店主たみこの観光案内日記

芋堀藤五郎神社 お金持ちになりたい人、集まれ~~

2021年10月27日

芋堀藤五郎神社

 

金沢の山科という住宅地の一角に、芋堀藤五郎神社という、えらい平和な名前の神社があります。
芋堀藤五郎(いもほりとうごろう)とは金沢のレジェンド的人物で、芋掘ったら土の中に金が混じってて、お金持ちになりましたメデタシメデタシ、って人です。
そんな訳ぁないやろ!と思うかもしれませんが、まあそんな訳ぁないですわね。
あくまで伝承の類です。
古今東西、人は苦労もせずに棚ボタな人生を夢見るのです。

 

例えばわたしとか。(←?)

 

ちなみにこの手の芋掘り伝説は日本全国で見られ、特に金沢に限った事ではありません。
でもことさらここ金沢でだけクローズアップされるのは、こんなのがあるからです。

 

金城霊沢

 

金城霊沢(きんじょうれいたく)です。
兼六園のすぐそばにあります。

 

なんでも藤五郎はこの泉で芋を洗って金がサラサラ出てきたんだとか。
そしてこの故事が「金洗い沢」→「金沢」と変化し、金沢の地名のルーツになっているってのが定説となっています。
つまり藤五郎は「金沢」という地名の生みの親なんですね。

 

とは言え藤五郎が住んでいたという山科とこの金城霊沢との距離は約5km。
車でも10分以上かかる距離。
徒歩しか移動手段のなかった大昔(※奈良時代と言われている)に、わざわざ重い芋を背負って芋を洗うためにこんな所まで歩いたとはとても考えられない。
藤五郎伝説はどこかの誰かが考えた荒唐無稽なヨタ話と考えて、まず間違いないでしょう。

 

芋堀藤五郎神社の境内の様子

 

と、昔のお話にケチをつけるのはこのくらいにして、以上の経緯により藤五郎は、ここ金沢では歴史的レジェンドとされているのです。
そしてそんな藤五郎を祀って建てられたのが芋堀藤五郎神社なのです。

 

創建は昭和6年と比較的最近。
この町の青年団の尽力によって建てられました。
その時点では小さな祠があった程度のものだったらしいのですが、昭和61年に大幅に改装&バージョンアップを実施。
そして生まれたのが現在の姿なのです。

 

神社の縁起が書かれた碑

 

そんな神社の縁起が記されているのがこの碑。
大体ここまで説明してきたような話が、もっと細かーく書かれています。
全文書き出してもいいのですが、無駄に長くなるので、どーしても中身が読みたいって人はこのブログを参考にしてください。

 

>> はじかみ神主のぶろぐ

 

この中に松の話がありまして、藤五郎が休憩に使ってた松ってのがかつてこの辺に「あった」そうです。
「あった」ってのは枯れてなくなってしまったって事なんですが、今は二代目が植えられている、と碑には書かれています。
でもどうもこの二代目ってのもその後枯れてしまったそうで、現在は三代目が植えられています。

 

三代目の松

 

これがその三代目。
小っさ!

 

高さは大体大人のヘソくらい。
ひ弱のヒョロヒョロで、まだ添え木で支えられているような状態です。
あまりに貧弱。
あと20年もすれば立派な樹姿へと成長をとげるのでしょうが・・・まあ。

 

20年もしたらわたしの方が死んでるわ(老)。

 

芋堀藤五郎神社の拝殿

 

拝殿です。
流造(ながれづくり・後ろより前の方が屋根が長い)の一間社(いちげんしゃ・柱が四方に1本ずつ)。
昭和晩期の建造なので、ようやく古みが出て来たかな?くらいの状態。

 

社殿自体には特にユニークな点はないですね。
ごくごくオーソドックスな造り。
ただちょっと気になる点が一点ありまして、それがこれ。

 

拝殿に置かれた逆置きの狛犬

 

狛犬、置き位置が逆や(汗)。

 

例外もあるので絶対って訳ではないのですが、基本的に狛犬は社殿に向かって左が「うん」、右が「あ」。
でもこの狛犬、逆に置かれています。
何か意図があって敢えてこうやって置いたって考え方もできますが、まあないでしょう。
多分何も知らずにテキトーに置いたのでしょう。
実際拝殿前のでっかい方の狛犬はちゃんとセオリー通り、左が「うん」右が「あ」の位置で置かれています。

