主計町茶屋街
2019年10月26日
金沢にある3つの茶屋街のひとつ。
主計町茶屋街。
「主計町」と書いて「かずえまち」と読みます。
ちょっと読み方が特殊ですが、これは元々は人の名前。
かつてこの地に富田主計(とだ かずえ)という加賀藩士の屋敷があったことに由来します。
場所は浅野川沿い、浅野川大橋のすぐたもと。
狭い通路に古い町家建築がずらずらと並び、なんとも風情のある雰囲気を醸し出しています。
メインは川沿いの通りですが、1本路地に入るとそこもまた乙。
両サイドに古民家が迫り、時代を一気に逆行したかのような不思議な錯覚にとらわれます。
さてこの主計町、茶屋街としての歴史は意外と浅く、なんと成立は明治初期。
イメージ的に江戸時代から連綿と続いて来たって印象を持たれがちですが、そんな訳ではないのです。
なので今残っている茶屋建築も、主に明治~大正頃のものって事になるんですかね?
江戸期の建物と言われても全然違和感ありませんが。
この建物がまた渋くてですね。
板張りの壁がなんともノスタルジック。
それが隙間なくびっしり並んでて。
まるで町ひとつが、丸ごとそのままひとつの博物館!
もし火事が起きたら一気に全滅してしまいそうだけど(笑)。
とは言え、昔の町って本来こんな感じだったんでしょうね。
いい場所は武士が悠々と占有してるから、町人は残された狭い土地にせめぎ合うように家を建てるしかなく。
その結果家と家とでおしくらまんじゅう。
でもその感じがどこかエネルギッシュというか、たくましいんですけどね。
ところでこの主計町、一時期主計町じゃなかったって言われるとどう思いますか?
主計町じゃない主計町?一体何の事?と思われるでしょうが。
実際主計町じゃなかった時期があったのです。
事の起こりは1962年。
高度経済成長の真っただ中。
郵便配達などの利便性を高めるために、国の政策で町名の大胆な統廃合が行われました。
ここ主計町もその波にのまれ、「尾張町2丁目」という大雑把なくくりのひとつとされてしまったのです。
しかし誇り高い主計町の住民はそれをヨシとせず。
それから実に40年近くも経った1999年、金沢市や経済同友会の支援も得て、「主計町」の町名を復活させたのです。
町名の復活は日本全国を見渡しても、ここが初めてだったそうで。
やっぱここに住んでる人。
エネルギッシュなのね(笑)。
江戸・明治の情緒を今に残す主計町茶屋街。
風情あふれる雰囲気の中、都会の喧騒を離れ、涼やかに流れる川べりと古民家に挟まれた路地をそぞろ歩く。
いいですよ~♪
運が良ければ着物を着た芸妓のおねーさんとすれ違えます。
そんな艶っぽいドキドキ感も楽しみのひとつですよ!
え?ソコが楽しいのヲトコだけ??(汗)(汗)
主計町茶屋街
住所:石川県金沢市主計町
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