
和倉温泉お祭り会館 腰痛持ちの方は覚悟してご覧ください
2021年11月20日

祭りだ!祭りだ!わっしょい!わっしょい!
和倉温泉お祭り会館はそんな場所です。
好きなんですわ、能登の人ってのはお祭りが。
1年中アッチコッチで絶え間なくお祭りやってるってくらいお祭り大好き。
しかも派手。
それがこの土地に生きてきた人々のDNAなんでしょうな。

まずは内部の構造。
入り口入って左手が受付、その先が展示エリアとなります。
この図面でなんとなーく分かるかと思いますが、この会館、元々はホールを備えた施設でした。
旧名『和倉温泉観光会館』。
それが2020年にリニューアルされ、現在の和倉温泉お祭り会館へと姿を変えました。

館内では「青柏祭(せいはくさい)」「石崎奉燈祭(いっさきほうとうまつり)」「お熊甲祭(おくまかぶとまつり)」「能登島向田(のとじまこうだ)の火祭」の4つの祭りが大きく紹介されています。
展示室中央にはそれらの祭りを象徴するデカい山車がバンバーン!
そんなに狭いスペースじゃないんですけどね、この山車がバカみたいにデカいのでとにかく狭い!
何が悲しくてこんなにデカいの作ったのよ?と思わずツッコミを入れずにはおられないくらいのデカさ。
とにかく圧巻!です。

こちらは石崎奉燈祭に使われる奉燈(ほうとう)と呼ばれる山車。
全長8.9メートル、高さ12.9メートル、重さ2トン。
これを大勢の男衆でかつぐんです。
かつぐんですよ、2トンを!
いやー考えたくねーな。
わたしも七尾の石崎町に生まれてたらコレかつがされてたのかな?
無理!無理!無理!
腰折れるわ!

その隣にあるのがお熊甲祭の枠旗(わくばた)。
全長10メートル、高さ16.2メートル、重さ不明。
これもかつぐんだそうです。
なんでこんなのかつぎたがるのかね?
だって重いのよ!?
重いのかついだら腰にクるのよ!
腰ヤっちゃうと下手すりゃ一生引きずっちゃうのよ!
こんな祭り毎年やってる七尾の中島町、怖ぇーーー!!

最後の3つめ、青柏祭のでか山。
全長13.5メートル、高さ14.8メートル、重さ20トン。
車輪が付いてることからも分かる通り、これはかつぎません。
良かった♪良かった♪
ただね、問題がひとつあります。
それは方向転換。
この車輪、車のタイヤみたいにクネクネ動かないんですね。
なので方向転換する時は片側の車輪をくさびみたいなヤツで固定して、あとは力技でエンヤコラ!と向きを変えるのです。
うーん・・・。
コレもコレでキツそうだな・・・(怖)。

ぐおお~~っと燃え盛る炎。
能登島向田の火祭の火柱です。
その高さ実に15メートル!
でもこれでも実は半分。
本物の火柱は30メートルにも及びます。
30メートルと言えば法隆寺の五重塔とほぼ同じ高さ。
そんな巨大な火柱がぼおーーーっと立ち上がるのです。
なんでもデカきゃイイってもんでもないんですけどね。
でもここまでデタラメにデカいと逆に拍手ですわ。

祭りの様子を紹介する巨大スクリーン。
おねーちゃんの笑顔が素敵です♪
ただね、このスクリーン、デカいのはいいんですけど近いんですわ。
やたら近いんですわ。
おかげで見難い!見難い!
せめてあと10メートルほど距離もらえんですかね?
でもおねーちゃんの笑顔は素敵だけどね♪(←しつこい)

このスクリーンを使ってイベントが行われています。
お祭り疑似体験。
ここまで紹介してきた4つのお祭りをゲーム感覚で楽しめます。
わたしがやったのは石崎奉燈祭の疑似体験。
スクリーンに写されるタイミングに合わせてステップを踏むというヤツです。
忠告します。
ヲッサン独りで参加するとかなりツライです、メンタル的に。(謎)