 

繁盛大黒天の祠

 

拝殿の左側にも小さな祠がひとつあります。
こちらは繁盛大黒天。
大黒さまですね。

 

大黒さまはいいとして、なんでわざわざ頭に「繁盛」って付いてんの?って感じですが、恐らく藤五郎伝説との絡みでしょう。
藤五郎=砂金ザクザク=大金持ち、の図式から、金運のご利益があると言われる大黒さまも合わせて祀ることで、さらなる金運アップを目指しているのです。

 

人の持つおカネへの飽くなき欲望。
実に醜い・・・・。



でも。



おカネ大好き♪(←お前が一番醜い)

 

芋堀藤五郎神社の忠霊塔

 

境内には忠霊塔も建っています。
台座につらつらと由来が書かれているのですが、言葉遣いも含めてメチャメチャ読みにくく、かなり解読難易度大。
でも頑張って読んでみると、日清戦争以降の戦没者の英霊を祀るための碑、というような事が書かれています。

 

戦争なんて考えたくもないですわな。
でもいつの世も、そして現在も、この世界から戦争がなくなった瞬間というのはありません。
戦争が過去の事になる日ってのは本当にやって来るんですかね?

 

藤五郎の祠碑

 

藤五郎伝説を元に建てられた芋堀藤五郎神社。
山の中腹にあるちっちゃーいちっちゃーい神社ですが、でも「金沢」という地名を生んだ藤五郎を祀る神社です。
金沢人ならぜひ一度はお参りを。
そうでない人ももちろんぜひ!
しっかり手を合わせて「おカネ~~おカネ~~」と祈れば、財布くらいは拾うかもしれませんよ。

 

 

ネコババしたらアカンけどな(笑)。

 

 

芋堀藤五郎神社

住所:石川県金沢市山科

 

 

 


AASHIRWAD マトンカレー 本格派インド・ネパール系カレーはアジアンテイスト全開!

2021年10月25日

AASHIRWAD マトンカレー

 

この日はお散歩日。
てっくてっくとひたすらお散歩。
程よく歩いたところでそろそろお昼。
さ~てドコで食うべかな~?としばらく考えて選んだのがAASHIRWAD(アシルワード)、インド・ネパール料理のお店です。

 

まだちょっと時間が早かったこともあり、先客ナシ。
空いているテーブルに案内され、メニューを渡される。
選べるカレーはバターチキン、キーマ、マトン、セミベジタブルの4種。
いずれもヨダレじゅるじゅる♪

そんな中、じーっと悩みまくって選んだのが”マトンカレー”。

 

それでは本日はアシルワードにて”マトンカレー”を。
ザ・インド人気分で食べたおします。

 

アシルワードのマトンカレー

 

マトンカレー。

 

ルーはペースト感強め。
ドロンコどろ~んと口の中に流れ込む。
味はスパイスばっしばしで、チリチリとした刺激が口の中をまんべんなく焼いていく。
ただ辛さはさほど強烈でもなく、まあ辛いんだけど、火を噴くようなレベルではなく、ごく常識的な辛さ。

 

中には大振りのマトン(羊肉)がゴロンゴロンと4粒。
肉質ほろほろと柔らかく、噛むと肉の繊維がパラパラほどける。
味は妙に抜けててスッカスカ。
脂がほぼないせいか、溶けるような甘みやうま味が皆無。
ちょっと退屈。

 

アシルワードのナンとカレー

 

このスパイシーなカレーをナンと一緒に。

 

ナンは巨大。
顔をごしごし拭けそうなくらい(←?)巨大。
皮は薄くてパリパリで身はもっちり、空気をたっぷり含んでてふっかふか。
口に含むと最初パサつくけど、唾液で湿るとねっちょりと粘りだし、さらりとした甘みをしみ出す。

 

ここにスパイシーなカレールーを塗りたくるともう最強。
ナンのもっちり感とカレーのスパイスが溶け合って、刺激と甘みバチっと重なり合って。
味のボリュームが大爆発!



