きふね そば定食 福井はやっぱ蕎麦が美味ぇ~♪
2021年10月11日
この日は放浪日。
はるばる福井まで出張。
4時間ほど歩いたところで、気付けば昼過ぎ。
おーそろそろメシにするべ、と飛び込んだのがお蕎麦のお店「きふね」。
店内はカウンター+テーブル数卓。
ちょっとピーク時を外れてたこともあり、客の入りは半分ほど。
落ち着いた雰囲気の中、空いている席に座りメニューを拝見。
蕎麦、うどん、ごはんものなど色々。
しばらくう~んと迷って選んだのが”そば定食”。
蕎麦っすわ、やっぱ蕎麦の店来たら蕎麦ですわ。
って事で今回は福井の名物越前そばを。
もりもり元気に食べたおします。
蕎麦。
質感ほんのりやわめで舌触りしっとり、でも芯にはピンとコシが通ってて、程よい緊張感。
豊潤な蕎麦の風味がぱっと膨らむ。
つゆは醤油キレッキレ。
そこに出汁がじんわりと深く沈み、大根おろしの辛みがさっぱりとしたアクセントを付ける。
この蕎麦とつゆが絶妙マッチ!
鋭く伸びるつゆの味が蕎麦の風味をタイトに引き締め、シャープな食味をキンと走らせる。
煮物。
具材はチクワ、ナス、かぼちゃ、厚揚げ、大根。
どれも柔らかく煮込まれてて、味濃いめ。
一番印象に残ったのはかぼちゃですかね。
食感クリーミーで甘み濃厚。
とろける味わいがゆったりと舌を包む。
唐揚げはごはんと一緒に。
この唐揚げ、衣にタレがしっかりしみ込んでて、トロ~んトロ~ん。
鶏肉もジューシーで、やっぱりトロトロ。
このふたつのトロみが絡み合って、うま味のボリューム感がハンパない!
ごはんは水気いっぱい、しとしと柔らか。
澄んだ甘みがスカッと流れ出す。
この両者が融合するんですわ。
お米の甘みに肉のうま味が溶け込んで、も~悶絶♪
噛めば噛むほど味が溶けて溶けてトロけ合って、さらに悶絶♪
ぺろんと完食。
きふねの”そば定食”。
美味いね。
文句ナシに美味いね。
充実感が素晴らし過ぎですわ♪
ごちそうさま。
[参考]
・そば定食:950円
めん工房きふね
住所:福井県勝山市旭町 2-6-755
TEL:0779-87-2788
イソライト珪藻土記念館 いらん!コレはいらん!
2021年10月09日
イソライトってご存知ですかね?
一般的には「珪藻土(けいそうど)」と呼ばれ、大昔に植物性プランクトンの死骸の殻が大量に積み重なって石化した泥岩の一種です。
能登半島はこの珪藻土の塊みたいな場所でして、最も分厚い所だと60メートルもの厚さがあるそうです。
そんな珪藻土についての展示を行っているのが、ここイソライト珪藻土記念館。
運営は同じ敷地内にあるイソライト工業という会社で、その名の通りイソライト関連の製品を取り扱っています。
つまりこの記念館はイソライト工業の商品デモンストレーションの場なんですね。
館内に入るといきなり本物の珪藻土。
現場から切り取ってきたサンプルです。
泥岩なんでね、そんなには硬くないはず、年齢にもよるけど。(※基本的に古いほど硬い)
見た感じ、爪で引っ掻けば削れそうなレベル。
引っ掻いてみようかなーと思ったけど、展示品なので社会的常識を考慮してやめときました。
ズラリと並ぶパネルは珪藻土の成り立ちの説明、主な産地、そしてイソライト工業の生い立ちなどがつづられています。
興味深いのはやっぱり成り立ちですね、石大好きなので。
先に書いた通り、珪藻土とは植物性プランクトン由来の岩石です。
生物由来の岩石と言えば、他にはチャートや石灰岩なんかもそうですね。
チャートは珪藻土と同じくプランクトン由来の岩石、石灰岩は珊瑚由来の岩石です。
石炭なんかもこの部類ですね。
こちらは珪藻土の採掘現場のパネル写真。
脇に置かれている消火器と比較してもらえば分かると思いますが、結構デカいです。
幅4~5メートルくらいはありますかね?
