金沢城の石垣 石川門付近◆ここが金沢城の石垣の原点
2021年11月27日
金沢城の石垣、前回はいもり堀付近に展示してある石垣のサンプルを中心にレポートしてきました。
今回からいよいよ本物の石垣を見ていきます。
なんたって「石垣の博物館」の異名を持つお城ですからね。
バリエーション豊か。
アッチもコッチも見所だらけです。
ではまず今回紹介する石垣の位置確認。
前回同様、金沢城の石垣マップで見ていきます。
今回見ていくのはいもり堀付近から石川門まで(赤文字の部分)。
県外から金沢城観光に来た人は、多分あんまり歩かないエリアです。
でもね、い~い石垣がいっぱい見られるんですよ、ココ。
素通りは絶対もったいないですよ!
スタートは段々石垣。(※石垣マップの1)
輪郭がガックンガックン入り組んで、スゲー事になってます。
何度見ても圧倒されますわな、この要塞感。
ここからの侵入は絶対許さねーぞ!って気合いでむんむん。
見てるだけで吹っ飛ばされそうです。
まさに戦いのアート!
でもこの石垣、元々は段のないフラットな壁面でした。
確かに冷静に考えると、こんだけ段々があると足場ができて登りやすいですわな。
それがなんで今の形になっちゃたかと言うと、明治時代に一度崩れたから。
なんでも陸軍が土を取るのに石垣の下を掘ってたら、石垣に近づき過ぎて崩落しちゃったんだそうです。
アホやの~(笑)。
で、積み直した結果、段々ができちゃったのです。
その補修の痕跡は石垣の表情から読み取ることができます。
現在はご覧の通り4段となっていて、一番下は軍が一から積んだオリジナルです。
2段目は江戸期に詰まれたオリジナル。
3・4段目は軍が補修したものです。
だからよーく見ると2段目だけ石の表情が荒いでしょ?
1・3・4段目は石を斜めに積む「落とし積み」、2段目だけは不規則に積む「乱積み」。
この違いは築造期の違いから来ているのです。
ちなみにこの石垣、かつては突端に辰巳櫓と呼ばれる櫓が建っていたそうです。
その櫓跡からの眺めがこちら。
素晴らしいね、この高度感。
なんだか空を飛んでるみたい!
実はこの辰巳櫓、現在も進められている金沢城の復元事業計画において再建の候補に挙げられました。
しかしながら明治期に一度足元の石垣が崩れているのと、その際に櫓台が削られてしまった事で、足場の強度に不安アリということで見送られてしまいました。
うーーーー残念。
ホント明治陸軍、余計な事してくれたモンです。
そこから石川門方向に向かってぐるりと回り込むと、長い高石垣がずらーっと続きます。(※石垣マップの2)
この辺りは金沢城内でも最も古い石垣が並ぶエリアで、それゆえご覧の通り実に積み方が粗野。
自然石をゴツゴツッと積み上げた、いわゆる「野面積み(のづらづみ)」というスタイルになっています。
これがもーカッコエーのですわ♪
石垣の表情ってのは時代と共にどんどん洗練性を高めていくのですが、それゆえどこか優しい見た目に変わっていきます。
でもここは城ですんでね。
戦闘要塞ですんでね。
いかつくゴツゴツしててナンボ。
この原初の姿こそお城のバリケードとして最強の表情だと思うのですよ。
こちらは別角度から。
木で全然見えんけど、高度感満点の高石垣がズバッとそびえています。
下から数えると全部で3段。
先の例を参考にするとここも積み直ししたの?って感じですが、この段々は一切いじられていないオリジナルです。
3段になっているのにはちゃんと理由があって、まず1番下は元々水堀だった頃の名残りです。
その上の2段がバリケードとしての地上部分で、全高約21メートル。
わざわざ2段に分けたのはこの21メートルの高さを確保するためで、こうしないと石垣が崩れたのです。
石垣建造当時(1592年)、まだこの高さを一直線に積み上げる技術がなかったんですね。
百間堀園地から見上げる石川門。(※石垣マップの3)
画になるわ~~♪♪
観光パンフレットなんかでお馴染みの構図ですね。
ただ今回のテーマは石垣。
見て欲しいのは石垣です。
この石川門下の石垣もよく見ると面白い事になってます。
それは石の角度。
この石垣、よーく見ると石材の下部分をアゴを出すようにやや出っ張らせて積んであります。
だから凹凸が激しく、表情が荒々しくなっています。
これ、この石垣を積んだ後藤彦三郎・小十郎という親子のこだわりだそうです。
先に説明した通りこの場所は元々水堀だったのですが、石工職人的に「水堀の石垣は荒くあるべし!」ってのがセオリーだったそうで。
なのでこうしてわざわざ石の角度をズラして荒い仕上げにしたのです。
いつの時代も職人ってのはメンドー臭いねー(笑)。
そしていよいよ城内へ。(※石垣マップの4)
石川門をくぐります。
すると目にするのがこの光景。
おかしいですよね?
左と右とで石垣の積み方が違う。
なんでこんな妙なコトになっとんじゃい!?と疑問に思われるでしょう。
実はこの石垣、火事で焼けて一度積み直しされています。
その積み直した部分が右のキレイな方、左の荒い方はそのままにされた部分。
つまり中途半端なまま補修を終えてるんですね。
なんでそんな妙な事をしたのかというと、お金がなかったから。
この頃の藩の金蔵はスッカラカン、収支は借金まみれのド赤字。
そんな中での石垣修復はかなりの負担だったらしく、苦肉の策として取られたのがこの「半分だけ直しましょう作戦」。
そしてその哀れな姿のまま現在まで残されてしまったのです。
直してない方のオンボロ感、すごいですよ。
隙間を埋める間詰石(まづめいし)が取れてしまって、奥にある栗石(ぐりいし)がボロボロこぼれてしまっています。
ただこれが楽しくてね。
栗石にどんな石が使われていたかが分かるんですよ。
パッと見ただけでも花崗岩、安山岩、砂岩、礫岩、凝灰岩と手当たり次第。
多分どこかこの近くから適当にかき集めてきた石を片っ端から突っ込んだんでしょうね。
恐らくは浅野川と犀川の河原あたりじゃないですかね。
次回はさらに城内に入り、二の丸周辺の石垣を見ていきます。
この辺りはいわば金沢城の心臓部。
古いものから平成になって積み直されたものまで様々な石垣模様が楽しめます。
そして金沢城石垣のトレードマークとも言える謎マークもいっぱい!
密度の濃い石垣散歩をお楽しみください。
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