後はもうナンにカレーを塗っては食べ、塗っては食べ、塗りたくっては食べ。
時々カレーを直接スプーンでずずっとすすって。
さらに塗っては食べ、塗っては食べ。

 

完食。



アシルワードの”マトンカレー”。
スパイスがド真ん中に生きたドロんこカレー。
家庭では味わえない、本格的なインドカレーの味に、満足感満点の幸せを楽しめました♪

 


ごちそうさま。





 

[参考]
・マトンカレー:1,100円

 


 

 

インド・ネパール料理レストラン AASHIRWAD

住所:石川県金沢市長町 1-4-59

TEL:076-262-2170

ホームページ:AASHIRWAD公式サイト

 

 

 


加賀藩十村役 喜多家 喜多蔵編◆まばゆいお宝の数々に身をよじれ

2021年10月23日

加賀藩十村役喜多家の喜多蔵

 

3回に渡ってレポートしてきた加賀藩十村役(とむらやく)喜多家。
今回はいよいよ最終回、喜多蔵についてレポートします。

 

喜多家は加賀藩から十村役を任じられたほどの家柄。
当然この地方における有力者でしたし、それ相応の財力もありました。
そんな喜多家に代々伝わってきたお宝の展示・公開をしているのが、こちらの喜多蔵です。

 

喜多蔵のロビー

 

館内に入ると、いきなり吹き抜けの開放的なロビー。

ここまで見てきた江戸時代感が一気に吹っ飛ぶようなスタイリッシュな内装。


窓から覗く青々とした植栽がいいですね。
まるで1枚の絵画のよう。

 

右手に見えるでっかいレリーフみたいなヤツは家紋です。
当然喜多家の家紋。
「丸に一つ引き」って名前なんだそうです。

多分元々蔵の壁に付けられていたものを引っぺがしてレリーフに作り直したんじゃないですかね?

近くで見るとどことなーく使用感があるし。

 

この家紋、他にも館内のアチコチに見られます。
興味があったら探してみてください。

 

角偉三郎の能登渡る風

 

壁面にはオブジェ。
角偉三郎(かど いさぶろう)の「能登渡る風」という作品です。

 

角偉三郎というのは能登出身の工芸作家で、漆を用いた漆芸作品を数多く残した人です。
こちらもそのひとつで、木を用いて「風の形」を表現しています。
能登の風と言えば、冬の厳しい日本海の風をイメージしがちですが、この風は見るからに温か。
恐らく「大自然の厳しさ」よりも、能登という土地にあふれる「人間味に満ちた温かさ」みたいなものを、風というモチーフを通して伝えたかったのでしょう。

 

喜多蔵の第1展示室

 

その先にあるのが第1展示室。
喜多家の歴史を軸に、多くの品が展示されています。

 

結構ね、色々あるんですわ。
銅銭やら古文書やら生活道具やら。

 

よくまあ残ってますわね。
普通はいらなくなったものなんてジャンジャン捨てちゃうんですけどね。
不用品もこうして200年300年経つと、骨董品としてめっちゃめちゃプレミアが付くんですね。

 

喜多家の甲冑

 

この甲冑なんて魅かれますわね~♪
イミテーションじゃなくて本物ですからね。
やっぱ貫禄が違いますわ!

 

胴に描かれている剣梅鉢紋の家紋は、言わずと知れた加賀の殿さま、前田家の家紋。
なんでもこの甲冑、前田家ゆかりの品なんだそうです。
何かで手柄を立てて拝領したものなのでしょうが、その辺の詳しい経緯については不明。

 

第2展示室

 

続いて2階に上がると第2展示室。

 

こちらは工芸品を展示してあります。
屏風やら漆器やらなんやら色々。
この手の美術品や骨董好きには多分ハードずきゅん!な場所。

 

源平合戦図屏風

 

中でも一番目を引くのがこの金屏風ですね。
「源平合戦図屏風」。
制作者は不明、江戸時代のものです。

 

とにかく画面全てが見所なんですよ。
表情豊かな人物の様子、幻想感あふれる空間構成、流れるような細い線、おぼろ気な色の配置、そんな諸々のエッセンスが入り乱れ、大画面から飛び出すような勢いでバーン!

