
上田城藩主居館跡 バンクシーはここに来ちゃいけません!
2021年01月30日

上田城のほど近くに上田城藩主居館跡と呼ばれる江戸時代の遺構があります。
ここ何かと言うと、名前そのまんまなのですが、上田藩の歴代藩主が住んでいた屋敷跡です。
屋敷跡とは言っても屋敷は残っておらず、現在見られるのは堀と正門、それと塀の一部です。
かつての趣のほとんどが失われているとはいえ、この門、実に立派でしてね。
これだけでも十分見る価値があります。

カズン!とそびえるこの門姿。
かっちょイイ~~じゃないですか!
正面にはガッチリ屈強な4本の主柱。
三間一戸(柱と柱の間が3か所、その中央に大扉)の堂々たる門構えは、もう圧倒的とも言える迫力。
藩主屋敷としての威厳をむんむんと放っています。
両脇にはひと回り間口の小さなくぐり戸。
一般の人用の出入り口です。
ちなみに大きい方の入口は藩主や上級武士、高貴な客人などの専用路でした。
当時は身分制度のうるさい時代でしたからね、色々面倒臭い決まり事があったのです。

この看板を見て分かる通り、現在この敷地は高校の一部となっています。
なので中には入れません。
内側も見てみたいって人にはちょっと残念。
でもいいですよね~、こんな立派な旧跡がある校舎で高校時代を過ごせるって。
うらやましいですわ。

そんな高校生たちのヤンチャぶりの痕跡がこちら。
白い文字で「上田」。
誰だよ、こんなトコに落書きしたの??(笑)
まあ高校生がやったとは限らないけどね。
落書きなんてやろうと思えば誰でもできるし。
バンクシーなんか世界中でやってますしね。(←あれはまた違う)

門前には玉砂利を敷き詰め、布張りに並べた石畳の通路。
直線感が強調された、シャープなエントランスです。
この石畳は比較的新しいもののようですね。
江戸時代からあるものならもっと表面がすり減ってるだろうし。
そもそもコンクリで固定してあるし。
昭和後期くらいに整備されたものじゃないですかね?

この境界から先が江戸時代ですね。
石の質感が明らかに違って疲労感いっぱい。
よく見ると敷居の木材なんかも思いっ切り擦り切れてますね。
脇の方はまだ少し角が残ってますが、中央はかなり丸くなっています。
門を建ててから240年間、ここを通る人達が少しずつ少しずつ削ってここまで丸くなったのでしょう。

こちらは礎石。
柱の下に敷く石ですね。
よく消失した建物跡を掘り返したら礎石が発見された、なんてニュースを聞きますよね。
その礎石とはこの石の事です。
こうやってまず土台となる石を置いて、その上に柱を乗っけるのです。
なのでこの礎石を辿ることができれば、かつてそこにあった建物の規模や形が分かるのです。

門の両脇には土塀。
これも保存状態が良好で、素晴らしいですね。
特に基壇の石積みが見事ですわ。
きれいに石を成形し、互いに噛み合うように組み上げた落とし積み。
これが見事にビシッと揃ってて。
芸術感ハンパない。
その上には白漆喰。
江戸時代のものとしてはやけに痛みが少ないので、多分何度か塗り直ししてあるんでしょうね。
建物は放っておけば朽ちますのでね、こういったメンテナンスは重要です。

歴代の上田藩主の生活の面影をわずかに残す上田城藩主居館跡。
見られるのは門だけですが、でもい~い門です。
ここを通って上田の殿様が暮らしてたのか~、なんて当時の情景を想像しながらじっくりとご鑑賞ください。
なお、落書きは絶対にいけません。
笑って済まされる問題ではないので、おふざけでもしないように。
バンクシー!
アンタもよ~~~!!!
上田城藩主居館跡
住所:長野県上田市大手 1-4-32
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