七尾のお祭りを紹介する和倉温泉お祭り会館。
デカいですよー、山車。
まースゴイですわ、
これだけでも一見の価値あり。
七尾のダイナミックなお祭りの雰囲気だけでも感じてみたいって人は、ぜひ一度ご来館ください。
それでも消化不良な人は、スケジュールを合わせて生のお祭りをどうぞ。
能登人のエネルギーの爆発、肌で感じてみて下さい!
関連タグ >> 美術館・博物館
風と砂の館 ザ・内灘な歴史と人の紡いだ痕跡を見よ
2021年11月17日

内灘町の歴史や文化を紹介した施設、それが風と砂の館です。
「風と砂」なんて集客施設に付けるにはふさわしくない、えらく寒々しいネーミングですが、その意味は現場に行けば分かります。
場所は内灘砂丘の上。
海風びゅーびゅー。
なるほど「風と砂」だわ(笑)。

まずは館内マップから。
建物は2階建てで、1階に3つ、2階に1つの展示室で構成されています。
各部屋には「粟ヶ崎遊園」「内灘闘争」「世界の凧」「弥生時代&大正・昭和の時代」のテーマが設けられており、それぞれに合わせた展示が行われています。
ぶっちゃけかなりカオス。
ある程度内灘という土地の近代史を知っていないと、イマイチ喰い付きにくい内容となっています。
どうか入館に際しては、期待値のハードルをあまり上げないようお願いします。(←?)

まずは一発目、粟ヶ崎遊園コーナー。
粟ヶ崎遊園ってナンじゃ?って人がほとんどだと思いますが、大正14年に造られた娯楽施設です。
敷地面積実に6万坪(東京ドームの4倍強)、遊園設備だけではなく、劇場や動物園、旅館に大浴場まで備えた一大エンターテイメントスペースでした。
モデルはズバリ宝塚。
「北陸の材木王」と呼ばれた平澤嘉太郎(ひらさわ かたろう)が私財35万円(現在の価値で約40億円)を投入し、なんと鉄道まで引っ張って作り上げました。
が、時代は日中戦争から太平洋戦争へと向かう真っただ中。
あえなく事業はコケ、昭和16年に寂しく閉園となったのです。

こちらは操業当時の模型。
スゲーな。
壮観だったろうな、この規模。
これ全部残ってれば、今頃強力な観光資源になってたんだろうけどね。
今じゃドコにあったのかも分からないくらい跡形もなくなってます。
でもね、ほんの欠片ですが当時の断片が残ってるんですよ。

それがこちら。
粟ヶ崎遊園の本館入口。
風と砂の館の前庭にあります。
思いっ切り西洋建築を模してますね。
アーチ形のゲートとその両脇にフルーティング(縦型の溝)を施した円柱(を真似た装飾)。
アーチ部分のギザギザ模様がちょっと意味不明ですが、まあこれが大正時代はスーパーモダンだったのでしょう。

続いて内灘闘争コーナー。
内灘闘争、は?ナニ?って感じでしょう。
これね、非力な地域住民が強権ガンガンな国と戦った基地闘争事件です。
時は昭和27年、朝鮮戦争がドンパチ行われていた頃。
国がここ内灘の砂浜を、アメリカ軍の試射場にすると言い出したのです。
納得いかないのは地元住民。
凄まじい反対運動を展開し、徹底的に抵抗しました。
最終的には国に力ずくで押し切られる結果となったのですが、日本史上初の大規模な基地反対闘争として今も語り草となっています。

見て下さい、このおばーちゃん。
目が真剣です。
そりゃそうですわね。
自分の生まれ育った土地が米軍の演習場になっちゃうんですからね。
今も頻繁に起こる沖縄米軍の不祥事問題を考えると、当時のこの反応は正しかったと言えます。
もし内灘がそのまま米軍基地になっていたら、なんて考えるとゾっとしますわ。

世界の凧コーナー。
なんで凧?って気がせんでもないでしょうが、内灘の砂浜は広くて、風が強くて、凧を上げるには最適な環境なんです。
ゆえに毎年5月には「世界の凧の祭典」なるものが行われています。
その名の通り砂浜のあちらこちらで凧が上げられ、地元では必ずニュース番組でその模様が紹介されます。
正直、わたしこのイベントには行ったことないんですけどね、結構楽しいらしいですよ。
おヒマな方は行ってみて下さい。

その部屋の一角にあるのがこちら、孔雀のタペストリー。
これ何かと言うと、先に紹介した粟ヶ崎遊園の大浴場に貼られていたタイル画の復元です。
床に並べられているのがそのタイル画の現物。
なんでも粟ヶ崎遊園解体の際、町民がこのタイルをもらってずっと保管していたそうで。
それが平成8年に内灘町に寄贈され、同27年に復元再構成、それをさらにデジタル処理して復元したのがこのタペストリーです。
いやー見事。
これ屏風にして飾ったらカッコイイーだろうなー!