 

こんなの飾ろうと思ったら、部屋にもそれなりの強さが求められるな。
壁に穴開いてるウチの部屋なんかじゃ余裕ぅ~で無理だな。

 

あ、壁に穴開けたのわたしです。(謎)

 

喜多蔵のふたつの仏像

 

もうひとつ目を引かれたのがこちら。
ぶ・つ・ぞ・お~~♪♪

 

なんたってわたくし、仏像LOVE♪ですのでね。
仏像ってだけで0.1秒で喰い付いちゃいますわ♪

 

何の仏さまなのかについては説明がなく不明。
わたしも分かりません。
なんでしょうね?
インド系の神さまかな?

 

第3展示室

 

さらにその奥にあるのが第3展示室。
展示されているのは陶磁器色々と掛け軸が2幅。

 

どれも江戸時代の作品らしいですが、完全な工芸品ですね。
そこら辺に売ってるメシ食うための茶碗や皿とは明らかに毛並みが違う。
こんなのを収集してたんですから、相当カネあったんでしょう、喜多家。
ええ~生活してたんだろうな~。

 

加賀藩十村役喜多家の喜多蔵の入口

 

以上、喜多家に伝わるお宝を展示した喜多蔵のレポートでした。

 

十村役という名誉職を代々拝してきた喜多家。
今回紹介したお宝の数々も立派ですが、やっぱり一番の目玉は何と言っても屋敷。
ここに来たらまずは屋敷をじーっくりご鑑賞ください。
藩政期の時代感みたいなものが感じられて、楽しいですよー。

 

 

加賀藩十村役 喜多家

住所:石川県羽咋郡宝達志水町北川尻 1-1

TEL:0767-28-3199

ホームページ:宝達志水町観光サイト

 

 

関連タグ >> 美術館・博物館 加賀藩十村役 喜多家 

 


加賀藩十村役 喜多家 室内編2◆最強の喰い付き所は「ココ」だ!

2021年10月20日

加賀藩十村役喜多家の溜りの間

 

前回に引き続き喜多家邸内の様子を見て行きます。
今回は家主が生活用に使っていたスペースです。

 

まずは「溜りの間」。
これは前回も見た部屋です。
ただ見て欲しいのは部屋の様子じゃなくて天井。

 

溜りの間の天井

 

こんな感じね。
梁と束が剥き出しになっています。
一見何の違和感もないですが、実はこの剥き出し天井にはある意図が隠されています。

 

これ、天井裏に部屋を作らせないため、わざと剥き出しにさせてあるんですね。
なんで天井裏に部屋があっちゃダメなのかと言うと、見えない所でコソコソよからぬ相談をするのを防ぐため。
加賀ってのはかつては一向一揆の盛んな土地でしたからね。
土着農民たちが結束して行動を起こすことに、過剰に神経を尖らせていたのでしょう。

 

喜多家の台所

 

その奥には台所。
その名の通り炊事場ですね。
外側が土間になっていて、煮炊きのための釜戸なんかもあります。

 

ここ、やけに壁や柱が黒くなっている事にお気付きでしょうか?
これは囲炉裏や釜戸から出るススのため。
火を焚けば当然煙が出ますからね。
その煙にいぶされる事で、こうして黒く染まったのです。

 

お寝間

 

その台所から部屋をひとつまたいだ先にあるのが、こちらの「お寝間」。
家人の寝室だった場所です。

 

今はご覧の通りテーブルとイスがでーん!
壁には油絵なんかも掛けられています。

 

実はこの屋敷、結構最近まで実際に人が住んでいました。
でも東京だったか横浜だったかに移って、今は無人。
その当時の生活の跡がこのテーブルとイスなんですね。
なので妙にこの部屋だけ時間が現代っぽくなっています。

 

書院の間

 

こちらはお寝間の向かいにある「書院の間」。
数寄屋風の座敷になっていて、奥には簡易の床の間もしつらえられています。

 

実はこの部屋、わたしがこの屋敷で最も喰い付いた場所です。
何に喰い付いたって、そりゃアレですわ。
床の間に置いてあるコレ。

 

仏像コレクション

 

仏像コレクション~~♪♪♪

 

なによ?
なんでこんな素敵なモノが突然こんなトコに置いてあんのよ?
しかもなんかすげー仏像のクオリティ高いし。
うっわ欲しいわ~♪
このコレクション、丸々欲しいわ~♪

 

ちょーだーーーーい!!!(←ダメ)