なかなかの臨場感。
こんだけゴボゴボ採れればうはうはでしょうね。
漁業や農業と違って年によって収穫量の増減がある訳でもなし、欲しけりゃいっぱい採ればいいし、いらなきゃ無理に採らなくてもいいし、放っといても腐るもんでもなし。
安定供給が約束された楽な資源です。
ただし天然資源だからいつかはなくなるけどね。
そんな珪藻土、どんな場面で使われているのかと言うと、コレ。
七輪やコンロです。
七輪なんて今じゃ過去の遺物。
あーあーうちにもあるわコレ、って人はほとんどいないでしょう。
わたしの家にもありません。
ただね、最近レトロな生活に対する憧れ感が高まってまして。
いつか買うかもしれない、七輪。
これでスルメじりじり焼いて一杯ヤっったら、美味いだろうな~♪
こんな使われ方もしているそうです。
ピザ窯。
不思議ね。
こんなん見せられるとメチャメチャ食いたくなるね、ピザ。
こんな窯でピザ焼いたら、すっげー美味ぇーんでねーの?みたいな。
あかん、ヨダレ出てきた(笑)。
そんな珪藻土を使った新商品も続々開発されています。
これらはそのサンプル。
その名も『イソライトCG』。
珪藻土の用途は七輪やコンロの材料だけではありません。
土壌改良なんかにも利用されています。
「多孔質」という特性は吸水性・保水性に優れ、さらに高い耐踏圧力によって強い持続力も発揮します。
これによって植物の育ちやすい土壌環境を作り、屋上緑化や芝生の育ちやすい環境を作るのです。
そんな展示スペースの片隅にどーんと飾られているのがこちら、森源之助のブロンズ胸像。
見た瞬間、かなり「???」。
これってどうなんですかね?
社内に飾るんなら分かるよ、社長室とか会議室とか。
でもここは一般の人に会社や製品を知ってもらうための場所でしょ?
そこでこんな会社設立偉人自慢されてもね。
この一角だけになんとな~く漂う場違い感。
多分そんな言い知れない違和感を感じるのはわたしだけじゃないはず。
珪藻土について学べるイソライト珪藻土記念館。
ぶっちゃけそんなに目の覚めるような場所じゃないです。
地味~な展示館です。
珪藻土、ちょ~っと興味あるかな~?って人は立ち寄ってみてください。
あとピザ屋さん、イタ飯屋さん。
自店に珪藻土ピザ焼き窯欲しいな~って要望がありましたら、ぜひ一度お問い合わせを。
あなたの焼くピザの味がワンランクアップする・・・・かもしれません。
関連タグ >> 美術館・博物館
阿尾城跡 小っちゃなお城に仕掛けられたデビルな絶死トラップに震撼
2021年10月06日
海岸線上のスッゲー断崖の上、阿尾城(あおじょう)はそんな天然の要害にあります。
このお城、入口が少々分かり辛く、初めての人は多分かなり迷うと思います。
とりあえずgoogle mapは当てになりません。
地元のどこかで観光パンフをゲットするか、下記のマップを参考に探してみて下さい。
目印は石の鳥居です。
まずは見取り図から。
スタイルとしては岬の地形を利用した梯郭式(ていかくしき)となっています。
梯郭式ってのは本丸の背後に山や川、断崖などのバリケードを設けている構造で、この城の場合は海+崖が背後を固めています。
途中いくつかの曲輪(くるわ・広場)があり、地形上、敵はこの曲輪を端から順番に落として進むしかありません。
一見シンプルですが、意外に攻略難易度の高い造りになっています。
ではひとつひとつ見ていきましょう。
入口の急坂を登ると最初に目にするのが伝三の丸跡。
なかなかの広さで、野球の内野をさらにひと回り大きくしたくらいの広さがあります。
中央には神輿舎がどーん!
