
石川県銭屋五兵衛記念館
2019年02月02日

銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)。
知ってます?
人の名前です。
もん~~~~~のスゴイ大豪商だった人です。
あだ名は「海の百万石」。
その名の通り、海運業で巨大な財を成した人なんですね。
もうちょっと順を追って説明しましょう。
銭屋五兵衛、1774年生まれ。
大政奉還が1867年なので、江戸時代終焉の約100年前。
著名人では杉田玄白が解体新書を出版したり、平賀源内がエレキテルを作ったりなんかしてた頃です。
元々は商家の生まれで、家督を継いだのがわずか17歳。
その後両替商をメインに古着・呉服業などを営んでいました。
それが海運に転じたのは39歳の時。
質流れ品のボロ船を買い取ったのが始まりだったそうです。
海運業は彼のおやじさんもやってたらしいのですが、その時は失敗し廃業。
まあある意味、親子二代に渡ってのリベンジですかね?
そしてこの海運業が大成功!
儲けた金でさらに船を買い入れ、その船でさらに儲けてと成功のルーチンを繰り返し、瞬く間に巨万の富を築いたのです。
人間上り調子の時ってのはやる事やる事上手くいくもんですね。
しかしそんな彼にも暗雲は訪れます。
この頃の加賀藩の財務状況は思わしくなく。
当然億万長者の彼にお呼びの声が掛かります。
「お金貸して~~」って訳ですな。
藩に貸しを作り、どさくさに太いパイプを作っておけば決して損な話ではない。
五兵衛はそんな状況を巧みに利用し、藩との間に強力な協調体制を作り上げるのです。
が、出る杭は打たれる。
藩の事業で行った河北潟の干拓で失敗したのを口実に、突然投獄されます。
これに関しては藩内の反五兵衛派による謀略とか、幕府に内緒で行っていた海外密貿易の事実を隠ぺいするための口封じだとか色々言われていますが、真実は今なお謎のままです。
結果的に彼は、投獄後わずか2か月で獄死するという悲惨な結末を迎えるのです。
まさに波乱万丈ですな。
彼の死後、世間の風当たりは厳しく、強欲商人とか傲慢な人間の末路とか色々言われたそうです。
でもそもそも投獄の理由自体が、でっち上げと言われており。
実際のところは、成功をねたんで周りからの潰しにあったという事なのでしょう。
その後月日が流れるとともに五兵衛の評価は徐々に変わっていき。
大成功を収めたスゴ腕の豪商、いち早く海外貿易に目を付けた先駆者などと呼ばれるようになりました。
獄死直後とは正反対ですね。
そんな五兵衛に関する資料を収めたのが銭屋五兵衛記念館。
彼の生涯や手掛けた事業の数々、遺品などが展示され、往時を偲ぶことができます。
特に圧巻なのが1/4スケールで再現された北前船。
このでっかいヤツが海に浮かんでたんだなーと思うと、なんだか想像しただけでわくわくしてきます。
「海の百万石」銭屋五兵衛。
どうそその商魂たくましいパワーを思う存分味わってください。
すぐそばには「銭五の館」もあります。
こちらは五兵衛がかつて住んでいた邸宅の一部を移築したものです。
あくまで一部ですのでそんなに大きな規模ではありませんが、当時の生活の様子を伺い知ることができます。
入場券は記念館と共通になっていますので、こちらも忘れずに見て行ってください。
石川県銭屋五兵衛記念館
住所:石川県金沢市金石本町ロ55
TEL:076-267-7744
関連タグ >> 美術館・博物館
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