 

おへや その1

 

階段を挟んでその隣にあるのが「おへや」と名付けられたふたつの部屋。
8畳間の和風座敷です。

 

ここもかつての家人の暮らしていたスペースですね。
今は見学用にさっぱりさせてますが、昔はテレビとか置いてあったんじゃないですかね?
なんとなーくソレっぽい空気感みたいなのが残ってるし。

 

壁の色が違うおへや

 

このふたつの部屋だけちょっと壁の色が違います。
なぜか緑。

 

この緑、ナンか意味あるんですかね?
江戸時代からこの色だったのか?
比較的最近、なんとなーくこの色で壁を塗っちゃったのか?
その辺、不明です。

 

多分そんなに深い意味はないと思うけど。

 

表面がうねっているガラス

 

部屋横にある廊下沿いのガラスにもちょっと注目。
このガラス、画像じゃ分からんけど、表面が妙ぉ~にうねっています。
なんか雑。

 

これ、古いガラスの特徴なんです。
今のガラスはきれーなフラットなのが普通ですが、昔のガラスってのはこうして表面がうねうねしていました。
恐らく明治~大正期くらいのものでしょう。

 

いいですね~、うねうねガラス。
ホント古民家って、ガラス1枚にまで味がありますわ!

 

加賀藩十村役喜多家の本座敷

 

最後に「本座敷」。
家人が使う、最も格の高い部屋です。

 

奥は左が床の間、右が床脇。
両方ともたっぷりと横幅が取られています。

 

そして壁の色。
ビビッドな弁柄色です。
江戸時代に平民である家人がこの色を使えたとはちょっと考えにくいので、この壁は後から塗り替えられたのかもしれません。
恐らく明治期以降にリメイクされたのでしょう。

 

喜多家の台所の囲炉裏

 

以上、長々と見てきた加賀藩十村役(とむらやく)喜多家の屋敷。
が、まだ終わりません。
もうちょっと続きます。
次回は敷地内にある喜多蔵のレポート。
江戸期から続く名家、喜多家のお宝がズラリと展示してある秘宝館です。
ここもね、なかなかいいモノが見られるんですよ。

 

詳細は次回!

 

 

加賀藩十村役 喜多家

住所:石川県羽咋郡宝達志水町北川尻 1-1

TEL:0767-28-3199

ホームページ:宝達志水町観光サイト

 

 

関連タグ >> 古民家 古建築 加賀藩十村役 喜多家 

 


加賀藩十村役 喜多家 室内編1◆武士、ナンボのもんよ!?

2021年10月18日

加賀藩十村役喜多家の溜りの間

 

前回は喜多家の門から母屋の入口までを見てきました。
今回はいよいよ屋敷内部へと潜入します。

 

まず最初に目にするのが「溜りの間」と呼ばれる部屋。
畳数で約17畳半、結構な広さです。

 

ここ何の部屋かと言うと、会議室です。
ここで村の寄り合いを開き、様々な決め事をしていたのです。
だから「溜り」なんですね。

 

加賀藩十村役喜多家の見取り図

 

ではここで屋敷の見取り図を確認します。
全体の間取りはざっとこんな感じ。
ピンクのゾーンが武士用スペースで、黄色のゾーンが平民用のスペースです。
基本この間を両者が行き来することはありません。
それが江戸時代のザ・身分格差社会のルールなのです。

 

その痕跡はこんな所に見られます。

 

床面の段差

 

分かります?床面の高さが違うの?
向こうが武士スペース、手前が平民スペース。
武士スペースの方が一段高くなっています。

 

カーストですねー、ガッチガチのカースト制度。
お前ら平民と我々武士が同じ床面を歩けるか!っていうくだらないプライドがこの床の高さに表されているのです。

 

いやー面倒臭い(笑)。

 

広間

 

その先にある武士スペースがこちら。
「広間」と呼ばれる部屋で、約21畳あります。
ここで武士の役人たちは執務を行っていたそうです。

 

ただいつもかも役人が詰めていたのかと言うとそうでもなく、たまにチョコチョコ来ていた程度だったようです。
じゃあこんな立派なスペースいらんだろうと思うのですが、そこは威張りくさった武士。
無駄に部屋を広く取って、優越感に浸ってたんでしょうね。

