
南砺市埋蔵文化財センター やっぱ古代遺跡の出土品おもしれ~♪
2023年01月21日

なんやら田んぼの中にぽつーんとある南砺市埋蔵文化財センター。
高瀬遺跡から出た出土品の保管・展示をしている施設です。
高瀬遺跡とは平安初期の役所跡で、発掘によって3棟の建物があった事が確認されています。
他にも木簡や木製品・瓦など、当時の様子を知る貴重な手掛かりとなるようなものがゴロゴロ。
現在は埋め戻されて公園化されています。

こちらはその建物跡。
中央に主殿、左右に翼殿。
用途は不明。
恐らくお役所的なものだったと推測されていますが、なにしろ1000年以上も前の話。
今となっては永遠の謎です。
その辺は適当にイマジネーションを働かせて遊んでください。

話を戻して南砺市埋蔵文化財センター。
建物は3階建てになっていて、1階は受付とロビー、2・3階が展示室となっています。
こちらは2階展示室の様子。
先土器~弥生時代くらいまでのものが展示されています。
素朴で土臭いものがズラリ。

これらは石器。
主に頁岩(けつがん)というドロが固まった石で作られています。
ただ中にひとつだけ特異なのがあって、それが右側の黒い石器。
これは黒曜石(こくようせき)と呼ばれる火山性の石で、この辺りでは採れません。
恐らく青森県産のものであると推定されています。
青森県ですよ、青森県!
これが出てきたのは富山の西部、南砺市。
距離にしておよそ700km弱。
1万年以上も昔にそんな長距離を人は往来してたんですからね。
もう驚嘆の一言です。

こちらは縄文時代前期の石器。
先の石器に比べて、加工の技術が格段に向上しているのが分かります。
黒曜石もチラチラありますね。
この中で見て欲しいのは左側の白い石。
やっぱり県外産の石で、新潟のヒスイです。
多分糸魚川辺りだと思いますが、青森程じゃないにせよ相当な距離(約120km強)。
そんな遠地と交流して、こうして物資が行き来してたんですね。
いやー行動範囲広いわ、古代人!

これなんかも面白いですゼ。
縄文時代の土偶です。
左のぷっくりしているものは間違いなく妊婦ですね。
恐らく多産・子孫繁栄の祈りが込められているのでしょう。
欠損している事にも意味があり、何らかの宗教的儀式で故意に破壊されたものと考えられています。
「破壊」は「再生」に繋がり、当時既に『生命の循環』という思想があったことを匂わせます。

続いて3階展示室。
先に話の出た高瀬遺跡の出土品はこの部屋に展示されています。
時代としては奈良~近世頃。
2階と違って洗練性が高まり、明らかに文化の香りが感じられます。

こちらが高瀬遺跡からの出土品。
かわらけや木簡・木製品など色々。
量もバラエティも豊かですな。
それだけ様々なモノやヒトが行き交う場所だったという事なのでしょう。
当時の行政の中心地だったという説も納得いきます。

注目は何と言っても木簡ですね。
文字の説得力は強力。
モノからなんとなく想像するのではなく、そこに込められた人の意思がはっきりと読み取れますからね。
時代を正確に考証するには欠かせない資料です。
とは言っても、シロウトのわたしには何書いてあるのかさっぱり読めんけどね。

この真っ黒の碗は梅原胡麻堂遺跡から出た瀬戸天目茶碗。
天目茶碗ってんですから中国からの舶来品っぽいけど、国産品みたいです。
こんなん好きですわ~♪
ぐねぐねした不器用なラインがメッチャいいじゃないですか。
黒く沈む色も超ストライク!
部屋に飾りたい~。

様々な遺跡から出た陶器がズラリ。
完全体に近いものもありますが、ほとんどはツギハギ。
恐らく学芸員の人が一片一片丁寧に組み合わせて復元したのでしょう。
大変だろうなこんなの。
泥を落として、洗浄して、パーツひとつひとつの形を検証して。
関係ないものを弾いて、必要なものだけを拾って。
そんな作業を地道~に繰り返して、最後にひとつに組み上げる。
短気なわたしにゃ絶対無理ーーー!!!

これも面白いですよ。
鳥形金銅製品。
見ての通り、金属製の鳥の像です。
作られたのは鎌倉時代。
何に使われたものかは不明。
何らかの祭祀具だったか、あるいは建物などの装飾パーツだったか。
本体に穴が開いているので、何かの一部であったことは間違いないようです。
わたしは法具の部品だったんじゃないかと思うんですけどね。
う~~~ん謎じゃ・・・・(悩)。

古代ロマンがぎっしり詰まった南砺市埋蔵文化財センター。
楽しいですよ~。
わくわくキますよ~。
古代好きには思いっ切りハートどっきゅん!な場所。
遺跡や遺物が大好きって人、ぜひ一度遊びに来てみてください。
すぐ裏手は高瀬遺跡公園。
ついでにぷらぷら遺跡散歩も楽しんでってください。
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