金ヶ崎城 ほぼ山登り、でも頂上からの眺めがチョーー爽快!!
2022年02月02日
敦賀湾の端っこに残る地味ぃ~なお城、それが金ヶ崎城です。
このお城が合戦の舞台として歴史に登場するのは3回。
1回目は源平合戦の頃で、平通盛(たいら の みちもり)が木曾義仲(きそ よしなか)との戦いに備えて築きました。
次に登場するのが、新田義貞(にった よしさだ)の籠城戦。
そして最後が歴史上有名な「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる、織田信長が命ギリギリの大撤退をやらかした朝倉攻めです。
ここまで聞くと、お、結構いいお城なんじゃないの?と思われるかもしれませんが、まーそうでもなく。
現在残っているのはほぼ山です。
そもそもの使用目的がその場限りの戦闘要塞ですのでね。
天守閣たら櫓門たら、そんなカッコイイものは一切残っていません。
『山』、です。
まずは全体の俯瞰図から。
構造はご覧の通りシンプル。
とぼとぼと続く細い山道を登ったり下ったりするだけです。
しつこいですが目を見張るような城郭建築の類は一切ありません。
訪問の際にはそれを大前提の上で、お越しください。
入口は金崎宮(かねがさきぐう)の脇、「花換の小道(はなかえのこみち)」と呼ばれる所からスタートします。
いきなり細いですよ、道。
これでもまだ石畳が敷かれているだけましで、この先はさらに土の山道となります。
結構しんどいです。
間違ってもヒールの高い靴なんかで来ないように!
最初に見えてくるのがこちら、鴎ヶ崎(かもめがさき)。
海に向かって突き出した岬の突端にある、少し平らな広場です。
これ見る人が見れば一瞬で分かると思いますが、いわゆる曲輪(くるわ)と呼ばれる場所です。
曲輪とは兵の駐屯地で、戦時にはここに兵を待機させて出撃の準備を整えました。
お城には必ずある施設です。
そこからさらに進むと、道沿いに小さな案内があり、横に細い脇道があります。
その脇道を入った先にあるのがこちら、尊良親王(たかなが しんのう)御陵墓所見込地。
尊良親王とは最初にチラッと名前の出た新田義貞の籠城戦の際に一緒に戦った人物で、落城と共に自害しました。
そのお墓(かもしれないな~)という経塚がこの碑のある場所なのです。
なんで(かもしれないな~)なのかと言うと、尊良親王の正式なお墓は別に京都にあるからです。
なのでここはお墓というよりも、尊良親王が自刃した場所ではないかと考えられています。
そのお墓(かもしれないな~)のすぐ足元に、小さなくぼ地があります。
特に案内は出ていませんが、恐らく曲輪。
攻め登ってきた敵の側面を突くために設けられたものでしょう。
すぐそこで尊良親王が自刃したというなら、ひょっとしたら昔は小屋程度の建物くらいあったかもしれません。
ここからまた細い山道をよっこらよっこら登り、ふーー・・と100回くらいため息をついて、ようやくたどり着くのが月見御殿跡。
本丸です。
本丸とはお城の心臓部で、通常大将はここで戦いの指揮を執ります。
広場としてはここがこのお城で一番広いスペース。
今はゴチャゴチャ立木が生えてますが、昔はもうちょっとさっぱりして見通しが良かったと思われます。
一応「月見御殿跡」なんて名前で呼ばれてますが、まあ御殿なんてなかったでしょうね。
あってもせいぜい一時的に使用する簡易小屋程度。
この手の山城ってのは戦闘時だけの使い捨てが基本なので、豪華な建物、ましてや御殿なんて建てられる事はまずありません。
ここからの眺めが爽快でしてね。
敦賀湾がさーーーっと見渡せるのですよ。
今でこそ足元にコンビナートやらなんやら無粋なものがいっぱい建ってますが、昔はこの真下はそのまま海。
青い大海原と半島の稜線が一面に広がる景色でした。
きっと信長も見たんでしょうね、この眺め。
かつて信長が見たのと同じ景色を今眺めてるんだー、なんて思うと、なんかものすごい感慨に浸れますよ!
もうひとつ、こんな面白いものもあります。
古墳。
言われなきゃまず気付かないですね、この盛り上がりが古墳だなんて。
普通に土の山ですわ。
スペシャル感ゼロ。
ここに古墳があるって驚きより、これが古墳ってよく気付いたなって驚きの方が大きいくらい。
一応石室がちゃんとあって、刀や鏡といった副葬品なんかが出土しているそうです。
その月見御殿跡からさらに進むと、今度はぐいっと下がって三の木戸跡に出ます。
ここはかつては水場で、湧き水が出てたんだとか。
そんな痕跡全然ないんですけどね。
どこから出てたんですかね、湧き水?
謎だ・・・・(悩)。
さらにスタスタ進むとまた曲輪に出ます。
ここは兵糧庫として使われていたそうで、落城で焼けた米が後から出てきたことから焼米石出土跡と呼ばれています。
にょきっとしたカーブ状の平地になっていて、その一角にお堂がチョコン。
ちょーっと分かりにくいですが、お堂の中には数体のお地蔵さんが祀られています。
恐らく戦死者の慰霊を願うものでしょう。
穏やかな表情でひっそりとたたずんでいます。
その先にあるのが二の戸跡。
ここは分岐路になっていて、真っすぐ進むとさらに山奥の天筒山城、右に折れると下山となります。
お城としてはここで終わりなので、ここはそのまま降ります。
で目にするのがこの折れ折れ道。
ここのジグザグの数と傾斜角がハンパないのですわ!
ほとんど嫌がらせ。
これ、なんでこんな面倒臭い事になっているのかというと、防御のためです。
攻める側から見た時のことを考えてみてください。
武器持って重い甲冑付けて登んなきゃいけないんです、この折れ折れ急坂を。
しかも上からジャンジャン攻撃を浴びながら。
まず無理ですな、突破。
どんな体力自慢でも無理、無理、無理です。
そしていよいよゴールです。
スタートした金崎宮の裏手に出ます。
ここに来る頃にはもうへっとへと。
ご丁寧に自販機がありますので、喉乾いた人は1本どうぞ♪
ほぼ山道とデコボコの広場しか残ってないので、ちょっとお城的エッセンスの薄い金ヶ崎城。
しかも体力が必要。
訪問する時はヤル気をしっかり充電して臨んでください。
雨の後とかだと多分ぬかるみますので、前日が雨だったりしたら避けた方が賢明かもしれません。
それと蚊が多いです。
夏場に行くなら防虫対策も忘れずに!
関連タグ >> お城
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