中の様子は分からんですが、神輿舎ってんですから多分神輿が入っているのでしょう。
ここで道は3方向に別れます。
左が白峰社、中央が伝二の丸跡、右が榊葉乎布(さかきばこふ)神社に繋がる道。
こちらは左にある白峰社へと繋がる道。
これ見て、は?と思われた方、なかなかのツウです。
そう、おかしいのです、この道。
あっさり行けちゃうのですよ、上へ、それも一直線に。
これ明らかに後世に通された道ですね。
お城の構造として、こんなショートカットで上に登れる道なんてあり得ない。
だって敵も簡単に登れちゃいますからね。
恐らく本来は土塁を積み上げた、単なる壁があるだけの場所だったのでしょう。
反対の右側の道を登ると神社が登場。
榊葉乎布神社です。
これがね、素晴らしいんですわ、拝殿が。
モロわたし好み♪
水平性を押さえて、ごっつりとした重量感を重視した筋肉質な造形。
一方で正面には、唐破風と千鳥破風を重ねたすらりと軽快な飾り屋根。
ンまぁ~イケてるわ~♪
アルミサッシ邪魔だけど。(←?)
で、注目して欲しいのは、そこに至るまでの地形。
神社があるって事は広場になってるって事で、それはつまりここが曲輪であった事を意味しています。
その痕跡を残すのがこの道。
道筋がぐにゃ~っと曲がってるでしょ。
しかも細い。
これは見通しを悪くし、かつ敵を少しずつしか行軍させないための仕掛けです。
この細い道をもたもた登ってくる敵を、上の曲輪からズバズバーと狙い撃ちにするのです。
地味だけど有効なトラップです。
さらに中央の道。
ここも恐怖です。
左側が壁になっているのが分かると思いますが、この上も曲輪になっています。
つまりここを進もうとすると、上から弓矢や投石の雨が降り注ぐのです。
デビルですな。
ほぼ死亡フラグ確定です。
ここはもう死ぬ気で全力疾走突破するしかありません。
ガンバレー!!
その先にあるのが伝二の丸跡。
ここね、変なんですわ、地形が。
分かりますかね、段々になっているのが?
ざっくりと3段くらいの階段構造になっています。
かなり意味不明。
これどうも畑の跡らしいです。
このお城、廃城となった後は畑として利用されていました。
その時にこの段々が作られたっぽいです。
恐らくその前はもうちょっと平坦、あるいはゆるやかなスロープになっていたと思われます。
そこを抜けたらまたもや恐怖の仕掛けが待っています。
地獄のクランクです。
攻め手はこの道に沿ってにカクカクと進むしかありません。
これもキツイですよー。
重い甲冑を着て重い鉄の武器を持って、この急坂をひいこら登るんですからね。
それも上から攻撃を浴びまくりながら。
悪夢のような1本道です。
その急坂を登り切った先に再び神社。
白峰社です。
こちらは先に見た榊葉乎布神社と違って、瓦葺きのシンプルな建物。
地味、地味、地味。
さらにやっぱりアルミサッシのオマケ付き。
なんでこんなにガッチリ囲んじゃうのかね?
