
白尾灯台 行方不明の「頭」はどこに!?
2020年11月07日

ざざーん!と白波が打ち寄せる日本海。
その日本海の際に立ち、1世紀もの間航海を見守り続けてきた灯台があります。
白尾灯台です。
場所はのと里山海道の白尾インターを降りてすぐ、ちょっと高台になった丘の上にあります。
行ってみると分かりますが、ものすごーく眺めのいい場所で、さーっと吹き込む潮風が強烈に爽快です。
冬は地獄に寒そうだけど(笑)。

建てられたのは大正3年。
ちょうど第1次世界大戦が勃発した年。
航海の目印と、航路安全の確保を目的として建造されました。
その当時はまだ木造だったそうで、現在の鉄筋コンクリート製へとリメイクされたのは昭和42年になってからです。
なので今あるのはこの二代目の方です。
やがて時代は進み、多分GPSとかが普及したからじゃないですかね、次第に灯台が不要のものとなってきました。
そんな状況下、全国的な灯台のリストラが始まり、この白尾灯台にも白羽の矢が立てられ、平成30年、ついにその役目を終える事となったのです。
104年間の生涯でした。

造りは既に書いた通り鉄筋コンクリート。
下部にブルー・上部にホワイトのタイルを貼り、スマートなフォルムでスカッと空に向かって伸びています。
ちなみに灯台が白いのは、海から見た時の視認性がいいからだそうです。
陽光を反射することで、遠くからでも見付けやすいんでしょうね。
下部のブルーは多分海のイメージでしょう。

入口にはアルミの扉。
入ってやろうかと思ったら鍵が掛かってて入れませんでした、当たり前だけど(笑)。
上のプレートには灯台が最初に建てられた年と、鉄筋に建て替えられた年が刻まれています。
建築で言えば棟札みたいな感じですかね。
ある意味履歴書です。

灯台の真横にはこんなのもあります。
恵比寿神社。
えべっさんと言えば、釣り竿担いで大きな鯛を抱えてる姿でお馴染みです。
ご利益は見た目そのまんまの「豊漁」。
つまりこの神社は漁の成功を祈って建てられた神社なんですね。

建物はシンプルな切妻屋根の流造(ながれづくり)。
流造ってのは屋根の前部分がばさっと長く伸びてる形式です。
構造としては柱が建物の四隅に1本ずつある一間社。
ごくごーくシンプルな正方形の社殿になっています。
周囲はご覧の通り、アルミとガラスの覆堂(おおいや)でがっしりとガード。
場所的に潮風がモロに当たるので、保全のためのバリアなのでしょう。

丘をちょっと降りた所には、小さなな広場があります。
ここは一応公園って事らしいですが、特に遊具はありません。
あるのは2基の石碑と御亭(おちん)のみ。
ほぼ人に遊んでもらう事を想定していません。
わたしが行った時には、謎のおっさん二人が歌をうたってました。
なんやったんやろ、あの人たち?(笑)

こちらは石碑。
岩佐健吉(いわさ けんきち)って人の歌が刻まれています。
岩佐健吉って誰か知らんけど。
もうひとつは唐仁屋三郎兵衛(とうじんや さぶろうべい)って人のお話。
この人は廻船で財を成した豪商なんだけど、でもドジって一夜で破産したんだそうです。
そのドジの舞台となったのが、この灯台の建っている丘。
ゆえにこの丘は「鬼ヶ山」と呼ばれてるんだそうで。
人間、成功している時ほど調子ン乗ったらダメって事です!

最後にもうひとつ、ちょっと灯台の頭を見てみてください。
どうです?なんか感じません?
そう、光源がないのですよ。
本来なら竿の頂上にピカーっと光を飛ばす器具があるなずなのですが、それがごっそりなくなっています。
これね、実は取り外されて別の所に保管されているのです。

それがこちら。
白尾灯台から車で2分の「海と渚の博物館」って所に展示されています。
なんで取っちゃったのかは不明。
でもおかげで手の届かない高い所にあるはずのものが、超間近で見られます。
近くで見たらこんなんなってんのかー!!みたいな。
灯台マニアにはむしろ嬉しいサービスかも?

大正から平成まで働いた白尾灯台。
ちょーっと場所的に見付けにくいかもしれませんが、灯台大好き♪って人はぜひ見に行ってみてください。
高台から見下ろす海の大パノラマは、マジ爽快ですよ!
海が好きな人はもうちょっと車を走らせて千里浜ドライブもどうぞ。
ここは日本で唯一、車で走れる砂浜です。
窓全開にしてすかーっと走り抜けると、もーー気ン~持ち良ぉ~くて超ぉーーー天国ですよ!
白尾灯台
住所:石川県かほく市白尾 71-6
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