そして2階に上って弥生時代&大正・昭和の時代のコーナーです。
部屋全体がすげーノスタルジック。
失われた近現代の空気感がむんむん漂っています。
素朴だったんですね、この頃はまだ。
今みたいにテレビも携帯もなかった時代。
たった100年ほどで、人々を取り巻く環境はこんなにも変わったんですね。
そんな感傷にひたる中、やたら目につくのがこちら。

リアル過ぎやろ、このマネキンねーちゃん。
どんだけ精巧やねん?
なんか今にも動き出しそうやし。
そして美人だし♪
うわー!
持って帰りてぇー!!!!(←変態か?)

こちらは民家の居間の再現。
板床の中央に囲炉裏、その周囲にむしろが敷いてあります。
あと時代を感じさせるソレっぽい小道具がゴチャゴチャ。
恐らくイメージとしては、ごく一般的な漁師の家って設定だと思うんですけどね。
それにしちゃ、奥の木製の引き戸がやけに高級感あんですよね。
漆仕上げの枠に杉板を張って、そして引手には装飾付きの大振りな金具。
素材は真鍮かね?
もうちょっと貧乏臭いボロ戸にした方がリアリティ出るだろ~(笑)。

時代感チグハグですが、こんなものも出ているそうです。
縄文・弥生時代の遺物。
知らんかったですわ。
内灘で縄文や弥生時代の土器が出てたなんて。
しかも中には鉄器まであるし。
海辺のこんな塩気の強い所でも残るんですね、鉄器。
よーサビてなくならんかったもんやな。

内灘の近代史が見られる風と砂の館。
正直言って地味な所です。
びっくりするような展示は何もありません。
でもその素朴さやローカル色の強さが妙に心に残る、そんな不思議な施設です。
どうぞ軽い気持ちで内灘の近代史や文化をご観覧ください。
すぐ隣には入浴施設があります。
内灘の潮風を浴びたついでにちょっとひとっ風呂、って楽しみ方もできますよ!
関連タグ >> 美術館・博物館
鷹王山 長楽寺 その2 クライマックスの不動明王像にアレ?
2021年11月15日

石動山の仁王門を今に引き継ぐ長楽寺(ちょうらくじ)。
前回はその仁王門と、ふたつのお堂を中心に見てきました。
今回はさらにその先の境内の様子を見ていきます。
まだまだね、面白いところいっぱいあるんですわ!
ちなみにこれは寝地蔵。
枕にしてるのは木魚ですね。
肩と腰にチョロついてんのはネズミです。
意味分からんけど(←?)いきなり素敵だ~♪

そしてこれも面白い。
その名も『昇龍瑞法松』。
なんか枝の下にぐるりとループ状のものがありますが、これ幹です。
え?幹?と思われるかもしれませんが、正真正銘松の幹です。
多分この形になるように意図的に育てたのでしょう。
どーやってこんなん作るんですかね?

鐘楼。
これはまあまあオーソドックス。
石垣の基壇、内転び(上に向かってすぼまる形)の柱、黒瓦の切妻屋根。
ぶっちゃけオンリーワンな特徴はありません。
それよりも!
すぐ脇にある犬小屋に繋がれてる犬がまーよー吠えるのですわ。
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん吠えまくり。
わしナンも悪いことしてないでー!
人相悪いけど。

そしていよいよ奥の院へ。
入口はこちら、本堂予定地の脇にある細道。
ここをテクテクと進みます。
なお。
この時点でもまだ犬は大音量で吠えまくってます。
そんなに人相悪いか?(※悪いです)