ここは潮風にモロに当たって建材の劣化が早いから、これもまー仕方ないっちゃー仕方ないんだけども。
でもここまでコテコテに囲んじゃうと、建物が全然見えない。
建物の意匠が見たいーーって建築マニアには、激しく不満。
その奥を進むと小さな曲輪が連続して現れます。
その一つがこちら。
中央に『白峰社本殿跡地』と刻まれた碑が建っています。
先に見た白峰社の社殿、本来はこっちにあったみたいですね。
現場のサイズから推察するに、恐らくここにあったのは祠程度の小さなもの。
それが潮風の劣化で損傷し、スケールアップしてあっちに移ったのでしょう。
その先がまたエゲツないことになってましてね、ご覧くださいこの細っ~~い通路。
岬の尾根を伝う形になっているせいで両側が急傾斜になっていて、1人ずつしか通れません。
しかも画像じゃちょっと分かり辛いですが、堀切(ほりきり)と呼ばれる横溝まで掘られています。
攻め手側はこの細っ~~い道を、アリの行列のように一列になって進むしかありません。
まあ狙い撃ちですわ。
逃げ場ナシの狙われ放題。
しかもやられた敵はこの下の崖底へ急転直下で落下する、と。
こんなの通れねーよ(怖)。
そしてゴールの伝本丸跡。
なんやら草ぼーぼーで状態よー分からんけど。
奥には展望台があって、高台から海の様子をざっと見下ろせます。
気分い~いんですわ、ココ♪
潮風が涼しくて、空気が澄んでて。
ちょっとした別世界。
岬の先端なんでね、灯台なんかも建っています。
いいですわな~灯台。
灯台好きなんで、こんなん見付けるとわくわくしちゃいます♪
ただこの灯台、既に役目を終えているようで、先端の光源が取り外されています。
代わりにこの裏っ側に竿みたいなのがひょろっと立ってて、そっちが現在灯台として動いているようです。
小さいながらも様々な仕掛けがぎゅっと仕込まれている阿尾城。
怖ぇーですよー。
攻め手の気分で見ていくとマジ怖ぇーですよー。
あ、ココで死ぬ、うお、ココでまた死んだ、みたいな。
そんな恐怖の仕掛けにビクビクおびえながらじーっくりご見学ください。
あと現場にはこんな怖ぇーモノもありました。
柵を乗り越えるためのものとしか思えない一升瓶のP箱と角材。
ここを乗り越えてもその先には断崖絶壁とはるか下の海しかありません。
そんなトコに行ってやるコトってアンタ・・・・
なんか生々し過ぎて、これが一番リアルに怖ぇーな~・・(震)。
関連タグ >> お城
若宮八幡宮 末社編 その2 隠された本殿がここで見られる?
2021年10月04日
拝殿に至るまでの参道に8つの末社がズラリと並ぶ若宮八幡宮。
この末社ひとつひとつがね、い~んですよ♪
それぞれに個性があって、色んな見所があって。
前回はその内の4社を見てきました。
今回は残り4社を見て行きます。
まずは諏訪社。
ご存知長野県にある諏訪大社の分社で、祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。
この神さま、妙な経歴を持ってまして、武勇の神であるにも関わらずあっさり負けてます。
出雲にいた頃、建甕槌神(たけみかづちのかみ)という天の神に完膚なきまでやられて、信濃まで逃げたとされているのです。
ところがその後どうなったかというと、土着の有力神やガマの悪神を次々と打ち倒し、この地の支配神&武勇の神として崇められる事になったのです。
強いの?弱いの?ドッチ?って感じなのですが、まあ強いんですね、結論としては。
わたしの個人的な見解としては、「負けた」神話と「強い」神話は元は別々の話で、それが後世に強引にドッキングされてしまったのではないかと考えているのですが、まあその辺の考察は専門の学者さんにお任せします。
社殿は梁間二間・桁行三間の平入り、黒瓦を乗せた切妻屋根となっています。
オーソドックスかつコンパクトな造り。
建物が細身なせいか、全体の印象がシャープですね。
屋根もふわんと見た目にライトで、近寄りやすい、どこかフレンドリーな外観。
内部は奥に窪みがあって、そこに神棚が祀られています。
ご神体は丸鏡。
上部に掛けられている扁額は何ですかね?
