店主たみこの観光案内ブログ

安土城 天主跡編 中途半端な公開状況に思わずムズムズ

2021年01月13日

安土城二の丸への入口

 

前回見た安土城天主のテラスがあったと思われる広場。
この広場を右に進むと天主跡へと繋がるのですが、先に左に曲がってください。
二の丸広場へと出ます。

 

二の丸とは本丸に次いで重要な拠点です。
戦時にはここに兵を待機させ、出撃基地として使用します。
なのでそこそこな広さが確保されています。

 

信長公本廟の門

 

この二の丸の奥に塀で囲まれた一角があります。

「信長公本廟」です。
ここ何かと言うと信長のお墓で、秀吉が建てたものです。

 

ただご存知の方も多いと思いますが、本能寺跡から信長の遺体は出ていません。
ゆえにここに遺骨は収められておらず、代わりに太刀・烏帽子・直垂(ひたたれ・衣服)など、信長ゆかりの品が埋葬されているそうです。
掘り返されたという話は聞いていないので、多分今でも当時そのままの形で残っているはず。
一体どんなものが眠っているんでしょうね?

 

信長公本廟の内部

 

こちらは廟の内部。
中央に参道が伸び、奥に2段の石組みが積まれています。
そしててっぺんに墓石らしき石。

 

この墓石(らしきもの)、何か文字が刻まれているよーないないよーな。
遠目でしか見られないので、ハッキリとは確認できません。
撮った画像を拡大ズームしても判別不能。
ちょっと近くまで見に行ったらダメですかね?(※進入大厳禁です)

 

安土城の本丸跡

 

二の丸を出て本道に戻り、真っすぐ進むと本丸。
かつて御殿があったとされている場所です。

 

通常本丸の御殿には城主が住みます。
一等地ですからね。
でもここは違いました。
ここに建てられた御殿、その主は天皇陛下を想定していました。

 

本丸跡に並ぶ礎石

 

その痕跡を表すのがこれら礎石。
かつてはこれらの礎石の上に柱が立てられ、建物を支えていました。
見方を変えると、礎石の列を辿れば建物の形が浮かび上がってくる訳で、それによって中庭を配したコの字型の建物になっていた事が分かっています。
そしてこの形は天皇の住まいである内裏清涼殿に酷似しています。
って事はどういうことかと言うと、天皇をここに呼び込むと同時に、そのまま住まわせるつまりだったという事が分かります。

 

え?天皇陛下引っ越しさせるつもりだったの?って思われるかもしれませんが、ない話ではありません。
名目はあくまで行幸という形で迎え、そのまま既成事実として住まわせてしまう。
実際明治時代、天皇の住まいが京都から東京へと移った際も、そんな力づくな方法がとられています。

信長なら十分やりかねない計画です。

 

三の丸の石垣

 

本丸東側には高石垣。
この石垣の上が三の丸になっているらしいのですが、残念ながらそこまでは行けません。

 

安土城ってこんな感じで所々中途半端なんですよね。
先の記事で見た伝前田利家邸跡もそうでしたが、整備が進み切ってないんですよ。
マニア的には隅から隅まで見たおしたいんですけどね。
残念ながらこんな進入禁止エリアがアチコチにあります。

 

八角平方面に繋がる場所のフェンス

 

ここもそう。
本丸東側にあるフェンスです。

 

この先は八角平方面って所に繋がっていて、城の搦手口(からめてぐち・裏道)だった場所です。
昔は自由に通れたそうですが、現在は立ち入り禁止。
石垣とか枡形とか、見所がいっぱいあるらしいんですけどね。
わたしも行ったことがなくて、詳細は不明。

 

なーーんとも残念!
早く再開通してくれーーー!!!

 

天主台跡の入口

 

そしていよいよ安土城最大のクライマックス、天主台跡。
ここはその入口階段です。

 

この曲がり角がソソるじゃないですか!
真っすぐに見せてくれないもどかしさ。
おおーーーなんでそんなにもったいぶるのよぉぉぉーー?みたいな。

 

どうぞ早く見たい心をもじもじさせながら(←?)先に進んでください。

 

安土城の天主台跡

 

で、どーん!と現れる天主台跡。
周囲を石垣で囲み、底部には礎石が碁盤目状に並んでいます。
この瞬間感じる、うわー来たわ!ついにここまで来たったわ!っていう高揚感。
めちゃめちゃボルテージ上がります!

 

あったんですねー、ここに天主が。
記録によると地上6階・地下1階の大建築だったそうです。
それはそれは壮大な建物だった事でしょう。

 

天主台跡のくぼみ

 

でもちょっと違和感感じません?
この天主台、内側がへこんでいます。
別にこんなことしなくても、上部を真っ平らにして建物建てればそれでよくありません?

 

これ実は当時の石垣技術の限界を補う工夫なのです。
安土城が建てられた当時、まだ石垣の強度は低く、上に大きな建物は乗せられませんでした。
建物の重みで石垣が潰れちゃうのです。
それを解決したのがこの構造。
こうやって石垣はハリボテ的に周囲を覆うだけにして、建物の重量は下の地面で直接支えたのです。
こうすれば石垣自身で建物を支える必要はないのです。

 

テラスがあった場所

 

こちらは前回記事で見たテラスがあったと想定される場所。
足下はご覧の通り何も見えません。

 

どんなだったんでしょうね、かつての眺め。
きっともっと高度感があって、周囲もきれいに整備されていて。
その下に家臣たちがわらわらといて、それを上から見下ろして。
さぞかし優越感に浸れる眺めだったでしょうね。

 

天主台跡からの展望

 

北側は展望台になっています。
眼下の先には平野と湖。

 

この湖、一見琵琶湖に見えますが、実は琵琶湖ではありません。
西の湖という、内湖です。
ただ天主があった当時の眺めは今とは全く違っていたそうで、ここから見えたのは一面の湖でした。
つまり現在見えている陸地は後世の干拓によってできたものなんですね。

 

こんなに埋め立てたんですね。
人間の努力ってスゴイ!

 

天主台跡の様子

 

以上、安土城の天主台跡周辺を見てきました。

 

このエリアは安土城見学で最も盛り上がるゾーン。
どうぞ心アゲアゲで楽しんでってください。

 

 

次回は摠見寺(そうけんじ)跡を見て行きます。
信長が自らの菩提寺として建てたお寺の跡。
見所は限られてますが、でもここもすごく心アガるエキサイティングな場所ですよ。

 

 

安土城跡

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

TEL:0748-46-6594

ホームページ:安土城址公式サイト

 




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