 

調詩所

 

その部屋の庭側に「調詩所」と呼ばれるスペースがあります。
ここ何かと言うと、聞き取りを行う場所です。
この前が桟敷になっていて、そこに村の者を呼び出し、アレやコレやと直接やり取りをするのです。

 

話の内容は主にその年の米の収穫状況の事。
豊作だったとか不作だったとか、そこからどのくらい年貢を納められるのかとか。
そんな現場からの生の声をここで吸い上げていたのです。

 

調詩所の格子

 

そのための工夫がこちらの格子。
画像じゃ分かりませんが、三角形になっています。
外側が頂点、室内側が底辺。
こうする事によって外から中は見えにくく、中から外は良く見えるようになります。

 

人って面と向かうと本音が言いづらくなりますよね?
だから外から中を見えなくすることで相手の顔を隠し、遠慮なくモノを言えるようにしてあるのです。
役人側もそれなりに気を使ってたんですね。

 

喜多家の武台の間

 

その隣が「武台の間」。
ここは前回記事で見た、殿さま専用の入口に繋がる部屋です。

 

見て欲しいのが畳の敷き方。
独特でしょ?
部屋中央に縦方向にすぱっと通してあります。

 

この畳、殿様の通路なんです。
専用玄関から入ってきた殿さまは、この縦敷きの畳ロードをのしのし通って奥へと進むのです。

 

謁見の間

 

その先にあるのがこちらの「謁見の間」。
その名の通り、殿さまが客や部下と謁見するための部屋です。

 

あれ?と思いません?
そう、ここだけ壁の色が変わっています。
突然の弁柄色。
これも殿さまの権威の象徴なんですね。
壁を紅く染める事で、ここにいる殿さま、エライんだぞ~って事を表現していたのです。

 

御座の間

 

その隣の隣にあるのがこちらの「御座の間」。
ここは殿さまのプライベートルームです。
要は寝室。
喜多家滞在時は、基本ここで過ごしていたそうです。

 

この部屋ね、面白い仕掛けがあるんですよ。
それは床の間の壁。
この壁の向こう、どうなってると思います?

 

武者かくし

 

こんな感じ。
「武者かくし」と呼ばれる3畳の部屋になっています。

 

そしてこの武者かくしと御座の間、なんとどんでん返しで繋がっていました。
どんでん返しってのは忍者屋敷なんかでよく見る、くるっと回る壁ね。
あのどんでん返しが床の間の壁に仕掛けられていたのです。
目的はもちろん殿さまのガード。
いざという時にすぐに隣の部屋に飛び込めるよう、緊急用の出入り口を確保してあったんですね。

 

武者かくしのどんでん返し

 

ただこのどんでん返し、現在は残念ながら壁に埋め込まれてなくなっています。
画像左側の枠部分が本来その場所なのですが、ご覧の通りがっちりクローズ。
叩いても蹴ってもくるんと回転してくれません。

 

コレ、なんで埋めちゃったんですかね?
クルっとやりたかったなー、どんでん返し。
今からでももう1回作り直してくれんかな?

 

加賀藩十村役喜多家のる庭の眺め

 

こちらは御座の間から見える庭の眺め。
前回記事で見た通り、この屋敷はくぼ地に建てられているので地面が上に向けて傾斜しています。
なので圧迫感が強く、奥行きがイマイチ。

 

樹木が鬱蒼と生い茂っているのは、景観のためというより恐らく実用上の都合でしょうね。
ひとつは屋敷を目立たなくするための目隠しとして。
そしてもうひとつは防風林として機能させるため。
正直あんまり見て楽しめる庭って感じじゃないですね。

 

待機部屋

 

以上、喜多家の武士&殿さま用スペースを見てきました。

 

江戸時代の格式ばった習慣をリアルに実感できる、タイムトリップハウス。
当時の堅苦しい空気みたいなものを想像しながらご見学ください。

 

次回は今回見てない、平民用のスペースを見て行きます。
こちらは本当の生活空間。
所々にかつての生活の痕跡が残ってて面白いですよ~。

 

 

加賀藩十村役 喜多家

住所:石川県羽咋郡宝達志水町北川尻 1-1

TEL:0767-28-3199

ホームページ:宝達志水町観光サイト

 

 

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