつ梵鐘が置いてあります。
これね。
多分戦後に作り直したってのはこっちの方でしょう。
見た感じまだバリバリ使えそうなんですけどね。
って言うか、梵鐘なんてほぼ半永久的に使用可能でしょう。
なんでまた新しく作って取り替えたんですかね?
そのあたりの理由、情報がなく謎です。
その鐘楼の裏手にこんな建物もあります。
茶室。
ちょーっと植木や雪囲いが邪魔でよー見えんですが。
中の様子は不明。
見たいんだけどなー。
せめて雪囲いだけでも取っ払ってくれんかなー。
こちらはその茶室の横にある千代尼(ちよに)碑。
一般的には千代女(ちよじょ)の名前で通っている人で、千代尼は晩年出家した後の名前です。
この人、多分地元の人以外はほとんど知らないと思いますが、江戸時代の俳人です。
朝鮮通信使に21の句をしたためた掛け軸と扇子を贈り、今で言う国際交流に一役買ったんだそうです。
詳しくはすぐ近くに「千代女の里俳句館」という記念館がありますので、時間があれば立ち寄ってみて下さい。
松任四ヶ寺にも数えられている聖興寺。
い~いお寺ですよ。
特に門と本堂は本当に素晴らしいですから、訪問の際にはじ~っくり見てってください。
なお寺内には千代女の記念館「遺芳館」も併設されています。
ちょっとわたしは見てないんですが、館内には数多くの遺墨が展示されているそうです。
そちらも興味があればぜひどうぞ。
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