その先にいきなり現れる石仏6体。
左から順番に天女、十一面観音、地蔵菩薩(下)、地蔵菩薩、不動明王(かな?)、地蔵菩薩。
この石仏群、ご覧の通り統一感ゼロ。
多分寄せ集めなのでしょう。
廃寺や道路拡張なんかで行き場のなくなったものを、このお寺で引き取ったんでしょうね。
ちょっと哀愁漂う石仏群です。

その右手、木立に隠れるようにして滝があります。
一筋の水がチョロチョロ落ちる、質素~な滝。
この滝、よく見ると左右に石組み、中央には縦長の大岩が据えられています。
つまり人工。
ハッキリ言って庭に力を入れてるってお寺じゃないんですけどね。
それだけにこの滝の存在がメチャメチャ異質。
え?なんでここで突然こんな気合の入った庭園風の滝があんの?みたいな違和感。
でも。
素敵です♪

再び奥の院へとつながる階段へ。
この階段が長くてね、そして勾配キツくてね。
結構疲れます。
ふーふー息切れします。
無理のないペースで登ってください。

そして登場、奥の院。
古っ~い木造のお堂が建てられています。
・・と思いきや、下部は鉄筋コンクリート、その上に木造建築。
謎ですね、なんでこんな事になってんのか。
多分元々あったお堂の下部分が腐ったのでそこだけ鉄筋コンクリートにすげ変えて、状態の良かった上部分はそのまま残した、と考えられるのですが。
それにしてもハンパないチグハグさ。
結構ズッこけます。

が、中は違う。
ガッチガチの宗教空間。
薄暗い室内に不思議な霊力が満ちています。
上にあるコンクリの梁、中央部分が黒くすすけているのが分かりますでしょうか?
これ護摩の跡ですね。
護摩とは炎をバチバチ焚いて仏に祈りを捧げる、あの密教儀式です。
そして炎を司る仏さまと言えば、そうあの仏さま。

不動明王~~♪♪
中央に不動明王、左右に脇侍(わきじ)を従えた三尊像形式ですね。
左が矜羯羅童子(こんがらどうじ)、右が制多迦童子(せいたかどうじ)。
ただこのお不動さん、妙にカッコ悪くないですか?
顔デカ、短足、謎に長細い火炎光。
これには理由があります。

このお堂、実は床下にも入口があります。
そして下アングルからこの不動明王像を見られるのです。
つまりこの仏像、下からの目線を意識して作られているんですね。

そしてこちらが下から見上げた不動明王像。
・・・・・・・。
やっぱイマイチだな(汗)。
多分やり過ぎたんじゃないですかね。
この仏像、下から見上げたアングルを意識して作られたってのはほぼ間違いないと思います。
ただ制作者の意図ほど上手く遠近の強弱が機能しなかったようで。
結果、こんなアレ?な出来になってしまったのでしょう。
おかげで普通に作った脇侍の矜羯羅童子と制多迦童子がスッゲーかっこいいわ(笑)。

最後の最後がツッコミ所満点になってしまった長楽寺。
でもね、いいですよー。
お寺全体の空気、周囲の山林が作り出す生命感、そして数多くの仏像。
充実感抜群です。
少々アクセスが良くないのが玉に傷っちゃー傷ですけど、それを補って余りある楽しさがあります。
お寺好きな人、仏像好きな人、ぜひ訪れてみて下さい。
きっと満足してもらえると思います。
あ、人相の悪い人は犬に注意してくださいね。(←?)
鷹王山 長楽寺 その1 ザ・仏像天国のパラダイスなお寺♪
2021年11月13日

中能登町の山間にあるお寺、長楽寺(ちょうらくじ)。
山門がカッチョイーお寺です。
場所は結構僻地。
車がないと無理!無理!無理!な場所です。
しかも建ち並ぶ民家の奥にあるので、さらに発見ハード。
ナビを駆使して頑張って探してください。

その艱難辛苦(?)の先にあるのがこの山門。
堂々たる風格でガッシーン!
いや~素晴らしいわ。
横方向にビッと伸びる入母屋屋根。
その下にずんと伸びる8本の太い柱。
『鷹王山(たかおうざん)』と大書された扁額。
圧巻の迫力!

