
石動山 仁王門ルート編 ついに到着!大御前!
2022年01月24日

ふもと・伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)横ルートと2回に渡ってお届けしてきた石動山(せきどうざん)レポート。
最終回となる今回は仁王門ルートを見ていきます。
入口の目印はこちらの石柱。
細~いぐにゃぐにゃ道の途中にあります。
一応すぐ手前に数台停められる駐車場があるので、ここから登りたい人はその駐車場を利用してください。

そこから坂道をちょっと上がった先にあるのがこちら、仁王門跡。
ガツーン!とそびえる立派な仁王門が「あった」場所です。
サイズは横11メートル×奥行7メートル。
結構な大きさ。
その規模から分かる通り、かつてはここが石動山の正式な入場口でした。
ただ現在はご覧の状況になってて、門の姿は既にありません。
が、大丈夫。
実はここにあった門、今もまだ残されています。
場所はこのすぐ近くにある長楽寺というお寺。
なかなかに見応えのある門なので、時間がある人はぜひ行ってみて下さい。

こちらは現場に残っている礎石。
礎石というのは柱の根元に敷く石ですね。
表面に四角い窪みがあるのが分かると思いますが、この位置が柱が立てられていた場所です。
こんなの今じゃコンクリートでちゃちゃっとやっちゃうんですけどね。
昔はこうやって柱1本ごとに手作業で石を据えて、柱の形に合わせて削っていたんですね。
いやーしんどそうだ!

その先をスタスタ進むと、次に見えてくるのが行者堂。
役小角(えんのおづぬ)を祀るお堂です。
役小角とは修験道の開祖で、様々な伝説を持つミステリアスな人物です。
やれ鬼を使役しただとか、自由自在に空を飛んだだとか。
んなコトある訳ぁないのですが、それだけカリスマだったって事なのでしょう。
今でも修験道の世界では神のように崇められ、全国各地色々な場所で信奉されています。

この建物がものすごく貫禄があってね、い~いのですわ♪
屋根は入母屋、桁行(けたゆき・正面側)3間、梁間(はりま・側面側)2間の平入。
壁は羽目板の平張りになってて開口部ナシ。
この密閉感がね~、なんか神秘性むんむんというか。
中どうなってんのよ?見せて~~~!的な心をグイグイくすぐります。
見てえ・・・(うずうず)。

そして壁なんですけどね、よーく見るとなんとなく着色の痕跡が残されています。
朱色っぽい色がぼんや~り。
これは恐らく神社時代の名残りでしょうね。
ってのはこの建物、一時期神社の拝殿として移築・流用されていた事があったのです。
恐らくこの朱色はその時に塗られたものでしょう。

そして最も意味深なのが、この扉に刻まれた卍マーク。
なんかものすご~く呪術的。
まるで内部に何かヤバイもんでも封印しているみたい。
何があるんだ中?
鬼か?邪か?
一体何隠してんの?
見たいーーーー!!!!

そこからしばらく山道を登ると、次に現れるのが剣の宮跡(つるぎのみやあと)。
五社権現の一柱、剣宮降魔大権現(つるぎのみやごうまだいごんげん)を祀ったお宮があった場所です。
五社権現については前回記事を参照してください。
剣宮降魔大権現とは何ぞや?と言うと、神道的には市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)または素戔嗚尊(すさのおのみこと)、仏教的には倶利伽羅不動明王(くりからふどうみょうおう)とされています。
何言ってるかサッパリ分からんと思いますが、実際難解です。
これには本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)という、これまたややこしい思想が関係してまして、まあざっくり言うと仏は様々に変化して現れるという考え方です。
なので実態はひとつでも色々な呼び名や姿があるんですね。
んアー、めんどくさっ!(笑)

これはお宮があったとされている土段。
ごく小さな盛り上がりなので、小規模な祠があった程度だったのでしょう。
ご神体として祀られていたのは(多分)不動明王を暗示する炎の剣の像。
この像は今でも伊須流岐比古神社に残されています。
残念ながら現物を見ることはできませんが、すぐ隣の大宮坊に行けば写真は見られます。

その先にあるのが火の宮跡(ひのみやあと)。
こちらは剣の宮跡と違って社殿と呼ぶにふさわしい、堂々としたサイズ(と言っても建物は残ってないけど)です。
祀られているのは火宮蔵王大権現(ひのみやざおうだいごんげん)。
神道的には大物主神(おおものぬしのかみ)または加具土神(かぐつちのかみ)で、仏教的には聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。
なんでこんなに名前がいっぱいあるのかと言うと・・・・この話はさっきした??(笑)

そこから再びひとしきり山道を登ると、いよいよ大御前(おおごぜん)。
石動山山頂です。
ゴォォォォーーール!!!
ご覧くださいこの石段。
もうわくわく感いっぱい♪
この先にあるんですよ~、石動山最大のクライマックスが!

それがコチラ!
・・・・・・・・。
意外と素気ねーな(汗)。
ただね、現場に実際立つと分かるのですが、すげー空気が静謐なのですよ。
どことなーく神霊感むんむんと言うか。
おーいるわいるわ、神さま絶対いるわ、間違いなくこの場所にいるわ、的な独特の感覚です。
祀られているのは大宮大権現(おおみやだいごんげん)と白山姫神(はくさんひめのかみ)の2神。
大宮大権現は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、白山姫神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)と十一面観音(じゅういちめんかんのん)の別名を持ちます。

社殿はご覧の通り、ハンパなくオンボロ。
目で見ても分かるくらい柱が傾いてます。
中には部材が外れかかってる場所なんかもあって、ヤバさ全開!
山頂なんでね、風に当たりまくるんでしょうね。
冬は鬼のように雪が積もるだろうし。
そりゃ劣化早いですわな。

建物の足元には瓦が置かれています。
現在は銅板葺きになってますが、その前は瓦葺きだったのでしょう。
丸瓦と平瓦が並べられているので、本瓦葺になっていたようです。
本瓦は重いんでね、建物への負担がメチャメチャでかい。
その上にさらに冬場の雪も加味すると、総重量は相当なものだったはず。
柱が傾いたのは、恐らくこのせいでしょう。

左脇には謎の積み石。
願いを込めて積む石ですね。
わたしも積んできましたよ、石。
なんたって煩悩の塊ですからね!
そりゃーもーくだらーん願いを込めて積んできました。
その場に神さまがいたら多分シバかれてたな。(←何を頼んだ?)

以上で終了、石動山レポート!
いい山です。
本当にいい山です。
1000年以上に渡って受け継がれてきた信仰の空気。
どうぞ存分に味わってください。
特に山頂の大御前は本当に神聖感が格別です。
普通に山登りになるので登頂は大変ですが、そんな苦労なんてブッ飛ぶくらい素敵な場所。
来て損はありません。
ぜひ一度はお参りしてみて下さい!
関連タグ >> 遺跡 石動山
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