色が完全に落ちてて、文字が書かれていたのか絵が描かれていたのかさえ不明。
多分赤外線でも当てたら浮き出てくると思うんだけど。
誰か機械持ってない?
そのお隣にあるのがこちら、春日社。
あの有名な奈良県にある春日大社の分社ですね。
祭神は建甕槌神、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、比咩神(ひめのかみ)の四柱。
建甕槌神は先述の通り、建御名方神をぶん投げた武勇の神ですね。
経津主神も同じく武勇の神で、建甕槌神と双璧を成す強さを持っています。
天児屋根神は言霊の神で、あの天岩戸伝説で天照大御神(あまてらすおおみかみ)を穴倉から引っ張り出したメンバーのひとりです。
比咩神は女性神を指す時の漠然とした呼び名で、ここの場合は天児屋根神の后神を指しています。
こちらの社殿も先に見た諏訪社同様、オーソドックスな造り。
黒瓦を葺いた切妻屋根に軒下は真壁作りの白漆喰、腰回りは平板張り。
奇抜さのない落ち着いた外観となっています。
何気に組み物(柱の継ぎ目)が見事ですね。
カッチリと美しく仕上げられてて、雲様の彫刻が施されてて。
軒下にさり気なく連続する支輪のカーブが実に優美。
内部の様子はこんな感じ。
部屋の奥の一角がへこんでいて、そこに木製の厨子が収められています。
扉がガッチリ閉じられているので、中の様子は不明。
春日大社なんかだと、4棟の本殿がずらずらーっと横一直線に並んでるので、ひょっとしたらここもそんな感じになっているのかもしれません。
厨子の中にはご神体が4つずらずらー、あるいは神棚が4つずらずらー。
横広の厨子がなんとなーくそんな光景を想像させます。
ま、開けてもらわんと分からんけどね。
社殿の横には神具庫が接続。
中に何が収められているのかはやっぱり不明。
何気に壁面にたすき桟が施されているのにお気づきでしょうか?
たすき桟とは以前静明寺の記事で取り上げた通り、進入禁止を意味する装飾です。
神具庫なんでね、中に入っちゃダメよって事ですね。
ダメって言われるとねえ、余計に入りたくなるわね(笑)。
続いて高良社(こうらしゃ)。
祭神は蛭子命(ひるこのみこと)、竹内宿禰公(たけうちすくねこう)、源頼義公(みなもとのよりよしこう)、藤原鎌足公(ふじはらかまたりこう)の4柱。
蛭子命は七福神でお馴染みの、えべっさんですね。
竹内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に使えた人物で、約300年生きた(!)と言われています。
源頼義は鎮守府将軍などを歴任した武勇の人で、若宮八幡宮の創始の発起人です。
藤原鎌足は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と共に乙巳の変(大化の改新)を起こした人物です。
社殿は黒瓦の切妻屋根。
全体のサイズはやや小振り。
やけに高い基壇が特徴的ですね。
おかげで一番手前にある向拝柱が妙ににょっきり長くなっちゃってます。
そしてもうひとつ特徴的なのが、屋根上両端にあるシャチホコ。
よく見ると大棟には青海波模様のデコレーションもされています。
これらは共に水の加護を意味し、火事除けのまじないとされています。
そんな社殿の前に謎の石。
いかにも何か意味ありげに置いてあるので、何か意味があるんだろうけど、その説明が一切なく、謎。
なんやろね?
ひょっとしたらですが、竹内宿禰が鬼に積ませたと伝わる神籠石(こうごいし)のつもりかもしれません。
あるいは真ん中がくぼんでいるので、かつては手水鉢だったとか。
ん~~~・・分からん・・・・(悩)。
そして最後、稲荷社。
祭神は豊受比咩神(とようけびめのかみ)と大田神(おおたのかみ)。
通常稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とされることが多いのですが、ここで祀られている豊受比咩神はこの宇迦之御魂神と同体だそうです。
大田神は天孫降臨の際、天の神を地上へと道案内した神です。
こちらの社殿、超ミニマム。
社殿というより神棚と呼んだ方がしっくり来るくらい。
ただそれでもひとつひとつの意匠は手を抜かずに作られており、細部まで精巧に仕上げられています。
デアゴスティーニも真っ青!(←?)