実はこの山門、いただきものです。
元々は石動山にある天平寺ってお寺にあった門でした。
それが廃仏毀釈のあおりで居場所を失い、この場所に移設されたのです。
ありがたいね。
もし移設されていなければ、多分バラされて薪になって燃やされていた事でしょう。
実際そういう運命をたどった建物がたくさんありました。
残ってれば貴重な文化財だったのにね。

入口左右にある脇間には屈強な仁王像。
これがもう強烈でね。
デカ顔、マッチョ、短足、巨躯。
でもこのアンバランスさが妙な力強さを生んでいて、息を飲む迫力!
特に眼力がスゲーわな。
玉眼(ぎょくがん・石の義眼)がはめ込まれてて、霊力ギンギン。
今にもレーザービームが飛んできそうなくらいの生々しさ。

その山門を抜けると、いきなり空き地。
立て看板には「本堂予定地」と書かれています。
この場所、2016年まではちゃんと本堂が建っていました。
それが火事で全焼。
その際貴重な平安時代の大日如来像や鎌倉時代の弘法大師坐像も一緒に燃えちゃったんだそうで。
もったいないね。
現在は右手に仮堂を建てて代用しています。

境内左手には納骨堂。
ここがまたスバラシ~♪
何がスバラシイって、仏像のコレクション。
いっぱいあるのですよ、仏像が。
外にも仏像、中にも仏像。
ザ・仏像ワールド!

外壁沿いにはご覧の通り木像がズラリ。
周囲四面、全てに仏像が飾られています。
これが一体一体珠玉揃いでしてね。
仏像好きには見てるだけでヨダレだらだら♪
こんなにあんなら一体くらいもらえんでないの?みたいな。(※もらえません)

中にはやっぱり仏像がズバーン!
しかも神秘の黄金空間。
もうね、細かく書いていくとココだけで記事1本書けますわ(マジで)。
仏像、須弥壇、内陣、宮殿(くうでん)、幢幡(どうばん)、天蓋(てんがい)、小組格天井(こぐみごうてんじょう)、アッチもコッチも見所のオンパレード!
ああ!
ここに住みてーー!!!

さらに、左手には地下に降りる階段があります。
この先に何があるのか?
ふっふっふっ・・・教えない。
仏像だけどね。(←教えるのか?)
ただこの地下仏像はそれを取り巻く空間とセットで味わって初めて面白いものなのでね。
この先の光景はぜひ「生」で味わってください。

その納骨堂前にもお堂。
不動堂です。
言い遅れましたが、このお寺は真言宗のお寺です。
真言宗と言えば密教。
密教と言えばお不動さん。
当然このお寺でもお不動さんが手厚く祀られています。

それがこの不動明王像。
もー頭クラクラするほどのインパクト!
躯体はまばゆいばかりの光を放つ、ザ・黄金。
背後には不動明王お決まりの火炎光をめらめらと燃え立たせる。
眼は周囲全てににらみをきかせる天地眼をギラつかせ、口は右の牙を上に出し左の牙を下に出した牙上下出(がじょうげしゅつ)。
悪しき者すべてをたたき伏せるべく、凄まじいまでの霊威とパワーを放っています。
カッコえ~♪♪(喜)

仏像ファンには見所満載の長楽寺。
ええですよ~♪
もう天国にええですよ~♪
仏像ハングリーなあなた!
ぜひここ長楽寺に来て、そのペコペコお腹を満たしてください。
ザ・仏像ファミリーが、あなたをお待ちしています。
次回は境内の様子を引き続き紹介し、さらに奥の院も見ていきます。
マジ見所多過ぎてね。
アッチもコッチもパラダイス!
夢の様なお寺です♪
大境洞窟住居跡 この下になんやイロイロ埋まっとるようです
2021年11月10日

ザ・洞窟遺跡、それが大境洞窟住居跡(おおざかいどうくつじゅうきょあと)です。
ここ何かって言うと、その名の通り人の住んだ跡。
縄文中期~室町・安土桃山時代の生活の痕跡が断続的に残されています。
発見のきっかけは神社の改築。
基礎工事か何かをするのに地面を掘り起こしたんでしょうね、そうしたら人骨や土器なんかがゴロゴロ出てきて、こりゃエライこっちゃ!と調査したら、さらにイロイロ出てきたのです。

