
ハニベ巌窟院 不動明王~涅槃仏編◆この洞窟のフィナーレがここにあります
2022年04月09日

長々とお送りしてきたハニベ巌窟院レポート。
1回目はエントランスを。
2回目は巌窟院前の広場を。
3回目は巌窟院内入口側を。
4回目は巌窟院内地獄ゾーンを見てきました。
そして最終回の今回は、巌窟院出口側とその先にある広場を見ていきます。
では早速洞窟内の様子から。

ガーン!と登場、不動明王!
背後に火炎光を燃え立たせ、憤怒の形相でこちらを睨みつけています。
持物はお決まりの宝剣と羂索(けんさく)。
剣は敵を打ち倒すため、羂索は迷える衆生を残らず救い上げるための武器ですね。
脇侍は向かって左に制吒迦童子(せいたかどうじ)、右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)。
これもお決まりのコンビ。
制吒迦童子のシワクチャ顔が面白ぇー♪

その隣の部屋には閻魔大王。
ご存知、あの世の裁判官ですね。
意外と知られてませんが、実は死後の裁判は1回ではありません。
あの世には5人の裁判官がいて、宋帝王→五官王→閻魔大王→変生王→泰山王と7日おきに計5回の裁判が行われるのです。
なので閻魔さまの一存で全てが決まる訳ではないのです。
でも見方を変えれば、こんな怖い裁判官に5回も裁判される訳で。
どうしよう・・・・。(←悪いコトばっかやってきた人生)

なぜか突然風神雷神のレリーフ。
この画、タッチがどことなくコミカル。
なんでかなー?とよーく観察してみると、あっかんべーしてんですよね、両神とも。
仲が悪いのか?遊んでるのか?
なんかよー分からん、風神雷神図です。

もう1発レリーフ。
ミトナ像です。
前々回記事で出てきたエロ部屋にあったのと同じヤツのレリーフ版。
ただアッチほどはドギツさのない、大人し~作風になっています。
ちょっとなんかギリシア・ローマ的な雰囲気がありますね。
元々インドの仏教美術やガンダーラ美術は、オリエントの影響を強く受けて生まれたものですからね。
そんな匂いが入り込んでいるのかもしれませんね。
このレリーフ作ったのは日本人だけど。

その先には最澄と法然の像。
最澄は天台宗を、法然は浄土宗を興した人ですね。
この両像、見ての通りやけにリアルなんですわ。
写実性が強いと言うか、あんまりアート的なデフォルメがない。
基本的にここにはこの巌窟院を作った都賀田勇馬(つがた ゆうま)とその息子の作品しかないはずなのですが、この像にはそのどちらの雰囲気も感じられない。
これ本当に都賀田親子の作品なんですかね?
ちょっと違和感。

その次に現れる大きな部屋にあるのがこちら、お釈迦さまファミリー。
座禅を組むお釈迦さまを中心に置いて、高名な十大弟子が左右を固めています。
十人十様、個性豊かな姿。
質素ですな、どのお弟子さんも。
この頃の出家信者ってのは基本的に在家信者からのお布施だけで生活してましたからね。
ごくごく貧しい生活だったのですよ。
当然お釈迦さまも貧粗~な日々を送っていたと思われます。

そこから進むと小さな空間があり、そこに祀られているのがこちらの愛染明王。
「愛」の言葉から分かる通り、御縁結びの神さまですね。
わたし、仏さまの中ではこの愛染明王が一番好きでしてね。
だって「愛」に全然縁がないし。
どなたか素敵な愛染明王像、譲っていただけないでしょうか?
お礼にラーメンくらいはおごります。(愛染明王=ラーメン1杯?)

このすぐ先が出口。
巌窟院修了です。
お疲れ様!
でもね、これで終わりって訳じゃないんです。
洞窟を出た所に岩盤を掘り抜いた狭い通路があって、その先が小さな丘の上の広場へと繋がっています。
そしてそこに最後のクライマックスが待っています。

それがこちらの涅槃仏。
釈迦の入滅(にゅうめつ・臨終)の姿を描いた像です。
ここで以前の記事を思い出してください。
釈迦の生涯を辿った部屋で、なぜか釈迦の最後について触れられていませんでした。
その物語の結末がここにあるんですね。
つまりここまで登ってようやく巌窟院のプログラムの全てが完結するって事なんです。
なかなかニクイ演出じゃの~♪

意味不明とおどろおどろしさと仏教エッセンスがギンギンに楽しめるハニベ巌窟院。
とにかくね、衝撃ですわ。
ここはこんな所って分かってて行っても衝撃的。
そのくらい強烈な場所です。
どうぞ行く時は覚悟を決めてご訪問ください。
駐車場脇にはお土産物屋さんもあります。
訪問の思い出にハニベ焼きの置物なんていかがですか?
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