
安土城 黒金門跡編 天主閣にあったと言われている「アノ」痕跡が見られる場所
2021年01月11日

信長の城、安土城、前回は大手門から入って大手道沿いに進んできました。
やがて道は二手に分かれ、一方は天主へ、もう一方は摠見寺(そうけんじ)跡へと向かいます。
ここを天主側へと折れ、少し進むと再び直線の長階段が現れます。
この辺まで来るとかなりしんどいんですけどね、でも頑張って登ってください。
もうちょっとで信長に会えます!(←?)

その長階段の先にどどん!と現れるのが黒金門跡(くろがねもんあと)。
「門跡」なので当然門があった訳です、かつては。
でも今はご覧の通り石垣のみ。
ちょっと寂しい。
とは言え本丸の入口を守る門ですからね、さぞかし堅牢な門が建てられていた事でしょう。
しかし今となってはその姿は永遠の謎。
どんな門があったのか、見たかったな~。

で、ちょっと見て欲しいのが石垣の石のサイズ。
ここで突然デカくなります。
通路を歩いている人と見比べて欲しいのですが、大きいものはほぼ人の背丈くらいあります。
いわゆる鏡石(かがみいし)というヤツですね。
ここに大きな石をガツーンと据えることで敵を威圧し、同時に城主の権力者としてのパワーを誇示する訳です。

参考までにこちらはさっき通った、道が二手に分かれる場所の石垣。
やっぱり通行人と見比べて欲しいんですけど、全然違うでしょ、サイズが?
まあまあ大きいとは言っても、大人2人ならなんとか抱えられそうな大きさ。
でも黒金門跡の鏡石は何か道具を使わないとまず移動は無理。
多分1トン以上はあるでしょう。
あんなのえっちはおっちら斜面上まで運び上げて石垣組んだんですからね。
ほぼ狂気ですわ。

そんな武闘派ムードむんむんの黒金門跡を抜けると右に折れるのが本来のルートなのですが、ちょっと左側を見てください。
なんやら細い脇道があります。
なに?なんかあんの?的な怪しい脇道。
この先にあるのは「伝長谷川秀一邸跡」という広場。
せっかくなので行ってみましょう。

道の先は広場に突き当たっていて、そこにはご覧の通り4基の五輪塔がずらり。
案内板によると左から順番に織田高長(おだ たかなが・2代目)→長頼(ながより・3代目)→信武(のぶたけ・4代目)→信雄(のぶかつ・初代)の供養塔なのだそうです。
この供養塔、普通に考えて、初代の信雄のものが一番くたびれてそう。
でもなぜかその信雄のものが一番シャキッとしてます。
なんでですかね?
多分どこかの時点で作り直されたんだろうけど、その辺りの経緯については不明です。

改めて本道に戻ってすたすた進むと、曲がり角に謎に大きな石がふたつゴロリ。
いかにもなんやら意味ありげ。
この石に関して現場にはなんの案内もないのですが、これは明らかに石垣用の石材ですね。
ただこの石が崩落した石垣の残骸なのか、あるいは造成過程で余って放置されたものなのか、その当たりは不明。
いつ頃からここにこうやって置いてあるのかも不明。
多分石垣修繕の際にサンプルとしてわざと残したものだろうとは思うんですけどね。
ただ唐突に置いとくんじゃなくて、なんか説明欲しいわね。

その道の先に再び謎な石。
こちらはさらに意味ありげ。
これ何かと言うと、仏足石です。
仏足石とはなんぞや?というと、お釈迦さまの足跡を彫った石ですね。
今でこそ仏教と言えばお寺があって仏像があって、って感じですが、古代仏教においては仏や釈迦を像や絵で描くことはタブー中のタブーとされていました。
そんなん作るなんて恐れ多いわ!って事ですね。
でも布教するに当たって、やっぱ何か具体的な「形」が欲しい訳ですよ、崇拝の対象として。
そこで生まれたのがこの仏足石なんですね。
お釈迦さまの姿を直接表現するのではなく、足跡という間接的な表現物を作ることで、信仰の対象としたのです。

ただこの石は、前回記事で見た階段の踏み石に使われていた石仏と同じような感じで、石垣の部品として使われていました。
それが古くなって崩れたはずみに、ゴロンと出てきたんだそうで。
ありえんですね。
どこまで仏教を足蹴にするのか、織田信長?
いやーこの人、やっぱ魔王だわ(笑)。

その仏足石横にある階段を登ると、ちょっとした広場に出ます。
中央には「護国駄都塔」と刻まれた石碑。
なんやらよー分からん場所なのですが、この場所、何気にある面白いものが潜んでいます。
それは広場の右側、天主石垣の真下です。

これね。
ちょっと分かりにくいけど。
この場所、画像では落ち葉で隠れちゃってますが、礎石が並んでいます。
礎石とは柱の土台部分に据えられる石。
それがあるなら当然その上には柱が立っていた訳なんだけど、でもここは天主石垣の外側、つまり「建物の外側」。
その位置になぜ柱が必要だったのか?
実はこの上部、テラスになっていたと考えられています。
「安土城天主にはテラスがあった」って話をよく聞くと思うのですが、その強力な根拠となっているのがこの礎石の存在なのです。
もしこの説が真実なら、かつて信長がこの上に立ち、眼下の部下たちを悠然と見下ろしていた、なんて光景があったのかもしれません。
なんか想像しただけでシビれるわあ~~♪♪

今回はここまで。
次回はいよいよクライマックスである天主閣までのルートを見て行きます。
日本史上初と言われる天主閣があった場所。
建物は既に失われ、現在は痕跡が残るのみですが、でもその空気感は別格。
ロマンあふれるイ~イ場所ですよ~♪
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