その問題の(?)神社がこちらの白山社。
ごくごくありふれた、小っちゃ~い地方の神社です。
この裏が洞窟になってまして、そこが現場となります。

サイズは幅8メートル、奥行35メートル、高さ8メートル。
ぶっちゃけそんなに大きなものではありません。
でもね、ここで人の営みが、それも縄文の大古から連綿と続けられてきた空間なんだ~と思うと神秘性むんむん。
なんかメッチャ厳かな世界に見えてきます。
一体どんな人間ドラマが繰り広げられてきたんですかね?
人のいるところにドラマあり。
泣いたり笑ったりド突き合ったり(←?)、きっと悲喜こもごもの人間模様が展開されてきたのでしょう。

洞窟中央には祠。
白山神社の本殿ですね。
こっれカッコええな~♪
建物左右には内転び(上に向かってすぼめる形)にした棟持ち柱、その上には異様に長い大棟。
大棟上には鰹木(かつおぎ・横向きに置かれている棒みたいなヤツ)が4本並べられ、両端には千木(ちぎ・V字型をした角みたいなヤツ)がビシッ!
コッテコテの古式神社建築。
多分モデルは伊勢神宮の社殿でしょう。

現地の案内板によると、本殿の地下はこんな感じになってんだそうです。
縄文~鎌倉・室町まで計6枚の層を、落盤によってできた土砂が分断。
まさに時代と時代をサンドしたミルフィーユ!
楽しかったでしょうね~、これ掘るの。
掘れば掘るほど、おっ、アレ出てきた、おっ、今度はコレ出てきた、みたいな。
ん~、時間を戻してその場に立ち合ってみたい!

洞窟内にはパネルがズラリ。
この洞窟ができた過程と、どんな使われ方がされてきたのかが、順を追って分かるようになっています。
説明によると、原始・古代の頃は住居として使われていたのが、中世からは祭祀の場として使われるようになったんだそうで。
そりゃそうでしょうな。。
原始・古代の頃は文化的にも技術的にも住居を「建てる」ってのはかなりハードルが高かったはず。
でも中世になれば家を「持つ」なんてのは、ごく普通の事でした。
必然、使われなくなった洞窟は祭祀の場として利用される事になったのでしょう。

祭祀場としての痕跡はこんな形で残されています。
石仏、及び石造物群。
昔はこの石仏に向かって手を合わせていたのでしょうね。
ナムアミダブツ~、ナムアミダブツ~って。
ただね、冷静に考えればちょっと変なんですよね~。
この洞窟にあるのは神社でしょ?
でも石仏は仏教でしょ?
信仰してたのドッチよ?みたいな。
ちょっと時間を巻き戻して、当時の人に聞いてみたい。
ドッチも同じじゃ!って言われそうだけど(笑)。

岩質は石灰岩。
石灰岩とは珊瑚の死骸が長い年月をかけて石化したものです。
って事は、この場所は元々はサンゴ礁が広がる海だったって事になります。
昔は温かかったんですかね?
北陸と言えば豪雪地帯なんですけどね。
まあ海底はプレート運動で動くので、この場所がドンピシャ昔のサンゴ礁だったって訳でもないですけど。

そんな石灰岩の洞穴、よく見ると天井部分に謎の丸い模様があります。
ひとつふたつだったら何かのシミかな?って所ですが、複数、それも規則正しく連続的に。
これ何かと言うと、補強の跡です。
石灰岩って基本的に弱いんですね。
先に見た地下の構造でも分かる通り、実際何度も落盤を起こしています。
これが今起きてもおかしくない。
そこで杭を打ち込んでガッチリと固めてあるのです。
その数なんと222本!
さらに表面には風化を防ぐ強化処理まで施してあります。
遺跡の状態を維持するって大変なのね~。

古代~中世の生活の痕跡を残す大境洞窟住居跡。
楽しいですよ~♪
面白いですよ~♪
イベント性むんむんですよ~♪
なお、ここからほど近くにある氷見市立博物館では、この大境洞窟での生活の様子を再現したジオラマが見られます。
あくまでイメージ再現ではありますが、現場と合わせて見るとなかなかの臨場感。
こちらも時間があればぜひどうぞ。
関連タグ >> 遺跡