
羽咋市歴史民俗資料館 渚の正倉院 氣多大神宮展 part2 等伯の神画が見られるゼ~♪
2025年06月07日

先日なんとなく羽咋市歴史民俗資料館へ行ってみたんですよ。
そしたら以前紹介した『渚の正倉院 氣多大神宮展』の第2段をしれっとやってまして。
全然知らんかっただけに、めちゃくちゃサプライズ!!!
やって欲しかったんですよ、これの第2段。
歴史ある神社の神宝展、大好きなんでね。
と言う事で、早速展示の様子をレポートします!

いきなりクライマックスどーん!
ズラリと並ぶ掛け軸12幅。
長谷川等伯の『十二天図』です。
展示されているのは残念ながら複製なのですが、それでもスゴイ!
1画1画からみなぎる霊力が凄まじい。
これ見れただけでも、ここまで来た甲斐ありましたわ♪

この毘沙門天なんかイカスわ~!
燃え立つ炎輪を背に、鋭い眼光をギラリと放つ。
その身に勇ましく頑強な鎧をまとい、左手に宝塔、右手に宝棒。
仏の教えを守るべく、金剛の力をみなぎらせる。
こんなん家に飾りたいな~。
悪鬼全部祓ってくれそうだわ。

シャコデ廃寺の出土品。
シャコデ廃寺とはまだ仏教黎明期だった飛鳥時代頃に羽咋に建てられたお寺で、気多大社の神宮寺だった可能性が指摘されています。
出品されているのは瓦塔片(がとうへん・五重塔をかたどった焼き物)、瓦、須恵器。
どれもこれも欠片ばっかでボロボロ。
でも当時の信仰の様子を今に伝えてくれる、生々しい歴史遺物です。

『一宮気多社格式列記次第』。
講堂における神職・社僧の配置図が描かれています。
イメージ的に言えば結婚式の席順表みたいな感じですかね。
序列の高い人は前の席、下っ端の連中は後ろの方にチマチマ。
何気に仏像や仏画の配置まで記録されてるのが興味深い。

『一ノ宮・同村寺家村絵図』。
1853年(江戸時代末期)に作成されたもの。
当時の気多大社の社殿配置と、周辺の神職の屋敷位置が記録されています。
これ見ると、メインの部分は今とほとんど変わってないんですね。
信仰の心臓部として大切に守り継がれてきたのでしょう。
あと正覚院の位置が今と微妙に違いますが、これはただ単に絵図がラフだからなのか?それとも実際に移動したからなのか?
その辺りちょっと不明。

『気多社々僧連署起請文』。
神仏に誓いを立てる決意表明文みたいな感じで、気多の社僧として神前の勤怠を怠りませんみたいな事が記されています。
約束破ったら神罰もいとわないと。
ちなみにこの起請文、「紙」が重要です。
ただの紙に書いてもダメなんです。
それ専用の紙があるのです。

それがコレね。
『牛王宝印版木』。
この版木の文字をスリスリして、その裏に起請文を書くのです。
ちなみに牛王(ごおう)=牛頭天皇(ごずてんのう)。
文字通り首から上が牛の姿をしていて、もの凄くおっかない神さまです。
この神さまに誓いを立てる事で、不退転の決意を表すのです。
もし約束破ったりなんかしたら、そりゃもう、ああ・・・恐ろしい・・・。(←謎)

『前田利家寄進状』。
利家が金分宮(きんぶんぐう)と高座宮(たかくらぐう)へ、田地五町を寄進したと書かれています。
金分宮と高座宮はふたつ合わせて須須神社(すずじんじゃ)と呼ばれており、式内社(平安時代に記録された全国有名神社リスト)に名前の挙がる須須神社(すすのかみのやしろ)の後継と考えられています。
つまり気多大社と肩を並べる大神社。
ゆえに利家もこうして篤く庇護したんですね。

羽咋市歴史民俗資料館の「渚の正倉院 氣多大神宮展 part2」。
充実してますわ。
見てるだけでわくわくが止まらん!
でもまだまだこんなモンじゃないでしょ?
もっともっと出してよ、気多大社神宝。
前回もそうだったけど、奉納品とかが全然出てないじゃん。
出し惜しみせずに、今しか見れねー的なスゴイのガンガン出してくれー!
第3段、待つ。
関連タグ >> 美術館・博物館 羽咋市歴史民俗資料館 気多大社
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