このミニ社殿、縁起書きによると『本殿落成を祝して十分の一の縮尺にて制作したのがこの稲荷社神殿です』となっています。
ここで書かれている本殿と言うのは恐らく若宮八幡宮の本殿の事を指していると思われます。
ところが実際見比べてみると、この稲荷社の社殿と若宮八幡宮の社殿、全然造りが違います。
え?どこが縮小版?って感じ。
これ、非常に紛らわしくて分かりにくいのですが、境内から見える建物は拝殿と呼ばれるもので、本殿ではありません。
本殿があるのはこの拝殿の向こうです。
つまり稲荷社社殿のモデルは、参拝者からは見えない場所にある建物なんですね。
って事で若宮八幡宮の本殿が見たい~って人、この稲荷社社殿をじーっと見て、これのでっかいの~~~と妄想して、ガマンしてください。
以上、若宮八幡宮の参道に並ぶ末社の様子を2回に渡って見てきました。
どれもが単独で神社にできるくらいしっかりした社殿を持つ末社群。
やっつけ的に同じ造りの物を横一列に並べるんじゃなくて、ひとつひとつ個性が際立っててキラッキラ。
いいですよ~、ここの末社は。
若宮八幡宮に参拝の際には、どうかこれら末社のお参りも忘れずにしていって下さい!
若宮八幡宮 末社編 その1 素通り禁止のザ・神社ストリート
2021年10月02日
白山市にある若宮八幡宮のもうひとつの見所。
それはズラリと並ぶ8つの末社。
末社とは本宮に付随する小さな神社の事です。
「八百万の神」って言葉を聞いたことがあると思うのですが、日本の神さまってそれこそ数えきれないほどたくさんいます。
しかも縁結びとか安産とか学問とか、それぞれに専門分野を持っています。
そんな神さまをお願い事に応じてアッチお参りしてコッチお参りして、なんてやってたら面倒臭くてしょうがない。
そこでひとつの神社に何種類もの神さまを祀る、という不思議な習慣が昔から行われてきました。
その一神社複数神を実現させているのが、この末社システムなのです。
ここで若宮八幡宮の境内地図を確認。
まず入口に一の鳥居。
そこから参道が始まり、その参道に沿って左に6社・右に2社、合計8の末社。
さながら神社ストリートの様相。
しかもひとつひとつの建物がしっかりしてて、それぞれに個性があって。
これらを比較しながら追いかけてみると楽しい~のですよ♪
それでは早速見て行きましょう!
