
揚げ浜塩田
2019年04月20日

能登半島の先っちょ、珠洲(すず)で500年前から続いている産業があります。
製塩です。
製塩には大きく分けて「入り浜式」と「揚げ浜式」の二種類があり、ここ珠洲では「揚げ浜式」の塩づくりが行われています。
この揚げ浜式ってのが大変で。
まずは浜から手桶で海水を汲み上げてきます。
それを数回繰り返し、大きな桶に溜めます。
これだけでも重労働。
桶いっぱいの水を、えんやこらと担いで何往復もするんですからね。
わたしならココでギブアップですわ。(←!)
もちろんまだ続きがあり。
今度はこの海水をばーーっと砂の上に撒くのです。
均等に、リズミカルに。
当然コツがいるし、力がいるし。
腰にクる。
わたしならやる前にギブアップですわ(←!!)
撒き終わったらそのまま天日干し。
干上がったところでその砂を集めて、垂舟(たれふね)と呼ばれる風呂桶みたいなところに入れて。
上からじゃーっと海水を注いで、下から流れ出した水を集めて。
そいつを窯に入れてぐつぐつ煮る。
ただひたすらに煮る。
一旦冷ましてろ過し、再び煮る。
やがて溶解し切れなくなった塩が結晶化して浮き出し。
その塩を集めて取り出したら終了。
と、そんな手順を踏みます。
最初から最後まで重労働のてんこ盛り。
もちろん現代は機械や道具が進化して、所々省力化されている工程もあるでしょうが。
江戸時代はこれを全部人の手でやっていたわけですからね。
わたしなら考えただけでギブアップですわ。(←!!!!)
ではなんでそんな大変な製塩業がこの地で盛んだったかと言うと。
そもそもそれしかやることがなかったからなんです。
リアス式海岸の続く能登半島は、海のすぐ先は切り立った崖という平地の少ない土地。
当然コメ作りには向かず。
漁業、林業、後できることと言えば製塩。
そのため加賀藩はこの地での塩づくりを奨励したのです。
しかしその実態は過酷で。
ここまで苦労して作った塩と米との交換比率は、米1に対して塩4.5。
極悪ですな、加賀藩。
搾取し過ぎ。
これじゃほとんど塩づくり奴隷ですわ。
この話を聞くといつも思い出すのが奄美の黒糖。
あそこも斜面を切り開いて大変な思いをして作った黒糖を、薩摩藩が鬼のように搾り上げてたそうで。
おかげで奄美の島民は日々の食事にも困窮してたとか。
恐らく江戸時代の珠洲の人々も、そんな厳しい生活を強いられてたんでしょうね。
今やパフォーマンスとしての側面も持つ揚げ浜式の塩づくり。
砂浜にぱーっと海水をまく光景はなんか見ててスカッとしますが。
実はこの作業ひとつひとつが、かつての人々にとっては血のにじむような労働だったんだという事。
どうぞ頭の片隅にちょびっとだけでも置いておいてください。
もちろんお土産に買って帰るのも忘れずに。
揚げ浜式で作られた塩はミネラル豊富、旨味の中に甘みも含み、料理の味をワンランク引き上げてくれますよ!
道の駅すず塩田村
住所:石川県珠洲市清水町 1-58-1
TEL:0768-87-2040
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