
守長山 静明寺 くぐってはならない山門のミステリーを解け!
2021年02月27日

浅野川沿い、ひがし茶屋街のすぐ近くにある天神橋を渡り、ちょっと上流側へ行ったところに閑静なお寺があります。
静明寺(じょうみょうじ)です。
縁起によると元々のルーツはお隣の富山県で、加賀藩二代目藩主前田利長との縁でこの地に寺地を賜ったそうです。
最初は八坂という場所にあったのががけ崩れにより倒壊、その後現在の場所へと移転しました。
八坂はここから徒歩で5分程のところです。
名前の通り傾斜地になっていて、元々地盤も弱かったのでしょう。
そこが雨か地震なんかで緩んで、ガラガラッと崩れて被災しちゃったんでしょうね。
お寺さんも天災にゃー勝てんという事です。

入口でまず目にするのがこの山門。
中央に主となる鏡柱を2本、裏手に補助的な控え柱を2本備えた薬医門です。
全体のバランスがいいですね。
上部の屋根と下部の門扉とのサイズ比、黒→深茶色へと移っていく色調のリレー。
落ち着いた風合いです。
両脇には白漆喰の土塀。
腰回りには下見板張りを巡らせ、上部はやはり黒瓦をかぶせてぎゅっと締める。
「ザ・和風建築」を絵に描いて額に収めたようなきれいな構成です。

そんな中ひとつ不思議なのがこのパーツ。
門扉の上のスペースなのですが、「×」印に木骨が組まれています。
これは「たすき桟」と呼ばれる装飾パターンで、暗に「進入禁止」を意味しています。
でもここは入口。
ここで「入るな」って言われたら、じゃ一体どっから入ったらいいのよ?みたいな。

参考までにこれは来教寺の裏門。
門扉にたすき残が入ってるのが分かりますよね。
これはつまり「一般の人はここからは入れません」という意味です。
実際常時閉ざしっぱなしになってます。
でも静明寺の場合はこのたすき桟が表の正門にあるんですよね。
なんでかね?
・・・んーーー謎じゃ・・・(悩)。

そんな意地悪山門(←?)を抜けて左手に見えるのが鐘楼(しょうろう)。
こちらのビジュアルも、わたし好みのガチガチのイケイケです。
基壇の石組みはテクニカルな切込接(きりこみはぎ)。
隙間なくきっちり組み上げつつ、横のラインは揃えずにバラし、同時に石材の色を散らすことで動感を表現。
上物は4本の太い丸柱を上部に向けてちょびっと傾斜させた内転び構造。
彫刻等の装飾は抑えつつも、組み物の造形や整然と並ぶ部材の連続でテンポの良いリズムを作り出しています。
そして中央につるされた鐘。
ごってりと分厚く、緑に沈む銅の色調が重く深く。
下部には神獣である龍をあしらい、突き座の上部には「南無妙法蓮華経」の文字を力強く刻む。
こりゃいい音出そうだ~~♪
突いたらダメ?(←ダメ)

そして中央正面にあるのが心臓部の本堂。
これがまた迫力あるのですわ。
まず目を引くのが、ばっさりとかぶさった大振りな切妻屋根。
建物自体横幅がありますんでね、サイズ感が強烈。
さらにその軒下に施された梁と束のデコレーション、これがもう最強にアート。
白漆喰のキャンパスの中、強弱を交差させながら縦横に走るラインが悶絶の美しさ。
設計した宮大工さんのセンスがぴっかぴかに光る、スペシャルな逸品です!

その本堂の左わきに小さな墓碑があります。
見たそのまんま、徳田秋声の墓碑です。
徳田秋声とは明治終わり頃~昭和初め頃にかけて活躍した、金沢出身の小説家です。
泉鏡花・室生犀星と共に金沢三文豪の一人に数えられ、数々の名作を残しました。
今でも本屋や図書館に行けば作品が簡単に見つかりますので、興味のある人は一度読んでみてください。
ここはそんな彼の菩提寺であり、分骨を頂いて建てたのがこの墓碑なんだそうです。

その墓碑の横にこんな石板が掛けられています。
これは秋声を紹介した井上靖の直筆原稿を石板化したものです。
書いてある内容は・・・。
あー・・・・。
まー・・・・。
・・・色々書いてあります。
読みにくすぎるわ・・(笑)。

徳田秋声と深いつながりを持つ静明寺。
その名の通り、落ち着きのある静かなお寺です。
あせらず慌てず、ゆ~っくりとお参りください。
なおこのすぐ近くに徳田秋声記念館があります。
秋声の事を色々知りたいって人は、そちらも合わせて訪れれば、より楽しみが深まるかもしれませんよ。
守長山 静明寺
住所:石川県金沢市材木町 28-18
TEL:076-231-4054
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