まずはひとつ目、菅原社(すがはらしゃ)。
祭神は菅原道真公(すがはらみちざねこう)。
言わずと知れた学問の神、天神さまですね。
この人は平安時代の貴族で、すげー頭が良かったと言われています。
でもまあ色々あったんでしょうな、晩年に福岡の太宰府へと左遷されてしまい、失意のまま生涯を閉じる事となります。
するとその後都で天変地異や凶事が続けざまに起こり、こりゃ道真の祟りだー!と噂され、その鎮魂のためにお祀りされたのが、今日の天神信仰の始まりとされています。
なので元々のルーツはたたり神なんですね。
社殿はこんな感じ。
屋根は黒瓦の切妻、桁行三間、梁間二間の平入り。
壁は上部白漆喰、下部板貼り。
質素シンプルなつつましい造り。
右側に続いている建物は多分神具庫です。
奉斎の道具やなんかが収められていると思います。
社殿内部の様子。
奥がちょっと窪んでいて、そこに神棚らしきものが置かれています。
この中にご神体が収められているんですね。
上に掛けられている扁額には『神如在』の文字。
ここに神さまいるんだよ~って事を表しています。
続いて大御神社(おおみじんじゃ)。
祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけおおみかみ)。
伊勢神宮の内宮・外宮の神さまですね。
創建は1063年との事なので、本体である若宮八幡宮と同年。
つまりスタート時からこうして末社として存在していた事になります。
恐らく創建に関わった山上新保介(やまがみ しんぼのすけ)、あるいはその上司である富樫介(とがしのすけ)のいずれかが、伊勢神宮との間にパイプを持っていたのでしょう。
社殿はなんかメッチャ民家。
普通にどこかの民家を移築して、若干神社風に味付けしただけでねえの?みたいな感じ。
実際本当にそうかもしれませんね。
ありえなくはない。
一から造るより既にあるものを使い回した方が断然コスト浮くしね。
こちらは社殿の内部。
中央に開口部があって、奥の本殿へと続いています。
本殿内部には高欄(こうらん・手すり)の付いたきざはし(階段)と、その先に両開きの扉。
この扉の向こうにご神体があるって事ですね。
伊勢神宮由来なので、恐らく丸鏡が置いてあるのでしょう。
3社目、舟越社(ふなこししゃ)・白峰神社(しらみねじんじゃ)。
元々舟越社が先にあって(1274年創設)、後から白峰神社が合体した(昭和37年)そうです。
舟越社の祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)・少名彦名神(すくなひこなのかみ)。
大物主神は出雲大社の神、少名彦名神はその大物主神と共に全国行脚をして国造りを助けた神ですね。
白峰神社の祭神は崇徳天皇(すうとくてんのう)。
この人も道真同様、流刑によって讃岐に流されて無念の生涯を閉じ、その恨みから数々の祟りを起こしたと言われています。
そしてやっぱり道真同様、鎮魂のため神格化されて、「たたり神」から「いい神さま」に180度イメチェンしちゃったという、よー分からん由縁を持っています。
ちなみにこの崇徳天皇と菅原道真、それに平将門(たいらのまさかど)を加えた3人は「日本三大怨霊」と呼ばれています。
社殿です。
こちらはバリバリ神社してますね。
(ほぼ)左右対称、中央に切妻の向拝を据えて、屋根上には千木(ちぎ・V字型のツノ)がバーン!
この社殿は白峰神社にあったものを持ってきたんだそうです。
なので元々は神社のセンターを飾っていた、メインの建物なんですね。
うん、確かに民家感はないな(笑)。
そして、目ざとい人は既にお気づきかもしれませんが。
逆立ち狛犬~~♪♪
いますわ、ここにも。
後ろ足ぴょこ~~んと立てて♪
疲労感がハンパないですな。
アチコチ欠けまくってボッロボロ。
石材は凝灰岩ですかね?
多分若い石なので柔らかく、雨風で簡単に崩れたのでしょう。
負けるなー!
頑張れーー!!(逆立ちを)
4社目、子安社(こやすしゃ)。
祭神は木花咲那姫命(このはなさくやひめのみこと)。
天照大御神の孫で天孫降臨の主役である邇邇芸命(ににぎのみこと)の奥さんです。
クセの強い神さまで、不貞の潔白を証明するために産屋に火を放って出産したという謎な武勇伝(?)を持っています。
平成16年に奉納とのことなので、作ってまだたったの17年。
見ての通りのミニマムサイズで、島崎亮という大工の棟梁さんの作だそうです。
カッケーな。
小さいがゆえに技術がぎゅっと凝縮されてて。
アンバランスにデカい屋根上の大棟がめっちゃイカシますわ!
と、今回はここまで。
残り4つの末社は次回ご紹介します。
あんまり末社までいちいち見る人はいないと思うんですけどね。
でもこの神社の末社は、本当に数も質も充実しててね、神社LOVE魂をくすぐるのですよ。
残り4社もイケイケですゼ!
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